さくらんぼ
私がピカピカの赤いランドセルを背負って学校へ登校する前の日に、その木はやってきた。その木に掛かっている入学おめでとう、と書かれたプレートを見て私はそれを持ってきた父を見た。
「明日から小学生だろう?だから、そのお祝いだ!」
父はそう言った。母には相談してなかったらしく、そういうのは普通生まれた時に植えるものでしょ。と文句を言われていたが父は気にせず私に嬉しいか?と聞いた。私は元気よく頷いた。
私の背よりも少し高い木。サクランボの木だそうだ。サクランボの木があったら沢山サクランボ食べれるね!と笑いながら私と父でサクランボの木を花壇まで運んだ。
初めの年は若かったこともあってかあまり実らなかった。次の年は虫や鳥に食べられてしまって殆ど食べられなかった。本格的に収穫できるようになったのはこの木がここに来てから三年が経った年だった。母に小さなザルをもらって毎日少しずつ収穫して食べたあのサクランボは本当に美味しかった。
「うちサクランボの木あるんだよ、すごいでしょ!」
そう言えば友達がサクランボ狩りをしたいというので家に連れてきたこともあった。大勢で沢山食べたものだからその年はすぐになくなってしまったのが残念だったけれど、楽しかった。
でも、そんな毎年恒例の行事に変化が起こったのは私が中学に進学してからのことだった。
「美優、サクランボなってるから取ってきてよ」
「えー…もう部活で疲れてるからやだよ。お母さんやっといて」
「珍しい。昔は私以外が勝手にとったら許さないから!とか言ってたのに」
「そんなの…昔の話でしょ。帰ってから取ってたらもう暗いし色とかも分かりずらいんだもん」
「はいはい。取っちゃっていいのね?」
「だから、いいってば」
その次の日。いつものように食卓に並べられたサクランボはなんだか味気なかった。昔はあんなに美味しくて独り占めしてしまいたい、とまで思っていたのに。
次の年もその次の年も…年々サクランボは美味しくなくなっていくような気がした。
そして、中学を卒業し、高校に進学する春のこと。それは突然の話だった。
「あの木…譲っちゃうの?」
「そうなのよ…あのサクランボの木お父さんが思ってたよりも成長しちゃって…。今植えてる花壇でも結構根はっちゃって…これ以上花壇で育てるのは難しいだろうって話になってね」
「……誰に譲るの?」
「お父さんの会社の人。その人の庭はすごく広いらしくてね…あの木としてもこんな狭い所よりも広いところのほうがいいんじゃないかって」
「……いつ渡すの?」
「なるべく早いほうがいいと思うけど…今年のが生るまで待ってもらいましょうか。最後のお別れ位したいでしょ」
「…うん」
その年のサクランボはいつもより早く実った…気がする。こうして、実ってる姿を見るのは久しぶりだ。赤く熟れたそれをちぎって口に含む。ぷちっと皮が破けるのと同時に広がる甘味。
「美味しいなぁ…」
素直な感想がぽつりと零れる。
初めてこの木が来たときは純粋に嬉しくて、どれだけでも愛情を注いでいた。でも中学に上がり部活や学校生活を言い訳にして…結局は飽きてないがしろにしていた。
別れるときになって漸く自分の勝手さに気付いた。
ああすればよかった。こうすればよかった。
大事なものはなくしてからしか気づけないものだ。幼い私には言葉で言い聞かせるよりもこうして体験させた方がわかりやすい。この木は父が私にそれを教えるために買ってきたのかもしれない
20150801 岡野柚子