63 鉄の処女
薄暗い室内。窓もないのか外の明かりは一切入らない。
「あいださん……」
「大丈夫だから力を抜いてくれると」
「だ、だめです……。置いて、行っちゃいますよね?」
「行かないよ。ここにいるから」
私の腕をガッシリ掴み離そうとしない伊藤さん。力は結構強かった。血の気のない顔に少しだけ戸惑う。
「にしても驚いたな。志乃は暗いところが苦手なのか」
暗所恐怖症。
その名の通り暗いところに恐怖する症状。
彼女はいつでも冷静で怖いもの無しに見えるが、暗い場所と雷だけは苦手だった。顔に出ないけど雰囲気と震えで伝わる。今は雷もない上に暗闇過ぎないから軽度で済んでいるようだ。
これは元の世界で知ったこと。何回か彼女が弱ってるところに遭遇している。
知っているからこそ、私のベッドに伊藤さんが居ても強く言えなかった。
ただでさえ照明類が発達していない異世界で夜は真っ暗。魔道具があるといえど照明に関しては電球の劣化版といった消耗具合で、頻繁に使う物でもなかった。こちらで一般的な蝋燭も消耗品。常に明るくする術がないのだ。
彼女には魔法があるけど、寝る時まで常時発動するものではない。
でもあんまり密着されると動けないし、当たるというかなんというか。罪悪感。
ってそうか。
「伊藤さん、魔法を使いなよ」
「あ」
気が動転して忘れてたみたいだ。
寝るわけじゃあないし魔法でいいじゃないか。
彼女が発動した光の魔法。一気に昼間の明るさで目が眩む。光量は部屋の隅々まで照らすほど。寝るわけでもないので、しばらくなら大丈夫だと判断したようだ。
もう一人の魔法が使える人物はケラケラ笑っていた。持って来てくれただろうランタンをガラクタの上に置く。本来はランタンで済ませるつもりだったが、必要ないとみたらしい。
「こりゃただのランタンより上等だ」
ロシェは謎の賛辞をして、手元にあっただろう何かを手にする。首を傾げながら鉄製の器具を弄っていた。ホコリにまみれた梨みたいな形状のそれ。開いたり閉じたりするものらしい。
「……それは“苦悩の梨”ですね」
「やっぱ梨なんだ。拷問器具だよね。どうやって使うんだろ」
伊藤さんは「人体を壊すものではないでしょうか」とやんわり答えて、まだ暗さが怖いのか器具が怖いのか、私の腕にしがみ付く。
「これはなんだろ。三角形の家みたいな木箱だね」
「三角木馬ですね」
「こっちはパンツみたいなやつだなあ。どうやって拷問するんだろ」
「貞操帯、ですね」
「鞭もある。これしかわかんないや」
「わからなくて良いと思います」
徐々に伊藤さんの顔色は良くなり、ラインナップがおかしいですとぼやくまでになった。
元拷問室の現倉庫。
拷問室は文字通りの役割は果たしておらず、完全な倉庫と化していた。拷問器具っぽいものも置いてあるが、棚や椅子など置き場所に困ったものをとりあえず突っ込まれた感じがする。
雑多に詰め込まれた部屋はゲンナリするほど物に溢れていた。
ここを片付けるのが、情報局幹部にして黄蝶の聖母の異名を持つロイエさんの依頼だった。
当初泊められそうになった拷問室を本当に掃除させるなんて想像もしていなかった。
でもまあ広くはないし、使わない拷問具や壊れた物を捨てたり掃除して整理するだけだったりで割と早めに終わりそうである。
「さっさと終わらせるぞ。明日は森に入るんだろ?」
早めに終わらせたい理由はこれにもある。
大蜘蛛の糸を手に入れる。
昨日、人形に誘われた布屋はワケありっぽく怒鳴られて無茶振りされた。
面倒ごとを避けたいのは避けたい。こうやって三人を巻き込むことに抵抗があるのだ。一人でやるから大丈夫だと伝えたのに全力で却下され、「私の問題だ」と言ったら無茶苦茶怒られた。
もう何を言っても無駄なのでしぶしぶ頷く。
「で、もうそろそろ離してくれると……」
「離れたら死んじゃいます」
「嘘はやめなさいよシノ」
伊藤さんは名残惜しそうに手を離した。
「フィレナは出てこないの?」
「私が出たら問題あるのよ。仕方ないからここで待ってるわ。やることもあるし。せいぜい頑張るのねサクラ」
「なんの問題があるの」
フィレナはそれっきり黙ってしまった。
仕方ない。やるか。
拷問器具など不用品をどんどん魔法で粉砕していくロシェ。伊藤さんと私も混じって選別していく。ナイトは軽々と物を移動させ、木材系を中心に斬り捨てていた。
拘束具や針が所狭しと並んだ椅子やギロチン。正直、ここに長く留まるのはご遠慮願いたい物ばかりであった。
順調に片付けが進み、半分ほど綺麗になったところで異質なものと出会う。
「でっかいね」
「でっけぇな」
大人が丸々入る大きさの鉄像。女の人を模した姿はとてつもない威圧感であった。
「鉄の処女、またの名をアイアンメイデン。中は空洞となっていて、入った人を針で突き刺す拷問器具ですね」
「こわっ強そうな処女だね」
「強そうな処女ってなんですか……。こちらではどうなのか不明ですが、由来は聖母マリアをかたどった説や伯爵夫人が処女の血欲しさに作った説などありますね。実際に使われたかは怪しいみたいです」
「聖母ロイエをかたどってたら納得なんだがな」
それ本人の前で言ったら怒られるやつでは。
でも使用されたか怪しいのはわかるなあ。使うとなると中は血だらけになって掃除が大変そう。見せるだけで拷問になると言われるし使わないのかも。どちらにしても悪趣味だと思う。
「世には処女の血を欲しがる人がいるんだね」
処女、つまりは純粋で綺麗な娘ってことだろう。わざわざ選んでまで血を求めるなんて、血液型的な何かがあったのだろうか。
「私は相田さんの血なら欲しいですよ?」
「何を言ってるの」
「もし吸血鬼なら間違いなく啜ってますしユニコーンなら踊りながら現れますよ」
「マジでなに言ってんだ志乃は」
黒い瞳に妖しい色が差す。伊藤さんはさらに距離を縮めて私の首筋に顔を埋めた。
が、発光して現れたフィレナにより阻止される。
「いくらシノだからって無警戒すぎよ! 味方が危害を加えないなんて考え改めなさい」
「あーごめん。怖くなかったからつい」
嫌な感じがしないからノーガードでいたけど、フィレナに心配されてしまった。ちょっと無神経だったかも。
でもなんでただの悪ふざけに警戒するのか。冗談を言い始める伊藤さんはいつも通りだと思うし。
考える目の前を金髪が横切った。
「ふふ、首だけは自分のモノにしたいですか?」
「なっ……貴女見てたの?」
「やはり何かしたんですねー」
「ブラフかけるなんてセコいわね」
「コソコソしてるほうが悪いです。それより、いつから呼び捨てする関係になったのですか?」
「いつだって良いじゃない。関係ないわね」
「あらあら平静を装っても無駄ですよ。相田さんやロシェさんはともかく私を欺こうだなんて」
「いま理不尽に流れ弾当たった気がするんだが」
私もナチュラルにディスられた気がする。
それに首だけは自分のって怖いこと言ってるんだけど。
内容の読めない会話をする中、ナイトはアイアンメイデンを開いていた。観音開きにされた中身は言っていた通り空洞だった。しかし針は一本もない。
「マスターはいかが考える?」
「どうやって拷問するんだろって考えてる」
「本当にそれだけか」
まあ、それだけではない。
使用感のないこのアイアンメイデンは、泣いているように感じた。魂が宿って無いはずなのにそう感じる。気のせいかもしれないけど。
どうにか寂しくないようしてあげたいと考えてしまった。
冷たくて硬くて黒っぽい表面に触れてから、腕を組んで二の腕を指で弾く。
「相田さん……その女は誰ですか? まさか関係を持っているなんてことは」
「さっき自分で正式名称言ってたわよね」
「仲が良いのはもうわかったから少しだけ考える時間くれるかな」
アイアンメイデンも人形の一種となるんだろう。私のアンテナが反応しているんだし。それは良い。けど昨日のトルテみたいに直接的に訴えるわけでもない。無形の魂というか訴えを感じられない人形は私も対応が難しかった。意思の疎通は出来ず希望が定かじゃない。
だからって、このまま壊して捨てるのは無理だ。
「桜は怒ってんのか?」
「考え事をしていると周りが見えなくなるだけだ。お前みたいな単細胞と一緒にするな」
「喧嘩なら買うぞ」
「ほほう良い度胸だ」
「ロシェ」
恒例のバチバチが始まりそうだったが、遮らせてもらった。ロシェは不思議そうに振り向く。
「このアイアンメイデン持ち帰っていい?」
「別に構わねーけど愛着でもあんのか」
「そんなとこ。どう持っていこうかな」
「私が持って行こう。これくらい朝飯前だ」
ナイトが頼もしく拳を握る。確かに彼女なら安心して任せられる。
とりあえず気になったことも保留にできたし片付けに戻ろう。そう思ったが——。
「どうしたの二人とも?」
「……すみません不躾に声をかけてしまって。あとその、フィレナさんとは仲良くないですよ?」
「悪かったわよ。怒らなくたっていいじゃない。真顔が一番キツいわ貴女」
「ホントにどうしたの」
この後も謝られたり仲良くないと主張されたり、二人が仲良くアピールする中で片付けが再開されたのだった。