ルイ・セドゥ
~Louis‐Seydoux~
その男を見た時、統也は何故か既視感を覚えた。
西欧の高く澄んだ空の下、爆音の名残の残るスタジアムの控え室で、まるで馴染みのバーにふらりと現れたといった風情の中年男は、レーシングチームの関係者達にあたふたと迎え入れられた。薄い色の銀髪にラピスラズリの瞳、五十を少し過ぎたばかりに見えるその男は統也より頭ひとつ分は小柄だったが、それは西洋人の中にあっても大柄な部類に入る統也と比較しての事だ。痩せ気味ではあるが筋肉はしっかりついている事がポロシャツの上からでも分かる。人の良さそうな笑顔を統也に向けてお辞儀をしてみせた男は、しかし抜け目のない実業家だと言う噂だった。
公爵家の血筋の人だぜ、統也と同じく東洋系の同僚は興味深そうにささやいてきた。一介のメカニックである自分にとっては全く違う世界の人間だという気がしたが、ではこの男が、カーレースを道楽に持ち個人的な出資も行っているという、ルイ・セドゥ・ヴァイヤン公爵か。
ふと、あのピアニスト、桐永天音に似ているのだと気付いた時、公爵は統也の目の前で可笑しそうに声をたてて笑っていた。
「天音の言った通りの男だ」
そして面食らっている統也に向かって、自分は桐永天音の遠縁であり、旧知の間柄である事を告げた。
「天音の娘に会いたがっている男がいると聞いて興味が湧いたんだ。期待以上で嬉しいよ」
統也は一瞬息を止め、公爵を凝視した。
「…ご存知なんですか」
「とても良くね」
公爵は人好きのする笑みを崩さずに答えた。
「今度、彼女はごく内輪のパーティーに出席する事になっています。僕が個人的に援助している、君達のチームの花形レーサーも招いているよ。君も是非いらっしゃい」
公爵家のパーティーは、ごく内輪どころか統也でも名を知っている各界の名士達も出席した華やかなものだった。
客達の中から目ざとく統也を見つけた公爵は気さくに声をかけて来た。先日のくだけた出で立ちとは違う洗練された装いはこの男の本質を映しているかのようだ。
「来てくれてとても嬉しいですよ。君はスーツ姿もとても似合うんだね」
本当だろうか。正装など滅多にしないしネクタイを締めたのなど郷里の同級生の結婚式以来だ。統也は公爵の言葉を世辞と取り、続く会話も軽く受け答えた。
しかしルイ・セドゥはそんな彼をどうやら気に入ったらしい。賓客達に挨拶しつつ淀みなく会話を続け手放そうとはしなかった。
「君の姓のハシバミというのは落葉樹の名前だと聞いたことがあるよ、知らないかい?熟したハシバミからとった茶色がヘイゼルだよ…」
延々と続く客達の最後に紹介された痩身の中年男は公爵の旧知の間柄でもあり、彼が重役を務めている企業の支店長という事だった。若い頃はさぞ美形だったのだろうと思わせる整った風貌を留めてはいたが、肌の色は不健康な程白く、痩せすぎており、何やら蝋人形のような造形だ。統也は何故かその男から敵意のようなものを感じた。
まあ、そもそも場違いな所にいるのは俺だしな…。
ふと、男の顔に違和感を覚え、統也は気付いた。支店長の左の目の周りは不自然に窪んでおり、その眼球は人工物だったのだ。最初にやけに自分が凝視されていると感じたのもその為だろう。
「ああ、イングリッド」
公爵が後ろを振り向いて言った。
「僕の妻です」
ルイ・セドゥの背後から、彼女がふいに姿を現した。