第25話 熾天使
意味ありげな表情を浮かべ、言葉を漏らした美香へ、涼真はすかさず尋ねる。
「美香さん、何か思い当たることが?」
涼真と舞、梨恵は美香へ向かって同時に視線を向けた。その時、美香は何かに狼狽えているかのような、焦りの色を顔に浮かべていた。
「え、ええ……しかし……」
顎に手を当て、己の考えを否定するかのような発言をする美香。しかし、僅かな可能性についても考えなければならない。何故ならば、ヤハウェの許可なく部下に勝手な指示を部下へ出すということは、ヤハウェを裏切ることと同等なものだからだ。
「聞かせてください、美香さん。その怪しい熾天使について」
涼真の強い視線に気圧されたのか、美香は諦めのついたような顔になり、ため息を吐く。
「……分かりました。お話ししましょう」
美香は一度目を瞑り、話し出した。
「黒神くんの言う通り、私たち四大天使は熾天使様から指示を受けました」
「さっき梨恵が方々って言ってましたけど、熾天使は何人かいるんですか?」
涼真が美香に訊いた。
「はい。昔は数人いた、と聞いていますが、現在は3人。メタトロン様とその弟、サンダルフォン様。それとセラフィエル様です。私が気になったのはメタトロン様です」
「そのメタトロンが何か怪しい行動をとっていたんですか? 天界の神に反旗を翻す、みたいな」
「いえ、私も怪しいと思っているワケではないんですが……ただ、1つ気になることがありまして……」
「それは?」
涼真が話を進めるよう、促した。
「メタトロン様がここ数日、何の連絡もなしにどこかに出かけていたようなのです。ただ、普段からお忙しい方なので私はあまり気に留めていなかったのですが……今となっては不自然なんです」
「どこが不自然なんですか?」
舞が一歩踏み出して美香に尋ねた。
「私たち天使の本来の役目は、この世の調律を正すことなんですが、最近はあまり大きな事件がなくて、天界に侵入してきた魔物の排除が主な仕事になっているんです」
魔物とは悪魔が住んでいる魔界に生息する動物達だ。知性があるものがいれば、ないものもいる。
「数日前、天界と魔界を繋ぐ門がいきなり全開になって……そこから魔物が大量に天界に侵入してきたんです。それを抑えるためにセラフィエル様とサンダルフォン様が動いておられたんですが、その間、メタトロン様は別の任務だと言ってどこかに行ってしまわれていたんです。その事件が終わった後、メタトロン様は帰ってこられたんですが……」
「いや、不自然どころじゃないですよね。めちゃくちゃ怪しいですよね」
涼真がジト目で言った。
「それで、舞を殺すように指令を受けたのがそのメタトロンからなんですね?」
涼真が美香に確認を取るように聞いた。
「いえ、それはセラフィエル様からです。その件について、メタトロン様からは何も指示を受けていません」
美香は首を横に振って即答した。
「え、セラフィエルから? じゃあセラフィエルも怪しいんじゃないですか?」
「いえ、セラフィエル様は特に怪しい行動をしていませんし、任務に向かう際も私たちに知らせてくれますから」
美香の話を聞き、涼真はうーん、と唸り腕を組む。
その時、
「ミカエル様、少しよろしいでしょうか」
と1人の天使が歩み寄ってきた。
「どうしました?」
「はい、2件ほどご報告がありまして」
そう言って、天使は説明を始める。
「まず、ウリエル様についてですが、先ほどラファエル様の同伴で天界の大病院へ搬送されました」
天使は唇を舐めた。
「次に、あそこなんですが……」
天使はそう言い、とある方向を指さす。涼真たちはその指の方向を見た。
その方向には涼真が“斬黒”で抉った場所があった。まだその場所から煙が上がっている。
「あそこには、疑似結界を張って対処してよろしいでしょうか」
天使がそう美香に訊いた時、涼真が口を開いた。
「いや、疑似結界はいいです。僕が元に戻します」
涼真は天使に向かって言った後、自分が抉ってしまった場所に向かって歩き出した。
「さて……」
涼真は両手から黒い炎を出し、抉った部分にその炎を当てる。
すると、抉られた地面や木々がみるみるうちに元通りになっていった。
「それと、あの辺りもか」
涼真は炎をさらに強く地面に押し当てる。すると、唯我の炎によって焼けてしまった木々や草も元通りになった。
「な……!?」
「「すごい……!!」」
その光景に天使が目を剥いて驚き、舞と梨恵は驚嘆した。
「あとは……」
涼真は炎を出したまま背後を振り返り、舞と梨恵を見る。
彼女たちの顔や腕には火傷の痕があった。遠目に見ても痛々しい。
「舞、梨恵、ちょっとこっち来て」
背後を振り返ったまま2人に向かって呼びかけた。
「なに?」
「どうしたの?」
舞と梨恵は涼真の方に小走りで寄ってきた。
「少しの間、そこでじっとしててくれ」
涼真はそう言うと
両手の炎を舞と梨恵の顔に押し当てた。炎は燃え盛り、彼女たちの全身を包み込む。
「な……き、貴様!! 何をしている! 今すぐガブリエル様から離れろ!!」
先ほどより驚いた顔になった後、天使は涼真に向かって殴りかかろうと拳を振りかぶって走り出そうとした。
しかし、
「待ちなさい」
美香にそれを止められてしまった。
「ミカエル様!? 何をするんです! あのままではガブリエル様が……!!」
天使は必死な顔で美香に訴えかける。
「見てなさい」
美香は手で天使を制止し、冷静な声でそう言った。
「よし、もう動いていいよ」
涼真がそう言って2人から手を離すと、2人を包み込んでいた炎が消えた。
「えっと……何をしたの? 涼真」
「特になんともないけど……」
2人は困惑した様子で言った。
「本当にそうか? 2人とも、お互いの顔を見てみなよ」
涼真に言われ、2人は顔を見合わせる。
「あっ……梨恵ちゃん、火傷の痕が消えてる!」
「舞ちゃんもだよ!」
2人の顔や腕から火傷の痕が綺麗さっぱりなくなっていたのだ。
2人は不思議そうに自分の体を見回す。
「よかったよ。うまくいって」
涼真は不思議そうにしている2人の様子を見て微笑んだ。
「首元の締められた痕も消えてる……涼真、ありがとう。治してくれたんだよね」
「僕の技で2人の火傷と怪我を消したんだよ。治した訳じゃない」
涼真は目を伏せ、首を横に振った。
「ありがとう涼真くん、でも、その技はいったい……」
「この技は……“クロレキシ”。この炎が触れたものは僕の意思でなんでも消すことができるんだ」
「「な、なんでも!?」」
2人は“クロレキシ”の効果に驚き、同時に声を上げた。
「そうだよ。さっきだったら、『舞と梨恵の怪我と火傷の痕だけ消えろ』って念じながら炎を出してたん……だ……」
涼真が突然、フラつき出した。
「りょ、涼真!? 大丈夫!?」
フラついた涼真を舞が支える。
「あ、ああ、大丈夫……ただ、この技は妖気の消費量が他の技とは比にならないくらい多いからさ……だいぶ疲れるんだよ。長い間炎を出せば出すほど疲れる」
涼真の顔色がどんどん悪くなっていく。
「きょ、今日はちょっと使いすぎたかな……いつもは依頼人の記憶を消す時しか使わないから……」
「依頼人って……あぁ、【黒神】の。だから涼真の姿がっ……バレてないんだね」
舞は合点がいったように頷いた後、涼真に肩を貸した。
「あ、ああ…….そゆこと……」
そう言うと涼真はゲホ、ゲホ、と咳き込む。
「涼真! 大丈夫!?」
「うん、大丈夫……でもできればこのまま支えてほしいかも……」
舞にそう言った後、梨恵の方を向く。
「梨恵、悪い。今日はもう帰っていいか?」
「うん、もちろん。美香さんにはボクから言っておくよ。今日はごめんね、2人とも」
梨恵がそう言うと、2人は神社の石段を降りて行った。
「……大丈夫かな」
梨恵は青くなった涼真の顔を思い出しながら、そう呟いた。
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