73 運命の糸
取り囲む折り紙たち。ときおり心配そうに近付くけど彼らに水分は命取りだ。来ないよう合図を送る。
纏わりつくようなしつこい水が、なんの変哲も無い水に変わってゆく。二人で思いっきり咳き込んだ。肺が新しい空気を求め、何度も息を繰り返す。
し、死ぬかと思った……。
「けほっ……貴女の言う通りに、作って良かったわ……」
私もフィレナに教えて大量に作った甲斐があった。
魔法を無効化する折り紙を。
ロシェから貰った魔封紙という魔道具。普通の羊皮紙とは違う特殊な紙。ロシェが私の魔力を見るために使ったものの一つだけど、それで折られたのがこの折り紙たちだ。
魔封紙は秘密のやり取りが可能となる。しかしデメリットとして魔力を阻害してしまう特徴があったのだ。
今回はそれを利用して、折り紙人形でうろちょろ散歩してもらった。
魔道具と能力のコラボ。
とにかく魔力阻害のお陰で水の猛威は去ったけど魔法の力って事実が発覚したことになる。
フィレナと息を整え、周りを見渡す。
「魔法、たぶん近代魔法じゃなくて精霊魔法。違うなら魔術だと思う」
折紙吹雪は魔法を無効にできる。
しかし注釈を加える必要があった。“一部”無効化である。
発動前の近代魔法や魔術、継続式の魔術など魔力の流れを阻害することで中断できるもののみ。組成後、つまり完成された魔法は効果がないのだ。
ただし精霊魔法だけは完成後でも防げる。
「精霊が嫌がるものね」
魔律から生まれた精霊だけは魔封紙折り紙を苦手としていた。
ロイエさんで試したりなんか、その、してないよ?
とにかく、こんなエゲツない精霊魔法なら人為的である他ないだろう。
想像通り人の声が微かに聞こえ風を切る音が響く。対応するようにフィレナが詠唱。
「ファイアウォール」
「って魔法使えないから!」
「あ」
早く言いなさいよバカっと理不尽な罵りをしながら大剣を振る。上手い具合に矢が弾き落とされた。
残念ながら味方でも同じ。完成前の近代魔法は使えないのである。
でもこのまま魔法剣士が魔法を使えないのは可哀想だよね。
「矢が来た方向に舞って、折紙吹雪!」
場所が特定できたのは良い収獲。私たちの周りに待機していた折り紙が一斉に飛び出す。
「一度発動した精霊魔法って復活したりする?」
「しないわよ。そこまで万能じゃないから。どんな術でも一度切れたら終わり。聞かなくても貴女のオリガミで何回も実験したんでしょう?」
「何度実験しても例外はあるから」
どんなに慎重でも、回数を重ねてもだ。
魔法でタコ殴りの心配もないことだし、ビショビショのローブを絞る。すっごい水分。
隣のフィレナは何故か様になっていた。銀髪から水滴をしたたらせた肌は陽光にキラキラ。水もしたたる良い女となっている。映画のワンシーンにありそうだ。
「何考えているの」
「水が無くても良い女だと思うよ?」
「は?」
しまった。本音漏れてた。
実際、普通に立っているだけで絵になる。
が、これを本人様に伝えたら「貴女に褒められても嬉しくないわ。どんな目で見ているのよ愚か者。本当に最低ね。クズ、変態」とお豆腐メンタルがズタズタにされる未来しか見えない。
すみません保身に走ります。
「今の忘れて」
「いやでも貴女」
「……金牛の月十日、今日はお母様が訪問して下さったわ。仕事がお忙しいのに、お話や添い寝までしてくれたの。その時にお姉様がプレゼントしてくれた素敵な」
「忘れた。忘れたから忘れなさい。なぜ一言一句覚えてるのよ」
なぜフィレナ日記の内容を覚えているか?
そんなの簡単だ。ロシェから文字を書く練習に使えと渡された本がフィレナの日記だったからだ。私もロシェもフィレナ日記の存在をど忘れしていたので不可抗力である。
彼女は不満げであったが掘り下げることはしない。話題を変えることにしたようだ。
「まさか作って早々に出番だなんてね。私と相性悪いから使って欲しくなかったのだけど」
折紙吹雪が去った方向を眺める横顔。眉を歪ませる彼女に、少しだけ申し訳ない気分になる。
先ほどのように、単に魔法を使うから相性が悪いだけではない。火の使い手であるフィレナが魔法を使うと、紙を焼いてしまうのだ。そもそも木や草が燃えちゃうから森ではあまり炎使えない。
自分で折ったものを自分で焼いてしまうなんて、複雑な気持ちになるだろう。初めて作った時は平然としたフリして喜んでたし。
紙自体が普及してないこの世界で折り紙文化なんてないから、目新しくて面白かっただろう。
まあ、私の折り紙は動くし戦闘に繰り出すんですけど。
近付く人の声。
とにかく人がいたなんて予想外だ。
忍者さんたちの気配と混同していたのかも。
小川の向こうから現れた三人の男女。弓矢を持つ青年、剣を持つ男性、杖を持つ女性。パッと見は極悪人には見えないけど襲ったのは違いない。警戒を露わにする。
「やあお嬢さんたち。こんなところでどうしたんだい?」
青年は白々しく笑みを貼り付ける。
「ま、迷子かしら」
「おおそれは可哀想だ。一緒に街まで行かないか?」
女性も男性も、引き攣った笑みである。
そこまで不審者ですアピールしなくとも。
周りに折り紙がふわふわ舞ってる時点で襲った張本人で違いないのに。
「貴方たち、それで誤魔化しているつもりなの?」
さすがのお姫様も呆れ顔である。
「私たちを襲った理由を伺ってもよろしいですか?」
自分の中の丁寧な言葉を選び、優しく優しく聞いてみる。大丈夫、水死する危機に瀕しても、優しい優しい私は殺気なんてないのだ。
なぜかヒッ……と聞こえたが気のせいだ。
「サクラって意外と怖いわよね」
「え、こんな人畜無害な顔してるのに?」
「人畜無害でゆるゆるのバカっぽい顔だからこそでしょう」
う、ひどい。
でも私だけなら良かったのに、女王様から託されたフィレナ姫様を危険に晒したのだ。怒りの少しは当然ある。
話し合いで解決できれば良いんだけどな。
「くくっ……」
ちょっとそうも行かなそうだ。男性は不気味な笑みを浮かべていた。
「嬢ちゃんたち、今の状況で余裕なのは褒めてやろう」
わーい褒められたーとはならないか。
剣を突き出す男性。弓をつがえる青年。
「どうやったか知らんが魔法は使えない。しかし攻撃手段も人数もこちらが多い。大の男とやり合えるというならお相手しよう」
「僕たちの為に大人しくしてくれないかな? 大丈夫だよすぐに終わらせるから」
面倒なのに絡まれちゃったな。
隣の姫とアイコンタクト。やれやれって感じ。
「つまり数で勝てば良いんでしょうか?」
「ははっそれイイね面白い。あくまでも抵抗ね。泣いちゃっても知らないよ?」
「今から援軍でも呼ぶか? その間に剣一本だけでどうにか出来るなら良いが」
「——愚行はそこまでにしてくれないかしら」
してくれないらしい。
男性はニヤリと剣を振りかぶり、青年は無表情に矢を射る。いくらフィレナでも剣と魔法を同時展開はできない。どちらかは捨てなければならない。……本来なら。
フィレナは一歩も動かなかった。
もちろん魔法の詠唱も大剣を振るうこともなかった。
発光する眼前。叫ぶ声。
森は一瞬だけ静寂を取り戻す。
「な、なんだ、これは?」
男性は糸に絡まり、青年は身体を折り曲げ、女性はビクともしない。
スパイダーの蜘蛛糸、テルちゃんズの頭突き、ファントムの……なんだろ?
えっと、ああ、幽霊っぽいね。金縛りをしているらしい。憑依技の一種だからファントムも乗り移ってて動けないんだけど、行動不能にする最良の手だ。
「数の優位性についてはクリアしたと思いますので再度お尋ねします。私たちを襲った理由は、何でしょう?」
伊藤さんをイメージして優しく丁寧に尋ねてるはずなんだけど、聞き方が悪いのだろうか? 答えてくれる兆しはない。そればかりかさっきより怖い顔してる。恐怖と怒り。そして混乱。
「魔物だと? 一体どこから!」
「ばばばっバケモノ……!」
酷い言われよう。
こちらを睨み上げる目には光が揺らめいて見える。信念を貫こうとする強い光、正義を信じて疑わない光。こちらにとっては悪人でも、本人たちにしたら必要なことなのだろう。
「そうだ。悪魔を倒すのに理由がいるのか? いらないだろう? 人間を被ったバケモノを殺す俺たちは英雄だ」
謎の理論を押し付けられちゃったな。なんだか私が悪者みたいだ。
いや悪者かもしれない。
込み上げる怒り。どす黒い何かが自分勝手に暴れて収まらない。頭が真っ白になる。拳を握り込む。爪が食い込んでも冷静さはやって来ない。
この感情は、なんだろう。
この人たちが消えればいいのに。
一瞬でもそう考えた感情は?
「サクラッ!」
我に返って隣を見遣る。叫ぶからびっくりした。
「…………どうしたの」
「どうしたは貴女のほうよ。流れ込んでくるのよ殺気が。嫌な感じがするだけじゃないわ、今だって目が——」
言い淀むフィレナ。
おかしいのは、私を見る彼女が“恐怖”を感じていることだろう。浅く吐かれた息が戸惑いを含んでいた。