努力
「そういやさ昨今の努力はすばらしいという風潮はどうなんだろうね」
「なんでだよ」
「よく考えてみなよ努力が素晴らしいってマンガ会社の陰謀だからね」
「またいいがかりをつけやがって」
「いやいや友情・努力・勝利の一角にいるけど努力いらなくない?」
「努力が、なんでいらないんだよ努力はいるよ三大要素に入っていいよ」
「なんで?例えばだけどさ現実にはないだろうけど、努力しないで才能だけで金メダルをとるとするそしたらその金メダルの価値は消える?」
「消えないだろうな」
結局は勝利しているのだから金メダルは金メダルといえなくもない。
「見ていてこいつ努力していないから金メダルだけど銀メダルにしようとかあると思う?」
「ないな、結果が金メダルなんだから」
結局金メダルをとるだけの力を出せたかどうかの結果でしかなく、そのなかで個人の努力なんて考慮なんてされないだろう。
「努力しないで金メダルとりやがってとやっかむ奴はでてくるだろうけどさそれはやっかみだよ」
「まぁ確かにそれはやっかみだな」
「逆に努力したけどメダルはとれなかったって言う場合は、皆美談にするけど、本当にそれは選手が望んだ事なの?」
「いや、望んだかどうかは知らない」
こっちが勝手に残念がって、慰めたりして同情したりするだけだ。
「きっとさ努力が必要だって思っているのは、他人の嫉妬を防ぐのと、共感を得るためだけだと思うよ」
「共感?」
「あの人ができるのは努力したからだとか、努力すればあんな強い敵にも立ち向かえるし勝てる、自分は努力ができない、努力できるあの人はすごいなぁとかさそういった感情で勝手に自分を慰めたり、同情したりそういって共感するためといえばいいのかな」
「あぁなんとなく分かった」
「そんな努力が素晴らしいというのはやっぱり変だよ、それじゃあまるで何もせずに才能がある人がズルいとか、美談にもなりゃしないから駄目だといっているような感じがする」
努力が素晴らしいというより、素晴らしい人に対する自己防衛のようなものが増えているのかもしれないし、ヤッカミということがなければ確かに努力しようが努力していなくても、素晴らしいものは素晴らしいと素直にいえたほうがマシだと思う。