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78 まぼろし

 この苦手な匂い、車の匂いだったんだ。


 よく匂いと閉塞感で気持ち悪くなったのを思い出す。こうやって後部座席でぐったりして。


 でも私、こっちに座ってたっけ。


 隣を見遣る。女の子が座っていた。


 栗色の長髪と、無機質な瞳。

 彼女の抱えるのは茶色いクマのぬいぐるみ。


 私の小学生の頃だ。

 じゃあ今見ているのは、過去の私たち。

 まだギリギリ壊れていない私とナイトと母。


「ねえ、君」


「…………」


 あ、こっちを見た。過去の出来事なのに気付けるのか……いや幻なんだから変じゃないのか。


 冷たい、凍り切った無表情。空虚な目。彼女は気付かないフリをして、ナイトをきゅっと抱き直した。

 ちょっと心を抉られる。お姉さんは悪い人じゃないよー。


 いや、たぶん車酔いしてるんだな。肌は青白く憔悴しているのが見て取れた。今は余裕なさそう。


 諦めて車の窓から外の景色を眺めた。

 そして気付く。

 これは私たちが事故を起こす前の景色。

 母が死に、ナイトが消えかける、あの山道。


 小学校六年生になったばかりの頃、母と一緒にお婆ちゃんの家に行く途中だった。カーブで前が見えなくて、トラックと衝突してそのまま——!


 焦りから汗が噴き出す。

 呼吸が乱れて、耐え切れず立ち上がった。



「お母さん止まってッ!」



 慣れた手つきでハンドルを切る母には、もちろん聴こえていない。肩に手を掛けるが、すり抜けて触れることは叶わない。



 なんで、なんで——ッ!



「また……死んじゃうよ……っ!」



 私は人形使いだ。


 でも事故前はちょっと違う。


 多重能力。テレパシーとか予知とか、余計なモノを抱えていた。もう今では使えないけど。

 だからこそ、トラックと事故になることも予知は可能だった。しかし車酔いでのダウンと母に嫌われたくないが為、能力を封印していた。


「君っ、早く能力を使って! 回避しないと……」


 虚ろな瞳が見開かれて、やっと意味が通じたのかと近付く。でも違った。

 目線を追うと、満開の桜がキラキラ輝いている。そのキラキラは、突然現れた鋼鉄のキラキラに遮られて、衝撃が駆け巡る。


 遅かった。


 外傷はないのに、ズキズキと身体中が痛む。


 煤けた臭いとガソリンの臭いと、死の臭い。


 大破した運転席には、既に絶命した母。

 潰れたガラクタの中ではよく見えなかったけど、いや見たくもなかったけど……おびただしい量の出血で、栗色の長い髪は汚れていた。


 少女もスクラップ車内に投げ出されていた。

 それでも息をしているのはナイトのお陰。


「おかあさん……? ないと……?」


 少女はすぐに母の死を悟った。

 腕の形をした真っ白なキャンバス。染める赤黒い絵の具。栗色も同じ色に染まって、動きの一つもないのだから。


 目の前にクマのぬいぐるみが横たわっていた。生地が破れ、ワタが漏れ出し、青いスカーフは血塗れ。得意げに突き出した手は、伸びきることなく千切れている。


 器が崩壊して、魂が消えかかっていた。


「や……ナイト、ナイト、ナイトっ! しなないで……ナイトだけは、いなくならないで……! もっといい子でいるから、私のぜんぶで助けるから、おねがい……。ぅ、ぁあああああああああああッ!」


 そうだ。私は仕方なかったとはいえ、ナイトに力の全てを使った。力の一部を吸収してしまったナイトは、ただの人形では無くなってしまった。


 初期状態(リセット)も出来ない、特殊な力を宿した人形となって生きることを、強制させてしまった。


 助けられたはずの二人は、望まぬ死と望まぬ生に向かった。




「——でも、それで良かったんでしょ?」




 少女は嗤う。歪んだ口の端に怒りを覚える。


「良いわけない。私はこんなことっ」


「望んでなかったの?」


「…………っ」


「私を否定する邪魔なお母さんを殺して、私を肯定する優しいお人形さんと一緒に生きる。何がおかしいの?」


 少女の母譲りの栗髪は、先ほど観た桜の花と同じ色に変わっていた。瞳は血を注いだかのような赤紫。無機質な色は異様な色を混じえている。



「誰も人殺しなんて言わないよ? だって私は事故でお母さんを亡くした可哀想な子。もしかしたら助けられたのに、調子が悪くて上手くいかなかっただけの可哀想な事故」



「バケモノなら殺してほしい? じゃあなんで今も生きてるの? 誰かを失うのが怖い? じゃあなんで私は消えていいの?」



「自分を正当化して誤魔化して。過去に縛られたまま動けないのは自分なのにね。可哀想って言われたいなら、言ってあげるよ」



 燃える臭いが離れない。

 違うともそうだとも、言えない。


 アスファルトに散る死の残滓と、もう一人の私。


 一歩、後ずさってガードレールに触れた。

 幻なら、ここから落ちても現実に戻るだけ。ガードレールに寄り掛かる。そっと体重を掛けて、ふわりと鼻孔をくすぐる香りに視線を上げた。


 桜の花? それよりもっと甘い匂いが——。


「へぇ、ここを燃やす気でいるんだ。お友だちは激しいことするね」


「どういう……」


 一回り小さい少女は、少女らしくない笑みを浮かべた。


「逃げずに済んで良かったね。あれ、良くなかったのかな。嘘を抱えて解放されるか、真実を抱えて傷付くか、私にはどっちが良いのかわからないや」


「私の幻なのに、私の知らないことを随分と知ってるね」


 少女は問いに答えることなく嗤う。

 ただただ嗤う紫の眼光は、景色もろとも崩壊していった。



 *



 新緑の匂いと薬の匂いと、甘い香り。


 幻から覚醒できた。しばらく悪夢に踊らされてしまったのは、油断してたけど。

 直前の景色が景色だった為に、意識ははっきりしていた。温かく包み込まれる感覚と唇の冷たさに瞼を開く。


「……ふ……サクラ……っ」


「ただいま、フィレナ」


 めちゃくちゃ目の前にフィレナの顔がある。近過ぎてボヤけてるけど、離れようとはしないらしい。


「本当に愚かだわ。がっつり幻覚見てるじゃない」


「はは……ごめん。予想外だった」


「それは私も一緒よ。今は気付け薬を飲ませたし、私のオーラで花粉を焼いてるから大丈夫だと思うけれど……しばらくは動かないで」


 花粉症とは無縁そうだなあ、と頰が緩む。

 舌は苦さを感じ、先ほどまで甘く感じていた鼻は刺激臭が駆け抜けていた。むせたら空気を一気に吸い込みそう。

 フィレナを抱きしめ直して、ゴシック調のドレスに顔を埋めた。胸元だと濃いな……。

 何か言いたげな、息を飲み込む音が響く。


「貴女は何を観たの」


「——私の罪かな」


 くぐもる声に身をよじる彼女は、淡白に「そう」と返した。態度は素っ気ないのに、抱き止める腕は優しい。強くしても壊れたりしないんだけど。


「仕方ないから聞いてあげるわ」


 んー話すことでもないよなあ。話してこれ以上の好感度は下がらなくとも、気にするっちゃ気にする。しかし促すように耳元で呟かれた。


「私は人形よ。好きに使えばいいわ。貴女にとってどうとも思わない、取るに足らない存在なのでしょう」


「……んぅっ、どうともなんて……」


 息かけないで、と睨み上げた。

 怖くないわね、と余裕そう。


「今は気にするよ。嫌われてるって分かってるけど、嫌いを感じるのは怖いから——」


 どうしてだろう。最初会った時は、彼女の言う通りどうとも思わなかったのに。


「あ、フィレナのこと、大切なんだ」


 そっか。大切になっていたんだ。だから失いたくないし、嫌いが深くなって欲しくないんだ。

 当たり前のことに今さら気付いて、見上げようとしたら視界が塞がった。手で目隠しされたらしい。なんで。


「貴女は平然と……いえ、大切と思うなら話しなさい。頼ればいい、分ければいい。今さら貴女への心象なんて変わらないわ」


「そんなのわからないよ」


「言ったでしょう……大切って。嫌いだけど」


 どっちなの。真っ暗だから余計に言葉と甘い香りに惑わされる。余計に、身体の感触と温かさを感じる。


 こうなったら引きそうにないか。


 一つずつ、罪を懺悔するでもなく淡々と語った。誰にも話さなかった過去を。

伊藤志乃のなんとか相談室


「ロリ相田さんが登場したところで」

「ロリっていうか、今とそんな変わらないと思うけど……」

「私を差し置いてお出掛けだなんて、よほど罰を受けたいみたいですね?」

「ひっ……いや、受けたいわけじゃなくってね? ほら、人との約束って大切だし?」

「新しいお仕置きを考えているのですが、中々良い声を上げさせる……いえ安全で効果的なお仕置きが見付からないんです」

「いま変な企みが聞こえたような」

「フィレナさんも同罪ですね。ふふ、どう調理しましょうか」

「聞こえてるわよ。言っておくけれど、バカを止めても無駄だっただけよ。バカはバカだもの」

「あらあら、バカと言う割には必死に助けていたような」

「はあ?」

「一旦、CM挟もうか」

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