09 森と話と
パキッと足元から枝を折る音が響いた。
森は鬱蒼と際限無く続き、私たち三人だけではとても抜け出せないほど入り組んでいた。ゲームでもこんな複雑なダンジョンは存在するのだろうか。
ロシェがいなければ迷子は確実だったであろう。
木々が乱立し、道という道が無く私たちは草を掻き分けながら一列に歩いていた。ロシェが先頭に立ち次に私、そして伊藤さん、最後尾にナイトの順番だ。
ほとんど無言で歩いて行く。草をかき分ける音と地を踏みしめる音、鳥の鳴き声がBGMになっていた。
「ロシェ」
「なんだ?」
ロシェの背中に呼びかけると、彼女は前を向いたまま返事。鞘の付いたままの長剣で草を払う作業を続けている。
「セブンルークって何?」
家に着いてからでも質問出来たけど気になってつい聞いてしまった。それ以外にも全く会話がないので気まずいのもあるし、なにより私が暇だ。退屈しのぎも兼ねて、ここは軽く相手してもらいたい。
「セブンルークも知らないのか……」
一体どこからやってきたんだか、と呟いたロシェは振り返らずに話し出す。
「セブンルークってのは国だ。通称、旅人の国。無駄にでっかくて立派な王国——城があって城下町があってその上、広大で高度な施設がある」
「その施設が大図書館ですか?」
黙って話を聞いていた伊藤さんが質問をした。その声は幾分息が上がってるものの、興奮気味だ。森を歩く疲労より好奇心の方が先に来ているのかも。
「ご名答」
でたらめに立ち並ぶ木々の間を迷い無く進むロシェは、おどけて人差し指を伸ばした。
「セブンルーク王国が最も重宝し第二の王国と崇められているのがセブンルーク大図書館」
「大図書館」
「ちなみにこの森を抜ければセブンルークがあるぞ」
「それは凄い国ですね」
伊藤さんの弾んだ声、ロシェも笑いを含んだ声だ。
「まあ、凄いっちゃ凄いんだが」
途端に声のトーンが落ちる。疑問を覚えて私は顔を上げてみたが、彼女の背中と後頭部しか見えない。
「最近、城じゃ変な噂で持ちきりなんだよなあ。それが原因か国民も怯えてるしよ」
「変な噂?」
「殺人か何かですか?」
伊藤さん、それは物騒かな……。
そして楽しそうなのは何故だろう?
「それだったらいいんだが」
それだったらいいんだ!?
思わずズルリとこける。異世界人、もとい宇宙人の感覚はズレてるのかも。むしろ私がズレてるのか!? 私なのか!?
混乱している私に気付かぬまま話は進んだ。
「あの城には女王様と王子様がいて、家臣がいて、使用人がいっぱい。そんなごく普通の王城だ」
女王様かあ。王様じゃないんだね。そう思考したのが伝わったのか、肩越しに振り向いたロシェが首肯する。
「数年前に王様は野生の毒キノコで死んだ」
ロシェ以外の三人が一様に驚く。
え、ん、きのこ?
「毒キノコで……」
「王様は好奇心旺盛でな」
「食べたんだ……」
「毒キノコをな」
「自主的に……」
「止める間もなくな」
まぬけだ。すごいまぬけだ。
王様のイメージが崩れた気がした。
「んで王様から事前にご指名を受けた妃が女王となった。指名するだけあって手腕は見事。武力のみならず知力にも心血注いだらしい」
「図書館の存在感もその証拠ですね」
頷くロシェ。樹木に手を添えて立ち止まる。
「知識が中途半端に付くと何が一番怖い?」
誰に向けての質問かわからないが、さほど間を置かずに伊藤さんが答えた。
「自分の知らないこと、では?」
「そうだ」
クルっと一回転して、当ったり~とはにかむ。彼女は表情豊かで見ていて楽しい。
「自分の知らないこと——幽霊が怖いんだよ」
「頭いいのに?」
「思考が堅いからなあ。非科学的だと切り捨てるほど柔軟では無いんだよ。頭いいってのも間違ってはいないが」
そう説明して苦笑い。頭が良いと幽霊はいないぜ発言をするものだとイメージしてた。理論付けて解決してしまうかと。そうでは無いこともあるのか。
「その城に幽霊が出るんだ」
「幽霊って、どんな?」
私が尋ねると、さも楽しげに答えた。
「なんでもお姫様らしい」
お姫様。それはまあ現代に生きる日本人にはあまり馴染みのないものだった。
「お姫様の幽霊かあ」
「確かにご存命の姫様はたくさんいるが王家の直系ではないんだ」
「それって何か問題?」
「今は亡き王の妹。その小さい頃に酷く似ているお姫様って、なかなかいるもんじゃあない」
緊張感のない彼女の言葉。怪談でもして怖がらせようとしているのが伝わる。ついでに怖がっていないことに落胆しているのも伝わる。
人形使いな相田桜さんは、呪い人形さんのが怖いです。オカルト好きな伊藤さんに至っては大好物だろう。
「先々月くらい前からか問題になったのは。使用人やら貴族やらが見たらしいがみんな、知らないお姫様だけど顔がよく似てるって言うんだ。不思議だろ?」
「不思議だね。しかも最近なんだ。というかそれを国民は知ってるの?」
「そーだな。発見したのが使用人と貴族だ。箝口令出しても出るとこから出るし噂なら噂ですぐ消えると思うだろ? 大きくはなるが、今もちょっとした余興になったろ?」
それにたまには刺激が必要だしなー? と、悪びれもせずに零した。
「ロシェさん詳しいですね」
「まぁな! 宇宙人なんで!」
「どこまで信用できるものかな」
宇宙人は関係あったのか、と突っ込む間も無く。鋭く後方から聞こえた声はナイトだろう。ほとんど黙っていた彼女は、こっちが聞いてもわかる不機嫌さだ。
「マスター、鵜呑みにしない方が確実安全かと」
「ナイトは疑いすぎだよ」
「自称宇宙人の言葉を信じるのか?」
「信じるだけの材料が無いけど——」
そう、まだ会って半日すら経っていない相手だ。しかも宇宙人を名乗っている。隙もなく確実に強いだろうこの少女は只者ではないと分かる。私でも。
ロシェの背中を見て続けた。
「——信じるだけの価値はある、と思うかな」
そう、だからこそ、只者ではないからこその価値があるのだ。なにより話している空気からはぎこちなさは感じるものの、邪気も敵意も織り混ざっていないと分かった。
何より、雰囲気と表情が相反していることがない。人間でこれは珍しい。意識的でも無意識的でも、人は雰囲気と表情が一致しないことが多い。好意を持ってしまうのはこれが原因なのかもなあ。
身を投げて信じるには足りずとも、正面で話すくらい信じるには十分足りる相手だと思う。第一森人という出会いを大切にしたい私の心情が影響してないとも言えないが。
一瞬、ロシェが固まったように見えた。振り向いてびっくりしたように私を凝視する。
「……正気か?」
ナイトは確認するように聞いてきた。
「うん」
「承知した」
マスターの意思ならとナイトはそれ以上言及しない。
「お前、ボクの話信じんのか?」
立ち止まったロシェは恐々とこちらを見遣る。
「信じちゃダメ?」
彼女は目を見開いて再び私を凝視。そして突然反対方向を向いたかと思うと歩き出した。ちらりと見えた耳は赤い。
「さあ、すぐそこだ」
「あれ、マズイこと言った?」
「いや……なんてーか……」
歩き出さずにいた私に、彼女は振り向いた。その頬は少し赤く見える。暑いのかもしれない。
「お前は——桜は、お人好し過ぎるんじゃないか?」
「はは、よく言われる」
「騙してるかもしんねーぞ?」
「そう言う人に騙す人はいないよ」
そのまま彼女は黙ってしまった。紅蓮の瞳が揺れて困惑の色が濃い。
「もしロシェさんが悪者ならどうするんです?」
伊藤さんが何ともまあ失礼なことを仰る。んーそんなに警戒するほどロシェは匂うのだろうか。あ、体臭的な意味じゃないよ。
「悪い人じゃないと思うけど……。それに誰であれ状況判断の為に聞かなきゃいけない。ならこの出会いは幸運だったと思うんだ」
私たちには情報が必要だ。しかも知らない森に放り出されてからのスタート。彼女と出会ったのは運が良いと思う。
異世界転移者と知れても、この人は口が堅そうだし悪用するより大切なことがありそうな感じだ。残念ながら確証はないけど。
と、後ろを見ると伊藤さんが予想以上に近くてびっくりした。日本人形にちょっと似てるなー。自分の能天気な想像に笑ってしまう。
「確かに私たちは幸運かもしれませんね。改めて相田さんの勘と言葉を信じましょう。あと、残念ながら日本人形ではありません」
「……伊藤さん、心が読めるの?」
「ふふふ」
伊藤さんは手を口許に寄せおっとり笑う。至近距離で眺める笑顔は美しいといっても過言では無い。中学生クオリティーを越えてる気がする。大人になったらどうなっちゃうんだろ。
「よくわからんやつらだな。早く来い」
連れて行かれるがまま木々を抜けて開けた場所に出る。森の中であまり届いていなかった太陽の光が射し込み、きらきらと輝いていた。
その光の中央。それなりな大きさのログハウスが目に入る。木製である家は、所々蔦が絡まり花壇らしき場所には花は一つも無い。荒んでいる——というよりかは質素で飾り気のないログハウス、というイメージだ。
四人は森の中に建つ家を見つめた。
そしてロシェは他のみんなを見て、
「な、これがボクのお家だ」
と自信満々に言ったのだった。