第167話 二度目の絶望
神崎家の者たちを退けた雪たちは、涼菜を救出するため、白神邸の1階を引き続き捜索していた。ナギは雪と哲人の統合術式で凍り付いた神たちの見張りをしてくれているため、別行動だ。
先ほどまで、上階から轟音や凄まじい揺れを感じたものの、今は静かになっている。また、屋敷のあまりの広さを改めて見て、雪はほんの少しだけ不気味さも覚えていた。
「うーん……中々見つからねぇな、スズちゃん。本当に屋敷内に居んのかよ?」
「そんなこと言ったって仕方ないでしょ。今はこのまま地道にスズちゃんの妖気を探りながら歩くのがベストなの」
雪はボヤく哲人を軽く叱責する。実際、雪が言った通りにするのが一番の方法なのだ。時間はかかるが、屋敷内に涼菜が居た場合、確実に見つけ出すことができる。
そんなやり取りをしていると、
「いーや……ソイツは俺たちにとっちゃベストじゃなく、ワーストだな」
後方から、一人の男の声が聞こえた。
全身の鳥肌を逆撫でされたかのような悪寒と、途方もない恐怖が雪の全身を蝕む。
壊れたロボットのように固い動きで振り返ると、そこには想像通りの人物がいた。
「よォ、しばらくだな。妖怪ども」
「この前は無様だったわね、アンタたち」
透き通るような白髪を揺らしながら、朧と美月は立っていた。口元に浮かんだ笑みからは、雪たちを嘲笑しているかのような余裕を感じ取れる。
「な、なんで……!? 黒神さんや明日香から倒したって連絡きたのに……!!」
「雪!! そんなこと考えてる場合じゃないわ!!」
隣にいた母の雪女が雪と哲人の前に飛び出し、叫ぶ。その間、こちらを一切振り返らない母の姿から雪は、妖怪の中でもトップクラスに強い母でさえも、白神兄妹には一瞬たりとも油断できないという事実を受け止め、神の強さを再認識した。
「余計なことは考えちゃダメ!! 気を抜くと……死ぬわよ!!」
「その通り。こちとら、お前ら全員殺す気マンマンだったんでなァ……けど安心しろ。こないだみたく、瀕死の状態で留めておいてやる」
朧の発言に、雪は違和感を覚えた。
本当に殺す気があるのなら、今この場で殺せば良い。むしろ、何故自分たちを殺さず、瀕死の状態で留めておくつもりなのか。
だが、黒神やバトラーたちと戦っていた筈の彼らが今ここにいるということ。そして、そのことから導き出される白神たちの目的について考えた雪は、「クッ」と下唇を噛んだ。
「……なるほど。私たちを人質にして、黒神さんたちに言うことを聞かせるつもりね」
「はぁ!? 人質ならコイツらにはスズちゃんがいるだろ!? なんで俺たちも人質に加えようとしてんだ!?」
哲人の問いに、雪は視線を白神兄妹に貼り付けたまま、答える。
「その答えは単純よ。多分、スズちゃんがもうすぐ見つかりそうなんじゃない? 黒神さんたちとの戦いでそのことを察した白神たちは、スズちゃんを諦めて手放すことにして、また新しく人質を用意することにした。そして何らかの手段で回復して、今度は私たちの前に現れたって訳よ」
むしろ涼菜を拐ったのはそれを狙っていたからかもしれない、という考えは敢えて口に出さなかった。そこまで彼らが、否、白神が
こちらの考えを読んでいるなどと、考えたくもなかった。雪たちが抱く罪悪感や友情、それらすらも考慮に入れていたというのか。
「そーゆーこと。察しが良くて助かるわ」
美月はクスリと微笑むと、右腕を天高く掲げ、手先に球体状に妖気を集中させた。
「“佳月・暁”」
美月が術を唱え、巨大な火球を雪たちへ向けて投げ放った。それを見て、雪と雪女が同時に身構える。
だがそれよりも先に、哲人が二人の前に飛び出し、詠唱した。
「“狂狼化”!!」
哲人の体が一回りも二回りも大きくなり、全身を銀色に輝く体毛が包み込む。
大量の妖気を集約させた右腕を大きく振りかぶった哲人は、迫り来る灼熱の妖気目掛けて勢いよく拳を放った。
「ウォォォォオオオオオオオオッ!!」
哲人の拳が振り切られるのとともに、美月が放った妖気は爆散し、紅く輝く妖気の欠片が辺りに舞い落ちる。
「!」
「……マジか」
「っしゃラァァァアアアアアア!!」
目を見開く美月と朧の前で、哲人はガッツポーズをしながら咆哮する。
「……スゴい」
また、雪も白神兄妹同様に驚き、目を見開いていた。
妖怪が神の攻撃を打ち消す光景など、数ヶ月前までの雪はあり得ないと思っていた。だが、百鬼夜行でのラグルと涼真の戦いを目にして、妖怪でも神と対等以上に渡り合えるのだと知った。
そして今、妖怪の哲人が神である美月の攻撃を打ち破ったのだ。それも、何の術式も行使せずに。こんなことは、雪女でもよっぽど妖力を溜めてからでないと難しいだろう。
ーー私も、負けてられない……!
哲人は宣言通り、強くなっている。バトラーとの特訓、先ほどまでの神との戦闘。これらの経験を余すことなく吸収し、目まぐるしい速度で成長しているのだ。
ならば、雪も彼との約束を守らなければならない。彼がいつでももたれかかってきてもいいよう、彼のことを支えられるよう、雪も強くならねばならない。
それにはまず目の前の敵を倒さなければと、雪が視線を哲人から白神兄妹に戻した時だった。
「……アハっ。キャハハハハッ! アタシが妖怪なんかに負ける筈ない!!」
美月が両手を掲げる。すると、彼女の頭上に無数の赤い妖気の球体が出現した。
戦慄が雪たちを包み込み、驚愕と畏怖が体を蝕む。
「アンタたち妖怪はね……アタシにッ! 蹂躙されとけばッ!! いいのよッッ!!」
雪が両手を勢いよく振り下ろすと、赤い球体はゆっくりとした動きで雪たちに迫り出した。
すると、それを見た哲人が再び雪と雪女の前に出た。
「二人とも!! 援護頼んます!! 俺が全部弾き飛ばす!!」
「分かったわ! 雪、哲人くんの援護!!」
「う、うん!!」
“狂狼化”状態の哲人は、隕石の如く迫り来る紅の妖気を真っ直ぐに見据えると、両腕を大きく振りかぶり、詠唱した。
「“天狼星”ッ!!」
目にも留まらぬ速さで、哲人が駆け抜けていく。白銀色に輝く拳が唸り、火球に吸い込まれるように放たれる。
「雪、今よ!!」
「いくよ、お母さん!!」
母の掛け声とともに、雪は隣に並び立つ母に倣って両手を前に突き出し、詠唱した。
「「“氷消瓦解”!!」」
二人の掌から絶対零度の妖気が放たれ、哲人の周囲を包み込む。直後、哲人の直前にまで迫っていた大量の赤い妖気が、一瞬にして凍り付いた。
「らぁあっ!!」
跳んで、殴って、蹴って、弾いて。
凍り付いた妖気を、哲人はアクロバティックな動きで次々と叩き割っていく。
美月の放った火球をあっという間に一掃した哲人は、宙でクルリと回転してから着地を決めると、前傾姿勢で廊下を駆け抜ける。
「“砕狼拳”ッ!!」
黒鉄色の妖気を纏わせた拳を振りかぶった哲人は、朧へ向けてムチの如く腕を振るった。
「“朧・白昼”」
詠唱と同時に、朧から深い霧が放たれ、一瞬にして、哲人と彼の間を断つかのように立ち込めた。雪の視界は真っ白になり、白神兄妹と哲人の姿が消える。
五里霧中、という言葉があるが、この状況は熟語としての意味ではなく、漢字の意味通りの状況だ。
「哲人!!」
そう呼び掛けるも、哲人からの返事はない。
すると、パシッという乾いた音がした直後、雪の視界を完全に覆っていた不気味な霧が途端に晴れ、綺麗さっぱり消え去った。
「っ……!!」
だが、晴れた視界の先には、絶望的な光景が広がっていた。
“狂狼化”を発動させていた筈の哲人が元の姿に戻っており、その彼の右手を、口元に薄らと笑みを浮かべた朧が軽々と受け止めていた。
「く、そ……!!」
「終わりだな」
朧は目を見開き、悍ましい笑みを浮かべると、掴んでいた哲人を振り回し、宙へと放り投げる。
そして、哲人目掛けて右手をかざし、詠唱した。
「“朧・銀魚”!!」
朧の周囲に出現した淡い色に輝く小さな魚が、哲人目掛けて一斉に放たれる。魚雷の如き速さで放たれた魚たちは、先頭の魚が哲人に直撃した瞬間、連鎖爆発を起こした。
雪は、目の前で爆ぜ続ける妖気の中にいる恋人へ手を伸ばし、彼の名を叫ぶ。
「てっ、哲人……哲人ぉ!!」
「雪!! 危ない!!」
雪女が雪の体を覆うように被さる。直後、爆炎と爆風が雪たちを襲い、二人は廊下の端まで吹き飛ばされていった。
「う、うぅ……」
小さな呻き声とともに、雪は母の腕の中で目を覚ました。
まだ揺らぐ視界の先では、煙らしきものが立ち昇っている。恐らく、数秒間気を失ってしまっていたのだろう。
その煙の中から、強大な妖気反応が二つ、雪の方へ向かって近づいてきている。
「お、お母さん……あ、アイツらが、来てる……! は、早く、私たちも……!」
すぐ隣で横たわっている母の体を揺すり、起こそうとする。しかしその時、雪は違和感を覚えた。
母の体に触れた筈なのに、まったくの異物に触ったような感触を覚えたのだ。
恐る恐る視線を右手の方へと移すと、そこには、左半身が真っ黒に焼け焦げていた母の姿があった。
「お、お母さん……? お母さん……っ!? お母さんっ……!!」
変わり果てた姿の母に、雪は必死に呼び掛ける。だが、母はピクリとも動かない。ただ雪に揺さぶられるままに動いているだけだ。
「あ……あぁ……!! お、おか……おかぁ、さ……!!」
「あぁ、良かった。生きてて」
すぐ手前から、甲高い女の声が聞こえた。
声のした方を向くと、そこには美月と朧が並び立っていた。朧の右腕には、力なく四肢を垂らす哲人が抱えられていた。
「死んでないか不安だったのよ」
雪から少し離れた位置で立ち止まったところで、朧は哲人を雪の方へ向けて放り投げた。
哲人はゴロゴロと転がり、雪の手前でうつ伏せの状態で停止する。
「て、てつ……と……」
「ゆ……ゆ、き……」
哲人は辛うじて意識があるのか、視線と口元を動かし、雪に何かを訴えかけようとする。
「い……いいから……も、もう……喋ら、ないで……」
雪が首を小刻みに振りながら言うと、哲人は表情を歪め、吐息混じりの声で囁いた。
「お、お前だけ、でも……に、逃げ……ろ……」
それだけ告げると、哲人は瞼を閉じ、少しだけ持ち上げていた上体を床へと預けた。
「哲人……!? 哲人!!」
雪が哲人の体を揺さぶり、なんとか彼の目を覚まそうとする。しかし、彼は雪女と同じく、雪にされるがままだ。
「そ、そん、な……っ」
「なに? 今頃絶望したの?」
美月が嘲笑混じりの声で、雪に問うてきた。だが、雪は彼女の問いに答えることなく、意識をなくした哲人を見つめ続ける。
そんな雪に構うことなく、美月は雪に語りかける。
「アンタたちなんかが、アタシたちに勝てる訳なかったの。アンタたちの行動は全て間違い。アンタたちは此処に来るべきじゃあなかったの」
美月は「フフフ」とほくそ笑んだ後、彼女の視線は雪よりも下方へと向けられた。
「そうすれば、コイツらも人質にならずに済んだのね」
「ああ……だが安心しろ。さっきも言った通り、お前たちを殺しはしない。あとは、まだ無事なお前をのすだけさ」
美月の言うことに朧が頷くと、二人は揃って片手を雪の方へ向けるとともに、詠唱した。
「「術式統合!!」」
美月と朧の前で、二人の赤と白の妖気が入り混じり、渦を巻く。渦は辺りの妖気を吸い付くしながら、みるみるうちに肥大化し、やがて雪の視界を埋め尽くさんばかりの大きさにまで成長した。
ーー死ぬ。
雪の頭に真っ先に浮かんだのは、この二文字だった。
目と鼻の先で、考えられないような凄まじい出力の妖術が放たれようとしている。涼真の術式ですら遥かに凌駕するほどの威力になるだろう。
そんな攻撃を喰らって、雪は無事ではいられないだろう。いや、そもそも生きているか、体が残っているかさえ怪しい。
雪は哲人と違って強固な肉体を持っている訳じゃない。戦闘面において誇れる部分といえば妖力の高さだが、体を強化するための体内妖気は既に半分以上使い果たしている。それに、妖怪の中では高めの妖力も、神と比べれば粗末なものだ。
「安心しろ! 死なない程度の火力にしてやる! だが、先に謝っておく! うっかり殺しちまったらスマンなァ!」
妖気の向こう側から、朧の声が聞こえた。だが、その声の内容に、雪は更に絶望を重ねた。
この場に居るだけで震え上がるような出力の妖気ですら、手加減しているというのだ。
白神兄妹に絶望するのは、これで二度目だ。一度目は、黒神家の前で涼菜を狙って強襲してきた彼らと対峙したとき。あのときは明日香が雪のことを励ましてくれたが、その明日香は、今は別行動だ。
さらに、今この場で戦えるのは雪しかいない。独りで、二人の神に立ち向かわなければならない。
「……無理よ」
雪より強い哲人が「逃げろ」と言っているのだ。勝てる筈がない。
頭が真っ白になった雪は、その場で肩を震わせながら俯いた。
「……!」
視線を下へ向けたとき、雪の視界に入ってきたものがあった。それは、深く傷付いた哲人と雪を守るために半身を灼かれてしまった母の姿だった。
哲人は、雪たちの代わりに白神兄妹に特攻し、母は爆風から雪を守るために傷付いた。なのに、雪は二人のために何もできていないままだ。
いや、二人にだけではない。雪は今日までの戦いでずっと、誰かに守られて、励まされて、助けられているだけだった。そんな彼らに何も返せず、このまま白神たちの思うがままになるのだろうか。
「……そんなこと、あっちゃダメよ……!」
雪は自身の愚かな考えを否定するように、首を大きく横に振った。
今もみんなが戦っている。涼菜を取り戻すために。涼真を救うために。
そして、雪の目の前で倒れている二人は、命を賭して雪のことを守ってくれたのだ。
だから。
「ここで私が……私だけが諦める訳には、いかない……っ!!」
立ち上がった雪は、両手を体の前で構え、残っている体内妖気全てを注ぎ、練り合わせる。白銀の妖気が美しい輝きを放ち、辺りに凍えるほどの冷気が満ちていく。
「キャハハハッ! アタシたちに勝てると思ってんの!? そんなちっぽけな妖気で!?」
美月が雪を見下ろし、高笑いを上げる。だが、雪の頭は澄み切っていた。少しの思慮の後、美月に冷静に言葉を返す。
「……勝てないと分かっていても、やらなきゃいけないときがあるのよ。ここでみんな死んでも、私たちがアンタたちに抗った証拠……爪痕くらいは残してやるわ!」
「生意気な小娘……。黒神の仲間は、どいつもコイツもほんっっとうにイラつくわねぇ!! やるわよ、おにぃ!!」
「ああ! 合わせるぜ、美月!!」
朧の掛け声とともに、白神兄妹の前に出現した妖気の渦がギラリと光った。妖気の充填が完了した合図だ。それに合わせ、雪も体内の妖気を全て出し切り、詠唱の言を叫ぶ。
「「統合術式、“朧月”!!」」
「“天牢、雪獄”ーーーーーーーっ!!」
その時だった。雪たちのすぐ横の壁や窓が爆発し、煙を巻き起こしながら吹き飛んだ。突然の出来事に、雪と白神兄妹はそちらへ目を向け、解放直前だった妖気を収める。
すると、白煙の中から一人の白髪の少年が跳ね転がってきた。少年はうつ伏せの状態からすぐさま起き上がると、窓の方を激しく睨み付ける。
「い、佚鬼!? お前、こんなとこで何して……っ!?」
「あ、アンタ、作戦はどうしたの!? 黒神涼真は!? ねぇ!?」
白神兄妹が少年を見て声を上げる。だが、佚鬼と呼ばれた少年は煙が上がり続ける窓の方を睨んだまま、刀を握った腕を横に大振った。
「うるさい! こんな時くらい……黙って俺に協力しろ!! クソ兄姉!!」
佚鬼が叫んだ言葉の意味を、雪はあまり理解できなかった。
こんな時とはどういう意味なのか。彼らにとって、何か不足の事態が発生したのか。
そもそも佚鬼はどこからやって来たのか。屋敷内にいたのではなかったのか。
突然の出来事に、雪が混乱する頭を整理していると、佚鬼の睨んでいた煙の中に、一つの人影を見つけた。
その影は子供のもので、小学校高学年の少年程度の大きさだったのだが、そのシルエットに、雪は見覚えがあった。
「何だ……? 神クラスの妖気が一気に増えたな……。ま、関係ないか。何人居ようと倒すだけだ」
声変わりが始まったばかりのような、少年の声。煙をゆっくりと掻っ切って歩み寄って来た人影を見て、雪は目を見開いた。
「りょ、涼真……?」
「あ、雪……!」
そこには、眠らされていた筈の幼馴染の凛とした姿があった。
お読みいただき、ありがとうございます。




