10 宇宙人宅1
「宇宙人のお宅に邪魔したとこ悪いが茶をくれ、茶を」
「悪いと思ってねーよな?」
三人はロシェの家に上がるとリビングに通された。比較的柔らかいソファに腰を下ろし、やっとリラックス。何故か私が真ん中で、私を挟む両サイドにナイトと伊藤さんが当たり前のように座った。
西洋のお話でしか見ないようなレンガの暖炉が併設され、木造の家は床も木、壁も天井も木——腐ったり燃えたりしたら大変そうだ。いや、さすがにそういう加工はされてるのかな。天井から釣り下がる電球は温かい淡いオレンジ色を宿して、部屋全体も温かい色に染まる。
人が一人で住むには勿体無いくらい大きく、もし一人暮らしなら寂しいことだろう。
「ロシェって一人暮らしなの?」
聞いてみると、丁度違う部屋に行こうとしたらしい。彼女は吹き抜けになっている隣の部屋との境目辺りで止まりコクリと頷いた。
「ああ、何せ宇宙人なんでね」
「そっか」
人間に程近い宇宙人なので宇宙人ということを忘れてしまう。納得している私を、ナイトは怪訝そうに伊藤さんは面白そうに左右から視線を感じる。
またおかしなことを言ったのかな……。
少し不安になるが、気にしてはいけないのだろう。たぶん。
「んじゃちょっと待ってろ。コーヒーしかねぇけど、いいよな?」
ロシェはソファに腰かける私たちに一瞥くれて、確認する。
「うん」
「構いませんよ」
「茶はないのか」
「ナイトってコーヒー嫌い?」
「嫌いと言うわけでは、お茶が好きですので」
「へぇー初耳」
ホントに初耳だ。なにせぬいぐるみは飲み食いが不可能なので好みとかはわからない。コーヒーよりお茶か——覚えておこう。せっかく飲食が可能となったのだから味わわねば損と言うやつだ。
というか異世界でも食のレパートリーが変わらないみたいなので少々安心。よくわからない飲み物とか食べ物とかだと勇気がいるし。
「仕方ねーだろ。コーヒーしかない」
「うむ、難儀」
淹れてくる、と隣の部屋に消えたロシェの背中を見送った私たち。ナイトは雑に足を広げて腕を組み、伊藤さんは女の子らしくゆったりして座っている。
深く息を吐くと、伊藤さんは不思議そうな顔をした。
「どうかしました?」
「いや、本当に異世界に来たんだなって」
ぼんやり天井を見上げて正直な感想を述べる。
そう、来たんだ。本当に違う世界に。
「まだ何も情報がありません。もしかしたら異世界ではなく違う場所にいるだけと考えることも出来ますよ」
彼女はあくまでも可能性の一つですがと付け足して私を覗き込む。その黒い目を見て、彼女は心配してくれていたんだなと窺えた。
「んーまあ異世界ってところに来たのなら来たで確かめたいことがあるしね」
「確かめたいこと?」
「マスターは人形をお救いしたいそうだな」
さすがにナイトはわかっていたみたいである。
「ここに人形たちを救う鍵がある。そう彼女は言った。だから確かめないといけない」
彼女たちを救う為に。約束を守る為に。
「なるほど。詳しくは存じませんが……すぐには帰らない方向ですね?」
「そう、だけど」
「自分だけ残るのは無しですぞ、マスターよ」
先読みに驚いてナイトを凝視する。
「帰れる方法が見つかったら私達を帰して自分だけ残るおつもりだったのだろう?」
お察しの通りです……。
私が項垂れると二人は笑った。
「マスターには死んでもついてゆく」
「ふふ、離しませんよ」
「——なんてこった」
余計なことを言ってしまった。簡単にいかないなあ現実は。軽くへこむ私をサンドする美少女たち。ついてないなぁ。でもまあ美少女に囲まれてるのはついてるのかなぁ。
「楽しくなりそうですね」
「…………」
「マスターの決断だ。どんな試練でも乗り越えよう」
「…………」
なぜだろう。二人のほうがやる気満々なの。あれ、気のせい? いやいや笑ってないで下さいよ伊藤さん!?
余計な心配とか緊張とかしてるのたぶん私だけだよね、うん。
「楽しそうで何よりだな」
「わわっ」
いつから居たのか、後ろにロシェが立っていた。私たちは一斉にバッと振り向く。腰に片手を当て、もう片手はお盆を持って苦笑いする彼女。
「驚くなよ、こういうスキルはなきゃやってけねーんだ」
「一体何者なんだ」
「宇宙人だと何度言わせる」
「ありえん」
「ぬいぐるみが宇宙人否定するか」
「ぬいぐるみは実在するから問題ない」
ぬいぐるみが喋って動いてるから問題なんじゃ……なんて考えてたが、私が言えたことではないのかなと思い直した。
ロシェはナイトを見て真剣な表情で目を見開く。
「そうか!」
おいおいおいおい。それで良いのか宇宙人さん。
「まあとりあえず飲め」
ロシェはテーブルにスプーン入りのカップを並べる。カップの中は茶黒い液体で満ちていた。独特のコーヒーの香りはごちゃごちゃな心を落ち着かせる。
テーブルの真ん中辺りにミルクのピッチャーと角砂糖の入ったカップを置いて、彼女は私たちがいるソファーから対面するソファーに腰掛けた。
好きに使えと言うロシェは角砂糖を一個、二個、三個……と際限なくコーヒーに投入し、ミルクもどぼどぼ注ぐ。
甘党……?
というかそんなレベル越す量だよ。
なんかすっごいよ。
伊藤さんは適量のミルクと砂糖を優雅な動作で投下する。こういうとこ見ると中学生にホント見えない。
ナイトはコーヒーを一口飲んで顔を顰めた。苦いんだろう。まさか人生初で口につけたのがコーヒーとはちょっと可哀想。
それから涙目で私を見上げてきた。未だに彼女の姿には慣れないが、困った顔も可愛い。無言で砂糖を勧めておいた。
ほっと一息。そして気付く。今さらだけど荷物がない。
通学用のリュックはナイトを取り出してから……そこからどうしたっけ。あの時は隣町だしな、と学校に放置していた自転車で珍しく来ていた。そのままカゴに入れてしまったような。うわあ不用心過ぎる。道理で体が軽いわけだ。
因みに何故私は自転車を学校に放置していたか。普段は徒歩で登下校するのだが、遅刻しそうな日に自転車で登校。そのまま忘れていただけ。ナイトも忘れていたので、不可抗力。そう不可抗力だ。
他はどうだろ。制服を調べる。
胸ポケットにスマホ。電源は落としてある。学校でも家でも使わないので完全に空気だった。連絡先の登録件数も一桁、ネットは家にパソコンがあるので不要。唯一使うのはカメラ機能ぐらいか。
登録件数で察しが付くだろうが、電話もメールも滅多にしないので必要あるか謎。
スカートのポケットにはストラップ。私が暇潰しに毛糸で編んだぬいぐるみ——いわゆる“編みぐるみ”の二体があった。親指大のストラップ。
人形使いとだけあり、裁縫は得意なのだ。作ったままポケットに入れっぱなしだったみたい。かぎ針セットのほうは置いてきたリュックの中かな。
左手首にはアナログ式の腕時計。針は変わらず動き続けている。防水加工もされてるので多少水に浸っても大丈夫。……この時計もあるからスマホいらないんだよなあ。
最後に胸元へ触れる。制服の上からではわからないが、お守りを首から下げて中に入れていたのだ。どこで買ったか覚えてないようなお守り。それでも粗末に扱えないだろう。
あれ? 持ち物少なくない? 珍しい持ち物で一獲千金とかは、うん、無理か。
落胆してコーヒーで喉を潤す。
舌に滲む苦みと鼻に抜ける香ばしさが、私に「現実を見ろ」と急かす幻想に駆られた。
*
異世界。
それは空想上の世界として認識していた。
もし本当にここが異世界なら不思議なことはたくさんある。
言葉を理解出来ること、飲み物——恐らく食べ物も元の世界と変わらないこと、気候や重力の影響も変わらないこと、時間も大して変わらないこと。体や脳も影響を受けているようには思えないのだ。
最悪、天国かもしれない。
良くて夢か外国だろうか。
でもあの女の子が連れてきた世界なら、やっぱり異世界なのだろう。
ご都合主義な異世界ファンタジーだと思いたい。しかし油断が死を招く。この世界に適応してることは恵まれているけれど、最悪を想定して動かないといけない。ナイトはともかく伊藤さんまでいるのだ。
————絶対、守らないと。
んーそんでもって人形たちを救うなんて、勇者様でもいないと難しい。
都合良く他の異世界転移者がいて、ナントカ神から授かったチート能力持ちとかいれば安泰なのだけど。
私は残念なことに人形使いとしての能力以外は平凡なのだ。まあ平凡なら平凡で平凡を貫き通して欲しかったんだけどね。上手くいかない。
「——なんだが」
「——ですかねぇ」
一人物思いに耽っていると、いつの間にやら会話を進めていたらしい。ナイトは相変わらずほぼ無言。
「相田さん?」
「え、なに?」
「聞いてなかったんですか?」
「あはは……ボーッとしてた」
「しっかりしろーい、聞きたい事があんだからよー」
耳が痛いです。マイペースなのはどうにかしなきゃなあ。のんびり考え事をするのは後回しにしよう。
————今は異世界攻略の時だよね。
みなさんは異世界に一つだけ何か持ち込めるとしたら、何を持ち込みますかね?
無人島や月面では何が有用かわかる分、異世界はまた未知数ですよねえ。
え、私ですか? ……胃腸薬を……(メンタルぅ!)