17 大図書館2
「あら、そんなに驚いてどうしたの?」
「あっいえ……ちょうちょが……!」
唐突に訪れた目の前の現象。悪いものではない、と理解するに至っても動揺は収まらない。
ロイエさんは蝶を指先に載せて戯れる。
「私の精霊よ」
「せいれい?」
ロイエさんに精霊?
いや、いやいや……。
相変わらずの聖母様スマイルで首を傾げられ、私は困惑顔で首を傾げた。その様子をレイリーとルミネアが不思議に見ていて、ロシェは苦笑いを浮かべている。
「さっきも言ったろ? 魔律ってのがこの世にあって、魔律をまんま使う近代魔法とその魔律から生まれた精霊と協力して魔法を使う精霊魔法の話」
「あ、それがこの蝶?」
「まあ精霊の一つだな」
ロシェの解説にナルホドーと頷いていると、聖母様は笑みを消して怪訝に私たちを見ていた。
私はたちまち青褪める。マズい。非常にマズい。魔法を知らない人間。世界の常識を知らないなんて不審どころの話ではない。
誤魔化すにしろ、世間を知らない野生児設定は無理がある。記憶喪失設定も無茶。なんかどれもボロが出る気がする……。
黙り込む異世界転移組とロシェ。その様子をロイエさんが見逃す筈は無かった。
「あなた達は何者なの?」
あああ明らかに警戒されてるー!
ここは怪しまれないよう、かつ穏便に!
「えっと、ちょっと一言では言えな——」
「異界人だ」
「——いことも無いようです」
今まで無言を貫いていたナイトの鋭い正答は、伊藤さんでさえも目を丸くした。ロシェは頭を抱えている。
ちょっとナイトぉー! なんでこのタイミングなのーっ!? なんで言っちゃうのーっ!? という私の心の声はどこ吹く風。ナイトはそれきり喋る素振りを見せない。
これは、洗いざらい吐くしかないパターンや……。
「異界人?」
ロイエさんは聖母の表情を曇らせたままにロシェに目で訴えていた。
説明しろ、と。
苦い顔でロシェがため息を吐くと不承不承頷いた。
「えーと、まずは昨日の出来事から話は始まるんだが」
もうここまで来たら誤魔化しようもない。下手に嘘を吐いて敵を作るより、正直に全てを話すことで疑惑を少しでも減らすことが大切だろう。増してやお偉いさんである方への粗相は何があるか予想出来ない。
それから誠心誠意、私たちについての説明をロシェと共に行なう。
話が進むにつれて、ロイエさんもレイリーもルミネアでさえも口をあんぐりと開けて呆けていた。無理もない。私だって異界人とか宇宙人とか聞いたらそんな顔をする。
————ロシェの場合は別で。
「異世界からの来訪者ねえ」
何を考えているのか分からない表情でロイエさんは私たちを見つめ、次には柔らかな笑みを浮かべた。
「ま、いいわ」
え、いいのっ!?
「ロシェの拾い物はとんでもないと相場が決まっているから」
「おいそれどういう意味だ」
悪魔様を完全無視して、私たちに聖母スマイル。
「ちゃんと自己紹介をしてないわね。改めまして、ロイエよ」
優雅にお辞儀。しかも蝶々がいっぱい出てきた。さっきの倍以上の出演。キラキラした黄金の粒子が舞っていて綺麗だ。
魔法みたい。
ああ、いや、魔法だった。
「黄蝶の聖母とも呼ばれているわ。一応、ここでトップな三幹部の一人なのよ」
トップな三幹部。先ほどから会話に出てくる魔女さんと鬼姫さん。そして聖母さんを合わせた三人が図書館の幹部なのか。
と、ロシェが私達の前に躍り出て得意げに指を振る。
「謙遜しているが、中でも聖母様は図書館の運営を担うお局様でな——」
その瞬間、ロシェはカチコチに凍った。
理由としては……ロイエさんが微笑んだまま、ただし妙に重力が倍になったオーラで、ロシェに振り向いたからだろう。心なしか蝶たちにも殺気を感じる。
「あら、誰が未だに独身のお局か・し・ら?」
「いやいや誰もそのようなことは全然全く申しておりませんですよ?」
ふるふると首を振り変な敬語で否定するロシェ。
独身、なんだ。
「うふふ、あなたは何か言いたそうね?」
「い……えっ私!?」
素晴らしいオーラの矛先が私に向けられた。
わーい完全にとばっちりだー!
ロシェは知らんぷりで目を合わせようとしない。
「なな何も特には」
「お名前は?」
「あい——サクラ・アイダです」
危なげながら新しい名前を名乗る。異世界人と知れてもこれで通したほうが楽だ。
にしても、彼女は変わらずニコニコしてるのに冷や汗が止まらない。
しかも誰も助けてくれないんだけど! 薄情過ぎません!?
「うん、サクラちゃんかぁー覚えておくわ」
なぜ。
「サクラちゃんは何を考えていたのかしらぁ?」
凄まじい剣幕に押され混乱する私。何だか正直に話したほうが良い気がしてきた。かっ隠し事はよくないもんね!
「その、こ、こんな美しい方なのに独身だなんてどうしてだろうかと! 思い、まして……」
尻すぼみになる声。目を回しつつやっと答えると、ロイエさんは鳩が豆鉄砲を食らったかのような表情を浮かべていた。
あ、れ、これは失言したパターン? 早くもゲームオーバー?
よくよく考えてみれば、独身であることを改めて掘り下げているだけだ。頭の中が真っ白になる。
「その様子では完全に素みたいね。でも無意識にそのセリフって、完全に天然タラシだわ」
納得したように彼女はしきりに頷いた。
え、天然タラシ? タライでもタワシでもなく?
真っ白な頭を働かせて聞き捨てならない単語を追及しようとしたが、手の叩く音で止まってしまう。
「あなたは誑し込み過ぎないように努力しないと大変なことになるわよ。気を付けてね。ああ、私は誑し込まれたりしないから安心して。決してその争奪戦には出場しないわ」
「え、はい?」
「戦いは観るのが一番楽しいの」
指をさされながら良く分からない忠告をされた。争奪戦ってなんです!? でもまあ、どうやらお咎めは無いみたいなので胸をなで下ろす。なんか蝶々に食べられそうだったもん……。
ロシェは「争奪戦参加者の気が知れないよなー」と理解している模様。知ってるのか。自動的に私の『ロシェ先生に聞こうリスト』に追加された。忘れないようにしなきゃ。
そして彼女は思い出したようにロイエさんへ問いかけた。
「でもよく大図書館の人間と間違えなかったな」
「ああ、確かにここの制服とよく似ているわね」
そういえばロシェも最初にそんなことを言っていた。大図書館の者と似ているって。ただのセーラー服なんだけどな。
「さすがに現役でここで働いているのに見分けがつかないなんて無いわよ」
「ボクにはつかないけどな」
「立派な調査員でしょう?」
「調査員だからこそだと思うが」
調査員とは何だろうか?
聖母様と目が合って、うんうんと頷かれたかと思うと大量の蝶を引っ込めて話し出した。
なんで、あんなに蝶が出てきたんだろ。
「この図書館は表と裏の顔を持っているの」
表と裏の顔? 便利屋が裏では殺し屋をしているみたいな感じかな。そもそも図書館に裏表とかあるのだろうか。
「表は普通に図書館。ロシェの言った通り、私が主に運営を回しているわ」
「おいっ!」
ロシェが慌てて声を上げた。その姿は初めて見るほど酷く狼狽していた。
「言っていいのか!?」
「いいの」
ロイエさんはオトナのヨユー。落ち着いたトーンは変わらない。私もそんなオトナのヨユーを習得したい。
「だってこいつらが仕事を探しているんじゃ……」
「これは上司命令よ」
「っはあぁーマジか」
頭を抱える彼女だけど何か問題があるのだろうか。
室内の空気はいつの間にか張り詰めていた。まるでこれから何か起こることを理解しているかのような緊迫感。
そう、この時、この場に居る全員が理解していた。
ロクでもないことに巻き込まれそうだ、と。