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陽国史 一  作者: いちのはじめ
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カミツレ 六

 氷室鉄斎ひむろてっさいの元で修行を続ける並比良和司なみひらかずし。静かに繰り返される日々の中で、少しずつ変化をしていた。この経験の積み重ねが、後の彼に大きな影響を与える事になる。


登場人物

 並比良和司なみひらかずし:左腕が義手の、経験豊富な<守人もりと>。

 氷室鉄斎ひむろてっさい常若とこわかに住む<墓守はかもり>。


用語

 霜雫しもしずくつるぎ:通常より細く長い剣。

 「すー」

 少し長い黒髪は後ろで束ね上げ、まつ毛は濃く綺麗な楕円の瞳は黒、シャープで角ばった輪郭に硬そうな鼻と口の、並比良和司なみひらかずし

 その姿は道着ではなく、市販の身体にぴったりとそったスポーツウェアだった。

 広い板張りの道場は東側一面を窓が覆い、その外は森の木々が、強く影を落としている。その外は森の木々が早朝の濃い霧で霞んでいる。

 そこで一人、真剣を構えて薄く呼吸を繰り返す。

 「 」

 音もなく、人の気配が側にある事に気づいた。

 そこには、引き絞った無駄のない身体つきに、白髪、細く白い肌に、うっすらと目の周りは赤く神経質そうな、氷室鉄斎ひむろてっさい

 その気づきは心のわずかな動揺を誘い、剣先のぶれとなって表れる。

 鉄斎の細いが力強い手で、並比良なみひらの姿勢を次々指導していく。その事に、またかという思いが呼吸に表れる。

 「お前はここに何しに来たのだ」

 鉄斎の声は低く落ち着いているが、心臓を締め付けるような威圧感を感じる並比良なみひら

 広い板張りの道場は東側一面を窓が覆い、その外は森の木々が晴れてきた霧に、一層濃い緑色を見せていた。

 「ふうぅ……」

 朝の練習が終わり、まさに一息つく並比良なみひら

 二週間程前に弟子入りしてからというもの、立ちの姿勢、歩き、座り、抜刀、納刀、構えをひたすら繰り返す日々であった。しかもこれが意外ときつく、全ては自然な動作で成り立っているもので、個人の癖が出る動作でもある。それを今から無理やり矯正するのだから、一日が終わる頃には自分の歩き方も分からなくなる有様になるのだ。

 鞘に収めた自分の霜雫しもしずくつるぎを床に置き、身体をほぐし始める。

 そこへ二人分の朝食の膳を運んできた鉄斎てっさい。素早く反応し礼をとる並比良なみひら

 驚いた事に鉄斎は料理が上手く、場所柄山菜が多いのはもとより、どこで手に入れているのか、上等な魚や肉まで、種類豊富に栄養価を考えたものが毎回出されていた。

 「鉄斎てっさい先生、ありがとうございます」

 そして彼は師と呼ぶ事を禁止していた。理由は分からないが、曰く、邪魔なものだ、と言い放っていた。

 並んで外を向いて座り、朝食を摂る。

 たっぷり芹の入った御出汁のお吸い物に、豆と蓮根の燻製煮付け、ゆで卵のえごま油かけ、鯵の干物、鮪の刺身と、量はそれぞれ少なめだが朝から豪華な食事は、目にも身体にも一日の活力なのは間違いなかった。

 「姿勢」

 鉄斎の声に、はい、と返して姿勢を正す並比良なみひら

 広い板張りの道場は東側一面を窓が覆い、その外は森の木々が濃い緑色を見せていた。

 「並比良なみひら

 不意に鉄斎てっさいが。少し遅れてはいと返事を返すと。

 「いいか、基礎は基礎でしかない、身体に染みついた基礎は、既に基礎ではない」

 「? ……」

 「身に付いてこそ基礎、しかし基礎に捕らわれてはならない」

 並比良なみひらはその言葉にはっとしたものの、具体的には理解が追いつかなかった。しかし、とても重要な事だと、それには気づいていた。

 「これは剣だけの話ではない」

 「 」

 並比良なみひらを右に見て。

 「先の外国との小競り合い、それには禁止兵器が使われたと聞く。剣こそが守るべき武器だと思うのは、思い込みでしかない」

 という事は。

 「剣は、いずれ消え去るという事でしょうか?」

 姿勢を正して並比良なみひら

 「剣に終わらない、人が普遍的に必要とするものは、全て工業化されてきた、兵士も例外ではない」

 「全て、ですか」

 農業工業は云うに及ばず、サービスや流通、交通や日々消費利用するもの、医療や健康。

 「それら全てだ、だからこそ基礎だ」

 「……基礎に、捕らわれない」

 広い板張りの道場は東側一面を窓が覆い、その外は森の木々が、強く影を落としている。

 午後も同じことの繰り返し。しかしその中で、並比良なみひらは考え続けていた。

 身に付いてこそ基礎、しかし基礎に捕らわれてはいけない。

 姿勢を指導されながら、休憩中、歩きの姿勢を正されながらも、並比良なみひらはずっと考え続けていた。

 広い板張りの道場は東側一面を窓が覆い、その外は森の木々が、暗く霞んで何も見えなくなっていた。

 「ふぅ…… 」

 一日の練習が終わり、一息ついた並比良なみひらは、ふと、気づいた。

 気にならなくなってた。

 そう、左の義手付け根の違和感が、いつの間にかなくなっていたのだ。

 人間の速度以上で、左掌を握る。硬い音。

 広い板張りの道場で一人、座っている並比良なみひら。少し、ひんやりとした空気が、火照る身体にはちょうど良かった。

 外は暗く、道場の明かりで窓が鏡のように、並比良なみひらを映している。

 「……」

 身に付いてこそ基礎、しかし基礎に捕らわれてはいけない。

 鉄斎てっさい先生は姿勢を、とても厳しく指導なさる。それが動きの基礎となるからだ。なのに何故、捕らわれるなと仰るのだろう?

 「何故……?」

 分からない。まるで基礎を身につけるなとも聞こえるし、それとも身についた後が重要という事だろうか?

 「ふぅぅ」

 脳のてっぺんが熱くなるのを感じて、並比良は今日はもう終わりにしようと、霜雫しもしずくつるぎをとり道場の電気を消す。と。

 「」

 辺りは真っ暗になり、真っ暗だった外が、意外と明るく、木の枝が風に揺れているのが見えた。その時、さっきまで聞こえていなかった、葉のこすれる音も。

 電気をつけた。

 すると窓の外は真っ暗になり、自分の姿が映る。

 「……」

 自分の左手を見る。義手。本来のものではない。ではこれを取るのは自然だろうか? いや、そうは思えない。何故なら、そこにあるはずの腕が無くなるからだ。

 再び電気を消す。

 外が明るくなり、再び葉の音。

 「……」

 何か、気づくべき事が、必要な事が、今目の前にあるような、しかしそれを手でつかめないもどかしさを、並比良なみひらは感じていた。

 それは成長の兆しだった。

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