41 焦熱地獄
ズキズキと鼓動する痛み。
背中に何か刺さってるみたいだ。
伊藤さんに刺さらなくて良かったと安堵して、状況の最悪さにため息が漏れそうだ。まさか背後からなんて、油断してた。
白い服に身を包んだ男。ニタニタと気味の悪い笑顔、不健康そうな細い身体。ツンツン毛とピアスが相まってヤク中のヤンキーみたい。こいつは一番に関わり合いたくないと思っていた四天王の男。なんとかのミードってやつ。
彼はギョロリとした目玉で舐めるように観察していた。ぞわり、寒気を感じて思い出したように背から熱が迫る。うっ動くのキツいな。
「こっそり後ろから近付いてさァーお前ら狙ってたんだよォー? なかなか周りは離れないし大変だったよォ」
周り? そういえば近くにいたはずのマゼルダさんやレイリーたちは白服討伐に前進していた。私たちとの距離が空いてしまっている。こいつはこれを狙っていた?
もっと早く気付いていれば……。そんな後悔をしかけて、また寒気が走る。
「相田さんに、何を、したんですか?」
今度はすぐ隣からだった。
今までに感じたことのない彼女の憤怒、嫌悪、悲哀。読み切れないほどの負感情の奔流。怒気を含んだ声音は隠しようもない敵意、いや殺意さえ滲んでいた。
私に向けられたものではないのに冷や汗が止まらない。実際に汗の雫が顎を伝っている。
なのにこの男は、よくぞ聞いてくれました! とばかりに喜んでいた。
「そォそォ俺ねェ、聖蜂のミード様っつうんだァ! 意味わかるゥ!?」
「言葉通り受け取るなら、蜂から連想される毒の使い手となりますね」
冷めた物言いは、いつもの伊藤さんの声なのに別人の声に聴こえる。彼女が遠くに感じる。すぐ側にいるのに。
「ヒヒッ賢い女は大好物だぜェ」
なんかもう規制してほしい目だ。そんな目で伊藤さんを見ないでほしい。
やがてミードはヨダレの垂れそうな顔から、不思議そうな顔に変わる。小首を傾げていた。
「なんでェ魔力タンクは賢いのに魔法を使わないんだァ?」
こいつの言葉で初めて気付く。
伊藤さんは魔力を豊富に持っているのか。私には無かったけど彼女にはあったんだね。初耳だ。
でも彼女は魔法なんて覚えていない。魔力があっても使えないに決まっている。そんな事情を知らないミードは喜色満面で近付く。何かを悟った表情。
「そっかそっか魔法が使えないのかァ俺が手取り足取り教えたいなァー! イイ研究対象にもなりそうだしよォその廃魔と違ってェ」
「毒とは何でしょうか? 大方、毒が塗られた刃物を刺したのですよね。でなければ、あなたがリスクを犯してまで時間稼ぎする必要はありません」
冷たく取り合わない彼女に機嫌を損ねたりせず愉快げなミード。にやりとした笑みは肯定の意を示していた。伊藤さんの見立ては正解みたいだ。
って待てよ。おいおい毒なんて塗られてたのか。その毒が回るまでの時間稼ぎだった? じゃあリスクって……。
そうだ。こんなことしてる内に、マゼルダさんたちが駆け付けてくる可能性だってある。こいつはベラベラお喋りしてる場合じゃ——
もしかして、その可能性がないってこと?
彼は不気味に笑みを深めていた。漂う狂った空気感は、予想の出来ない危機をはらんでいた。
言いようのない感覚に思わず伊藤さんを手で制す。でも止まらない。怒りの感情が彼女を塗り潰していた。冷静さを欠いている? 考えるより先にミードが機嫌よく語り始めた。
「俺さァ薬いっぱい作ってるんだァー特にハイになる薬みたいな単純なのじゃなくってキモチイイ薬を目指してさァ」
「そうですか」
「そこらでは媚薬っつーの? これ難しいんだよなァ調整が出来なくってさァーあァもちろん廃魔の小娘に刺さったやつにも塗ってあるぜェ?」
「それって」
毒という名の媚薬が塗られた刃物が背中に刺さっている。そういえばそんな話もしてたような。誰得なのコレ。まあ毒は一つじゃないからね。そんな毒物があっても不思議じゃ、ない、のか?
事実を知っても実感はない。今のところ何事もないから。
そう何事も……本当に何事もない……?
額を拭うと滂沱の汗、そして尋常ではない熱さ。霞む視界と同じようにぼんやりする意識。息も苦しい。
まるで高熱を発した時みたいだ。
ああそっか。さっきから感じていたじゃないか。普通にこんな汗をかくわけないし、伊藤さんを遠くに感じたのもきっと————。
晒された肌に流れる汗。伝う水滴を鋭敏に感じて、途端に今までよりも鮮明な感覚が身体を貫いた。
ぐらりと視界が揺れる。
意識が持ってかれる。
「……さんっ……相田さんっ!」
「おー早速効いて……かァ」
必死に身体に迸る強烈な痛みを抑えた。抑え切れない痛みは苦悶の呻きとして喉から漏れる。呼吸が難しい。ズキリズキリと背中から走る激痛は全身を侵していた。
何度も呼んでくれる彼女の声を目印に、ぐちゃぐちゃに掻き乱される意識を手繰り寄せる。
「ぐぅっはあッ……これ、はあ……何した、の」
「最高だろォ俺の研究成果! でーも頭オカシクさせて身体を熱くさせるまでは良かったんだよなァーキモチイイ感覚の引き上げが上手くいかなくってよォ」
聴こえるのに、話す内容が上手く飲み込めない。
力が入らず倒れそうな身体は伊藤さんが肩を組んで支えてくれていた。
「はあッぐ……ふぅッ!」
「こんな、熱くなって」
「敏感にするにはさァ体の感度を引き上げることになるからさァ気持ち良くなる前にィお前に刺さってるソレがァ」
痛みに顔が引き攣る。異様に喉が渇いて、呼吸の音が妙に大きく聴こえた。
「はあッ、はあッ——」
「引き上がった痛覚を過剰に刺激するもんなァ! 倍の痛みでダイナシ! 敏感過ぎでダメだこりゃあ! ピンポイントで感覚の加減出来ねーの!」
ケラケラ笑い声。ダメだ頭が回らない。熱い。燃えるように熱い。
「……んっ……あ!? はあッぁああッ」
痛みの波間でも休みなく電流が流れた。彼女に支えて貰う刺激でさえも腰が砕けそうになる。なにこれ。わけが、わからない。
「ヒヒッでも堪んねーだろォ? 痛みが引いたら少しでも気持ち良くなるんだからよォ飴とムチっての? あ、もしかして処女ォ? それじゃあキツいかもなァ!」
「早く解毒して下さい」
「あぁん?」
「解毒しない限り、私たちの仲間が全力であなたを潰しに来ますよ?」
彼女は援軍の可能性を信じている。けど直感的に彼女の言葉を否定した。同時に男の下卑た哄笑が響く。
「魔力タンクさんよォマジで仲間が助けてくれるなんて甘ったれたこと考えてるゥ?」
「どういう……? まさか」
「そーのまさかァ! 実験するのに外野気にしてらんないに決まってるじゃん? 周りが離れるの待って結界魔法張ったさァ! これだけの為に魔法覚えた俺を褒めて欲しいよォ!」
戦っている仲間たちの方向。
そこでは依然として戦う面々と、こちらの異変に気付いた赤毛がたなびき——マゼルダさんが魔法を撃ち込んでいた。その魔法は掻き消え、こちらに駆け付けようとも出来ないらしい。
伊藤さんがいつも通り冷静だったなら気付けただろう。私が手負いでも気付けたことなんだから。
蒼白な彼女と目が合う。至近距離なのもあって焦点があまり合わないけど。いつも以上に動揺しているのはわかった。
「すみ……すみません私がもっと」
「んと、支えてて」
安心させるよう痛みで歪みそうな表情を笑顔に変える。無理やり上げた口角に彼女がどう捉えるかわかっていても。ほんの少しの間、伊藤さんが落ち着くように、乱れる息を殺して真っ直ぐ視線を絡めた。
綺麗な瞳から目を逸らして蜂男を視界に入れる。こちらに近付く粘っこい視線。
「さァさァどうも出来ないだろォ? 結界魔法で人避け完了、魔法使えねェ魔力タンク、廃魔小娘はキモチイイ毒に蝕まれ続けるゥ!」
よくまあペラペラ喋るな。喚く内容を拾い集めて飲み込む。
ああ、確かに、八方塞がりだ。
「最高の実験タァイムの始まりじゃねーかァァァッ!」
つばを吐き散らし歓喜の絶叫を上げる。
飛びそうな意識を繋いで、産まれたての子鹿みたいな足を叱咤する。倒れるわけにはいかない。これだけは伝えなきゃ。
「……お願い、この子にだけはッ手を、出さないで」
私でなら、いくらでも遊んで良いから。
伊藤さんが喉まで出かかったろう掠れた悲鳴。蜂男の口が三日月に引き上がる。
彼女だけは守る。私がどうなっても。
苛烈に甘さを交えて熱が身を焼く。
私の中にも違う熱が宿っている。
これだけは譲れない焦がれるほどの、熱が。
伊藤志乃のなんとか室
「さて、本編では私と相田さんが大変なことになっておりますが、こちらではのんびりお茶をしております」
「なんでお前は楽しそうに言うんだよ」
「あらロシェさん、いらっしゃったのですね。相田さんはどちらに?」
「桜ならナイトを呼びに行ったぞ。全く、宇宙人に志乃の相手とか任せるなよ。んで、なんで志乃は楽しそうなんだ。ずっと機嫌悪いって桜もボヤいてたはずだが?」
「もちろん本編の相田さんが私の為に頑張っているからです」
「もちろんの意味がわかんねぇよ!」
「そして落ち着いてこう見ると弱った相田さん可愛いなって思いまして」
「そんなこと聞きたくなかったー!」
「そう思いますよね?」
「聞くなっ! マジで本人居なくて正解だわ! てか毎回こんな会話してる桜に同情しちまう……」
「ロシェさん叫んでばかりで疲れませんか?」
「誰のせいだよ」
「次回は最終回『熱烈結婚』。相田さんと私が異世界で結ばれるシーンは必見です」
「ナチュラルに捏造するんじゃねぇ! 次回は『熱願冷諦』! ボクの出番はない! ってマジかよ!?」