3.消えない傷
カツン、カツンとコンクリートを響かせる鋭い音が俺の鼓膜を震わせる。
カチカチと歯の根が噛み合わない不快感を煽る音が俺の骨から耳に伝わる。
ハァハァと恐怖から身を隠した俺の息遣いが俺の肺を揺るがせ体に刻まれる。
嫌だ。来ないで。
心が叫ぶことを忘れ、これからここに来るであろう存在に懇願する。
しかし、どれだけ願ってもその足音は消えることなく俺に近づいて来る。
ガチャ、と解錠する音に怯え、肩を小刻みに震わせる。
気丈に振る舞うようなことは出来ず、神に対する怒りすらもこの足音が来るまでの間に消え失せた。
「あーぁら。そんな隅っこに縮こまっちゃって。ふふっ、可愛い子ね。さあ、こっちへ来なさい。良い所に連れていって上げるわ。」
「……ぃゃ…」
目に怯えしか宿さず、視線に恐怖を乗せて、声に拒絶を表す。
にこり、と口の線が大きな曲線を描き、その表情を張り付かせたまま彼女は俺に歩み寄る。
その笑顔に、俺は全く心を安らがせることが出来なかった。
それは何かを……いや、怒りを隠した顔だった。
「……アァッ…」
顎を蹴り上げられて、俺は呻くことしか出来ない。もう、激痛で無い限り叫ぶことは無いだろう。だって、心が叫ばないから。
抗えと、戦えと心が叫ばないから。
孤独だった俺は、諦めが早かった。年相応にこれからを達観して、現実を知った気になっていた。
けど、現実はもっと厳しかった。
張り付けた笑顔のまま、彼女は俺を蹴り続ける。
顎、目、口、耳、喉など、顔面を重点的に蹴り続けられた。
「痛い……お母さん………痛いよぉ……お父さん……………助けてぇ。」
何を今更。と心の中でこれからを達観した俺が切り捨てる。
今まで親に頼れなかった奴が、都合の良い時だけ頼ろうだなんて、思い上がりも甚だしい。
視界の右半分を持っていかれ、俺は遠近感を失った。
「まだ、自覚し切れていないのかしら。哀れね。」
「ッッツァ……」
歯が欠け、口が裂け、喉が潰れる。
頭を壁に何度もぶつけ、頭で液体を擦り付ける感覚が痛みと共にやってくる。
「まあいいわ。アイン。こいつを運びなさい。」
「はっ。」
髪の毛をブチっと引っ張られた。
「ゃ……」
嫌だ、やめて。痛いの、何で分からないの?
痛いことしちゃダメって、習わなかったの?
立てる。立てるから、引っ張らないで。
「ふふっ。ようやく自分から動くようになったわね。」
ボヤけた視界の中で、彼女はハンカチで靴を拭っていた。
そのハンカチは赤い染みをたくさん作っていて、見ていていい気分になるものではなかった。
「来なさい。」
踵を返した彼女の後を追って、フラつきながら痛む目を抑える。
瞼に目の膨らみを感じない。というか、ぐじゅぐじゅしてて触ってて気持ち悪い。
既に壊死寸前の俺の心は、叫ぶという機能を失ったように反応しなかった。
俺は、元々心が弱かったんだ。
だから、虐めないで欲しかった。
だから、無視しないで欲しかった。
けど、そんな淡い願いすら、叶うことはないだろう。いや、後者は既に叶っているか。俺の願いとは違う形で。
「うぅ〜ん。やっぱりここは良い香りだわぁ。ねぇ。あなたもそう思うでしょう?」
「ぇ…?」
すん、と鼻を鳴らしてみようとしても、ズビッ、と鼻血を啜る音がして終わりだ。血特有の鉄っぽい味が喉を湿らせる。
「ああ。さっき鼻を潰しちゃったものね。十全に機能しろと言う方が無理な話ね。」
彼女に促されて座ったのは、無機質で色々付いてる椅子。
座ったら首と手首足首を拘束された。
最早それに驚くことが出来ず、俺の心は恐怖と怯えだけを宿す。
「ァァァァァ……」
ベリッ、ベリッと爪が剥がされていく。
「もっとリアクションが欲しいわね……今まで、絶叫なんてあってもなくても同じだと思ってたけど、実際無いと心の躍動が半減するわね。新しい発見だわ。」
二十枚全部剥がされると、俺の意識は既に失われていた。
「ウガァッ!?」
しかし、剥き出しになった足の指先をヒールの先端ですり潰されてようやく、俺の心は叫びを上げた。
アドレナリンが分泌されているのか、しばらくすると痛みも引いてきた。
「ああ。今日は虐めるのが目的じゃ無かったわ。すっかり忘れてた。」
そう言うと彼女はアイスピックのような尖った物で、俺の顔面を貫いた。具体的に言えば頬から頬へと貫かれた。
「ヴァァアァ…」
口が上手く動かせない。
彼女はブチっと強引に引き抜き、今度は逆手に持って、下から顎目掛けて振り上げた。
顎、舌、歯茎を貫いて鼻をも貫かれた。
「ッア? ァア、ァァ……」
ブシッと引き抜き、また貫く。
何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんどもナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモ……ナンド…………モ………
最後に首筋を集中的に抉られ、俺は意識を完全に手離した。
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「ァア……」
「やぁっぱり、あなたは逸材ね。」
………何で俺は生きてるの?