第3話 話し合い
健生は涼真を家の中に招き入れ、リビングのソファに座らせた。涼真に座ったまま少し待つように言うと、健生はキッチンへと向かい、菓子と飲み物の用意をする。
先程目で確認したが、涼真の他人の家に上がる際の礼儀作法はきちんとしていた。玄関を潜る際に挨拶をし、靴を脱いだら揃え、健生に言われるまではソファに座ることを遠慮していたようだった。
涼真が常識人であることを確認でき、ひとまずは安心できた。だが、問題はここからである。彼が一体何者で、どうやって健生の家に来れたのかを聞き出さなくては。
「こんなものしかないけど、どうぞ」
ソファの前のテーブルに醤油煎餅を乗せた皿と麦茶を入れたガラスのコップを置き、涼真の左隣に座った。
コップと中の氷が当たってカラン、という音が鳴った。
「ああ、ありがとう。煎餅好きなんだよね」
そう言うと、涼真は煎餅を1枚摘み上げ、パリッと音を立ててかじる。ガリ、ガリ、という煎餅を砕く音が響いた後、涼真の喉が上下した。
「うん、やっぱいいよね、煎餅って」
満足そうに言い、再び煎餅を美味そうに頬張り始めた。
近所のスーパーの安物だ、という言葉を健生は喉の奥へと押しやり、話を切り出した。
「あ、あの〜……黒神さんは、いったい何者なんですか?」
健生は呑気そうに煎餅を貪る少年に恐る恐る訊いた。単刀直入であるとも思ったが、疑問を素直に述べた方が手っ取り早く胸の奥に存在するモヤモヤを解消できると考えたのだ。
涼真はしばらくガリガリと煎餅を食べていたが、最初に手に取った分を食べ終えると、口を開いた。
「僕はね、この世界とは違う世界、『裏世界』から来てるんだよ」
「う、ウラセカイ?」
「そ。そこはこの世界でいう、妖怪とか悪魔とかが住んでる世界なんだ。僕はそこに住んでる」
涼真はテーブルの上にある煎餅へと手を伸ばした。それを横目に、健生は質問を続ける。
「それじゃあ黒神さんは……本当に神様なんですか?」
「そうだよ。まぁ、正確には神様と人間の混血なんだけどね」
「神様と、人間の……!?」
「うん。父さんが神様で、母さんが人間」
よくあることだ、とでも言うように、涼真は平然とした顔だった。
こちらから質問しておいてなんだが、胡散臭さがよりいっそう増した。そんなファンタジー染みた話をいきなり信用しろと言われても無理だろう。よく今までの依頼人をそんな話で信用させられたものだ。健生がただ疑り深いだけかもしれないが。
「か、神様って……どうやって生まれるんですか?」
「お? さては今の僕の話を信用してないな。まぁ、信用しろって言われる方が難しいか。それじゃあ簡単に説明してあげる」
涼真は2枚目の煎餅の残りを口の中へ放り込むと、ソファの上で体の向きを健生の方へと変えた。
「裏世界には色んな種族の生き物がいてね。神、天使、悪魔、妖怪、亜人の合計5種族なんだけど、それぞれ誕生の仕方が違うんだ」
「た、例えば?」
「例えば神なら、人間の願いや欲望から生まれる。天使は人間の善の心、悪魔は人間の悪の心から。妖怪は人間の妄想や想像から生まれて、亜人は『妖気』を持った人間のことを指す」
「よ……ヨウキ?」
また健生の知らない単語が出てきた。健生が混乱していることを察したのか、涼真がすかさず、
「妖気ってのは、裏世界の住人たちが持ってる特別な気のこと。生まれ付き持ってる奴もいれば持ってない奴もいるんだ。後者は何かをキッカケに目覚めることがあるけど、結構珍しい類だね。ちなみに、亜人の奴らは全員その珍しい類だよ。だから、もしかしたらこの先、健生くんも妖気に目覚めるかもしれないね」
と、解説してくれた。
そんなことがあるのか、と妙に納得してしまった。何故か彼が嘘を吐いているとは思えないのだ。
目の前の初対面の少年に、不思議な安心感を覚えつつ、健生は昨晩から気になっていたことを尋ねる。
「あの……なんで此処が……僕の家が分かったんですか?」
「あぁそれは、依頼人がメッセージを送ったら、僕がアプリに設定してある僕の妖気を放つように設定してあるからだよ」
「へぇ、妖気……妖気って便利なんですね」
「うん。体内にある妖気……『体内妖気』を全身に張り巡らせば全身を強化できるし、それを体外に集中させて放つと『妖術』っていうもっと便利なものになる」
「妖術……って、いったいどんな……?」
「色んな術があるよ。基本となるのは『属性術』。炎とか水とか、風とか雷とか。アニメや漫画でよく出てくる魔法とかと似たようなもん。それから『秘術』。これはそこそこ習得に難しい術式でね。体外じゃなくて体内で術式を発動して、体を強化するんだ。ゲームでいうバフ効果みたいなもんだね」
「さっき言ってた妖気を全身に張り巡らせるのと、何か違うんですか?」
「手間と効果が違うんだ。体中に妖気を張り巡らせるだけなら、慣れれば1秒もかからないけどタメが短いから効果が薄い。妖術にすれば妖気を練り合わせる必要があるから発動まで時間がかかるけど、洗練された妖気を纏えるからより高い能力上昇効果を得ることができる」
「へぇ……」
これまでの話で、健生は確信した。涼真は嘘を言っていないと。何故なら、彼は健生の質問全てにスラスラと答えられるうえに、話の内容に食い違う点が全く無いからだ。
「で、話を戻すけど、僕は僕の妖気を探る術を持ってるから、遠く離れた場所でも依頼人の居場所が分かるってワケ」
「へぇ……まるでアニメや漫画の世界ですね……」
「まぁね。さて……これで君の信頼を得られる程度の量の質問には答えられたかな?」
という涼真の言葉に、健生はドキリとした。まるで心の中を覗かれたかのように図星を突いた一言だったからだ。
恐る恐る彼の顔を見ると、ぱっちりと開かれたオッドアイが鋭い光を放っていた。
「……分かってたん、ですか」
「ああ。僕は子供だけど、多分君より遥かに多く人と関わってきたから。相手の顔を見たら、相手がどういうことを考えてるかとか、なんとなくだけど分かっちゃうんだよ」
涼真は3枚目の煎餅を手に取り、かじった。今はボリボリと煎餅を頬張るただの少年に見えるが、先程の彼からは得体の知れない何かを感じた。
ビッシリと立った鳥肌に不快感を覚えた時、涼真が3枚目の煎餅を食べ終わり、
「さて……それじゃあ、依頼の内容をもっと詳しく教えて欲しいんだけど」
と切り出してきた。
その顔はつい先程、健生の心を見透かしたような発言をした時と同じような真剣な顔だった。
「確か、いじめをなんとかして欲しいって依頼だったよね? どんな奴にいじめられてるのか、どんな風にいじめられてるのか、できるだけ正確に教えて」
「は、はい……!」
健生は話した。
怜矢と陸玖に毎日のように放課後、校舎裏でいじめられていること。
2人とは小学生の頃からの同級生であったが、小学生の頃はそんな関係ではなかったこと。
いじめのことで心配をかけたくなくて、誰にも打ち明けられないこと。
これらのことを話している間、涼真は真剣な顔のまま、一言も発さなかった。
健生が話し終わった時、ようやく涼真は口を開いた。
「なるほどね……1つ質問あるんだけど」
「はい……なんですか?」
「健生くんをその……悪い言い方をするけど、いじめてる子がどんな子たちか、簡単に教えて欲しいんだ」
「ええっと、まず暗木怜矢。彼は暴力じゃなくて、口で僕を罵ってきたりすることが多いです。それから辻本陸玖。陸玖が暴力担当って感じですかね……。この顔の腫れも、アイツに……」
健生は鼻を覆うように顔を優しく撫でる。触れる程度なら問題は無いが、腫れを少しでも押すと鋭い痛みが走ることは今朝、試した。そして、今もその状態からの変化はなさそうだ。
「そっか……それで、2人に共通した特徴ってあるかな?」
「2人に共通……そういえば、2人とも同じ塾に通ってて、小学生の時のテストは毎回100点でした」
「なーるほど……」
それだけ言って涼真は再び黙り込んだ。煎餅を手に取ろうとするような素振りは見せずに、顎に手を当て、本気で何かを考えているようだった。
少しの沈黙が続いた。しかし、その少しの間が、健生にはとても長く感じた。
「あ、あの!」
とうとう沈黙に耐えきれず、健生は声を出してしまった。
涼真は驚いた、というよりも不思議そうな顔をして健生の方を見つめている。
「な……なんとかなりそうですか……?」
咄嗟に出た言葉であったが、健生が今1番気になっていることでもあった。
「うん、もちろん」
4枚目の煎餅に手を伸ばしながら涼真は頷いた。しかし涼真は、「でも」と掴んだ煎餅を健生の方に向けながら付け加えた。
「僕はあくまでも君の後押しをするだけだ。こういう問題は他人が介入したところで一時的な解決にしかならない可能性が高いからね」
「あ、後押しって……それに、僕は一体何をすれば良いんですか? ただでさえ2人と変に絡むのは嫌なのに……」
「君のご両親はいつ帰って来るか分かる?」
「え?」
突然話が切り替わって驚いたが、健生はTV台の上に立てかけてある小さなカレンダーを見て、両親の仕事の予定を思い返す。
「えっと……今日も遅いと思います。時間は多分……午後の10時前くらいだと……」
「オーケーオーケー。それだけあれば十分だよ。それじゃあ君には、ご両親が帰って来るまで……」
涼真は煎餅をパリッとかじると、含みのある笑みを浮かべた。
「僕がたった今考えた計画の話を聞いてくれ」
「は、はぁ……」
健生は涼真の言ったことの意味が分からず、頭の中でハテナマークを大量に浮かべるのだった。
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