第12話 異空間の主
鳥居を潜った涼真は、異空間に飛ばされたとすぐに察した。
ぱっと見景色は変わらないが、人間界と違って空気中の妖気の濃度が濃く、空の色は紫に濁っている。
「昔のこの場所を再現したみたいだ」
涼真が予想するに、今居るこの空間はかつての神社を再現した異空間だった。石製の鳥居は汚れておらず、綺麗に磨かれている。辺りの草も丁寧に整備されていた。
「! ……そこか」
辺りの妖気を探った涼真は、鳥居の上に自分以外の妖気の反応を見つけた。恐らく、この異空間を作り上げた主だろう。
振り返って鳥居を見上げると、鳥居の上には1人の男が立っていた。男は黒髪で山伏のような装束に身を包み、左手には錫杖を持っており、見てくれはどこからどう見ても普通の人間だった。
「ほう、亜人か……?」
興味深そうに涼真のことを眺めた後、男は鳥居の上から飛び降り、涼真の前方へと着地した。
「いや、亜人にしては並外れた妖気を内に秘めておるな。貴様、何者だ?」
「僕は黒神涼真。人の願いを叶える者」
涼真が名乗ると、男はハッと息を呑み、目を見開いた。
「貴様、あの黒神か?」
「『あの』って、どの黒神?」
男はムッとした顔をしたが、苛立ちを抑え込んだのか、すぐに表情を元に戻した。
「……遥か太古の時代から、人間たちの願いを叶えてきた黒神本人か、と聞いているのだ」
「あー、それは僕のじいちゃんだ。僕は2代目だよ」
涼真が答えると、男はあからさまに安心した態度を見せた。深いため息を吐いた後、薄らと口元に笑みを浮かべるほどだった。
「……そうか」
「……僕がじいちゃんじゃなくて安心したって顔だな」
「当然だ。黒神のように子供の姿をしているのではなく、本物の子供がやってきたのだからな」
男は地面に膝をついた体勢からスッと膝を伸ばして起き上がると、鋭くも大きな瞳で涼真を睨み付け、錫杖の先を涼真へ向けた。
「私は木の葉天狗。妖怪だ。私の領域に入り込んできた屑よ。あの世まで吹き飛ばされる覚悟はできているのだろうな?」
「……クズ? 僕が?」
今にも襲いかかってきそうな木の葉天狗を、涼真はギロリと睨み付ける。涼真の異様な迫力に萎縮したのか、木の葉天狗は表情を僅かに固めた。
「他人の子供を拐っておいて、よく僕のことをクズだなんて言えたな。本当のクズはどっちだよ」
「……私が屑だとでも言うのか?」
「ああ、そうだよ」
涼真は激しく歪めた両目で木の葉天狗を捉えたまま、言葉を続ける。
「オマエ、家族を奪われる人の気持ちを考えたことはあるか? 眠れた筈の夜も眠れず、食べられた筈のものも食べられない。生物が本能で欲する筈のものも、不安や心配が上回るせいで体が受け付けない。それほどの状態に陥るんだ。辛い、苦しい、そんな簡単な言葉で表せるものじゃない」
この世界は広く、美しく、穢れている。
涼真は幼い頃にそれを思い知った。この世界には陽の当たる箇所と影になる部分があることを。そして、自身は影の世界で生きていかなければならないということを。
「お前がなんで蒼馬くんを拐ったのかは知らない。でも、間違いなくお前はやっちゃいけないことをした。だから僕は、お前を捌きに来たんだ」
涼真は語りを終えると、子供に隠したものを出すように言う親のように、右手をスッと差し伸べた。
「さぁ、蒼馬くんを返せ」
「返す訳にはいかん。あの小童には私の力の証明となってもらうのだからな」
「力の証明……? オマエ程度の妖力のか?」
涼真の煽り文句に見事に引っかかったらしく、木の葉天狗はピクっと眉を動かした後、どこか悔しげに涼真のことを睨め付けた。
「黙れ……!!」
「そんなちっぽけな力、証明するまでもないってことを、今から僕が証明してやるよ」
「黙れぇえ!!」
怒気とともに、木の葉天狗は全身から碧色の妖気をメラメラと立ち上らせる。そして、それらを凝縮し、付与した錫杖を振りかぶった。
◇◆◇◆◇
約500年前。
ーーしまった。
彼を産んだ父親と母親は、産まれたばかりの赤子の容姿を見て、こう叫んだ。
木の葉天狗は、殆どの者がカラスのような顔に人間の身体、その背中に大きな黒い翼を持って生まれてくる。しかし、彼らの子は違った特徴を持って生まれてしまった。
彼らの子は、カラスではなく人間のような顔付きで生まれてしまったのだ。
木の葉天狗の世界で人間のような顔付きの者たちは忌子として扱われる。その理由は、かつて木の葉天狗の一族を滅ぼそうとした種族が妖気を操る人間、亜人族であり、それ以降、木の葉天狗の一族が人間を忌むべきものとして認識しているからだ。
故に彼らは子共々、一族から徹底的に虐げられ、冷遇されてきた。
そして、子供が物心つくような年頃になった頃、両親は子にあることを吹き込んだ。
ーーこの一族を見返せ。
ーー強い術式を覚えなさい。
ーーさすれば、私たちは認められる。
まるで洗脳のように、何度も、何度も。
子供は訳も分からず頷き、それからは両親の指導の下、術式の訓練をした。
子供は優秀だった。
木の葉天狗一族の基礎となる風の妖術の扱いも、神通力の術式も、すぐに覚えて自在に操れるようになった。
そんな息子を見て、やがて両親はいよいよ強い術式を覚えさせようとした。
それが、“神隠し”。
異空間への扉を開き、そこへ生き物を引き摺り込む術式。
異空間とは、現実世界とは別の何も無い空間のこと。そこへ通じる扉を開くには並大抵の妖気量と妖力では不可能であり、莫大な量の妖気と鍛錬が必要となる。
そこへ現実世界の建物や空間を再現しようものなら、さらに妖気を費やさなければならない。
つまり、難易度がかなり高い、高等術式なのである。これができるようになれば、人間の顔の木の葉天狗でも一族から認められる。だから子供に、“神隠し”を覚えさせることにした。
しかし、子供はいつまで経っても“神隠し”を習得することができなかった。
それもその筈。裏の世界に住む者たちには明確な実力差が存在する。
圧倒的な妖気量と実力を兼ね備える、全ての種族の頂点に立つ者たち、神族。
神ほどの強さは無いが、各々で世界を確立できる技量と仲間意識の強い種族、天使族、悪魔族。
突然変異で妖気が体に宿った人間たち、亜人族。
そして、人間たちの想像や妄想に魂が宿り、具現化した存在である、妖怪。
木の葉天狗たちは妖怪に分類され、強さとしては天使族、悪魔族と亜人族の間にあたるのだが、“神隠し”とは文字通り、神が主に使用する術式であり、妖力が神より劣る妖怪が使い熟すことは難しい。
つまり、実力に見合わない術式を覚えるには、相当な時間を要する。子供の覚えがどれほど早くとも、種族の差を埋めるのは容易ではなかった。
子供が“神隠し”を習得しようと奮闘している間も、他の木の葉天狗からの差別や執拗な嫌がらせは続いていた。
そして100年前。子供は人間の青年ほどにまで成長したが、それでもまだ“神隠し”を習得することはできていなかった。だが、いつか自分達のことを認めさせる、と毎日鍛錬に励んでいた。
そんな日々に亀裂が入ったのは、いつものように修行から帰ってきた時のことだった。
嫌がらせが度を超えてしまい、母が重傷を負った。頭に岩を投げ付けられたらしい。手当をしたが、完治するまで2年半かかった。
ーー何故だ。
子供はこの時、激しい怒りとともに、自分たちが置かれた境遇に疑問を覚えた。
何故こうも罵られなければならないのか。
何故母は怪我を負ったのか。
ーー全て、私のせいじゃないか。
自分が弱いから。自分がいつまでも“神隠し”を覚えられないから。
自分が人間の顔で生まれてしまったから。
確かな実力があれば、人間の顔でも一族から認められる。
ちっぽけな力など、要らない。
強くなければ、生きている意味がない。
証明しなければ。
強くならなければ。
◇◆◇◆◇
錫杖を振りかぶった木の葉天狗はカラスのような黒い翼をバサリと羽ばたかせると、空を切る勢いで涼真に突進をかける。衝突する直前で錫杖を勢いよく振るうも、その攻撃を涼真は背を反らして躱した。
「なっ……!?」
空振りした錫杖を見つめながら、木の葉天狗は思わず驚愕の声を漏らした。今の速度での攻撃を躱した者は初めてだった。
すると、涼真が顎をしゃくり、木の葉天狗を挑発してきた。
「来いよ、もっと速く」
「っ……!! 調子に乗りおって……!!」
再び錫杖を振りかぶり、飛び出す木の葉天狗。次々と振り下ろされる錫杖を、涼真は余裕の表情で躱していく。
杖を振るう速度は少しずつだが上がっている筈。なのに、涼真の表情はピクリとも動かない。
「ならばっ……“神通力”!!」
術の詠唱とともに、涼真の動きがビタっと停止した。これでしばらくは動けない筈だ。錫杖を今まで以上に大きく振るい、涼真へ攻撃を仕掛ける。
鉄製の錫杖の先に妖気を付与し、打撃の威力をさらに上げる。いくら神とはいえども、ただでは済まないだろう。
「さらばだ!!」
木の葉天狗の右腕が力いっぱい振るわれ、錫杖の先に掛けてある鐶がシャラァン、と派手に鳴り響いた。
「……は?」
涼真の首を飛ばすほどの勢いで振るったつもりの右手は、宙で静止していた。肝心の妖気を付与した杖先は、涼真の左側頭部の手前で止まっている。
ーーどういうことだ。
右腕を、いや、それどころか体中のどこを動かそうとしても動かせない。思い切り力を込めてもピクピクと細かく痙攣するだけだ。
「“金縛り”、だよ」
混乱していた木の葉天狗の目の前で、涼真がボソッと呟くように言った。
「相手の精神を操れる術式を持っていると、自然と術者の精神も鍛えられるんだよ。だから、オマエの術式は一瞬しか僕に効かなかった。だからって、オマエが僕の“金縛り”を解ける訳じゃない。術式に注いだ妖気の量が違うからな」
涼真は木の葉天狗の胸元をガッと乱暴に掴む。顔をズイッと寄せると、左右で色の違う瞳でジロリと木の葉天狗を睨み上げた。
「口は動かせる筈だ。痛い目に遭いたくなかったら、蒼馬くんを返せ。他にも誰か拐ってるんだったら、その人たちも」
凍てつくような視線が木の葉天狗を貫いていく。嫌な汗が額から流れて、頬を伝う。
この時、木の葉天狗を真に縛っていたのは涼真の術式ではなく、恐怖という感情。目の前の実力の底の知れない子供に対する恐れが動かせる筈の口や喉をがんじがらめにしていた。
「な、何なんだ……何者なのだっ!? お前は!!」
「さっきも言っただろ? 僕は黒神涼真。人の願いを叶える者だ」
それだけ述べると、涼真は勢いよく拳を振るった。目の前で火花が散ったような感覚を覚えた直後、木の葉天狗の顔面を、鈍い痛みが襲った。
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