11 宇宙人宅2
すでに白く染まってコーヒーらしからぬ色をした飲物を口に含むロシェ。そんな彼女は私のカップを覗いて驚いた顔をする。
「砂糖もミルクもいらないのか?」
「あーうん」
私のカップは出された時のまま何も加えていない。ブラック派。下手に甘いコーヒーは飲めない。
「大人だな、意外に」
「最後は余計」
「そうですよ。相田さんは十分魅力的な大人要素を持っています」
「み、ミリョク……」
ごめん伊藤さん。私には縁のない単語だよ。
「んーとりあえず、あんたらの状況教えてくれないか?」
真剣な表情に変わったロシェ。
なぜかわからないけど彼女には心を許せるというか、信頼が出来る。だから身を任せてみようかと容易にも考えてしまうのかも。
「相田さん」
「いいよ。二人もいいよね?」
伊藤さんとナイトは静かに頷く。
それから私たちの身に起こったこと。
たぶん違う世界の住人であること。
普通とは違う能力を持ち合わせていること。
出せるだけの情報を出した。
ロシェは黙って聞いてくれて、神妙な面持ちで私たちを眺める。
「異世界の人間か」
「出来ればここの情報とか欲しいんだけど」
「そうだな。あんたらが嘘を言ってるように見えねぇし本当の話なんだろう。誠意には誠意で応えよう」
彼女はおもむろにカップをテーブルに置き、どこかの部屋に行く。何か紙を漁る音が静かな空間に響いて、やがて戻ってきた。
彼女の手には何かの本が握られていた。
「それは?」
「んー生きる本ってとこだ」
生きる?
テーブルに置かれたその本は表紙がガラス細工のような——緑の宝石を散りばめたような作りで金具でしっかり固定されている。
題名は、ない。
私は自然と本に触れてみた。
ゾクッ
「っ……!」
背筋が凍るような冷たさが襲う。しかしそれは一瞬で、不思議な本は元の無骨な輝きを抱いていた。
「どうしました?」
伊藤さんの声で冷静さを取り戻す。
「いや何でもないよ」
金具に触れてからまた表紙部分に触れた。表紙部分は滑らかな質感でガラスなのかはわからない。ただ、深い緑色は窓から射し込む暖かな陽光で鮮やかな色合いに輝いている。
さっきの感じは何だったのだろう。
この本は人形じゃない。私の能力が及ぶ範囲ではないはず。
でも、人形のそれとは違う異形のものに触れた気分だった。怖くなって本に触れている手をそっと離す。
「何か感じたか?」
「……冷たい、ある筈のない意識……」
「桜はそう感じたのか」
「——うん」
ロシェは探るような視線を向け、次に奇妙な本に目を向ける。
「この本は魔導書と呼ばれている。世界を記述する本とも。理由も本来の使い道も知らん。でもボクには、ただの本ってよりは生きてるように思えるんだよな」
「だから生きる本……」
「アカシックレコードみたいなものですかね」
アカシックレコード?
伊藤さんの言葉の意味はよく分からなかったが、本人も見た事があるわけではないので分からないのですがと苦笑した。例えあったとしても目に見える本ではないとも。
「桜にはそう反応したがボクには違う反応をするんだ。ちょっと待ってろ」
そう言うと本の表紙部分に触れて小さく呟いた。
「我の知を具現化せよ」
すると、深緑が輝き出す。
眩しいなと思った頃にはゆっくり元の状態に戻っていった。
ロシェは無言で本を開く。分厚い本のどのページを開くのか、最初からわかっているような自然な手つきで捲っている。目的のページを開いたのか彼女は笑顔で私に振り向く。
「まずは世界の概要から授業を行うとしよう」
とあるページを開き、私に指し示すのは細かい文字と地図らしき模様。
何故か沈黙するロシェ。
「——すまん」
「ロシェ?」
バタリとソファに倒れ、ぐったりと動かなくなった彼女。一体どうしたことか。近寄って体を揺すってみても全く起きない。
死んで……
いや
寝てる。
二人を振り向く。伊藤さんは不思議そうに、ナイトは憮然として熟睡したロシェを眺めていた。
「えっと、誠意には誠意でとか言ってなかったっけ?」
「くー……」
駄目だ。死んだように寝てる。いや寝てるように死んでいるのかもしれない。まあ冗談はいいとして、うつ伏せに倒れたので息が苦しくないか心配になってきた。
「というか何で二人は冷静なの?」
あんまり驚いていないような気が。
「マスターとよく似ている力をそいつから感じた」
「似ている力?」
宇宙人と言っていたし超能力的なモノが扱えるのかも。そう自己判断し、ナイトを振り返る。
「厳密には全く違う力。しかしあの本と共鳴する力は本物」
「えっと、つまり?」
「どんなものだか知らんが、本とそいつが反応した時に膨大な力の流れを感じられた」
「ロシェさんは力の使いすぎで急に倒れたと」
ナイトの後を伊藤さんは続けた。
「ただのガス欠ですねー」
「いや、ただのって」
伊藤さん簡単に仰いますな……。
でもまあ自分で宇宙人だと言っていたのだからスキルの一つということだろうか。それなら納得?
「いずれにしても」
「いずれにしても?」
ナイトは私に目を向けてからロシェに目線を移す。
「こいつは明日になるまで起きないと思われる」
「あー」
「バカにはお似合いだな」
言うだけ言ってコーヒーを啜る。お茶みたいに啜っているのに服装のお陰で不思議はない。
そういえば、ナイトが胴着を着ている設定は一体どこから来たのだろう? ぬいぐるみの時は何も着せていなかったのに——
いや人間になって裸のナイトは、ものすっごくマズいからよかったのか。
うん、よかったんだ。ありがとう。ご都合主義万歳。
「主が寝てしまっているとどうにも出来ませんね」
「あ、そっか」
家の主人であるロシェに寝てしまわれては話が進まない。好き勝手することも出来ないし。
ふと窓の外を眺めてみた。
徐々に陽が傾き夜になりつつある。
しかし見えている太陽はあっちの世界で見るような太陽ではなかった。太陽みたいな輝く星が三つある。それがこの世界を照らす光源のようだ。
やはり異世界。そう実感する。
私は幾分冷めてしまったコーヒーを口に含みながらぼんやりと考える。
今までのこと、これからのこと。そしてあの少女の寂しげな声が脳裏にちらついて……思えば遠い記憶のような気がする。
曖昧な思考。その少女は誰かに似ているような、そうでないような。でも思い出せない。思い出せたら苦労は無いだろう。
「相田さん」
「ん?」
呼ばれた気がしたので、記憶の海から抜けて振り向く。
「考え事ですか?」
伊藤さんは私を覗き込んでいた。物理的距離が結構近いので毎度どぎまぎするのだが、善処する気はないらしい。距離をそのままに笑みを溢した。
「まあ、ね」
「そうですか……あの」
「なにー?」
「これからどう致しましょう?」
「んー」
ロシェが寝ているとなると——あまり目立った行動には出れないし私達は何も情報を持ってはいない。
つまり今の私達に出来ることはきっと何もないのだ。
「あ、一つだけ出来ることが」
「何でしょう?」
「一緒に寝ることなら」
「「えぇ!?」」
伊藤さんとナイトは驚いた声を上げる。何に驚いたのかは理解しかねるが、二人を交互に見つめたらどちらも顔が真っ赤であった。
……理解しかねる。
「い、一緒に、寝るって……いえ、据え膳食わぬは女の恥……です、よね?」
「マスター! 断じてそんな不埒なことはいけませぬっ! ごごご奉仕ならばばばばもう少し大人になってからしっかり致しますゆえ!」
「一体、何を言ってるの?」
…………理解、しかねる。
「ロシェみたいに一緒に休もうって思ったんだけど。ほら、やることも無いし」
そういえば、あっちの世界とはあまり時間が変わらないと思う。現在も働き続けるアナログの腕時計と窓の外を見比べる。
ちょっとこの世界が遅いくらいかな?
これなら時差ボケは無さそう。
「紛らわしいですね」
「なにが!?」
「紛らわしいぞ」
「だからなにが!?」
呆れたような安心したような複雑そうな表情をする二人。対して私は困惑顔であろう。
「相田さんのご要望ですし就寝の準備を致しましょうか」
「まだ時間はある。少しこの家を探索するのは如何か?」
「あ、それは良い話ですねっ」
「おいおい」
他人の家を勝手に漁る気か! ナイトと伊藤さんが家を探索——漁るのを横目に確認する。
行っちゃった……。
軽くため息を吐く。
ソファにうつ伏せでぐっすり寝るロシェに近付き、息苦しいのもあれだなと仰向けに返してあげる。
というか見ず知らずの人を家に上げて無防備に寝るなんて、この人は大丈夫だろうか。
改めて彼女を見てみる。歳はそんなに変わらないであろう。
彼女の男前な態度や言動に反して容姿は美しい。あの紅い両目は閉じられているが、やっぱり綺麗な宝石みたいだった。飄々としているのが嘘みたいな美人。褒めすぎではない。
周りが美少女ばかりって何ハーレムですかこれ。
私は寝顔をジッと見つめていたことに今さら気付いて目を逸らした。さすがに就寝中に観察されるのは嫌だろう。
探索といって家を巡っている二人は、先ほどロシェが本を探しに行った部屋には行かなかったらしい。私はその誰も居ない部屋にそっと足を踏み入れる。何となくロシェはここで過ごしてそうだと思ったのだ。書斎らしく、壁も床も本だらけで雑然としていた。見回して椅子に掛けてある毛布を見つけてから手に取り、居間に戻る。
安らかに眠っている彼女に毛布をかけ、彼女の頭側にあるソファーのひじ掛けに腰掛けた。ひじ掛けに腰掛けるのはおかしいけど。
とりあえず手元に彼女の頭があったので、そっと撫でてみる。
さて、明日には教えて欲しいな。
この世界のことも。
ロシェ自身のことも。