史緒音4
~Sione~
統也は公爵夫人を見つめ、何ひとつ後悔はしていないと言った。
夫人は暫く無感覚に陥っていたが、やがて衣服を整えると立ち上がり、後ろを振り返る事なくサンルームを出た。
外は何事もなかったかのように夕暮れの気配を纏う風が吹いている。
自分は特別な人間ではなくなった、彼女はふと、そう思った。
統也は大通りを歩きながら、ベルベットのように美しく澄みきった夜の空を見上げていた。
公爵夫人を抱いた。自分は罰を受けるべきなのだろうかと思う。かつて彼の望みはとても単純なものだったが、今目の前にあるのはあまりにも巨大な虚であり、氷の壁だった。彼は彼女の決して誰にも救うことの出来ない虚無と孤独を垣間見た。彼女にとって、俺は混乱をもたらす存在でしかないのだろうか。
異国の街は週末のさんざめく男女や家族連れで溢れていた。しかし彼はひとり空を見上げ、誰にも聞こえる筈もない言葉を心の中で呟いていた。
史緒音。俺はずっとお前が幸せだったらいいと思っていた。何処かの空の下で穏やかな生活を送ってくれればいいと願っていた。それは特になんてことはない、一緒に街を歩いて茶でも飲んで笑ったりする、そんな日常だ。
なあ史緒音、そんなんじゃ、駄目か?
+ + +
公爵夫人は静かに衣服を脱いだ。半ば強引に引きちぎられた為ボタンの取れたシャツを無表情に眺めた。そのまま下着も脱ぐと無造作にダストボックスに全て投げ捨てシャワールームに入った。降り注ぐ水は何故か氷のように冷たく感じられたが、彼女は壁に身を預けたままじっとしていた。
どのくらいの時が経ったか。呼び出し音に彼女は我にかえった。水にうたれながら、何時の間にか一時間以上経過していた。彼女はがくがくと震えながらバスローブに身をくるみシャワールームを出た。呼び出し音の主は、統也と入れ違うように会社のオフィスに戻って行った秘書のガブリエルだった。
「大丈夫ですか?」
秘書の言葉に一瞬、先程の事を思い出したがガブリエルが知る筈もない。そういえばガブリエルは何故か統也に敵愾心を抱いているふしがある。粗野な男ですね、統也を一度パーティーで見た後、あの秘書にしては珍しく一刀両断にそう評したものだ。
秘書との通信を終えた後、彼女は倒れ込むようにベッドに身を横たえ、そのまま意識を失った。
その後、彼女は悪夢にうなされた。幼い頃に死んだ筈の母親が血だまりに倒れていた。母親の人形のような顔は崩れ四肢は潰れており、こちらに向かってさかんに警告を発していた。夢の中の彼女は母親が死んだ頃の少女に戻っており、母親を懸命に助けようとしたが何故か手足ひとつ動かせず泣きじゃくっていた。泣きながら、長い間ずっと泣いていないことを思い出した。背中が焼け付くように熱い。手を伸ばして触ってみると肩甲骨の辺りにびっしりと何かが生えておりしかもぬらりとした液体で濡れている。無理矢理引きちぎってみるとそれは赤く血に染まった羽根だった。
彼女は叫んだ。誰かが慰めるように彼女の額に手をあてた。




