57 休みなら【碧眼クマ侍】
私がぬいぐるみではなく、人間だったなら、マスターをもっと守れると信じていた。
もっと役に立てる。
もっと大人になれる。
もっともっと、強く。
マスターの鞘として在れると。
実際は人間になっても本質は変わらず、寧ろ人形の時より心は落ち着かず——マスターに触れることさえ恐れている。
肉体が変わったからといって、心まで変わるわけではないと知っていたはずなのだが。
「何故お主がいる」
「いちゃあ悪いか?」
或る休みの日。
最近ではこのように森で修行をするのが日課だ。人間の体を慣らすには打ってつけの場所。心置き無く刀を抜ける。
しかし宇宙人だの自称する阿呆が居るのは気に食わん。
うむ、邪魔しに来たのか。
「まあまあ、んな怖い顔すんな。もう夕方だから戻れって伝えるだけのつもりだったんだよ」
ヘラヘラした顔面をぶち抜きたいが、マスターに悲しい顔をされるのは本望ではない。
こやつはマスターが全く警戒しなかった女。初対面であんなに信頼し切っている姿は初めて見た。イトウでさえ徐々に警戒を解いていったというのに、こんな胡散臭いやつを気に入るとはな。
胡散臭くともマスターが信頼している上に世話になってる手前、易々と斬ったりはしない。
「必死だな、お前」
「斬るぞ」
「おっと待て待て! 桜が言ったことはお前が強くなって欲しいからじゃねーだろ? なんで与えられた自由を鍛錬に注ぎ込んでるんだよ。まだ休みなのに必死になる必要はあるのか?」
後ずさるインチキ宇宙人の言葉は意外なものだった。
確かにマスターからの提案でもある。
自由にして良いと。彼女にとってそれは優しさだ。縛り付けたく無いのだろう。人としての楽しみを奪いたく無いのだろう。私がすることを細かく問わない。
だが全部に甘えてはいけないと悟った。
この世界に強い者は沢山いる。己も強くなければ、次にマスターが無事で済む保障はない。
実際に、目の前で危機が訪れた。
もちろん警戒を怠ったつもりは無い。
私がどうにも出来なかったからであり、彼女自身が傷付くことを容認していたからだ。
容認する原因も知っていて何も出来なかった。今まで近過ぎて、どんな状態なのか理解していなかった。
絶対に強くなって守る。
その為に、ほんの少しだけ距離を置く。
意志が強固になるのは必然。
必死だと? 必死に決まっている。
同じ想いを抱いただろうイトウも頑張っている。休みだからと手を抜くつもりはない。
それに——
「鍛錬は純粋に趣味だ。気にするな」
公言していないが戦うこと自体は好きだ。
そのように彼女が願ったというより、私の性格なのだろうな。
マスターの近くにずっと居た。観ているものは同じでも、マスターは戦いを好まない。
自分が確かに存在していると実感できることでもある。ただ作られた存在ではないと。
「それならいーけどよ」
頭を掻いて用は終わったとばかりに立ち去る背中。
くそ真面目は誰に似たんだか。
去り際の微かな呟きは、どこか呆れているように感じた。
*
また或る休みの日。
信じたくはないが、無駄に森の地理に詳しくなっている気がする。
魔物と呼ばれる存在と戦うようになり、どこにどんな魔物が居るかも理解し始めていた。大して強くもない雑魚ばかりだが。
恐怖なんてものを魔物に感じない。不思議に思う。
恐らくそれは弱いからというより、私が人形で、“死”の概念から遠い位置にいるからだろう。特に完全な人形であった頃は、己を外から見ている感じが強かった。
そう分かっていても、人間に片足を突っ込んでいる身からするとチグハグな気持ちを抱くのだ。
「帰ったぞ」
修行を一通り終え、帰ったのは夕刻。
いつも真っ先にマスターの部屋を訪れる。
このようにイトウに拘束されて耳をひたすら弄られるマスターも、最近では珍しくない。
因みにマスターの体調は無事に良くなり、毒の影響も皆無。薬を塗る手間は無くなった。その代わり、イトウによるお仕置きがあるだけだ。
「いっいとうさん……もうダメだっ……て!」
「まだ一分も経ってませんよ」
「魔法、上手くなったね?」
「褒めても許しません。罰は罰です。約束したのにまた寄り道しましたよね?」
私たちは休みの間の約束をしていた。
外出時は必ずロシェに伝える。
家付近と大図書館と城以外は行かない。
夕刻には戻る。
無理や目立つ行為をしない。
マスターは半分しか守れていなかった。いや「半分も守れている」と言ったほうが正確かもしれない。
痺れを切らしたイトウは「拘束魔法で動きを封じ三分間耳を責め続ける」というお仕置きを始めた。
私のように口頭で注意だけして見守るわけではない。しっかり躾——いや調きょ——ごほん、注意を身体言語で語りかけるのだから流石だ。
効果はてき面。マスターが無茶をすることは減った。減っただけで稀に赤面する自業自得なマスターを見られる。
眼福。
「しかもフィレナさんと一緒に」
姫君と一緒にいるのは仕方ないことだが、イトウは妙に気にしていた。
顔を見ただけでは分からないが妬いているんだろう。言動に滲む嫉妬心はマスターにも姫君にも通じていない。
姫君か……。姫君?
姿が無いことに気付いて、恐る恐るマスターを確認。
「イトウ、またマスターが外し忘れているぞ」
姫君入りの首飾りがマスターにぶら下がったままだった。たまに忘れられ、本人が気付いた時には出るに出れない状況となる場合がある。割と石の中で寝てしまうらしい。今回はまだ就寝中だな。
「あらあら、そうでしたか」
微笑みからは動揺など無い。
図ったのかもしれんな。
姫君が起きていても同じ反応だっただろう。
反応を楽しんでもいるが、マスターを奪われたくないが為に見せ付けようともしている。そう考えると私が邪険にされていないのが不思議だ。
「続けちゃいましょう」
「え、だってお姫様が」
「外さなかったのは相田さんです。フィレナさんもまだお休み中らしいですし、声を出さなければ眠りを妨げることはないですよ? 今日は比較的に楽な罰ですから我慢して下さい」
「そん——っ!」
悪戯な笑みを浮かべて指の腹で耳をなぞり上げる。
マスターが堪らず身体を捩るが、後ろ手に拘束された状態では逃れられない。涙目になりながら声を押し殺す姿は、普段とは違い背徳感がある。
「ふっ……ぁ……」
「耳の裏も好きでしたよね?」
「んんッ!」
もうマスターの身体について知り尽くしているようだ。耳の裏をカリカリと掻いたかと思えば、触れるか触れないかで翻弄し、いきなり穴付近を撫で始める。懇願する瞳にただ無言で笑うだけのイトウ。
悪いことはしていないはずなのに、不味い行為を見ている気がする。
今回の罰は比較的に楽だと表現していたが、他にも種類がある。
一つは今のように指で耳を弄るだけ。それでもマスターには苦行だろう。
もう一つが一切触れず耳に息を吹き掛けるというもの。言葉責め付きだ。
最後が、口だけで耳を苛め抜く罰。こちらが数秒も保たない上に見た目も卑猥で壮絶な行為だ。甘噛みはもちろん、舌で舐め上げる。極刑と言っても差し支えない。
実に種類豊かだ。
とてもとても哀れだと思うが、約束を破るマスターにも非がある。誰も止めなかった。
「さんっ、ぷんたったよ! いと……さっ……!」
確かに約三分らしい砂時計は落ち切って沈黙している。
「さっきまでお話していましたから追加でしないと公平ではありません」
しかし無慈悲な宣言。
結局はイトウが満足するまで続けられた。蕩けた嬌声で起こされた姫君が、機嫌を悪くさせたのは言うまでもない。
*
またまた或る休みの日。
昼過ぎ。再び部屋を訪れていた。
マスターは姫君の身体を触診中。
大丈夫だ。乱れてはいない。
真剣に触れた後にふわりと優しい表情になる。私はこの時の表情が好きだ。彼女自身では自覚していないだろう緩んだ顔は、特別なものに感じる。
「はい。大丈夫だよお姫様」
「…………」
無言で瞼を閉じる姫君。
近頃二人が変わったのは距離感だろうか。前は嫌がる姫君と困りながらも気にしないマスターの構図だった。
「フィレナ様」
「…………」
だが構図の内面はややこしい。
姫君が劣等感を抱き敵視しようと努力したことも、マスターが距離に悩み続け最も気にかけていたことも、お互い気持ちの理解が及んでいないことも知っている。
二人の気持ちが分かるからこそ、茶々は入れないようにした。イトウの場合は逆だったが。
「フィレナ、さん」
「サクラはまだ慣れないの?」
「逆になんで平然と呼べるのか不思議だよ」
いつからか仲が良くなっていた。
本質的な部分は変わらず打ち解けたような感じだろうか。姫君が名前で呼ぶなと言っていたはずだが、今では名前で呼び合おうとしている。マスターはマスターで姫君に対しての態度を決めかねていた。
「愚かしいわ。こんな簡単なことも出来ないクズだなんて」
「だって契約しているとはいえ一国のお姫様で年上なんだよ? 呼び捨てなんかに出来ないって。それに……いや何でもない」
「何を言いかけたのよ」
「何でもない」
しばらく姫君とマスターの押し問答が続く。濁した言葉を追及する姫君は、さながら刑事のようだ。頑なに答えないマスターは容疑者だろうか。
「白状しなさい」
「——なんていうか引くと思うよ?」
ようやくマスターが折れた。
「早く」
「今さら名前で呼ぶのが、ちょっと恥ずかしいなあって。フィレナは気にしないと思うけどさ、そんな呼び捨てに出来る友達いなかったから呼び慣れないっていうか。人形相手ならそこまで緊張しないんだけどね」
「……っ」
照れながら頰を掻くマスターに、息を呑む姫君。
なるほど。人間で呼び捨てにする相手はほとんどいない。イトウも然り。下の名前で呼ぶのは稀だった。
「ふ、ふーん。ふつう緊張なんかするかしら? 私は呼ぶのも呼ばれるのも慣れているほうだから本当に良く分からないけれど。ちょうどいいじゃない。練習だと思って呼び合うの。これから友達が出来るなら練習も必要じゃないかしら。貴女に友達が出来る可能性は髪の毛一本ほどでもあるでしょうし」
何故か姫君が動揺している。やたら早口で少し耳が赤い。
「髪の毛一本……。練習いるかなあ。お姫様がそれなら良いけど、イヤではない?」
「イヤなら言わないわよ」
様子を観察していると、外から近付く足音に気付いた。この足音は、アレか。立ち止まったかと思えばいきなり扉が開かれる。
「よ。お姫さんいるか——って危な!」
ノックもしない不躾な訪問者。ポンコツ宇宙人ことロシェだ。
「すまん。刀がお主を気に入っているらしい」
「ハハハ……モテる女はツライなー……」
ついつい突き出した刀は眉間の前で止まっている。両手を広げ背を反らすこやつは、意外と反射神経が良い。苦笑いを浮かべているが、もう少し早く突き出しても反応出来ていたろう。
「ロシェもお姫様点検?」
「大丈夫だと思うんだが一応な。特殊な事例だし定期的に点検は必要だろ」
「貴女たちは私を何だと思っているのかしら」
「楽しそうですね。混ぜていただけますか?」
ロシェの後ろからイトウも登場し丁度全員が集まる。女三人寄れば姦しいというのに、それ以上寄ればどうなってしまうのだか。
これだけの人間がマスターの周りにいる。思った以上に味方する人間はいた。
私が何役もこなしていた昔とは違う。主従、姉妹、親子、友達……。一人だったマスターに寄添い続けた日々。彼女は過保護だと笑っていたが、今ではそうかもしれない。
こんなにも彼女が笑っているのだから。
——イト、ナイトっ! しなないで……ナイトだけは、いなくならないで……! もっといい子でいるから、私のぜんぶで助けるから、おねがい……。
あの日、彼女が置いてきたモノを、そして無くしたモノを、覚えているのが私だ。哀しみを一緒に背負うのも私だ。彼女の鞘で在り続けるのも私だ。
でも私一人では笑顔にすることが出来ない。
「そーいや聖母と鬼姫からご指名で仕事の依頼が来てるんだが」
「ご指名とか怖いね」
「きっとロクでもないわね」
「ちょうど報告書も出来てきましたし見せに行きましょうか」
マスターの為にも。
こやつらの為にも。あやつらの為にも。
私の為にも。
この刀で斬り開こう。幸せな未来を。
「マスターの成すべき天命を邪魔するなら容赦なく斬り捨てよう」
「それ私が責任取らなきゃいけないやつじゃん……」
笑って居られるようにな。