62 布屋さん
店員さんは入って来た仲間にも「いらっしゃいませー」と声をかける。知り合いかどうか視線で問われてコクンと頷く。
「ほぇーなるなる。この店は燃えるようなものしか置いてないけど、何か気になったの?」
「燃えるって……ちょうど裁縫道具とか欲しいなーと」
「得意なんだ?」
「人並みくらいかな」
「なんだクーベル。客か?」
店の奥から現れた男性。強面で貫禄があった。
眉をひそめて心なしか不機嫌そうである。
「そ。お客さんだよお父さん」
彼の刈り上げた髪は赤みを帯びたオレンジ色。確かに彼女の父だろう。なんていうか布屋さんの主人というより鍛冶屋の主人て感じの佇まいだが。
「……子どもの遊び場ではないぞ」
「ちょっとそれは」
お父上は娘からの嗜める声音に反応しない。
彼女は先ほどの明るさは無く、哀しげに言葉を彷徨わせた。
うん。ここの店主は私が気に食わないらしい。
見た瞬間に嫌な顔をしたから覚悟していたけど、嫌悪感を露わにされるのは慣れない。痛いし哀しいのは変わらないのだ。
それよりなんで娘さんは弱々しくなってるんだろ。
「そんな子どもが買える金なんて持っていないだろ。ここは見世物じゃないんだ。さっさと——」
「お父さんッ!」
なぜかこちらに駆け寄る娘さん。
お父さんじゃないよ私。
「ごめんごめん。あたしの親父は気難しいタイプなんだ。気にしないで自由に観てていいよ」
「いいの?」
「いいの。ホントに無一文なわけじゃないでしょ?」
「そりゃお金はあるけど、そうじゃなくて」
前からも後ろからも威圧感すっごい。空気が淀んでいた。逃げ出したい。しかし娘さんはめげずに私を捕まえ続ける。笑顔を崩さずに。
「あー、あっそうだ。買ったら何するの?」
「人形作り」
少しだけ、店内の時間が止まった。
いやうん。即答で人形作る為にっておかしいか。普通は服作りとか補修とかをメインで使うんだろうし。んーでもそこまでおかしいことじゃない、よね?
娘さんとお父さんの眼の色が少し変わっていた。
「人形職人なの?」
「職人じゃないよ。プロの仕事は出来ないって」
「じゃあ趣味で作れるんだ。プレゼントとか?」
「趣味範囲で作るけどプレゼントじゃ……えっと」
なんて表現しよう。私の能力。
人形使いだけど、こちら様でいう人形術師とは魔力による魔術行使だ。全然違う。
元の世界では能力の存在こそ異質で異物となりえた。でもこの世界はあの世界と違う。言えないこともない。むしろ隠すことは不可能に近いし隠す必要もない。
ただ私以外でこの能力の使い手がいないとなれば、どんな存在に定義されるのかさっぱりである。
「人形術師って言えばいいのかな。そんな感じの」
説明がままならない。そんな感じて。下手すぎて我ながら呆れてくる。
「人形術師?」
「お前、人形術師だと……?」
ふわっとした私の言葉に二人が鋭く反応した。
あれ、いまマズいこと言いました?
「——て行け」
低く唸る声。店主の怒気が肌をピリつかせて止まらない。何が彼の琴線を触れたのかわからないけど、これ、ヤバいやつだ。
「出て行け! お前に売るものは何もない!」
「やめてお父さん! あの術師じゃないしこの子は職人であって術師なんだよ! 全く違うから落ち着いて!」
なんだかワケありっぽい。問題に巻き込まれないようにと言って巻き込まれかけてるなあ。
よし迷惑そうだし逃げよう。
「いや出て行きま……」
『助けて、助けて。お父さん悲しい。クーベル悲しい。僕も悲しい。みんな悲しい』
なんてタイミング。
窓辺で座っている人形トルテは、激昂する店主と必死に説得する娘さんに反応していた。
私にしか聴こえない声。ただ役割通りの客寄せをするだけでなく、気持ちを表し助けを求めていた。
「突っ立っているんじゃない! 早く出ろ!」
「出ません。ここで買い物をします」
「あ?」
あー怖いなー。
どんなトラブルがあるのか不透明だが、全容を把握できるまでは食らいついておこう。様子見だ。
手を出せる内容とも限らないし。一応就職したての新人なので手が離せないだろうし。ストレスで胃に穴が開くのもイヤだし。心配もされるだろうし。様子だけ様子だけ。
店員さんも落ち着くように手を振る。
「ただのお客さんだよ。買い物するだけだよ。ね?」
「客? こんなやつに売りたくないな」
娘さんの宥めにも難色を示す。取り付く島もない。オブラートにさえ包んでくれないストレートな言葉。
「どうすれば売ってくれますか?」
私の問いに少しだけ固まった。おや、考えてくれてる?
難題を吹っかけてきそうだけど可能性があるなら縋りたい。単なる様子見だけど。
親父さんは筋肉質の太い腕を組んで不敵に微笑む。
「ふん、じゃあ大蜘蛛の糸を取ってこい。もちろん織物でも使えるような糸をだ。持ってきたら売ってやる」
大蜘蛛の糸?
隣の娘さんの驚愕の顔から無理難題オーラを凄まじく受ける。
同時にズカズカと後ろから迫る足音が隣で止まる。ロシェだった。とても苛立っている表情である。
「黙って聞いてりゃ……無理に決まってるだろ!」
彼女でさえ無理と言わせる代物。聞かなくても無理っぽい。早くも心が折れそうだ。
「そんなにハードなお話なのこれ」
「大蜘蛛ってまあクモの魔物なんだが、普通のクモで考えてみろよ。糸が採れると思うか?」
クモさんを思い出す。
巣は網状構造で粘着力のある部分や無い部分を作るので、何かを作るには不向き過ぎる。しおりのように常に糸を出す習性もあるが粘性あるだろうし探すのは大変だ。風に乗って糸で飛行するクモもいるが、小さいタイプに見られるので除外。
クモさんウンチクは、いとペディア出典である。オカルト以外も幅広い知識。すっかり愛用するリピーターである。
ともかく大蜘蛛という魔物から糸を頂くには倒したらダメ。糸が出せないのでは意味がない。
安定供給を望めないどころか、どうゲットすりゃあいいのって問題だった。わお。
「大蜘蛛の糸は魔糸の一つで激レア中の激レア。市場になんか出回らねえ」
「蜘蛛か。近くの森にも居たな」
「居てもどうにも出来ないんですよね。物理的な攻撃ではいけないですし、魔法で動きを止めても糸は手に入らないです。方法がありませんよ」
想像以上に無茶振りだった。どれだけ嫌われてるのか理解できるくらいに。
「お父さん、なんでこんな条件出すの? あたしだって見たことないよ。しかも冒険者でさえ難しい魔物から採取なんて」
「出来ないなら立ち去ればいいだけだ」
有無を言わさずピシャリと切り捨てる。
この場の誰もが口を閉ざした。
『悲しい、助けて』
トルテのつたない悲鳴。心が裂けそうになる。
このまま放っておくことも出来ないよね。
力を使うことにした。今の私に出来ることってこれくらいしかないから。
「意志共有」
私と人形の心を引き合わせる。
あまり使いたくない能力の一つだった。
今からすることは感情の操作だ。同調圧力のような大で小を黙殺してしまう行為。私の強い想いで彼の感情を塗り潰す。
私の心に合わせてもらうのだ。
怖がる必要はない、と。
使い方を間違えれば悪逆非道の限りを尽くせる。しかもミスをすれば大変なことになる。危険な技の一つ。
心が近付く分だけ、お互いの境が曖昧になる。混乱を及ぼし人格の崩壊に繋がる。それだけではない。人形の悲しみが私を苦しめ、その苦しみが伝われば悪循環となりパンクする。逆も同じだ。
ハイリスク。しかしハイリターンでもあった。
伝わる心の叫び。今まで余ほどの何かがあったのだろう。哀しみで狂わされた分の軋みが私にのし掛かる。
知らないフリをして今までで一番楽しかったことを思い出す。そしてこれから幸せになるビジョンを思い描く。
いえーはっぴー!
「お前は何を」
「はっぴ……いえ、なんでも。持って来たら売ってくれるんですよね?」
「あ、ああ」
「また来ます」
呆然と眺めていた仲間を押し出し布屋を後にした。
『ありがとう、ありがとう。今後もごひいきに!』
トルテの様子は元に戻っている。
ひとまず安心。でもこれってどう対処すべきかわからない。素材採集は難関で、これで無事に買い物出来てもそれで終わりそうだもん。
「とりあえず帰るか。これ以上の面倒はやめろよ」
不思議と三人は問い詰めることをしない。
何事も無く歩き出した。
数秒もせず背後でドアの開く音が響いて駆け寄る足音が響く。
「待って!」
呼び止める声に振り向けば、娘さんがポニーテールを揺らして駆けてきた。瞳は私を捉えていて何か聞きたそうである。
「なんであんな酷い話に乗ったの……?」
そう思うよね。
私だってあんな態度を取られて傷付かないほど強くはない。それはもうびっくりするくらい繊細な心の持ち主だ。通常なら早々に退散に決まっている。
理由はトルテが呼んだからに他ならない。
「人形が泣いていたから」
一言だけ伝えて帰路に着く。
良いのか? 紅の瞳に尋ねられた。
たぶん“それを言って良いのか”と“もう話さなくて良いのか”のどっちもだろう。頷き返して歩き出した。
どうしようかと頭を悩ませながら。