カミツレ 三
辰港の事故から一週間。並比良達は病院にいた。そしてそれは大きな権力に巻き込まれた事でもあった。
登場人物
若智覚:若い<守人>。
秦巻薫:モデルのような<守人>。
並比良和司:ある決意を秘めた<守人>。
知野陽音:火繰家の参謀役。
用語
レイヤー:眼鏡型の情報端末。
太京:陽の国の首都。
髙木:太京の西南に位置する、辰港がある地方。
「若智の手術は成功したそうです」
その若智が、幾重にも横に切り取られたスリット状硝子の向こう側に、ぷかりと浮かんでいる。薄赤い液体の中で一糸纏わぬ姿で、髪を剃られた頭からは、幾筋もの細い線が脊椎に沿って腰にまでびっしりと、生えている。それはまるで蜘蛛の巣に捕まった昆虫のようにもみえ、また、中で液体が攪拌しているのか、時折、彼の表情が屈折して歪んで見えた。
目にかかる前髪と、左でとめた長い黒髪。丸い目の瞳は薄青く、高い鼻に厚い唇の顔立ちは少し幼く見えるが、小さな顔はモデルのようでもある、秦巻。やって来た足音に、そう答えた。
「そうか……良かった」
少し長い黒髪を後ろで束ねられるくらいで、まつ毛は濃く綺麗な楕円の瞳は黒、シャープで角ばった輪郭に硬そうな鼻にレイヤーをかけた、並比良がため息交じりに。
この部屋は暗く、スリットからの明かりでお互いの顔が赤い。
「秦巻はどうなんだ?」
並比良が視線を落とした先、車磁気浮遊椅子に座った治療帯衣の秦巻。
「私は大丈夫です、身体中の骨にひびが入ったようですが、安静にしていれば。それよりも……」
顔を上げかけて言い淀み、視線を外した秦巻。同じく治療帯衣を着て正面に立つ並比良の左腕の袖には、何も通っていなかった。
「俺自身が断った」
「」
その言葉には、赤い血の力強さが、そう感じた秦巻。
「若智と同じように治療を受ければ治ると、そう言われたが」
秦巻が顔を上げる。
「何故ですか?」
「強くなる為だ」
間髪入れず並比良。浮かぶ若智を見ながら。続けて。
「今朝警備主任の望月さんが、見舞いついでに挨拶しに来た」
「……」
勿論秦巻は知っているが、見舞いに来る程の付き合いではないと思っていた。だから、違和感。
「太京への異動が決まったという事でね」
秦巻の眉間にしわが寄る。
「彼は自分が栄転できたのは我々のお陰だと、ひどく感謝していたよ」
どういう事です、と低い声でせっかくの美形も棘のある表情に。
「彼は何も見ていない、あの日<影梁>を見たのは我々だけだ」
故に彼にとってあれは事故であり、警備主任中の出来事であるにも関わらず、責任問題に巻き込まれもせず栄転できたのは、並比良達がかばってくれたからで、その為の怪我であると。
「そう彼は思っているよ」
「何ですかそれはっ」
思わず出した大声に、肺が痛んだ秦巻。顔を歪めて。
秦巻が憤るのも無理はない。まるで事実とは異なるし、事件自体がなかったかのような扱いだからだ。
「報道では事件事故両面から捜査中とありました、私は」
力み過ぎてまた肺が痛む。
「……あの出来事を、きちんと、伝えたんです」
それなのに一体どういう事なのか、秦巻でなくてもそう思うだろう。命を失いかけたのだし、並比良はその代償の、左腕。それがあったからこそ、秦巻も若智も、命だけは助かったのだ。
「私は退院次第、事実を伝えようと思います、いや、病室からでも」
そう言うと、秦巻は若智へ視線を流した。怒りだろうか、頭の芯に赤黒いものが生まれてきたのを感じていた。
同じく若智を見ながら並比良。
「昨日、知野陽音の使いが来た」
その名前に反応して視線を戻す秦巻。
「あの日の事は口外するなと、レイヤーも没収されたよ」
思わず声を荒げる秦巻、を一瞬早く残る右手で制して、続ける。
警備主任の望月が、次の日にわざわざ挨拶しに来たのも。
「口止めの一環だよ」
その言葉を聞いて、きつく上がっていた肩から力が抜ける秦巻。そう、事実を話せば、望月の栄転は白紙となるだろう。そして、それは自分達の周囲にも及ぶのだと、理解させる為の挨拶だと分かったからだ。
「近いうちに、秦巻の所へも来るだろう」
力なく、秦巻は車磁気浮遊椅子に沈んだ。
「……並比良さんは、どうするんですか?」
沈んだまま、秦巻。
「もちろん太京へ行く」
髙木に戻ってくるなと言われたよ、と並比良。少し自虐的な声に聞こえただろうか、秦巻の表情が険しくなる。そして。
「私は、真実を告げようと思います。恐らく、火繰家を敵にまわすでしょう、けれどっ、例え<守人>としてやっていけなくなったとしても……」
視線が交錯する二人。スリットからの明かりが、互いの顔を赤く照らす。
「正しいと思った事をすればいい、その怒りは至極真っ当だ、だが」
一旦言葉を区切る並比良、若智へ一度視線を送って一呼吸、続けて。
「外側へ出たら、何を言っても変わらない、本当に変えたいなら、内側へ入る事だ。一番困難な道ではあるが」
「 」
秦巻は何も言わなかった。ただ、さっきまで頭の芯にあった、赤黒い何かが、別のものに変わって行くような気がした。




