49 胡蝶の母
「ぅん……?」
うとうと。
まどろみから目覚める瞬間というのは、総じて怠さが付きまとう。億劫でも瞼をこじ開けた。起きなきゃ。
「やっと起きたわね」
「あらあら、お寝坊ですよ相田さん?」
目の前には銀色と黒色。
……んん?
「マスターよ。夢や天国と思っておられるなら勘違いだぞ」
ナイトの声に現実を取り戻す。私の小さい脳みそはゆっくり巡り始めた。
それにしても、なぜ伊藤さんに膝枕されフィレナに胸ぐら掴まれ覗き込まれているのか。いや二人して近いのもよく分からない。なにごとだろう。
ていうか何があったんだろ。私ってばなーんで寝てるの?
直前の出来事はなんだっけかな。変な夢も見てた気はするけど、それもうろ覚え。すっきりしない。
「記憶はありますか?」
「えっと、前のことが曖昧で……」
「もう少し休みましょうか。血がだいぶ流れてしまってますからね。頭の回転が鈍っていて当たり前です」
血が流れた?
考える前にフィレナが苦い顔になる。後悔してるような、痛みを堪えるような暗い色。ぼやーっと眺めて疑問に思った。何かで汚れているような。
「嫌いだけど、傷付いてほしいなんて一言も言ってないじゃない」
覗き込もうとしたら、ひときわ強く胸ぐらを掴まれた。制服が皺になっちゃ——て、赤っ! 制服に赤茶色が広がっていた。これは、血痕、だよね?
それにフィレナも汚れていると思ったら、銀色の髪や頬は所々に血で染まっていて、まさか姫君が怪我を、って、そうか。
思い出した。
情報局とレジスタンスと聖法旅団の刺客。私はどうにも出来なくて、足掻いて喘いだあの状況を。
「伊藤さん、どうなったの?」
静かに私の頭を撫でる彼女は微笑みを携える。大丈夫だと安心させるように。
よく見たら彼女も血にまみれていた。
血は落ちにくいから離れないと、なんてついでに言ってみたが一笑されただけ。
「無事に襲撃者を捕らえましたよ。相田さん以外に怪我をしている人はいません」
よかった。なんとかなってたみたい。
「愚かな人間ね」
脱力する私に噛み付くのはフィレナ。
なんだってそんな怖い顔してるの。誰も傷付いてないし、情報局の機密も守られたわけでしょうに。
「その顔だと何に怒っているかも分かってないのよね。はあ、もうバカみたい」
呆れて立ち去る姫様。
なんか、解せぬ。
「フィレナさんと私は、たぶん同じようで別なことに怒っていますね」
え、伊藤さん怒ってるの?
迷惑かけてごめんとか、フィレナと別なことの意味を聞こうとか、色々言いたいことがあった。でもそっと肩を抑えられて遮られた。
「相田さん自身では意識してなさそうなので、今は気にしないで下さい。それより安静に」
仕方なく従う。彼女の空気がこれ以上の話を拒んでいたからでもある。
「生傷が絶えない主人だな」
ナイトは側で胡座をかいて座っていた。
こちらもなんだか呆れた表情である。
やっぱり解せぬ。
でも確かに、私だけで怪我をせずどうにか出来た試しがない。蜂男との戦いみたいになってしまった。生傷ばかりのダメダメである。
「ごめんごめん、丸く収まったし許してよ」
「こっちは肝を冷やされたぞ。私だから取り乱さずに済んだが」
私だからか。
天井の明滅する灯りを眺めてぼーっとする。
格子の木材と覗く岩の天井。木に吊り下がる電球は配線がない。そういえばロシェの家にも電球があったなあ。
不思議に配線コードやスイッチを探していたら、情報局の人が光る石板に触れているのを発見。光量を調整しているようだ。あれがスイッチかあ。撫でるに近い触り方かも。
「この国の、いえ、この世界の設備が良い場所では魔道具が活躍しているようです。もちろん機械の国なんかは違うらしいですね」
「へぇあれって魔道具なんだ。便利だね」
機械的なものじゃなく魔法的なものだったのか。
「明かりを灯す魔道具らしいですよ」
「その様に姫君がイトウに話していたぞ」
ナイトの一言に、フィレナは私以外の人には優しいことがわかってしまった。悲しきかな。
次第にロシェやレイリーたちもぞろぞろ集まり、情報局員のみならずロイエさんまでやって来ていた。
そうして話してる内にだんだん状況が理解出来てきた。
私の首をチョンパしかけた男。聖法旅団のメンバーで、ナイトと戦っていた相手。なんとかソードのジンって強いやつだった。
そいつを倒したのがレイリー。
そう、倒したのはレイリーなのだ。
というのも私とレイリーの間で交わされた“嘘つき両成敗”の契約。私は編みぐるみを持たせるだけだったが、レイリーは手を握るだけだった。
その内容というのが、
「サクラに帯電させて、びりびりーってする予定だったんだけどさーサクラは悪者じゃなかったしーあんなことになるしーじゃああの悪者にーってびりびりーってしたの」
らしい。
これが雷使いであるレイリーが施した契約の結果である。私に帯電させた電気をジンってやつに流し込んで気絶させた。
……私にびりびりされなくて本当に良かったと思う。
ロシェとナイトは情報局の出入り口を塞ぎレジスタンスを通せんぼ。部長さんを始めとする情報局員さんたちがレジスタンスを捕獲。騒動を鎮圧した。
伊藤さんとフィレナが私の介抱をしてくれて、ロイエさんが穏やかに登場し傷を治療。
とやんやしてる内に事後処理もして落ち着いたところだそう。
私が目覚めるまで結構な時間が経過していた。一人だけ眠りこけってるなんてなあ。
「なんかいっぱいあり過ぎちゃったね」
「ですねぇ」
「今日は専用の転移装置でボクの家に戻るからな。それまではここで休めよ」
ほへー専用機とはカッコイイ。
「そんなのあ——って待ってよまた転移するの!?」
ほへーじゃなかった。衝撃に身を起こす私を抑える伊藤さんとナイト。口も塞がれた。もごもごもごーっ!
「専用のとはどういう意味でしょうか」
「情報局の近くからボクの家にだけ繋がって空間転移できるんだよ。固定してあっから回数制限もほとんどねえ、完全フリーパスだ」
「とても素敵ですね!」
「遠いからなー情報局に急行する時か帰る時くらいしか使わねーけど」
そして何かに気付いたロシェは「報告書持ってかねぇと」と慌てて立ち去ってしまう。
ちょ、あのーっ!
ジタバタする私をレイリーとルミネアは憐れみの目で見ている。物言わぬテルちゃんズは、心なしか慰めてくれてるような気がした。
*
大図書館。その上階の一室はロイエさんの執務室になっている。
戻って来ました。
地下には先ほどの情報局が広がっている。だから洞窟みたいだったんだね。
「サクラちゃんの体については以上。基本的に問題ないわ」
机で頬杖をついているこちらのロイエさん。その肩書きは大図書館館長及び情報局副局長。幹部とは聞いていたけどホントこれ聞くと幹部っぽい。
「ありがとうございます」
「ただ注意だけはしていてね~数日は様子見だから~」
光魔法の使い手であり回復魔法が得意という彼女。“黄蝶の聖母”の名は伊達ではないのだ。
私を診てくれたのは本当に感謝である。タイミングが悪ければ出血死もありえたんだから。
「はい。心配はかけたくないので気を付けます」
「特にあの子よね。聡い子だしあなたのこと良く見ているみたいだから、すぐバレちゃいそう」
「ナイトも危険な時にはバレるんですよね……」
「ああ金髪の、あなたの使い魔だったわね」
「えーと使い魔って言うんでしょうか」
この部屋に居るのは私とロイエさんだけ。
ロシェたちだけでなく、伊藤さんやナイトでさえも人払い。
ゆっくり診察したい、は建前。私にだけ話したいことがあるらしかった。
ちなみに伊藤さんたちは入浴施設にいて、汚れを落としてる。私も血とか汗でドロドロなので行きたい。場所は寮の近くって言っていた。
水が豊富なこの国では入浴施設が普通にある。まあ一家に一つあるわけじゃないんだけどね。
「そうそう使い魔と言えば、私の使い魔も返してもらうわね」
「え?」
私の胸元から黄金の粒子を撒いて飛び立つ光の蝶。微笑むロイエさんの指先に降り立つ。
「これが本来の用件」
「この蝶はどこから」
「あなたに中に居させてたの。名前を聞いたのも、私の精霊がサクラちゃんと一緒にいる為の儀式。ざっくり簡単に言うと監視ね」
私の中で監視って、き、気付かなかった。中ってどんな感じだろう。
ペタペタと体に触れる私に、ふんわり笑うロイエさん。
「こっそり覗いちゃってごめんね~」
「覗かれてたことは良いんですけど、なぜ私なんです?」
「良くはないでしょう……。魔力のないあなたが一番都合が良かったの。魔力があると気付かれやすいし居心地も悪いらしいから。気付かなかったでしょう?」
精霊にも居心地とかあるんだ。喜んで良いのやら。
「全く気付きませんでした」
「全く……ねぇ」
蝶は静かに鱗粉を散らして消えた。
不意に彼女を窺うと少しだけ真剣な空気になっている。
「あなたから全て観ていたわ」
ロイエさんは観ていたからこそ状況も把握していて、恐らく根回しもしたんだろう。確かにロイエさんには大して説明してなかったけど、状況の理解が早かった。
「まずはあなた達の協力と活躍に感謝するわ。予想以上の結果だった。ありがとう」
頭を下げられて思わず後ずさる。かっ幹部に頭下げられてるってどんな状況なの!?
「いえ、私は私のワガママでしちゃったので感謝されるものでは」
「随分と他人本位なワガママね。こういう時は素直に受け取っておくものよ?」
「あ、えっと、はい。どういたしまして」
「よろしい」
ロイエさんは「どうせまた明日には、似たようなことをみんなに伝えるんだけどねえ」なんて肩をすくめていた。
本当は私だけに伝えるセリフではないもんね。その中の一人なだけで。活躍したの私じゃないしなあ。