自動退場の悪役令嬢
「王位第一継承者、フライがここに宣言する! ディル公爵家サニアとの婚約を破棄し、マンス子爵家ウェンディを婚約者とする!」
壇上でフライ王子が大声で宣言すると、会場が一斉に騒めき立つ。それも当然だ、今は王立学院の卒業祝賀パーティー真っ最中である。
婚約破棄を言い渡されたサニアは、おもむろに持っていた扇で口元を隠す。
全く、ギャラリーが必要とはいえ、このうるさいのはどうにかならないかしら。
「フライ様、なぜわたくしが婚約破棄を宣言されなければならないのです? 納得いきませんわ」
「サニア……、これは僕の、いや、僕たちのせめてもの温情だ。おとなしく婚約破棄を受け入れてくれ」
「嫌ですわ。公爵家の長女たるわたくしが婚約破棄されて、その後釜にたかが子爵家の小娘がおさまろうとしているのですよ? なぜと問うのが普通でしょう?」
あくまでも気丈に、サニアはフライ王子を見据える。フライ王子とその傍らに寄り添うウェンディは、まるで悲しむかのような表情でサニアを見下ろす。
サニアはその見下された顔が気に食わなくて、二人から視線を外す。壇上には、王子の側近にして幼馴染のムーラン、チューズ、ザース、サルタも控えていた。
まったく、うんざりですのよ。フライもウェンディも、彼ら四人も、揃いも揃って憐れむのはやめてくださる?
サニアは言葉を飲み込んで、決めていた台詞を口に出す。
「この国の王子ともあろうお方が、こんなところで大々的に宣言されたのですもの。理由がなければ誰も納得などしませんわよ。わたくしも、ここにいる生徒たちも」
「……。それは、お前が婚約者としてふさわしくないから、いや、ふさわしくなくなってしまったからだ」
「つまりどういうことですの? 身分、容姿、学力、どれをとってもフライ様に添うにふさわしいと自負しておりますわ」
「お願いだ、サニア。僕はお前を貶めたいわけじゃない。ここでお前がうんと頷いてさえくれれば、ただの生徒として学院の規律で罰するだけで済むんだ」
サニアが反応するより前に、パーティーに参加している生徒たちのささやき声が増す。
――――やはり、サニア様は。
――――ここ最近は、あのご様子だったし。
――――――サニア姫のご乱心。
それが、ここ一年で囁かれたサニアの評判だ。
だから何だといわんばかりの不敵な笑みで、彼女は言ってのける。
「あら、わたくしは貶められるようなことはしておりませんわ。恥じることなど何もございません。どうぞ遠慮なく理由を述べてくださって構いません」
王族たる自分にも引けを取らない堂々たる態度の彼女をみて、フライ王子はしぶしぶ口を開く。
「サニアはこの一年間、ウェンディをいじめていただろう。僕たちだって、止めたはずだ」
「それは何度も申し上げた通り、思い上がった子爵の小娘に身の程を教えて差し上げただけですわ。それの何がいけないというのです?」
「だが! そんなことのためにウェンディの私物を汚していいわけがない! 罵詈雑言の並んだ手紙を連日送ることが身の程を教えることなのか!? お茶に異物を混ぜたりして、ウェンディに何かあったらどうするつもりだったんだ!!」
フライ王子の激昂を尻目に、それがどうしたといわんばかりにサニアは扇を仰ぐ。
「どうもいたしませんわ。その程度で折れるならば所詮その程度の小娘ということでしょう」
ぱん、と扇を勢いよくたたむとサニアは続ける。
「そもそも、この国で最も貴い身であらせられるフライ王子の側に侍るのであれば、それ相応の身分が必要ですわ。わたくしとムーランは公爵、チューズとザースは侯爵、サルタは伯爵の身分で、王子に仕えるには十分な身分といえるでしょう。ですが、この小娘はあろうことか子爵。歴史・伝統ともに浅く、さしたる功績もありませんわ」
サニアの持論を前に、壇上のフライ王子とウェンディ、さらに控える四人の側近は言葉を失う。
「ですから、わたくしが淘汰して差し上げようと思いましたの」
それのどこが悪いのです?
サニアはまるで本当にわからないというように、小首をかしげる。
そこで初めて、ウェンディが話し出す。
「サニア様……。今のお言葉、本当なのですか? たとえ身分が釣り合っていなくとも、フライ様とサニア様、そしてここにいるムーラン様、チューズ様、ザース様、サルタ様、私たち七人は幼いころより仲良くしてきたではありませんか……! 今のお言葉が本当なら、私たちが過ごしてきた時間は何だったというのですか!」
ウェンディの目には涙が浮かび、ついに堪えきれなくなって溢れ出す。側の王子が、その肩をそっと支える。その美しい姿に、生徒たちは思わず見惚れてしまう。
その情景を切り裂くように、サニアは言葉を返す。
「ふふ、これだから子爵風情の小娘は困るのよ。このわたくしが温情をかけて差し上げていただけだというのに、何を思いあがっているのかしら」
追い打ちをかけるようなサニアの非情な言葉に、ついにフライ王子も決意をする。
「サニア、最後に聞こう。ウェンディへの卑劣ないじめ行為、間違いないな」
「いじめなどという下賤なことではありませんが、まあ、ウェンディに差し向けたことはおおむね間違いありませんわ」
サニアは再び扇を広げると、高貴な公爵家の姫君にふさわしい優雅な動作で顔を覆う。その姿は、まさしく悪役令嬢と形容できた。
「そうか……残念だ。ならばサニア、お前は学院の規律ではなく国のほうで裁かねばならない」
「あら、そうですの」
まるで今日のお菓子の内容を聞いたかのように、何でもないことのように答える。
「ディル公爵家サニア、マンス子爵家ウェンディへの傷害罪で謹慎を言い渡す。追って裁判にかける、沙汰を待つがよい!」
彼女を退場させるんだ。
王子の命令で、側に控えていたムーランとサルタが、壇上を降りる。
「結構ですわ。自分の足で歩けます。ですからわたくしに触れないでくださいまし」
その言葉に従い、サニアの両隣を歩くにとどめる。
会場を去りゆく、フライ王子とウェンディの顔には、怒りと悲しみ、そして後悔が織り交じった表情が浮かんでいた。
そして、つつがなくパーティーは終わり、フライ王子とサニア公爵家令嬢の婚約破棄は受理された。同時に、新たな婚約者としてマンス子爵家のウェンディが選ばれたこともすぐに周知の事実となる。
ウェンディへの傷害罪を問われたサニアは、1か月の謹慎の後、領地の公爵家本邸への生涯軟禁が言い渡された。軟禁の通達がされた翌日、サニアは領地へと旅立つ。
ああ、これでやっと。
サニアは解放感に包まれていた。もう、自分も回りも欺く必要などないのだから。
体を締め付けないゆったりとしたドレスに着替えると、息を整えてから馬車に向かう。凛と立っていたパーティーでの姿とは違い、まるで重りでもついているかのように歩みは緩慢だった。
侍女に支えられながら馬車に乗り込んだその時、突如馬車の奥に押し込まれ、いささか乱暴に扉を閉められた。
「出してくれ」
勝手に乗り込んできた彼がこれまた勝手に指示を出すと、サニアが止める間もなく馬車が動き出す。
「……何を勝手になさるの、ムーラン」
「それはこっちのセリフだ」
馬車に乗り込んで向かいに座った、同じ公爵家のムーラン。彼もまた、サニアや王子と幼いころより過ごした友だ。だからこそサニアもおとなしくしているのだ。最も、仮に乗り込んできたのが暴漢だとしても、今のサニアに抗うだけの力も体力もないのだが。
「罪人の馬車に乗って何のつもり?」
このままディルの領地へ来るとでもおっしゃるの?
もちろん、この問いはサニアの冗談だ。しかし、ムーランは大真面目に答える。
「もちろんそのつもりだが」
「何を考えているの? 罪人とともに罪人の領地へ行って、共に軟禁でもされてくれますの?」
「ああ、そうだ」
「なにをふざけたこと――」
「ふざけているのはお前だろう、サニア」
がたん。道が悪かったのか、馬車が大きく揺れる。
サニアは座っていられず、前に倒れこむ。それを支えたのは向かいに座っているムーランだ。
「随分、やせてしまったな」
気付いてやれなくて、すまなかった。
ムーランは呟くように謝罪の言葉を紡ぐ。
「何のことですの?」
サニアはあくまでも気丈な態度を崩さない。
「ここ一年、お前の態度はおかしかった。身分など関係なく、その実力で登用を図るべしと率先していたサニアが、突然身分制度にこだわるようになった。あんなに仲のよかったウェンディのことを、あろうことかいじめるようになった」
「またその話ですの? もう終わったことを蒸し返して何の意味がありますの?」
「俺たち幼馴染とも距離とって、顔を扇で隠すようになった。王子の忠告も振り切っていじめを続けた割には、どこか中途半端だった」
だけど、そんな単純なことに気づいたのは、あの婚約破棄という茶番の後だった。
ムーランは自分の愚かさに後悔しても後悔しきれない。この一年、幼馴染がおかしいと思いながら、何もわからなかった。分かろうと、追求すらしなかった。
怠惰だった一年を取り戻すように、一か月の間サニアについて、サニアの行動の裏を調べた。
扇は顔色を隠すため、そのいじめは、目的のために。だから決して、ウェンディ自体を傷付けることのない程度のものだった。
「お前、病気なんだってな。治らないって、ほんとか」
サニアは何も言えなかった。曲がりなりにも、公爵家の跡取り息子が一月もの時間をかけて調べたのだ。口先だけ否定したところで無意味だろう。
「だから、婚約破棄をしなければならない状況を作ったんだろ。なおかつ、ウェンディを悲劇のヒロインに仕立てることで、子爵という身分を超えて王子の婚約者にできるように」
「別に、そんな立派な理由だけでないわ」
サニアは背を壁に預けて、大きく息を吐いて目をつぶる。
体に異変を感じたのは、最高学年に進級してすぐだった。あと一年、修業したらフライ王子と婚姻し、共に国をよく導いていくことに信念を燃やしていた。
けれど、医師から告げられた診断は残酷だった。
余命は一年か、持って二年。
医師の診断を裏付けるように、日に日に体力は落ち、食欲は失せ、頬はこけていく。
”死”が、刻一刻と近づいていることが、感じられた。
だけど、わたくしは、死ぬことよりもなによりも。
「わたくしはただ、大好きな人たちに、幼馴染のみんなに、忘れられるのが怖かっただけなのよ」
絞り出すように、サニアから本音が零れ落ちる。
「もしもわたくしが、そのまま天命に従って死んだなら、きっと多くの人が悲しんでくださるでしょう。泣いてくださるでしょう。――では、そのあとは? わたくしは、いつしか思い出となって、いつの間にか記憶の片隅に追いやられるのですか? そして、大好きな人たちは、わたくしを忘れてしまうの?」
そんなの嫌よ。それだけは嫌。みんなから自動的に忘れられてしまうなら、わたくしはいったい何のために生まれて生きてきたというの?
「だから、みんなに傷跡を残すことにしたの」
自分も、大好きな人たちさえも欺いて。ただ自分のためだけに、その大好きな人たちを傷つけた。
あのパーティーでの、傷ついたようなフライ様とウェンディの表情を思い出すだけで心が痛む。
「傷をつければ、たとえ傷が治っても、多少なりとも跡が残るでしょう? わたくしはその傷跡となって、みんなの心に残り続けるわ」
それは、公爵令嬢としての彼女のプライドか。それとも、ただ愛しい人に忘れられたくない女心か。サニアの顔を見つめても、ムーランにはわからなかった。
「わかったでしょう。すべてはわたくしのエゴ」
わかったなら、帰りなさい。
そう告げると、サニアは横を向く。
「いや、帰らない」
サニアはその言葉に思わず前に向き直る。
「言っただろう。お前の領地までついていくと」
その真剣な眼差しに、サニアは何も言えなかった。
「お前は、俺たちに傷跡を残したいと言ったな。確かに、そうそう治らない強烈な傷だったよ」
――――だから、俺もお前に傷を残したい。
言われた一言に、サニアは目を見開いた。何を言ってるの、と笑い飛ばせばいいのに、それができない。
「自分がやりたいことだけやって、お前はさっさと逝ってしまうつもりか? そんなのは許さない
。だから、俺はお前と一緒に行くよ」
最期まで、サニアにも傷をつけてやるから。
そう言ってやさしく笑うムーランに、サニアは声が震える。
「…………ありがとう、ムーラン」
自分で思ったより情けなくてか細い声となってしまった。熱いものがこみ上げてきたので、サニアはこの一年で使い慣れた扇を広げる。
馬車はまだまだ揺れている。
休憩の町に立ち寄るまで、サニアは扇をたたむことができず、ムーランはずっと見守っていた。
領地についた後、二人がどう過ごしどんな傷を残し合ったのかは、また別のお話。
続編『子爵令嬢ウェンディの羨望と懺悔』10/12投稿
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