第152話 神崎向日葵
白神邸の地下牢。
うす暗く冷たいその場所で、涼菜は太陽のように明るい輝きを放つ向日葵という少女と話をしていた。
並んでコンクリートの床にペタリと座り込み、壁にもたれかかった二人は、改めて自己紹介をすることになった。
「え、えっと……黒神涼菜です。12歳です。誕生日は9月19日で、好きなものは……お、お兄ちゃんが作ってくれるラーメンです……。皆さんからは、『スズ』って呼ばれてます」
自己紹介なんてしたことが無かった涼菜は、向日葵の真っ直ぐ視線を受けて、変に緊張してしまった。手をモジモジさせながら終えた自己紹介の感想を求めるように向日葵の方をチラリと見ると、
「おー、なんか普通やな」
あまり嬉しくない答えが返ってきた。
「う……す、すみません。あまり人と関わったことが無くて、初対面の方とお話しするのが苦手で……」
「かまへんかまへん。ほんなら、ウチも自己紹介しよか」
向日葵は笑って左手を上下に軽く振った後、その手をそのまま胸に添えた。
「ウチは神崎向日葵。スズと同じ12歳。誕生日は8月31日で、好きなもんは、い……やなくて、は、花かな! 呼び方は『ヒナ』で。同い年やし、敬語もいらんよ」
途中、何かを訂正したような気もしたが、彼女のことは今の自己紹介で大体理解した。結局のところ、普通の自己紹介が一番ということだ。
しかし、向日葵の自己紹介の中で一点、疑わしい箇所があった。それは——。
「……本当に12歳……?」
「うん。正確に言うたら、今年で13歳やけど。スズもそうなんやろ?」
「そ、そうだけど、何というか……ヒナちゃん、12歳には見えないね……」
涼菜は視線を向日葵の胸部へと向けた。大きい、とまでは言えないものの、丘状のものが2つ、ワンピースの下に確認できる。涼菜の知る限り、愛梨、舞、しおりに続く大きさだろうか。
これで同い年か、なんてことを思いつつ、涼菜は初対面の相手の体をチラチラ見てしまった恥ずかしさを紛らわすために咳を数度した後、話題を変えた。
「と、ところで……ヒナちゃんはいつからここに閉じ込められてるの?」
と涼菜が問うと、向日葵は腕を組み、片手を顎に添えて「うーん」と唸った。
「どんくらいやろ。地下牢に居ったら時間の感覚なんて分からへんから、キッチリした日にちは分からへんけど……大体1ヶ月くらい前からちゃうかなぁ?」
「いっ、1ヶ月!? 1ヶ月もこんな暗くて何も無いところに閉じ込められてるの!?」
「何も無い訳ちゃうで。ほら、そこに蛇口あるやろ?」
向日葵は涼菜のすぐ左の壁に設置されていた蛇口を指差した。蛇口の真下には排水口もある。
「それで体洗ったりはしてる。それにご飯も1日1回運ばれてくるしな。まぁ、お茶漬けとか簡単なもんばっかやけど」
「でも、体とか精神面とか大丈夫なの? 髪もすっごく伸びてるし……あれ、でも前髪は普通だね」
涼菜が向日葵の前髪に目を向けると、彼女は「あぁ」と切り揃えられていない自身の前髪に触れた。
「後ろは別にどうでもいいから放ってるんやけど、前髪は伸ばし続けてると目に入ったりしてウザいからなぁ。こないだコレで切った」
「それは……手枷?」
向日葵は両手首に嵌められている黒い手枷を見せてきた。それと同時に、手枷に付いている長い鎖がジャラリと無機質な音を立てた。
「そう。ウチをここから出せへんようにするためのな。ほら、向こう側の壁に鎖のもう片端が埋め込まれてるやろ?」
向日葵はそう言うと、向かい側の壁に目を向けた。涼菜も向日葵と同じように正面の壁を見てみると、彼女の言った通り、壁の真ん中に鎖のもう片端が埋め込まれているようだった。
「鎖の長さが丁度そこの階段に足かけられるかかけられへんかくらいなんよ。でも結構長いから遊んだりもできるで。たまに鎖で縄跳びとかしてるし」
「へ、へぇ……」
向日葵が一人、鎖で縄跳びをしている姿を思い浮かべると、やはりとてもシュールな絵面だったので、涼菜は思わず苦笑いを浮かべた。
「でも、鎖でどうやって髪を切ったの?」
「え? 擦ってやけど?」
当然、とでも言うような口調で中々にエグい内容を言ってのけた向日葵に、涼菜の口はポカン、と開いてしまった。
「擦ってって……ま、摩擦で切ったの? 髪の毛を!?」
「そうやで。でも切れた後の髪の毛、触ってみたらめちゃめちゃ熱くてな? あともうちょっとで髪全部燃えてハゲになるとこやったわ」
ハゲどころでは済まないだろう、と、今度は苦笑いを通り越して向日葵に少し引いてしまった涼菜だったが、そこでふと、新たな疑問が浮かんだ。
「……なんでヒナちゃんはここに閉じ込められたの?」
何故、向日葵がこんな生活を強いられているのか。昔の涼菜と同じように白神たちに拐われたのだろうか。はたまた、涼菜の想像もつかないような理由があるのか。
向日葵は「そこを突いてきたか」とでも言いたげに気まずそうな笑みを浮かべた後、短い笑い声をこぼしてから、ゆっくりと口を開いた。
「……ウチは人質としてここに閉じ込められたんや。佚鬼が白神たちの言うこと聞かんと逆らったら、ウチは殺される」
「佚鬼って、白神佚鬼……さんのこと?」
「うん。ウチと佚鬼は、歳は一個違いやけど幼馴染なんや」
向日葵は両膝を抱えると、遠い目をしながらポツリポツリと語り出した。
「ウチの家は、ちっちゃいんやけど一応神の代行者の家やねん。そんで、ウチが人間たちの願いを叶える為に初めて人間界に行った時やった。めちゃめちゃデッカい妖怪が出てん。なんて言うたっけ……あ、そうや瘴鬼や瘴鬼」
身振り手振りで、かつての強敵の大きさを示そうとする向日葵。その様子が、幼稚な子供のように愛らしくて、涼菜はクスリと微笑んだ。
それに気付かなかったようで、向日葵は話を続ける。
「依頼人を守る為にウチは必死で瘴鬼と戦った。でも、全っ然敵わんくてな? もう殺されるって思った時にウチを助けてくれたんが、佚鬼やった」
佚鬼の名を口にした時の向日葵は、涼菜が見た彼女のどの顔でもなかった。笑顔は笑顔なのだが、それは今までの晴れやかな笑みではなくて、頬をほんのりと赤らめ、ほんの少し口角を上げていた。
恋の顔だ、と涼菜は直感的に察した。
「裏世界に帰ってきてから、ウチらはどっちの親にも内緒で会うようになった。ちょっと離れた所にある花畑で一緒に遊んだり、森の中でかくれんぼしたりして遊んどった」
そこまで言った時、向日葵は視線を少し下へと向けた。彼女の視線の先には、暗くて冷たいコンクリートのタイルが広がっていた。
「でも……1年前にウチらの関係が白神にバレてしもた。そのせいで佚鬼はこっ酷く叱られて、ウチは白神から佚鬼との接近禁止命令を出されたんや」
「な、なんでそんな……」
急な展開に、涼菜が呆気に取られて思わず尋ねると、向日葵は首を涼菜の方へ回し、半ば呆れたような、諦めたような、力の抜けた笑顔を向けてきた。
「白神は昔っからプライドがめちゃめちゃ高いらしいねん。せやから、自分の孫が知らん家の大した実力もない小娘と付き合うなんてことが許されへんかったんやと思う」
涼菜は、白神の考えに憤りを覚えた。佚鬼と向日葵の付き合いに、何故白神が口を出すのか。いくら家族だと言っても、孫の交友関係に口を出すのはお門違いだろう、と。
「そんな理由で……酷い……」
「でもな? ウチは佚鬼のことが好きやった。会いたくて会いたくてしょうがなかった。やから1ヶ月前、命令を無視してまたここに来てしもたんや。アホやろ?」
向日葵は自嘲気味に笑うと、視線を再び前へと向けた。
「それでウチは捕まって、地下牢に閉じ込められた。そのせいで佚鬼も、ウチのパパとママもアイツらの言いなりや」
「アイツらって?」
「佚鬼の祖父の白神と、兄の朧、姉の美月や。アイツら、昔っから佚鬼のこと虐めてたんやけど、ウチのせいでそれが酷くなってると思う……」
ここで、とうとう向日葵の顔から笑顔が消えた。
その表情が涼菜には、とても他人事のようには思えなくて。思わず涼菜も眉尻を下げた。
「なんで佚鬼……さんは、虐められてるの?」
その質問で、ハッとしたように顔を上げた向日葵は、ブルブルと首を左右に振った後、先ほどまでと同じ、声色を元気なものに戻した。
「兄貴と姉貴よりも固有術式が劣ってたかららしいで。でも、ウチからしたら佚鬼の術式もめっちゃ凄いと思うんやけどなぁ」
「佚鬼さんの術式って確か、影を操る術式だったよね」
「そうそう。よう知ってんな」
「……ワタシのお兄ちゃんと、友達の舞ちゃんが負けたから」
気付いた時には、もう喋ってしまっていた。
向日葵を見てみると、彼女は涼菜の方を向いて目を見開き、全身を小刻みに震わせていた。
「……佚鬼が、やったん?」
信じられないものを見たような目で涼菜を見つめ、信じたくないと念じるような震えた吐息を漏らす向日葵。それでも、涼菜は彼女の質問に正直に答えることにした。
「……あの場に居た舞ちゃんが、二人を襲った人は白神佚鬼って名乗ったって言ってたから、間違いないと思う」
「佚鬼が……スズのお兄ちゃんたちに、何したん?」
「っ……それは……」
涼菜は考える。これ以上、真実を話していいものか、と。本当のことを話してしまったら、彼女はそのことを気に病んでしまうのではないか? 自分のせいだと言って心を痛めてしまうのではないか?
そんな考えが頭に浮かんでしまって、涼菜が中々口を開けずにいた時だった。
「ウチのことはいいから。教えて」
向日葵が真剣な表情で、涼菜のことを見つめていた。
その表情から、彼女の言っていることが涼菜を気遣っている訳でなく、本心から涼菜の言葉の続きを知りたがっているのだと悟った。
少しだけ悩んだ後、涼菜は真実の続きを話すことにした。
「……ワタシのお兄ちゃんは、佚鬼さんが持ってた薬のせいでずっと眠ってる。舞ちゃんも怪我したって言ってたけど、今はもう大丈夫」
「……そっか」
そう短く呟いて、向日葵は黙ってしまった。
沈黙が二人を包み込む。向日葵は時たま大きな大きなため息を吐きながら、両膝の間に顔を埋めていた。
そんな向日葵を横に、涼菜は真実を話してしまったことを後悔していた。
——やっぱり、本当のことを話さない方が良かったんじゃ……。
目を伏せ、申し訳なさと気まずさを感じていると、向日葵の声が聞こえてきた。
「ごめんな、スズ。ウチが捕まったせいや」
やっぱり! と思い、涼菜は手をパタパタさせつつ、必死にフォローする。
「い、いやっ……別に、ヒナちゃんを責めた訳じゃ……!」
「ホンマの佚鬼は、絶対にそんなことせぇへん……。佚鬼は、ウチが捕まったからアイツらに無理やり従わされてるだけや!」
向日葵は叫ぶと、拳を地面に打ち付けた。ペチン、という力ない音が、鎖と地面が打ち合う音に掻き消された。
「せやから佚鬼を許してほしい……とは言わへん。ううん、言えへん。でも、ホンマはそんなことするようなヤツとちゃうってことは、知っといてほしい」
祈るような視線を送ってくる向日葵。
向日葵の言う通り、涼菜は佚鬼のことを許すことはできない。けれど、彼女が嘘を言っていないことは分かる。
それに、向日葵は涼菜に「欲している」のだ。ならば黒神として涼菜がすべきこと、できることは、たった一つしかない。
「うん、分かった。ヒナちゃんがそう言うなら!」
コクリと頷き、涼菜は向日葵に満面の笑みを見せた。
向日葵は涼菜に釣られるように笑顔を浮かべた。しかし、それは今までの太陽のような晴れやかなものではなく、もっと柔らかくて穏やかなものだった。
「……ありがとう」
まるで、風に揺られる、一輪の向日葵のように。
◇◆◇◆◇
「…………」
白神佚鬼は侵入者のことを兄たちに知らせようと、白神家の1階の廊下を歩いていた。
すると、
「おい佚鬼!」
丁度良いところに、兄の朧と姉の美月が向こう側から駆け足でやってきた。
佚鬼の前で美月とともに立ち止まった朧は、少し怒った顔をしていた。
「お前、何してたんだよ?」
苛立った様子の兄にこんなことを話すべきだろうか、と少し悩んだが、結局、話すことにした。話さなかったら話さなかったで、後々面倒なことになると考えたからだ。
ハァ、とワザと大袈裟なため息を吐いてから、佚鬼は口を開いた。
「……侵入者の相手だ」
「「は?」」
「だからさっき、資料室に侵入者が居たんだよっ……」
「居たんだよ」の「よ」を言い切る前に、目を血走らせた朧が佚鬼の肩を掴み、激しく前後に揺さぶった。
「その侵入者って誰だ……!? ソイツは何が目的だったんだ!? あ゛ぁ!?」
爪が肩の肉に食い込み、鈍い痛みが走る。後でアザになるんだろうな、なんてことをぼうっと考えながら、佚鬼は朧の乱暴な問い掛けに答える。
「顔は見えなかったし、ソイツの目的を俺が知るワケないだろ……。逃げられたし」
「あ゛? 逃げられた?」
「窓からな。その時に、何かの資料を持って行かれ……」
ふと、佚鬼の視界に影が落ちた。前を向いて見ると、肌色の何かが眼前にまで迫っていることに気が付いた。ただ、それが朧の拳であると理解したのは、廊下の真ん中で仰向けになり、鼻の頭から眉間までがズキズキと痛み出した時だった。
「こんの役立たずが! 美月! 今すぐ資料室に行くぞ!」
「お、おにぃ、何すんの!?」
「何の資料を盗まれたか調べるに決まってんだろ!」
吐き捨てるように言った朧の後ろを、美月がパタパタと音を立てながら着いていく。その音が耳のすぐ横を過ぎ去り、遠くなっていく間も、佚鬼はずっと大の字で天井と向かい合ったままだった。
「佚鬼ぃ! お前も来い!」
名前を呼ばれた時、佚鬼は痛む顔面を手で押さえながら、ようやく体をむくりと起こした。
痛い。けれど、あの時に比べれば、この程度の痛みなど、大したことはない。
そう。彼女を奪われ抵抗した時、彼らから食らった攻撃に比べれば——。
「……ヒナ」
——いつか必ず、お前を助ける。
囚われてしまった幼馴染の顔を思い浮かべ、佚鬼は立ち上がった。
大切なものを、取り戻すために。
お読みいただき、ありがとうございます。
向日葵が「ありがとう」と言ってますが、ここは敢えて「おおきに」ではなく「ありがとう」という言葉を選びました。語源的に「おおきに」=「ありがとう」の意味でないという点もありますが、関西の若い方が「おおきに」を使っている印象があまり無かったので、「ありがとう」にしました。
ちなみに、愛梨、舞、しおりの順に大きくて、一番小さいのが明日香ですよ(何がとは言いませんが)!




