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KYRIE   作者: リンドウノミチヤ
第三章
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サダルメリク2

     ~Sadalmelik~


 そこは狩猟小屋だった。数百年前から森の中にひっそりと存在するそれは、狩猟小屋と言うよりコテージの様相であり、内部は定期的に管理されている為直ぐに宿泊可能な程整然としていた。

 男は猟銃袋を壁に立て掛けるとバックパックを無造作に暖炉の脇に放った。ニット帽を脱ぐと椅子に座り、車から小屋に来るまでの間に靴にこびり付いた泥を落とす。そしてバックパックから取り出した端末を開いた。

 この一帯は男の古くからの友人の所有地だった。男と友人は季節が来る度猟に明け暮れ、この狩猟小屋はしばしば彼等の寝泊まりの場となった。彼等の獲物は主に鹿だった。もし今、林の中を歩く男の姿が見られていたとしても不審に思う者は誰もいないだろう。

 もう一つ、男がこの場所を選んだのには理由がある。男の目的地は、ここから車で数時間の距離にあった。オフィスで何食わぬ顔をして仕事を続けながら指示を出す事も可能だが僅かな動揺が周囲に悟られる恐れがある。しかし目的地に直接出向き、あの粗暴極まりない連中と関わるのはなるべく最小限にとどめたかった…あの女の断末魔の瞬間をこの目で見る事が出来ないのは残念だが。



「ここはルイの所有地なのか?メリク?」

 低い声に彼、サダルメリクはぎょっとして顔を上げた。扉の向こうに何時の間にか大男が立っている。無精髭を生やし、フードからのぞく底光りする目が獣じみて見えた。その男の正体に気付いたサダルメリクは愕然とした。

「お前…榛統也か?」

「ああ、貴方とはパーティー以来だな」

 統也がフードを脱ぐとくせのある伸びかけの髪がかすかにゆれた。彼は、ゆっくりとサダルメリクとの距離を縮めた。



     + + +



 サダルメリクは動揺した。この、突然現れた男は武器を携帯している風ではないが自分より一回り大きくしかも俊敏な身体つきだ。サダルメリクはじわりと、後方の壁際に立て掛けた猟銃袋に枯れ枝のような細い手を伸ばす。

「榛統也…一体何故ここにいる?公爵を殺しておいて随分と大胆だな」

「いや、ルイを殺したのは貴方だ、メリク」

 統也はポケットに手を入れサダルメリクは一瞬後ずさった。しかし骨ばった大きな手の中にあったのは小さな青い輝きだった。サダルメリクは息をのんだ。

「星だ。メリク…いや、サダルメリクが貴方の本名なのか?水瓶座の星のひとつと同じ名前なんだろ?

 ルイは死ぬ直前までこの指輪を見ていた。最初は何の事か分からなかったけど指輪の刻印と公爵邸に刻まれている紋章が同じだと気付いたんだ。それが水瓶座だと知るには少し時間がかかったよ。俺は星座の名前などには疎かったからな」

 それは公爵家の当主が最初の大戦の前に作らせた指輪で、台座の宝石には公爵家の紋章である星座の沈み彫りが施されていた。今では希少なカシミールサファイアだが勿論統也は知る由もない。

 全く、あんなに粗雑に扱いやがって、豚に真珠とはこの事だ。サダルメリクは忌々しげに統也と、彼の掌の指輪を睨んだ。

「俺を尾けて来たのか?」

「貴方が今朝バックパックひとつでオフィスの駐車場を出てからずっとな」

「悠長なことだな。国中の警察に追われる身だろうに」

「そうも言ってられない。公爵は死ぬ間際、自分を刺した犯人が次は公爵夫人を狙うだろうと言ったんだ。数週間前、俺は貴方がカフェで中東系の奴等と言葉を交わすのを見ていた。堅気とは思えない連中だった」

 サダルメリクは思わずしげしげと目の前の東洋人を見た。どうやらこの坊やは呆れる程俺の近くに張り付いて監視を続けていたらしい。

「あの女に、公爵夫人に言ったのか」

「ああ、しかし彼女は俺に、これ以上自分に関わらず去るように告げた。その直後俺は警察に追われる羽目になったから姿をくらまさなくてはならなくなったけどな。だがそれも終わりだ。さっき、貴方がこの小屋に入るのを確認した後で公爵邸に連絡を入れた。使用人達は酷く動揺して、俺が誘拐犯かと問い詰めてきた…答えろ、彼女は今何処にいる?」

 統也の声は静かに凄みを帯びていた。サダルメリクは沈黙したまま狡猾に考えを巡らせた。一体この坊やは俺の素性を、もしくは公爵との確執を知っているのか?いや、恐らく違うだろう。この男は所詮、公爵家のしがらみとは無縁な部外者だ。僅かな幸運と獣じみた感覚で偶然ここに辿り着いたに過ぎない。しかし、その幸運もここまでだ。サダルメリクは背中越しに更に手を伸ばした。

「お前は随分と公爵に気に入られていたよな。女房を寝取られたと知っていたら流石のルイも寛容ではいられなかっただろうに。この、雪の女王の番犬が!」

 サダルメリクは椅子を蹴った。猟銃袋を引っ付かんで隣の厨房に飛び込みドアの鍵をかける。ドアは凄まじい音を立てて蹴破られた。サダルメリクは銃を構える。蝋人形のごとき痩身だが抜け目の無い男と手負いの獣じみた男が大型の調理テーブル数mの距離を挟んで一瞬対峙した。サダルメリクの銃の命中精度は高く目の前の丸腰の統也の不利は明らかだった。サダルメリクが引金をひく直前、統也は調理テーブルの縁を掴み押し倒した。

 サダルメリクは辛うじて避けた。大きな音と共にひっくり返った調理テーブルをあっという間に乗り越え統也はサダルメリクの腕を掴み斜めにねじり倒した。狂気に近い悲鳴が狩猟小屋の天井に響く。

 猟銃を奪い取った統也はサダルメリクに向けて構えた。今迄人を撃った経験はない。統也は唾を飲み込み僅かに動作を止めた。サダルメリクが悪鬼の形相で壁にかけていた解体用ナイフを手に飛びかかって来た。最早逡巡の余地すらなかった。

 統也は己の血が沸騰する感覚のまま銃を構え直し、彼にとって生涯最初で最後の選択をした。迫り来る男に意識を集中させ引金をひいた。



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