04 人形使い3
「——っつ」
渾身の力で体勢を保っているが、いい加減私も苦しくなってきた。
何が起きているか把握出来ていない。その上、体が予想以上の拘束を受け固まって動かない。
どうすればいいかな?
無い頭を捻ってみたが少なくとも人形はいけるかなと、重力に逆らわず膝をつく。片手にナイトを抱き抱え、もう片手は木製の床に添える。
「私に応えて——操り人形」
静かに呟き、能力を使った。床に宛がった指から広がるように力を送り出す。
自分は助からないのでこの行為はあまり得策ではない。けど、私以外ではあるがこの苦しみを緩和するには今一番のベストと言うやつ。
何をしたかというと、操り人形にしたのだ。
マリオネットとか言ったけど、想像したようなただの糸引き人形ではない。この能力は直接的な接触、または間接的な接触によって人形を私の支配下に置くのだ。ただ支配下に置くと言っても精神は支配していない。それこそ悪逆非道なので、やったことは能力による打ち消しのようなもの。
自分の戒めは凄まじいものだが周りの人形たちの悲痛な叫びは消えて少し安心する。そして私の腕の中でじっとしていたナイトが動き出した。
『マスター!』
クマのぬいぐるみは青いスカーフに胸元の鈴、腰に刀を装備した出で立ち。
胸元の鈴がリン……と鳴る。
今まで黙っていたナイトは遂に刀の柄に手を添えた。
手? うん手だよ手。
『マスター、いつでも行けるぞ!』
私をマスターと呼ぶこちらのクマさんだが、昔のように純粋な友達として側に居てほしい気持ちだ。何か雇い主みたいであまりいい気がしない。
「まあ、とりあえず待って」
『呑気にしてたら殺られる』
……殺されんのかぁ。あんまり笑えないな。
ナイトはちょこんと床に足を着き二足歩行。クマ耳をピクピク動かしながら、私を一瞥して周りに気を配る。依然、柄に手を置いたまま。
『お怪我は?』
「ない」
私は全く動けない。怪我は無いにしても現状打破には動けそうになかった。茶色の塊がうろつくのを視界に入れ、周りの人形に目を配る。
『ここは危険です!』
彼女の声が聞こえた。今度は苦しげでは無い。
よかった、と言えるべきか。
『そんなのは言われ無くともわかっている!』
デフォルメされたクマさんの形相は切羽詰まっている。ぬいぐるみで表情とかわからないから空気感でなんとなく、なんとなーくね。
『貴女は一体——————』
貴女とは私のことだろうか?
『ここまで強い“力”を持ち合わせる人間が居たなんて……あの人の“力”とも違う……?』
独り言を呟く彼女。
『何、訳のわからないことを』
ナイトは私の言い付けを守り待機の状態だ。
彼女たち人形の仕業ではない。だったら誰が?
ここに第三者が居たとすれば迂闊だったし油断し過ぎた。
「まあ、アタシの存在に気付かないのは当たり前さ」
「…………!?」
私の後方から女性のハスキーな声がする。固まった体では後ろを向けない。
やはり第三者。
「ふん、こんなちんけな小娘に手間取る訳が無かろうに」
ちんけって失礼な。
唐突に現れた謎の女は、カツカツとヒールの音を響かす。
床が軋む音。
緊張に体が強張った。
『まだ、時間では無いはず』
彼女が声を発する。なんの時間? ……どういう関係?
「妙な動きを感じてねぇ。ちょいと早めに動いたんだよ」
ギイ……
床の軋む音がすぐ近くに聞こえ、謎の女のハスキーな声もすぐ近くで聞こえた。
汗が、顎を伝う。すごく嫌な予感だ。
『……マスター、ご指示は?』
ナイトが低い声で私に問う。
「へぇーあんた話出来るだけじゃあ無いんだ? 動かせるのぉ?」
頭上で聞こえる声。肩に女の指先が乗る。ビクッと肩が跳ねた。
「珍しい娘だねぇ。傀儡師なのかい」
傀儡師、とは人形使いと同様の呼び名だろう。理解に少し時間が掛かってしまった。
指先だけで肩を撫でられ無意識に身を捩る。さすがに圧倒的な力の差に内心焦った。しゃがんだ態勢のまま出来るだけ視野を広げてみる。
「そういうあなたこそ、こんな力は初めて見ました」
姿は見えないけど、すぐ後ろに気配を感じた。
「そうねぇ、あんた、アタシの邪魔になりそうねえ?」
会話になっていないが焦ってはお仕舞いだろう。あえてナイトにはそのままでいてもらうことにした。
今暴れても、恐らく、勝ち目はない。
女の指先は私の襟元に来ていた。体温が背中に感じる。
『やめてください……っ』
彼女の声が聞こえるが女は聞く耳を持たないらしい。簡単に私は抱き寄せられた。
「ひぅっ」
いきなり耳に息を吹き掛けられて体から力が抜ける。
「な、何を……! ふあぁ!?」
耳を甘噛みっておいおいおい
何してるのこの人!?
たぶん私は赤面していること間違いない。てか耳弱いからホントやめ……っ
「耳弱いんだー面白い」
余裕が徐々に無くなる。違う意味で。
声が抑えられない。涙目になる。舌が耳の裏をなぞって……うわ変態……!
『貴様っ!』
お、なんだ?
ナイトやってくれるかっ?
『狡いぞ! 私もしたことないのに!』
って、ちがーう!? そっちかよ! どっちの味方だ! 助けてよ! 分かってるの状況!?
「ちょ、耳は……っはぁあ…………」
やめてくださいほんとまじめに
いや、あの、ナイトさん、見てないで助けてよ? さっきの勢いどこいったの……?
体が動かないのをいいことに好き勝手遊ばれる。
「残念ながら、ぬいぐるみじゃ噛むも舐めるも出来ないしねえ」
あ、あんまり、耳元で喋らないで……!
「どうしたんだい? そんなふるふる震えちゃって」
謎の女はクスクス笑う。
耳元で囁かれるハスキーな声音。
なんか頭で警鐘が鳴っている。
『やめなさぁぁぁいッ!』
本堂が震えるくらいの女の子の怒声が響いた。皆の動きが止まる。
『なんて、ふしだらなっ』
もっと早く止めて……。なんて贅沢も言ってられないようだ。感謝感謝。
「いやあ、つい」
つい、でこんなことなさるか。
『む、よくもマスターをっ』
お前が言うか。
謎の女から体を開放され(まだ体は動かないけど)女はやっと前に出てきて顔を見せた。見上げる私。
「相田桜だね?」
「そうです。でもなぜ?」
現れた女は私を知っていた。
ド派手な赤色スーツを着崩し胸元が盛大に開いていて目のやり場に困る上、スカートも短い。ボンキュボンってこういうのだ、と言われたら信じるくらい出るとこ出て引っ込むとこ引っ込んでいた。
女は緩やかにウェーブの掛かった濃い茶色の長髪を、撫でるように手櫛をかけている。その顔は妖艶な笑みを浮かべていた。
「そこらじゃ有名人みたいよ? あんた」
「え?」
それはない。友達もいないのに有名人なんてありえない。
『マスター……』
何か感激して私の足下でぴょんぴょん跳ねながら両手をバタつかせるクマのぬいぐるみは、なかなかお目にかかれない。
帯刀してカチャカチャ
胸元の鈴がチリンチリン
喜びをあらわにしているが果たして喜ぶべきところなのか。
「でもまあ、見張っててよかったよ」
「……見張る?」
女の声に寒気を覚えた。
「干渉しなきゃ助かったのにねぇ?」
「……っ」
女は年齢がはっきりしないが美人さんであることは確実だ。そして美人さんが見せる残忍な表情は何よりも怖い。
「あなたは一体」
「小娘に話すことは何も無いねぇ」
『貴様、マスターを愚弄するか?』
先程とは打って変わって、ナイトが今にも斬りかからんばかりに構えていた。
「真っ直ぐ家に帰ってりゃあ酷い目に合わなくて済んだのに」
『くっ……もう許さんっ!』
ついにナイトが抜刀して女に斬りかかる。
小さい体が大きく飛躍。
数メートルの距離はあっという間に縮まる。
————はずだった。
『ぐっ……はぁっ!?』
私から遥か後方に飛んでいった。
今まで目の前で刀を振るっていたナイトが一瞬で。
「ふん、やることがあるんだから邪魔しないで欲しいね」
強い。
女からは動きが一つも見れなかった。今も変わらない位置で悠々と私を見下している。
「さ、邪魔者には消えてもらいましょ」
そう軽く言った女はおもむろに片手を上げた。
『や、やめて……目的は私達でしょう!?』
人形の彼女の声が響く。必死の説得だった。何故そうしてくれたのかはわからないけれど。
「あんたらが目的じゃない。ただ利用してるだけ。それにこの小娘は邪魔になるの」
不穏な空気。息を飲む誰かの声。後ろに飛ばされたナイトの呻き。静けさは現実を意味していた。
私は、危機感と恐怖感を久しぶりに感じる。
「殺すの?」
同時に少し、
楽しくなったりして。
「ふ、後始末が大変だけどねえ?」
私の好戦的な瞳は女の瞳にも宿っていた。
『な、に……いって!』
後ろのナイトが切れ切れに喋る。今日はナイトの出番なしかと思ったのになあ。
心の中でごめん、と謝る。
近づく赤の影。
揺れる視界。
もう周りの音は聞こえない。
『桜さん!』
いや、女の子の声が聞こえる。
『逃げないと、死にますよ!?』
わかってますって。
『わかっているなら、なんで』
女の子の声のトーンが沈む。
「いい子なんだね」
少し掠れた声になってしまった。
「約束」
『え……?』
「約束する。私は君達を救う」
『無理よ! 貴女は死んでしまう』
「死なないよ」
『貴女も私達も、死んでしまう!』
「誰も、死なない」
『なんで!?』
「私が死なせたくないから」
まったく、どの口が言うんだか。
無責任過ぎる。
最後の最後に嘘吐きだ。
精一杯の虚勢の中で終わりを悟る。
混濁する意識。
彼女の声と人形なのかと疑う温度がそばにあって、私の手と重ねた彼女の手が、指先が、何かの温もりに似ていて。