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クロレキシ  作者: 赤森千穂路
第四章 白神編
152/193

第145話 覚えてる?

 放課後。舞は1人で涼真の病室へやってきていた。病室に入ると、昨日と同じく夕陽の差し込む白い部屋の真ん中で、涼真は相変わらず眠っていた。

 ただ一つ、前回病室を訪れた時と変わっていた点は、涼真の肘の内側から細いチューブが延びていることだった。チューブはベッド横の支柱に吊るされた点滴のパックに繋がっている。


「……だから、私もバトラーさんたちと一緒に戦うことにしたんだ」


 ベッドの側にあったパイプ椅子に腰掛け、今日の学校での出来事を一つずつ涼真へ話す。言葉が返ってこないことは分かりきっている。それでも、舞はできる限り普段と同じように涼真と接したかった。


「今度は私が君を助けるから。待っててね、涼真」


 優しく話しかけ、彼の目元にかかった黒い髪を人差し指でそっと払ってやる。すると、涼真の寝顔がふと目に入った。

 改めて涼真の顔をジッと見つめてみたところ、童顔ではあるが、やはり容姿は整っている。癒し系イケメンと呼んでも差し支えないだろう。


「……カッコいいというより、やっぱり可愛い系だよね、涼真って」


 自然とこぼしたその一言に、舞は数秒経ってから気が付いた。慌てて辺りを見回して誰も聞いていなかったことを確認する。

 ホッと安堵のため息を吐き、舞はクタリと背もたれにもたれかかった。

 その時、何故かふと、()()()()()()を思い出した。舞は涼真の耳元に顔を近づけると、そっと声に出して訊いてみる。


「……ねぇ涼真。覚えてる?」


 ーー何を?


 涼真が普段と同じなら、ごく普通にこう返していただろうか。それとも、舞の心を読み取って、


 ーーああ、あの時のことか。


 と、頷いてくれただろうか。いや、流石の涼真でも他人の思考までは読めないだろう。

 なんてことを思いながら、舞は思い出話をポツリポツリと語り始めた。


 それは、舞からすれば遠い昔のこと。






◇◆◇◆◇






『お父さんはずっと舞と一緒にいるよ。約束する』


 そう約束した父が、逝った。

 事故だった。飲酒運転で猛スピードで突っ込んできた車と電柱に挟まってしまったらしい。

 名も無い普通の悪魔だった父は、体内妖気の質も薄く、強い術式など習得していなかった。そんな者が妖気の扱いに慣れている筈もなく、体を強化する暇もなく全身を潰されて即死したそうだ。

 悪魔といえど命は一つ。落としてしまえば、二度と拾うことは叶わない。


 父の遺体とも呼べない残骸を見て、母は大泣きしていた。しかし、舞は違った。涙を流してはいたが、それは母とはまったく別の理由だった。


「嘘、つき……!」


 父の葬儀や諸々のことを終え、気晴らしに友達と遊ぼうと、普段から遊んでいた公園へと向かった。舞が到着すると、予想通り同い年の友達が4人ほどブランコや砂場で遊んでいた。


「久しぶりー!」


 舞は彼らに大声で呼び掛け、大きく手を振った。彼らは手を止め、舞の方をチラリと見たが、すぐに何もなかったかのように各々の遊びを再開した。

 普段なら舞に向かって手を振りかえしてくれたりするハズなのに、今日は何故か全員素っ気ない。

 胸の中にモヤモヤを抱えつつも、舞は砂場で遊んでいる女の子たちに近付いた。


「ねぇー! 私も入れてー!」


「……行こっか」


「うん……」


 舞が近寄ると、彼女たちは作っていた砂山をわざわざ崩してから、ブランコの方へ向かった。

 舞も彼女たちを追って、男の子2人がいるブランコへと走る。ようやく女の子たちに追い付いた舞は、そのうちの1人の肩を掴んだ。


「ねぇってば!」


「……私、舞ちゃんとは遊ばないから」


「……え?」


 冷たく言い放った少女は、舞の手を振り払うと、汚物を見るような目で舞のことを睨んだ。

 訳が分からなかった。彼女たちに酷いことをしたような覚えは一切ない。むしろ、最後に仲良く遊んだ日から今日まで、1回も会っていないのだ。嫌われる理由が無い。


「ど、どうして?」


「だって舞ちゃん、最近家に呼びに行っても居なかったじゃん。もう私たちと遊びたくないんでしょ」


 その言葉を聞いた途端、舞の胸の辺りがズキン、と痛んだ。確かにここ最近、舞は家に居なかった。しかしそれは、父のことでドタバタしていたからであって、決して彼女たちのことを嫌いになったからワザと留守にしていた訳ではない。


「ち、違うよ! アレは……」


「舞ちゃんなんか知らない。行こ、みんな」


「うん」


「おー」


「そうだね」


 女の子たちはブランコから降りてきた男の子たちと共に、4人で公園を出ていってしまった。

 舞には、彼らを引き留める気力は残っていなかった。ナイフが突き刺さっているかのように胸に鋭い痛みが走り、呼吸が浅く、心臓の鼓動は速くなっていく。


「友達だって、言ったじゃん……!」


 呼吸が苦しい。息が荒くなっているのが自分でも分かる。嫌な汗が全身から噴き出し、急速に体温が下がっていく。


「なんでぇ……? なんでなの……?」


 舞は悪くないのに、何故こんな嫌な目に遭わなければならないのか。

 舞は悪くないのに、何故大切な人は皆、舞の前から去っていくのか。


「私、悪い子だった……? 私、いけない子だったの……? ねぇ、どうして……? どうしてぇ……!?」


 どれだけ涙をこぼしても、どれだけ惨めに蹲っても、その原因が分かることはなかった。だから幼い舞の考えは、極端に歪んでしまった。


「……こんなに嫌な思いをするくらいなら」


 それは、人が大好きな舞から最もかけ離れた考え。しかし、不幸に不幸が積み重なってしまった今の舞には、自身の問いに対する答えがどうしても必要だった。

 例えそれが、舞自身を歪めるものだったとしても。


「誰も、好きにならなきゃいいんだ」






◇◆◇◆◇






 それから1週間後。人間界での環境は舞には良くないと思った母、真希の考えで、舞は裏世界へと引っ越すことになった。

 裏世界の新居へ荷物を運ぶ道中の車の中で、2人はとある噂について話をしていた。


「くろがみ……?」


「うん。どんな願いも叶えてくれるんだって。その【黒神】をやってる人が、今度のお家のお隣さん。舞と同い年くらいの男の子が居るんだって」


「ふぅん……」


 山道を走り、激しく揺れる車の中で、舞は母の話を聞き流していた。どうせ、舞には関係の無い話だ。だって、その男の子のことを好きになったってその子にもいつか裏切られるのだから。

 しばらくして車が止まると、外の景色はいつの間にやらどこかの住宅街になっていた。


「舞、着いたよ」


 母に促され車を降りると、目の前には引っ越す前に写真で見た新しい家。真っ白な外壁は日光を浴びて、やたらと目を刺激してくる。

 今の舞にとってはそんな些細なことでさえ、ストレスになっていた。


「あっ、こんにちは」


 その時、後ろから知らない人の声が聞こえてきた。舞はささっと車の影に隠れると、顔の右半分だけを出して声のした方を観察する。

 そこには、母と話すスーツを着た金髪の男と、中学生くらいの少年。そして、彼らの傍には舞と同い年くらいの男の子がいた。


「あの子が娘の舞です。舞、こっちに来て挨拶しなさい」


 舞はすり足で母の右後ろまで行くと、男たちへ向けてペコリと頭を下げた。


「……こんにちは、桜庭舞です」


「こんにちは、舞ちゃん。黒神です、よろしくね」


 黒神、と名乗った中学生くらいの少年がしゃがみ、舞に目線を合わせて挨拶を返してくれた。

 そして、黒神は舞と同い年くらいの男の子の肩を掴んで自身の方へ引き寄せる。


「ほら涼真、お前も挨拶しなきゃ」


「わ、分かってるよ」


 男の子は黒神に少し照れ臭そうに返したものの、舞の方を向くと、ニコリと笑った。


「こんにちは、舞……ちゃん? 僕は黒神涼真。よろしくね」


「……うん。よろしくね」


 作り笑いを浮かべて、目の前の少年、涼真に言葉を返した。

 この日は近所の人に挨拶をして回って、家の家具の設置などを少し手伝ったりして、1日が終わった。

 これっきり、もう二度と涼真と関わらなくていい、と思っていた舞だったが、そんなことは困ったことにまったくなく、次の日。


「やぁ、舞ちゃん。こんにちは」


 なんと、笑顔の涼真が舞の家にやってきたのだ。その理由は、舞の家の片付けや掃除の手伝いだと言う。

 とはいえ、彼は別に舞と話に来た訳じゃない。舞からは話し掛けず、涼真から訊かれたことに答えているだけで良いのだ。

 ところが、舞の気持ちなんてそっちのけで、涼真は作業中だというのにベラベラと話し掛けてくる。


「舞ちゃん、これどこに運べば良いかな?」


「舞ちゃん、あとでその辺のプチプチ潰しまくって遊ぼうよ」


「舞ちゃん、今嵌めたその軍手、小指のとこにでっかい穴空いてたよ」


「舞ちゃん、近くの自販機で飲み物買ってくるけど、『飲むマリトッツォ』と『振る振る豚汁』どっちが良い?」


 本当にうるさい。というか、よくよく思い返してみれば飲み物のチョイスが絶望的すぎる。舞が適当に答えた飲むマリトッツォを買ってきた後もベラベラベラベラペチャクチャペチャクチャ……。涼真の存在が舞にとって鬱陶しいこと極まりないのは間違いなかった。


「ねぇ!!」


「ん?」


 日が傾き始めた頃、舞はとうとう我慢の限界を迎え、涼真に大声で詰め寄った。


「うるさいんだけど!! もう帰ってよ!!」


 涼真は突如告げられた内容が理解できなかったのか、しばし目をパチクリとさせた後、


「……そっか。じゃ、またね」


 片手で1つずつ抱えていた段ボール箱を2つともリビングテーブルの上に置き、舞の横を通り過ぎて玄関へと向かった。

 玄関から涼真と母の話し声が聞こえるが、その内容がまったく気にならないほど、舞はイラついていた。


「ホントに何なの、あの子……」


 鬱陶しい。もう二度と声を聞きたくない。涼真の背中を睨みつつ、舞は涼真がテーブルに置いた段ボール箱を運ぼうと、2箱一気に持ち上げた。

 しかし次の瞬間、段ボール箱は2箱とも舞の小さな掌から横転し、中身が床に派手に散らばった。


「え……?」


 舞はぶち撒けてしまった中身を見て、驚いた。その中身は、部品ごとに分けられたコードレス掃除機と大量の本だった。


「ど、どうしたの舞!? 大丈夫!?」


 段ボール箱を落とした際の大きな音を聞いてか、母が焦った様子で駆け寄ってきた。母が舞の手や足を見て何かを言っているが、舞の耳にはそんなことは何も入ってこなかった。


 ーーあの子、これ2つ一緒に持ってたよね?


 見間違いではない。舞は確かに涼真がテーブルにこの段ボール箱を置いたのを見たのだ。しかし、子供がこんな重さの荷物を軽々と運べるのだろうか。


「本当に……何なの……!?」


 誰のことも好きにならないと決めた筈の舞は、いつの間にか涼真のことばかり考えてしまっていた。


 涼真は次の日も、また次の日も桜庭家にやってきた。しかも、その度に懲りずにベラベラと話し掛けてくる。学習をしないのだろうか。


 舞が引っ越してきてから数日後。毎日家に押し掛けてくる涼真を本当に嫌いになりそうだった。涼真が悪い子ではないというのは分かっている。しかし、あまりにもウザすぎるのだ。

 誰かを好きにならないとは決めたが、それはこの世の人たち全員を嫌いたいという訳ではない。だから涼真のことも特に気にせず、無関心のままでいたかったのだが、この調子ではそれすら無理そうだ。


「もう……ホントにヤだ……」


 今日は涼真が来る前に家から逃げ出し、近くの公園の少し古びたブランコを漕いでいた。舞が前後に小さく動く度、キィキィと音を立てて金具が擦れる。

 ふと公園の真ん中に建てられた細い時計台で時間を確認してみると、夕方の5時。もうそろそろ家に帰らなければ、母も心配するだろう。


「帰ろ……」


 靴の裏を地面に擦り付けてブランコの勢いを止め降りようとした時、見知らぬ声が聞こえた。


「こんにちは」


 声のした方を見てみると、眼鏡をかけた真面目そうな青年がブランコの柱の横に立っていた。


「こ、こんにちは」


 知らない人だが、一応挨拶を返すことにした。すると青年はにこやかな笑みを浮かべたまま、舞の隣のブランコに腰を下ろした。ギシ、という音が鳴る。


「こんな時間に1人でどうしたの? 何か家に帰れない理由でもあるのかい?」


「……帰りたくないんです。実は……」


 舞は気付いた時には、何故かその青年に自身の悩みを打ち明けていた。父が死んでしまったこと。友達が舞の前から去ってしまったこと。涼真がウザいこと。

 青年は時々相槌を打っては、小さく笑ったりして、舞の話を聞いてくれた。


「……っていうことがあったんです」


「なるほどね。そりゃあ1人になりたくもなる」


 青年はブランコから降りると、舞の前に回り込んで、手を差し出してきた。


「なら、俺と友達になろう。舞ちゃん。俺なら君の悩みを今みたいになんでも聞いてあげられる」


「……でも、私は決めたんです。もう誰のことも好きにならないって。そうじゃないと……好きになった人がいなくなった時、すごく辛くなるから」


「俺はそんなことはしない。ずっと舞ちゃんと一緒にいるよ」


 舞はその青年の言うことを全て信じ込んでしまっていた。何故かは分からない。けれど、この青年の発する言葉には、何か不思議な力が宿っているような、そんな気がした。


「本当、ですか……?」


「ああ、本当さ。だから舞ちゃん、俺のところにおいで」


 舞はブランコから降り、差し出された青年の手を取り、手を繋いだ。舞の小さな手を包み込んだ青年の手は、もの凄く冷たかった。


「”い っ し ょ に か え ろ う”」


「…………はい」


 聴覚以外の五感が妙にボンヤリとしている。まるでお風呂でのぼせた時のように。

 男に手を引っ張られ、舞はテクテクと歩き出した。ブランコから離れ、その足はまっすぐに公園のすぐ外に停められた黒いバンへと向かっていく。


 ーーあれ……私、何して……。


 自分が何をしているか分からず、何を『されているのか』も分からずに、舞が青年と共に公園の外に出ようとした時だった。




「なるほどね。良い術式じゃん」




 ウザいほど聞いた、その声。それが耳に飛び込んできたと同時に、舞の意識は完全に覚醒した。

 舞たちが乗り込もうとしていたバンの前に立ち塞がるように現れた1人の少年は、舞と手を繋いでいる男を見て、感心したように頷く。


「“マインドコントロール”ね。術式を発動させている間だけ、自身の発言や行動が対象の精神に何らかの作用を及ぼす……ってところかな?」


「……誰だ」


「僕は黒神涼真。人の願いを叶える者」


 少年ーー涼真は名乗り、ニヤリと不敵に笑う。その姿からは、今まで舞が見てきた涼真とは別人のように思えた。


「涼真、くん……なんでここに?」


「なんでって……君を探しに来たんだよ。こんな遅くまで1人で外にいるなんて危ないだろ。でも、ごめん。ちょっと来るのが遅かったみたいだ」


「そういうことだ、ガキ」


「キャッ!」


 青年は舞を乱暴に抱え込むと、胸元から取り出したサバイバルナイフを舞の首元に突き付けた。


「おいガキぃ! お前、【黒神】なんだろ? だったら俺の言いたいことは分かるよなぁ?」


「とっとと車の前から退けろってこと?」


「そういうことだ。ほら、分かってるならさっさと退けろ。そうしたらお前には危害を加えない」


 突き付けられたナイフが夕陽を反射し、鈍く光る度に、舞は恐怖で震える。今、舞はいわゆる人質というやつだ。舞のせいで涼真は青年に手出しできないし、舞も下手に動くことができない。

 つまり、大ピンチだ。


「念の為に訊くけど、何の為に舞ちゃんを拐おうとしてるの?」


「こういうガキが俺の好みなんだよ。ちっこい女のガキが刃物や自分の血を見て怖がる様に堪らなく唆られるんだよぉ……!」


「へぇ、全く理解できない。でも、アンタが脳味噌だけじゃなくて、性根まで腐ってることは理解できたよ」


「なに?」


 涼真は睨む青年を煽るように「ふんっ」と笑いを飛ばした後、少し目線を下げて舞へ柔らかな笑みを向けた。


「ちょっとだけ待ってて。すぐ助けるから」


「うっ、うん……!」


 知らない男に拘束され、ナイフを突き付けられた恐怖の中で、舞は涼真の笑顔がとても温かいものに感じた。

 涼真はジリ、と音を立てて右足を退げる。しかし、それを見た青年は涼真にそれ以降の行動をさせなかった。


「おっとぉ! 動くなよ? そこから一歩でも動けば、この子の首にナイフがグサリ! だぞ?」


「なんだ、女の子が好きなんじゃなかったの?」


「確かにそうだが、俺は女のガキの泣き叫ぶ姿に唆られるだけだ。知らないガキを愛でる趣味はねぇよ」


 青年のナイフを掴む力が更に増し、舞の細い首筋に鋭い鉄の感覚が強く食い込む。血が出ている感触はないが、今より更にナイフを内側へ動かしてしまえば、首にナイフが刺さってしまうだろう。

 涼真も舞の苦痛に歪む顔を見てそれを察したのか、退げた右足を元に戻した。

 涼真に攻撃の意志が無くなったと思ったのか、男は力を緩め、舞の首筋とナイフの距離をおいた。


「そうだ、良い子だな。“それじゃあそのまま車から離れなさい”。そうすれば、君に危害は加えない」


 涼真は男に言われた通り、横歩きでゆっくり車と舞たちから離れていく。

 それを見て、舞は混乱していた。先ほどの「助ける」という言葉は嘘だったのか。先ほどの笑顔は舞への欺きだったのか。

 少しでも涼真を信頼してしまった自分に憎しみが湧いた。やはり、他人を好きになっても良いことがないのだ。他人を信じたって、裏切られるだけなのだ。


「なんで、私は……!」


 なんで私はこうなのだろう。

 なんで私は騙されてしまうのだろう。

 なんで私は裏切られてしまうのだろう。


 すぐに決意が揺らぐ自分が情けなくて、簡単に騙されてしまう自分が悔しくて。舞は瞳に涙を滲ませた。


「そうだ、良いぞ……! “そのまま離れて、離れて”……!」


 涼真が車から離れていくのと同時に、青年は舞を抱えたままゆっくりと車へ向かう。

 そして、青年が車のドアを開けようと、舞からナイフを完全に離した瞬間に、その時は訪れた。




「“金縛り”」




 詠唱の言が聞こえた直後、金属と金属がぶつかり合うような音が辺りに鳴り響き、青年の動きがビタリと止まった。


「なっ……!?」


 青年はどうやら発声以外の行動を封じられてしまったようで、嫌な笑みを浮かべた表情のまま、驚きの声を漏らす。


「ど、どういうこと……?」


「もう大丈夫だよ」


 舞が驚き、動きの止まった青年を見つめていると、涼真が歩み寄ってきた。

 涼真は舞を拘束している青年の腕を力尽くで曲げ、舞を解放した。青年の腕の跡がジンジンと痛んだが、再び捕まるのは嫌だったため、舞は速やかに青年から離れた。

 舞が涼真の後ろに隠れるように回り込んだ後、涼真は青年へ話し掛ける。


「……残念だったね、お兄さん」


「お、お前……! 俺に何をした!? それに、なんで俺の“マインドコントロール”が効いてない!?」


 どうやら、先ほどのやり取りの最中にも青年は“マインドコントロール”とやらを使っていたらしい。しかし、舞には効いた術式が涼真には効いていないため、驚きと同時に苛立ちも抱えているようだった。


「今アンタが動けてないのも、精神操作の術式の一種だからさ。精神を操れる術式を持っていると、自然と自分の精神が鍛えられるらしいから習得してみたんだ。会得してから初めて実践で使ってみたんだけど、上手くいって良かったよ」


 涼真は語りながら青年に歩み寄ると、彼の耳元でゾッとするような低い声で囁いた。


「で、どうする? まだアンタがやる気ならこのまま僕が相手になってやるよ。でも、“金縛り”は解かない。それどころか拘束を少しずつ強くしていって、ゆっくりゆっくり全身の骨をへし折ってやってもいいんだけど……?」


「ひいっ……!!」


 顔を青褪めさせて、青年は悲鳴を上げる。その顔は、いい大人が4歳の子供に対して浮かべる表情ではなかった。

 涼真が青年の額にデコピンを食らわせるとともに、“金縛り”が解けたのか、青年の体がガクリと崩れ、地面に倒れ込んだ。

 涼真は倒れた青年を見下ろすと、凍てつくような視線と声を青年へ浴びせる。


「消えろ。そして、二度と舞ちゃんに近づくな」


「ひぃぃぃっ……!!」


 青年は慌てて車に乗り込むと、一目散に舞たちから、正確には涼真から逃げ去った。

 ブロロロロ……と、車の背中と排気音が小さくなっていくのを見届けた涼真はクルリと振り返り、舞の全身を観察する。


「怪我は……してないみたいだね。無事で良かった」


 舞の体のあちこちを見回した後、涼真は安心した、と言わんばかりに表情を緩ませる。

 その無邪気な笑顔が、舞の胸の辺りをズキン、と痛ませた。


「……どうして」


「ん?」


「どうして、助けてくれたの?」


 そんな疑問が、無意識に舞の口から飛び出していた。


「『うるさい』とか、『帰って』なんて酷いこと言ったのに、なんで涼真くんは、私を助けてくれたの?」


 今まで周りばかりが舞のことを裏切るのだと思っていた。でも、それは違った。舞自身もまた、涼真のことを裏切っていたのだ。

 涼真からすれば、普通に話していた子が突如憤慨して酷い言葉を言ってきた、ような嫌な気分だろう。舞が涼真に対して起こした行動はまさしく、舞が心底嫌っていた行動と同じなのではないか。

 そんな考えが浮かんだからこそ舞は、涼真の自身を裏切った相手を助けるという行動の意味が分からなかった。


 舞の質問に、涼真は顔をきょとんとさせた後、プッと吹き出した。


「そんなの、舞ちゃんが僕の友達だからに決まってるじゃん! それに、助けるって約束したでしょ?」


 アハハハ、と笑う涼真を見つめながら、舞はポカンと口を開いた。

 対した内容の会話もせず、傷付けるようなことを言ったというのに、涼真は舞のことを友達だと思ってくれていた。

 しかし、例え舞が涼真のことを友達だと思っていたとしても、それが一度裏切った相手を助ける理由にはならない。他の人にはそれだけで理由足り得るのかもしれないが、一度友達に裏切られている舞にとっては、その理由では理解には及ばなかった。


「し、したけど……で、でも! そんな約束、破っちゃえばいいじゃん! 酷いこと言った奴との約束なんか、破っちゃえば良かったじゃん!」


 口約束など、いくらでも破れるもの。ましてや、子供の約束など軽いものだ。約束を破った本人にはデメリットも少ないだろう。

 だが、舞のそんな考えを否定するように、涼真は困ったような笑顔を向けると、言った。


「守れる約束は破れないよ。その約束を守ることで僕が死ぬってんなら話は別だけど」


 涼真の笑顔と言葉は、舞のすぐに揺らいでしまう決意を跡形もなく吹き飛ばして、舞の心を鷲掴みにした。

 ドクンドクン、と鼓動の速まりを感じる。熱が入り混じった少女の頭は冷静に物事を考えることができず、嫌いな筈の相手にすら本音を打ち明けることを許してしまっていた。


「……私ね。もう、誰も信じたくなかったの。ずっと一緒にいるって言ってくれたお父さんは死んじゃって、ずっと友達だって言ってくれた友達は私から離れていっちゃったから。だから、誰も信じない方が良いって思ってた。そうすれば辛くないと思った」


 一度溢れた本音が、止まらない。口が言うことを聞かずに、舞の心の奥底に秘めていた気持ちまで暴露してしまう。


「でも……私はやっぱり、人が好き。誰かを信じることが好き」


 本音とは別に、熱いものが胸の奥から込み上げてくる。それは口からではなく、目頭を熱く火照らせ、涙として舞のつぶらな瞳から漏出させた。


「誰も信じない方が……独りぼっちの方が、よっぽど辛い……!」


「なら、僕に依頼すればいい」


 俯き、真珠のように光り輝く涙を頬に伝わせる舞。そんな彼女に向かって、涼真は優しく囁く。


「僕は、願いを叶える神様なんだ。だから言えば良いよ。君の……舞ちゃんの願いを」


 嗚咽を飲み込み、無理矢理に呼吸を整えた舞は少しずつ、確実に自身の本当の願いを口にする。


「……私は、独りぼっちになりたくない……。誰かを信じたい……! 誰かと一緒にいたい!」


 舞との約束を守ってくれた涼真にだからこそ打ち明ける、舞の本当の願い。

 俯けていた顔を涼真へ向け、舞は懇願するように願いを唱えた。


「だから……お願い、涼真くん。私を、独りぼっちにしないで……! 私と、ずっと一緒にいて……!!」


 涙でぐしゃぐしゃにした顔を更に歪めて、舞は嫌いな少年へ依頼した。依頼人の姿がどんなものであろうと、心から願いを言った相手に対して、涼真が返す反応はただ一つ。


「その願い、黒神涼真が叶えよう」


 舞の艶のある黒髪を優しく撫でながら、涼真は彼女の依頼を聞き届けた。

 懇願の涙は、いつしか喜びの涙へと変わっていた。怒りの感情は消え、いつしか嬉しさだけが舞の胸を占めていた。

 ひとしきり泣いて、笑って。そして、それらの跡を服の袖で拭ってから、ようやく舞は涼真と向き合った。


 そして、涼真が指をピンと立て、こんなことを言った。


「じゃあ、まずは呼び方から変えようか。お互いに呼び捨てにしようよ」


「え……な、なんで?」


 舞は名称変更の意味に首を捻った。今まで通り、君付けの方が舞にとっては呼びやすいのだが。

 すると、舞の疑問に対して、涼真は子供らしい純粋な答えを返してきた。


「その方が親近感湧くじゃんか」


「しんきん、かん?」


 「しんきんかん」という言葉は、舞にとっては聞き覚えのない言葉だった。舞が拙いイントネーションで言ったことでそれを悟ったのか、涼真は腕を組み、低く唸る。


「親近感っていうのは、そうだな……より仲良くなった感じになれるってことだよ」


 涼真の簡易的な説明を聞いて、ようやく「しんきんかん」の意味を理解できた舞は納得し、ニッコリと笑った。


「そっか……分かった! これからは呼び捨てだね、涼真!」


「うん。よろしくね、舞!」


 笑顔で頷き合った2人は手を取り、並んでそれぞれの家へと帰った。その際、舞はしっかりと涼真の手を握っていた。

 もう二度と、大切な人が離れていかないように。






◇◆◇◆◇






「ふふっ、懐かしいよね」


 と小さく笑い、舞は昔話を締め括った。その話の間も、やはり涼真からの応答は無かったが、舞の胸の内は引っ張り出してきた遠い思い出のおかげか、ほんの少しだけ満たされたような気がしていた。


「今考えてみると、ほんっと私、クソガキだったなーって思う。お父さんだってあの子たちだって、私との約束を破りたくて破ってた訳じゃないのにさ」


 バカだよね、と舞は自嘲気味に笑う。

 振り返って窓の外を見てみると、いつの間にやら日は沈み、昨日と同じように星の瞬く夜空が広がっていた。


「……さて、と。それじゃあ涼真、今日は帰るね。明日は土曜日だから、早いうちに来れると思う」


 椅子から立ち上がり、ベッドサイドに置いてある自身のリュックを手に取ると、舞は涼真に声を掛けた。

 白く、静かな病室。そこに、舞の声だけが小さく木霊する。


 あの時、涼真が舞とずっと一緒にいると約束してくれた。そして彼はその約束を守り、何度も舞の心と命を救ってくれた。

 だったら、今度は舞の番だ。涼真に救われたこの命を賭して、彼を助ける。


 そしてきっと、愛しい君を目覚めさせてみせる。


「またね、涼真」


 そんな覚悟を胸の内に秘め、舞はそっと微笑んで病室を後にした。

お読みいただき、ありがとうございます。


ようやく書けました、舞の過去編! 思いの外長くなってしまいましたが、ちゃんと書けてよかった。

次回は戦闘回になるかと思います。

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