白若竹 五
日常を過ごす陽。外で出た時、騒ぎに気づく。
登場人物
赤実陽:
用語
大笹凡筒:緑色で円柱状の超高層建築物。
太京:陽の国の首都。
光山:太京の西南にある休火山。
レイヤー:眼鏡型の情報端末。
「ん……」
上半身をベッドから起こすと、そのしなやかな腕を上へあげ伸び一つ、陽。野生の猫を思わせる丸い顔に、短い黒髪と白い肌、濃いまつ毛の周りはうっすら赤く、瞳はより赤く、尖った鼻先に小さく濃い色の唇。まるで少女のようでもあるが、露わになったその上半身はみずみずしく少年のそれであった。
左手一面硝子からは、朝の光と眼下に広がる街並み。その中でひときわ大きく高い、緑色に輝く円柱状の巨大建造物、大笹凡筒、通称メガシリンダー。
「よっ」
ベッドから出てもう一度伸び。一糸まとわぬ、無駄のない完璧なシルエットの身体。
「今日は遠くまで見えるね」
陽は、ここからの眺めがとても気に入っていた。左手を伸ばしながら。遮るもののない高層階からは、湾を超えて首都太京、その先の霊山である光山までよく見えていた。
ベッドから離れると、自動的にシーツが綺麗になっていく。天窓へ向かって設置された梯子を通り過ぎ、扉も手すりもない階段を下ると、突き当りにすり硝子の扉。それが開くと、温かく湿った匂いの更衣室。更に内扉が開いてバスルームへ。足を延ばせる浴槽には、既にたっぷりのお湯が湯気をのぼらせている。そして辺り一面から、一斉に霧状の粒子が柔らかく陽を包み、同時に心地よい振動。それが終わると隅々まで綺麗になって、陽の好きな時間、湯船にゆっくり。
「ふう」
するとどうだろう、先程まで黒いはずの髪は白に、まるで光り輝いて、そして裸の色が。
「よっ」
壁に手を触れると、一瞬で一部の壁が消えた。かのように外の風景が透けて見えるようになった。
太陽に左手をかざす陽。その指は透けて見える。いや、比喩でもなんでもなく、陽の身体は、薄く透けているのだ。
自分でも不思議だとは思うが、別に嫌いじゃないと陽。浴槽に浸かると、今日の予定を考え始めた。
福児は、今日は用があるとかで会えそうもない。軽仕事の予定もないし、入れる気分でもない。
浴槽内のお湯が動き始めた。軽い水圧が心地良い陽。それをすっかり堪能し終えると。
「よし、朝ごはんだ」
浴槽から出て立っていると、先程とは違う振動に全身が包まれる。するとみるみるうちに湿気が拭いさられ、しかし、不思議としっとりした肌状態でバスルームを出る。
更衣室に掛けてあった、黒のチョーカーを留める。すると。
「よし」
一瞬にして洋服が纏われた。黒地をベースに、ハイネックの首と手首、足の付け根ににアクセントの白、身体のラインが露わになるデザインで足はストッキングなのか、薄く透き通った肌色は、透けて白く感じる。
姿見で確認。最近お気に入りの格好。
更衣室を出て、階段を下りると細く小さなリビングで、テーブルの上のタブレットケースから錠剤を一つ、小さな口に放り込む。
「うん」
左手を伸ばし広げたそれが、みるみるうちに白い肌色に変わり、髪の色も黒くなっていった。
もう一つ、テーブルの上に置いてあったピンクのレイヤーをかけると瞳の色は黒に、階段を戻り部屋で両足首にバンドをし、先程の梯子を登る。そして天窓扉を開いて。
「うわぁ」
感嘆の声が思わず漏れた陽。少し強い風が冷たく肌をすり抜けていくが、それ以上に鮮烈な青い空と、澄み渡る景色。
「いいなぁ」
何度見ても飽きない、素敵な場所。
陽の立っているこの場所は、地上三百メートルの高さにあり、彼の横には『第二補助電波塔』の大きな看板。
「おっと」
風にあおられて落ちそうになるが、立て直し両足のバンドに触れるとそれが靴に、天窓を閉めると、レイヤーに、自動ロックした事を示す表示。
「うん?」
思わず辺りを見渡し、気づいて赤い瞳、レイヤー越しには黒い瞳を閉じる。一つ、深呼吸。
「花の匂い」
工場だらけのこの地域にも、そんな季節の訪れが来たんだと、思わず笑顔になった。
調子よく、外壁メンテナンス用の梯子を、勢い良く降りていく。あっという間にグレーチングの階段に辿り着き、そこも手すりに沿って、文字通り滑り降りていく。
部屋の中から当然外に出れるのだが、陽はこの方法が気に入っていた。
途中、鳥が飛び立ち、レールに吊り下げられ、通勤者でいっぱいになった自動軌道機の行き交う高度を過ぎ、その次の層に超高架道路で車が行き交い、下がる程に徐々に慌ただしく生活臭、そしてようやく地上に。
「ついたー」
そこは都市部とは違い、無計画に建てられた工場群の為、変則的な道が方々に続いている独特な場所だった。
「んー、取り敢えず朝ごはんかなぁ」
ピンクのレイヤーの位置を直しながら、その言葉に反応して目の前に、朝食をやっている飲食店が表示される。他を向くと、今度はそちらの方にある飲食店が表示される。
「あー」
いいね、と湾が近い事もあり、魚を使った古風な朝食メニューに狙いを定めて、足も軽く歩き出す。
まだこの時間では空気も冷たく、青く晴れた空は高く透き通り、それが気持ちいい。工場地帯には無理矢理作った緑のある公園と、勝手に生えてしまった僅かな木々が、膨らんだ蕾や早咲きの花を通して季節を伝えていた。
「ん?」
しばらくして、徐々に増えていく工場の稼働音に紛れて、これは……。
「声」
気づくと同時にその方向へ小走りに陽。声をたどった先は裏のさらに裏道、道は細く両側が切り立った崖のような圧迫感の先、男の荷物を二人がかりで奪おうとしている、まさにその瞬間の現場だった。