第151話 奪い合い
白神邸。
涼菜を連れ帰った朧は美月とともに、祖父である白神がいる部屋の前にやってきていた。
長い洋風の廊下の突き当たりにあるのが白神の部屋だ。コンコンコン、とノックをし、中に居る筈の祖父へと声を掛ける。
「お爺さま、ただいま戻ったぜ」
「お爺さまー、ただいまー」
「入れ……」
涼菜を肩で担いでいて右手が塞がっているため、左手で扉を開けた朧は、美月とともに部屋の中へと入った。
部屋は至って普通のもの。机があり、椅子があり、本棚があり、クローゼットがある。ただ、唯一普通と異なる点と言えば、部屋の中央に巨大なベッドが埋め込まれている、ということだろうか。
「よう帰ってきたなぁ、お前たち」
そのベッドの中で、弱々しくもニッと歯を見せて笑った老年の大柄な男。少し煤けた色の白髪を短く切り揃え、白い髭がもみあげから顎を覆うように生えている。
その男こそ、朧や美月が『お爺さま』と呼び、この世で唯一慕う者、白神である。
白神はゆっくりと左腕を動かすと、朧が肩で抱えているツインテールの少女を指差した。
「その娘が……」
「黒神涼菜だよ。あ、まだ殺してないから、安心して」
美月の言葉に、白神は安堵したように息を吐く。美月はたまに勢いがつきすぎて、余計なことまでやらかしてしまうからヒヤヒヤしていたのだろう。ため息の大きさから、今回は朧が彼女に着いていったため、普段よりかはまだ安心していたようだった。
一呼吸おいてから、今度は朧が口を開いた。
「お爺さま。どうやら黒神涼真はまだ生きているらしいぜ」
「なに……!? それはほん……」
白神は目を見開き、ガバッと上半身を起こそうとした。しかし、すぐに体の動きが止まり、激しく咳き込み出した。慌てて美月が駆け寄り、白神を仰向けに寝かせる。
「そ……それは、本当、か……?」
「まだこの目で見たワケじゃねぇから本当かどうかは分からねぇけど、裏桜病院に入院しているらしい。明日、確認してくる」
ヒュー、ヒュー、と絶えてしまいそうな呼吸をいくらか挟んでから、白神は憎々しげに顔を歪ませ、呟いた。
「佚鬼め……仕留めることすらしくじるとは……。やはり、術式が判明してすぐに殺して……いや、今はそんなことよりも……朧、美月」
「「はい」」
名前を呼ばれた二人は横に並び、背筋を伸ばす。祖父から指令が下される際は、常にこの姿勢だ。
「黒神涼菜を地下牢へ閉じ込めておけ……あの娘と同じ場所へな」
「了解だ、お爺さま」
「まっかせてよ!」
朧は力強く頷き、美月は満面の笑みでウインクをし、ガッツポーズを決めた。
「ああ……すまんな、お前たちに頼りきりで」
「気にすんなよ、お爺さま。俺たちは好きでやってるんだから」
「そーそー! お父さまとお母さまが死んでからアタシたちを育ててくれたのはお爺さまなんだから! その恩も忘れて、佚鬼のヤツは……!」
美月は顔を歪め、大きな舌打ちをかました。
佚鬼は生まれ持った術式、固有術式が弱いと白神に判断され、落ちこぼれ扱いを受けている。実際、数ヶ月に一度行う兄妹揃っての模擬戦闘稽古で、朧や美月は佚鬼に負けたことが一度たりとも無い。
朧が考えるに、本来の佚鬼はもっと強い筈なのだ。だが、あの女のせいで佚鬼は鍛錬の時間を割けず、白神家最弱になってしまったのだろう。
「まぁとにかく……今は佚鬼のことは放っておいて、すぐにコイツを地下牢へ放り込むぞ。美月、手伝ってくれ」
「分かったよ、おにぃ。それじゃあね、お爺さま。何かあったらすぐに呼んでね」
「ああ」
揃って祖父の部屋を退出した後、二人はゆっくりと廊下を並んで歩き出した。二人の間に珍しく、気まずい沈黙が流れる。
やがて、美月が口火を切った。
「お爺さま……またちょっと弱ったような気がする……」
「美月にもそう見えたか? 俺もだ」
二人の祖父、白神は昔から酒呑みで、豪快な笑い声を上げるような人だった。だが、6年前に体調を崩してからは大好きだった筈の酒を控え、ベッドで横になることが増えていった。二人は、そんな祖父の姿を見る度に、悲しみと寂しさを覚えていた。
2階と1階を繋ぐ階段に差し掛かった時、美月が再び口を開いた。
「……このまま世界中の神の代行者を殺して、アタシたち白神だけが代行者になれば……お爺さまは助かるんだよね?」
「ああ。神が生きていくためには人間や神たちの願いを叶えることが必須だ。だから、俺たちが叶える願いの数が増えればお爺さまは以前のように元気になる。きっとな」
祖父と朧と美月で決めた作戦。祖父の寿命を延ばすにはもうこの方法しかない。
動けない祖父に代わって、二人がこの作戦を実行する。これが、今まで自分達を亡くなった両親の代わりに育ててくれた祖父への二人なりの恩返しなのだ。
朧と美月は階段を降り、1階の廊下に出た。足元は一面赤いカーペットで覆われており、一歩動く度にモフモフとした感触が足の裏に伝わってきて心地良い。
だが、今はその心地良さを堪能している場合ではない。少し歩き、一直線に続く廊下の真ん中で二人は立ち止まった。
「美月、開けてくれ」
「うん」
美月が床に手をついて妖気を流し込むと、カーペットに切り込みが入り、ゴゴゴ……と唸り声のような低い音を立てながら床の切り込みが入った部分が動き出した。
ズン、と一際大きな音が鳴るのと同時に床の動きが止まると、二人の目の前には地下牢へと続く階段が出現していた。朧か美月か白神の妖気を床へ流し込むと床が動き、地下牢への道が開ける仕組みになっている。以前は佚鬼の妖気でもこの仕掛けが作動するようになっていたが、彼が朧たちと敵対するようになってからは、彼の妖気では反応しないように設定し直した。
「さて……お前はここで大人しくしてるんだな、黒神涼菜」
朧は涼菜を肩から降ろすと、階段の前に寝かせた。そして、うつ伏せに横たわっている涼菜の腹に右足を乗せる。
「中でお友達でも作って、せいぜい最期の時間を楽しむことね」
美月がそう言うと同時に朧がほくそ笑み、右足で涼菜を蹴った。涼菜は時おり跳ねながら、先の見えない階段の底へと転がっていった。
◇◆◇◆◇
「……ょうぶ!? なぁ!?」
ヤケに騒がしい声が聞こえて、涼菜は薄らと瞼を開いた。そこには、一人の少女が不安げな顔で涼菜の顔を覗き込んでいた。
「だ……誰……?」
見覚えのない少女の顔に、涼菜は思わず尋ねる。しかし、その質問に答えることなく、少女はパァッと顔を綻ばせると、すぐに気の抜けた顔になり、大きなため息を吐いた。
「はぁぁ〜っ、良かったぁ……! 生きとったんやな! もぉ、ビビらせんといてやぁ……」
少女の元気な声で、徐々に意識が覚醒してきた。それと同時に、ズキズキ痛む全身を脳が認識し始め、その痛みで完全に意識は醒めた。
「いっ……たたたた……!」
特に痛みを感じる頭や肋骨の辺りを手で摩りながら、涼菜は腹筋トレーニングの時のようにして起き上がった。
辺りをキョロキョロと見回してみると、そこは四方を鼠色の壁で覆われた部屋のような場所だった。床や壁はコンクリートでできているのか、ところどころザラザラしており、部屋の中に家具と思わしきものは見当たらない。涼菜が居る場所から最も近い壁には蛇口が付いており、水がポタポタと垂れていることから、水は止められていないらしい。10メートル程ある天井の真ん中に電球が備え付けられており、それだけがこの空間での唯一の光だった。
そして、蛇口のすぐ横には何処かへと続く登りの階段があるが、その先は真っ暗で何も見えなかった。
「ここは、一体……」
「ここは白神の本拠地の白神邸の地下牢やで、黒神涼菜ちゃん」
涼菜がこの空間の異常さに驚いていると、先ほどの少女が関西弁で話しかけてきた。少女の姿をよく見てみると、肌は薄汚れていて、身につけている白いワンピースはボロボロ。オレンジ色の髪はボサボサで長い間手入れされていないことが伺えた。
そんな少女の外見にも驚いたが、涼菜が最も驚いたのが、彼女の発言についてだった。
「な……なんで、ワタシの名前を?」
少し警戒しつつ、涼菜は恐る恐る少女に問うてみた。
「神々の間やったら黒神家はめちゃめちゃ有名やからな。もちろんアンタのことも耳に入ってるで」
「神々の間って……まさか、あなたも神様なんですか?」
「うん! ウチの名前は神崎向日葵。神様同士、仲良うしよな!」
少女——向日葵の眩しいほどの笑顔が、涼菜にはこの空間でのもう一つの灯りのように見えた。
◇◆◇◆◇
白神邸の1階のある部屋で、白いゴム手袋をし、帽子を目深に被った男が胡座をかきながら怪しい動きをしていた。
男が居る部屋には部屋を埋め尽くさんばかりの書類があり、彼はそれを読み漁っているようだった。
「これじゃないな……どれだ……」
流し読みした書類を後ろへ放り投げ、また次の書類へと目を通す。すると、気になる文章と写真が印刷された書類を発見した。
「『アルキドコロの成分に加え』……これか」
そのまま内容を読んでいくと、どうやらその書類に記載されている内容が、男の目的のものだったようだ。
ホチキス留めされているその書類を片手に、男がその場で立ち上がった時だった。
「何者だ」
部屋の唯一の出入り口である扉の前で、白髪の少年が男のことを睨み付けていた。
男は少年が部屋に入ってきたことに気付かなかった。少年が気配を消すのがよっぽど上手いのか、それとも何かの術式を発動させたのか。その真相は分からないが、今目の前に少年が立っていることは事実なのだ。
「君が白神佚鬼か?」
「その問いに答える義理は無い。それに、先に問い掛けているのは俺だ」
「ああ、確かにそうだ。でもな少年」
男は手の中に妖気で球体の何かを生み出すと、それをチラリと少年——佚鬼に見せ付けた。
「俺も君の問いに答える義理は無い」
「っ! 玉!?」
男は唇を三日月型に歪ませた次の瞬間、球体を床へ勢いよく叩き付けた。すると、球体は強烈な光を発し、辺りを激しく照らし出した。
球体が破裂する寸前でその正体に気が付いた佚鬼は、とっさに両腕で目を覆い、眼球へのダメージを防いだ。
「閃光弾か!!」
男は佚鬼が光で動けなくなっていることを確認すると、ニヤリと不敵に笑い、扉と反対側にある窓へ手を掛けた。
「じゃあな少年。近いうちにまた逢おう」
「まっ、待て!!」
ガタッ、という木と木が擦れるような音がした直後、ようやく光が収まった。佚鬼は慌てて窓辺に駆け寄ったが、そこには人が居たような形跡は全くなく、男の姿も煙の様に消えて無くなっていた。
お読みいただき、ありがとうございます。




