06 異世界へ1
真っ白で上下の感覚が狂う。
思考が掻き乱れる。
私、どうしたんだっけ?
あまりに頭がボーっとして状況判断が追い付かない。
わたし……は。
たしか、神社に足を運んで、噂の真意を探る為に覗いたら人形がウジャウジャいて、交渉してる内に変な女に捕まって……
あぁ、異界の門とやらに放り投げられたんだった。
思えば名前さえ知らない、
人形の少女と赤いスーツの女。
私だけ名乗るに名乗って、
相手を知らないのはどうなのか。
たゆたう思考回路で、
ぼんやり思う。
ゆらゆらゆらゆら
ここはどこなんだろう? とか。
どういう状態なのかな? とか。
みんな無事かな? とか。
というか私生きてるの? とか。
ほっとけば疑問はいくつでも出る。
でも、少々、
「ねむいなぁ……」
訳のわからない状況で暢気に欠伸をしている場合では無いんだけども。
欠伸は止まらない。
重くなる瞼、気だるい体。
呟いたこの声さえ、
どこかに吸い込まれてゆく。
…………ら……さ……ん
あ……ぇ?
誰かに呼ばれてる?
一体誰に?
うとうとしながら、
落としかける意識を持ち直す。
……くら、さん……!
真っ白で眠くて、
でも響く音は、温かい灯火に思えた。
何も無い世界から引きずり出される。
「ぅん……」
「桜さん!」
ゆっくりと瞼を開く……さっきまで真っ白なとこに居たのに目が眩んだ。
視界に広がったのは青い空と、緑の木々と——
「大丈夫ですかっ?」
私を覗き込む伊藤さんの端正な顔。
「って、うわぁ!?」
近すぎ近すぎ顔が近すぎ!
焦って声が裏返りそうになる。
漆黒と言って良いほど混じり気のない黒い瞳。そして陽に当たってるのか不思議なほど白くきめ細かい肌。スッと通った鼻。薄桃色の瑞々しい唇。
どれを取っても芸術品かよってほど美しい顔が眼前に広がれば、誰だって慌てるし赤面するし醜態だって晒すだろう。いくら私が女の子と言えども。
彼女の豊かな黒髪が私の胸元に垂れている。自然とほのかに香るシトラス。段々と覚醒してく体と冴えて行く頭。
「悪いところはありませんか?」
心臓に悪いよ……。
いきなりで声が出ない。
口をパクパクさせて驚いていると、伊藤さんは落ち着かせるように私の髪を撫でた。
「…………ぁ……」
「大丈夫ですよ」
さらに顔に熱が集まる。
いや、超絶恥ずかしい。
「怖いものは、ありません」
頭をやんわりと撫でながら、彼女は優しい声音で囁きかけた。そしてその手が耳に触れて、つい変な悲鳴を上げてしまう。耳はダメだ耳は!
私は耐え切れず上半身を起き上がらせた。熱い頬に手を添えて冷ましながら。
「えっと……伊藤さん?」
「なんでしょう? 相田さん」
少し痛む頭を無視して彼女を見遣る。
「色々聞きたいことあるんだけど」
「ええ、なんなりと」
「その、伊藤さん、大丈夫?」
「……え。あ、はい大丈夫ですよ」
彼女は少しキョトンとしてから頬に朱が走ったように見えた。暑いのか、もしかしたらどこか悪いのかもしれない。
心配になって見つめていたら、気付いた伊藤さんは慌てて手を振って大丈夫アピール。表情ではよくわからないが雰囲気的には大丈夫そうだったのでとりあえず納得した。
と……それから聞くことが何かあったはずだけど、咄嗟には出てこない。
ぐるぐる回る疑問と不思議。どうにもまとまらない。さっき伊藤さんのオーラと美貌にやられたからと言うより、元々頭の回転は弱い。上手く働かない頭にはどこから夢だったかわからなかった。
——全て夢であってほしい。
そう考えられている時点で全体像は見えている証左なので、頭が弱いというより心が弱くて現実逃避しているだけ。
だって、信じられないじゃん。
何も話さず考えていると彼女は察したように話し出す。
「ここはどうやら異界とやらみたいですよ」
「あー」
やっぱりかあ……。
不本意な異世界ファンタジーしちゃう訳かあ。
納得して彼女の顔を見る。もう頭は撫でたりせずに綺麗な正座を隣でしていた。
「相田さんと私と、あのぬいぐるみさんがここに来たみたいです」
「ぬいぐるみ……って、あ」
ナイトっ! と短く叫び周りを見回す。森の中なのか木々が延々と続き茶色い地面が続く。ここが少し開けているだけで、後は鬱蒼と緑が覆っていた。かろうじて陽が刺しているだけの空間。私と伊藤さん以外は誰もいない。
「ナイトは?」
体を無理に起こし立ち上がると、彼女は目を丸くしていた。
「周りの様子を見てくるってどこかに行きました。もうすぐ帰って来ると思いますよ」
私に倣うように彼女も立ち上がり情報をくれる。
まあナイトならそうするだろう。
下手に私が何かするより安心だ。
「ありがとう、助かる」
「いえ、お役に立てて光栄です」
伊藤さんは静かに頭を下げる。
私もつられる感じに頭を下げた。
「付き添ってくれてたの?」
「はい。あの子の邪魔するのも気が引けますし、そもそも相田さんを一人にすることが不安だったので一緒に居ました」
あの子とはナイトのことだろう。
「巻き込んで、ごめん」
思い出した。危険な世界に連れ出してしまった事。無用な心配をさせてしまった事。彼女は完全なる被害者だ。
余程焦った表情だったのか、目を逸らして大丈夫ですと呟いた。
「あの、相田さん覚えてます?」
「ごめん……な、何を?」
「私は自分の意志で無理やり付いて来たんですよ?」
あれ? そうだった、ような。あの時はバタバタしていて正直、今の状況にも付いて行けていない。
理解できていないのが顔に出ていたのか、伊藤さんはおっとりした仕草は相変わらずにゆったり話す。
「だから私が勝手に来たんです。謝る必要はありません。むしろ私の方こそ謝る必要ありです」
「いやでも! 私が伊藤さんを巻き込んだんだよ!」
「違うんです……私が、私がこんなことに……」
「伊藤さんが悪い訳じゃ」
礼儀正しく上半身を傾け謝罪する彼女。
「申し訳、ございません」
ああぁあ! 何で謝るの!
筋違いだよ。これは私の落ち度。でも伊藤さんは自分の話した噂がこうなった原因と思って責任を感じているんだ。
ようやく顔を上げた彼女は、うるうると瞳に涙を溜めて未だ申し訳無さそうな顔。ちょっとドキッとする。なんというか、中学生なのかホントにってくらい美人。
少々居心地が悪くて木の根元を見つめながらため息を吐く。
「もう謝らないで、私も悪いんだから」
「はい、ごめんなさい」
「…………」
「ごめんなさい」
わざとか、これは。
あの女は悪魔だったけど、伊藤さんは小悪魔か何かだな。天使みたいな立ち振舞いをして白旗挙げますよさすがに。
「——なんであの神社に?」
疑問だった。
あの時はついてきたみたいなこと言っていたような。
「噂、話したでしょう?」
「うん」
「様々な情報を相田さんに教えたその後、次第に相田さんが不審な行動している事に気付いたんです」
「あぁー」
バレてたか、さすがに。
何度も前述したように、私は友達とやらが少ない。だから情報収集は名前の順により後ろの席にいた伊藤さんに頼っていた。特別仲がいい訳でもなく、たまに話す知り合いぐらいの関係。本当に世間話程度するような。
この能力のお陰で私があって人形たちと話ができる。
でも周りはそれを受け付けない。変な能力無きゃ人が離れることはなかったんだけど……。
だから情報提供をしてくれる伊藤さんともある程度の距離を置いていた。虫除けとか厄除けになるなら良いけど、そうじゃないから。
といっても伊藤さんは美人過ぎて周りには高嶺の花に思われていた。本人も必要以上に人を寄せ付けていないみたいだった。
だからこそ極力近寄らない努力だったんだけどね。
まあそんなこんなでオカルト話を聞きやすくよく知っている伊藤さんは私にとって貴重な情報源。噂をそれとなく聞いて習慣になった行為をバレずに出来るものだとは、最初から思っていなかった。
気味悪がって離れていくのは慣れていたから構わない。しかし相手に傷を負わせる行為にもなりかねないのだから最低限の配慮はしているつもりだった。
「私から噂を聞くたびに放課後、現場に行って解決して……実は付けていたのは一回や二回じゃ無いんですよ?」
見てたのか。私もなぜ気付かなかったんだろ?
極力誰かを巻き込まない配慮を施していたはずなのになあ。
やっぱり情報収集は人形たちに協力を願うべきだったか。でもあの人体模型さんとか骸骨さんは未だに怖いし……剥製とか銅像はあんまり話が通じないし……。
とかぼやぼや違うことを考えていると、伊藤さんが声のトーンを落として語りかけた。
「今回、あの噂を相田さんに伝えるか最初は迷ったんです」
神社のこと、か。
確かにあの話だけは異質だった。
実際、異質な事態だったわけで。
「危険だと思ったんです。でも、きっとまた行ってしまうとわかっていても、教えてしまった」
彼女を振り返る。
小さく握られた片手。
温かさが滲む。
「ついていったら酷い状況で」
シトラスの香りが鼻先を掠め、
「どうにも、できなくて」
不安げな表情は彼女を美しい表情にして、
「——責任を取りたいんです」
哀しそうなのに、不謹慎にも見惚れてしまった。
「相田さんを行かせた責任を」
強い口調で強く手を握って決意の眼差しを私に向ける。
輝きに耐えられなくて、また目を逸らし……今度は地面に落ちていた小石を見つめる。
「…………」
「相田……さん」
近づく彼女に何も言えない状態。
顔が数センチほどの距離。
なんて言えばその表情は和らぐのだろう。