64 二人温度
夜の帳が下りる街。温かい灯りに誘われ留まろうとするが、呆気なく引き摺られてしまう。
ロシェ宅に戻ったのは日がとっぷり暮れた頃。
森は暗かったけどロシェが照らす灯りに導かれ無事に辿り着けた。魔法って便利。
ドスンと玄関に置かれたアイアンメイデン。
ナイトが軽々と担いできたのだが……やはり異彩を放っていた。道中でも注目の的。少しだけ反省してる。
「恐らくマスターの部屋には入らないと思う」
「あー……確かにおっきいかも」
「部屋の前に置いておくか?」
「ん、そうしよっか」
ドアの隣に設置するメイデンさん。私の部屋だと一発でわかる仕様になってしまった。
どうするかは後々諸々色々考えるとして、明日の準備をしておかねば。なにせ日帰りとはいえ森の中。海外旅行や温泉旅行とは違う。気を引き締めなければ。
ロシェが夕飯を作ってくれてる間に新たな荷造りを始める。
本当はロシェを手伝いたいんだけど、彼女は嫌がっているようだった。理由は教えてくれない。
何となくわかるのは——
「認めてないってことかなあ」
私と似た空気を感じた。
私には心から許せる相手が実に少ない。一般的な家族もよくわからないし、友達もいなかったし、人形はまた違うし。自分を預けているような相手はいないに等しい。だからとは言えないけど漠然と、彼女にとって私たちは、心から認めた相手ではないんだと思う。
同じ色をした目。
私だってその“同じ色”の正体はわからない。本当のところは違っているかもしれないのだ。単に自分がやりたいだけかもだし。
報告書を取り出して考えるのを止める。
思考の停止は危ないとわかっていても、私の場合は考え過ぎて動かなくなる。ほどほどにしよう。
まあ「マスターは動かなくなったと思ったら体が勝手に動いている」とはナイトが常々言っていたが。
「自分を預けているような相手いらっしゃらないんですか?」
「わっあっ!?」
囁きに思わず体が跳ねる。
耳を押さえて座り込んだ。私の後ろには伊藤さん。びっくりした……。
「そんなに驚きましたか? 一応、優しくノックをしたのですが」
「やさーしくノックし過ぎたんじゃないかな。もう……耳元で話しかけないでって」
「すみませんつい。立てなくするつもりはなかったのですが」
腰砕けになってしまい起きあがれない。あれだけでグダグダになるなんて情けないな。乱れた息を整え伊藤さんを見上げる。
何か用があって来たのだろう。
用……。お仕置きされるようなことがあったか今日のことを思い返す。
「あらあら虐められたそうな目をしてますね。ついにお仕置きのおねだりだなんて」
「ちっ違うって! 何かしちゃったかと思ったんだよ」
「警戒せずとも、報告書の作成をしようかとお訪ねしたんですよ。ついでにイタズラしようかなーとかこれっぽっちも考えてないですよ?」
座り込む私を持ち上げようとする。羽交い締めにされてるようにしか見えない上に全く持ち上がってなかった。
唸っても無理だと思う。力無いなあ……私が重いとは考えないことにした。
諦めたのだろう。一旦下ろされた。短い詠唱をした後に再び持ち上げる。こんなことで強化魔法使わなくとも。
そしてベッドに転がされる。
なんか、情けない。
「お邪魔します」
なぜか伊藤さんも隣に転がった。
シングルベッドでは広くない。いくら私たちの身体が小さいとはいえ手狭だろう。
初めて異世界へやって来た日。一夜を明かした時はナイトも一緒に寝ていた。あのベッドは一回り大きかったから三人でも寝れたようなもの。あれでもぎゅうぎゅうで動けなかった。
とにかく。近い。
「なんでお邪魔してるの?」
「疲れちゃいました」
「すっごく嘘くさい」
近いけど、伊藤さんの距離に慣れてしまった自分も確かにいる。最近では距離について言及することはほとんどない。お仕置きの影響もあるだろう。
彼女なりに考えての行動だったりするのもわかって来たからかな。読めないし変なこと多いし、遊ばれてるんじゃないかと思うけど。
「はむ」
「……ぁ……っ!」
今みたいに、いきなりのし掛かって耳を甘噛みされたら遊ばれてると思うじゃん。
「耳はダメだって言ったのに」
不服を申し立てる私に、これまたムスッと不服そうな彼女。
「考え事ばかりの相田さんが悪いです。話聞いてなかったですよね」
今まで話しかけてたのか。気付かなかった。
許してもらうまで平謝りしか——そう思ってたんだけど、すっごくニコニコしてませんか伊藤さん。
「謝罪はいらないのでお願いを聞いてくれませんか?」
「……私に出来ることなら」
息を飲む。何言われるんだろ。
警戒しなくていいですよ、と頭を撫でられる。
「これからも夜は一緒に居て欲しいです」
そんなこと? いつも潜り込んでくるから頼まなくてもいいのに。
顔に出ていたんだろう。膨れている。
「正式に言っておかないと夜這いになっちゃうじゃないですか」
「ヨバイって何?」
「夜に這うことですよ。それよりも」
「ん、別に良いよ」
いつだって伊藤さんは、暗闇を耐えて耐えて限界まで我慢した末に私のところへ来ている。疲弊して来てしまうくらいなら始めから居ればいいと思っていた。イタズラで来ているんだ、という体裁を保っていたのだろうけど。
何も言わなくてもお互い理解していたはずで、特に彼女はわかっていたはずで。
それでも今まで引っ張って来たのは克服したかったから、だろうか。
「公認で寝れるなんて嬉しいです。あ、だからって襲うのは駄目ですよ? 相田さんになら食べられても良いとは思いますけど、まだそういうのは早いと言いますか」
襲う? 食べる? そういうの?
「どうしよう伊藤さんがわからない」
あーなんか真剣に考えてる私がバカみたいだ。
クスクスと笑う彼女はまた頭を撫でてきた。やっぱり犬のような扱い。髪を梳く指の感触が脳髄まで痺れさせる。
心地よくて、温かくて、優しい。
珍しく眠気が襲う。
「こんな顔を誰にでも見せているんだと思うと複雑ですね」
「んぇ……?」
きゅっと抱き締められた。顔面にむ、胸が当たる形で抱き寄せられて、動揺と睡魔が戦いを始める。
頭抱えられたら動けないんだけどな。伊藤さんの心臓の音が聞こえる。ちょっとだけ早い気がした。
「いと……さん、えっと、あまり」
「今日は早めに寝てしまいましょう。ロシェさんたちには申し訳ないですけど」
「んむっ」
いや息できないって。
押し返そうにも眠くて力が入らない。新しい空気を求め思いっきり息を吸えば、伊藤さんの匂いが濃くてクラクラする。身体がカッと熱くなって頭がぐちゃぐちゃになりそうで。
異変に気付いてくれたらしく、そっと隙間を空けてくれた。
たすかった。変な窒息死するとこだった。
「あーすみません加減ができ——っ」
ぼんやり見上げると伊藤さんは珍しい表情をしていた。驚いてるだけじゃない。頰は染まって何かを堪えているような余裕のない感じ。
「イチャイチャしてないで早く寝なさいよ」
胸元から第三者の声。お姫様いたの忘れてた。
姿を現した彼女は少しだけ耳が赤い。
「フィレナさん起きてたんですね。ヤキモチですか?」
「違うわ。愚かしい考えね。サクラに頼まれてたこと終わったから一旦出たいと思ってたのよ」
もう終わったんだ。
袋を机に置き、冷たい目で私たちを見下ろしていた。
何を考えているか予想してみる。軽蔑?
無言で布団を掛けてきたので軽蔑していたわけではないらしい。ホントわかりにくい。
「……ヤキモチってどっちに?」
「寝なさい」
「どちらにもという可能性がありますよ相田さん」
「それどうなっちゃうの伊藤さん」
「三人だと大変そうですね」
「貴女たち遊んでるでしょ」
付き合ってられないと出て行ってしまう。部屋に戻ったのだろう。
ロシェ宅にもフィレナ部屋を用意していた。フィレナファミリーことフィレナの人形たちもそこにいる。話せるだけにしたけど十分みたいだ。
ずっと私とじゃ嫌だもんね。
「素直になればいいのにと思いますね。人のことは言えませんが」
「なにが?」
「いいえ。目が冴えてしまいましたね」
「んーやっぱり報告書仕上げようか」
「このままイチャイチャしてても良いですよ?」
「イチャイチャっていうか伊藤さんに遊ばれてただけな気がする」
取り落とした報告書を広げ、羽根ペンとインクを取り出す。書くことは片付けた内容だけで特出して何もないけど。
机に向かうと私の斜め後ろから覗き込む伊藤さん。前にもう一脚イスを用意したんだけど使ってくれないんだよね。大丈夫だって言うからそのまま。
右の袖を捲り伊藤さんと目を合わせる。
よし、やろう。
筆を滑らせ始めた。
書き終えた頃にはロシェが呼びに来るかな。