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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

何でも欲しがる妹が、王太子と結婚する私を羨んで「嫁ぎ先を交換して!」と言い出しました。

作者: 大濠泉

◆1


 大陸中央の広域国家バルトロメ王国には、直接、王家に仕える三つの伯爵家があった。

 その三伯爵家の一つ、アルベルチボーデ伯爵家には、姉のカロリーヌと、二歳年下の妹ジャンヌという、美貌の姉妹がいた。

 でも、なぜか両親の愛情は、一方的に、妹ジャンヌにのみ注がれていた。


 姉のカロリーヌもジャンヌと同じく銀髪がキラキラと輝き、青い瞳をしていて、他の家の方々からは、


「姉妹揃ってお美しい。

 さすがはアルベルチボーデ伯爵家のご令嬢だ」


 などと言われていた。

 にもかかわらず、いつも両親から可愛がられるのは妹ジャンヌばかりだった。


 ジャンヌは身体が弱く、幼い頃は、コンコンと咳ばかりしていた。

 でも、その咳する声までが可愛い、と両親は言う。

 姉妹の父ラバラント・アルベルチボーデ伯爵と、母ナスタジー伯爵夫人は、妹ジャンヌにつきっきりで世話をし、それに付き合うことを姉のカロリーヌにも強要するのだった。


 カロリーヌは両親から「可愛い」と言われることがまったくないままに育った。

 アルベルチボーデ伯爵家は、妹ジャンヌを中心に回る家だった。

 その結果、妹ジャンヌは甘えるのが上手になり、カロリーヌは我慢することが上手になった。


 カロリーヌが大切にしていた、お祖父様からいただいたぬいぐるみも、友達からもらったハンカチも、「これはカロリーヌ嬢に」と叔母様から贈っていただいた黄金色のドレスも、すべて妹ジャンヌが散々に使い倒し、袖を通して、捨ててしまった。

 カロリーヌは、ジャンヌが「要らない!」と投げ捨てたボロいぬいぐるみや、壊れたおもちゃなどを手にするばかりだった。

 服装についても、カロリーヌは、幼い頃はハギレを縫い合わせた衣服を着させられ、長じてからは、母が着古したドレスを身に纏い、肌に塗るクリームや化粧品もすべて母や妹のお古だった。

 学園のお友達からいただいたお菓子ですら、家に持ち帰ったら、全部妹に食べられた。


 子供の頃は、部屋が一緒だったから、カロリーヌ用の私物は一切ない状態だった。

 お気に入りの文具は妹のジャンヌが全部使ってしまうし、カロリーヌが友達からいただいた手紙まで勝手に読まれる。

 それなのにカロリーヌが、ジャンヌ用に置かれた鏡台からリボンを「ちょっと使わせて」と言っただけで、妹から「お姉様が私のリボンを取った!」と言われて、大泣きされた。

 父親のラバラントから、カロリーヌはバシン! と頬を叩かれた。


「姉だというのに、妹のものに手を出すとは。

 なんて意地汚い女だ!」


「ほんと、性格の悪い子ね。

 誰に似たのかしら」


 両親揃って姉を悪く言って、妹を甘やかすばかりだった。


 十歳から十五歳までの間も、両親に命じられて、カロリーヌは編み物をさせられたり、絵を描かされたりして、金稼ぎをさせられた。

 マフラーや花の絵を、出入りの商人に買い取らせて、小金を作らせ、その収益のすべてが妹のジャンヌに与えられた。

 表向きには、伯爵令嬢が商売で儲けるわけにはいかないということで、名前を伏されてのことだったので、カロリーヌの作品とは、学園の友達にも知られることはなかった。

 それでも姉の編んだマフラーを首に巻いたり、小金を得たりしたときは、ジャンヌも、


「お姉様、ありがとう!」


 と言って笑顔を見せるので、カロリーヌは満足していた。



 十五歳になって成人式を終え、上級学園に通う頃になって、ようやくカロリーヌは理解した。

 私は搾取子で、妹は愛玩子。

 そして、両親は毒親なのだ、と。


 お父様のラバラント・アルベルチボーデ伯爵も、お母様のナスタジー・アルベルチボーデ伯爵夫人も、揃って社会性がないと、カロリーヌは悟った。

 実際、妹のジャンヌを可愛がるばかりで、いつも夫婦揃って日がな一日中、ぐうたらしている。

 父のラバラントはお酒を飲み、母のナスタジーはお菓子を食べてぶくぶくと太るばかり。

 一応、伯爵家なのだから、貴族として何かしらのお勤めをしているのかと問いかけても、領地は何処にあるのかと問うても、両親ばかりか、執事や侍女も答えてくれない。

 両親揃って浪費するばかりで、何もしない。

 でも、それなりに豊かに暮らしていけている。

 搾取子であるカロリーヌですら、貴族の学園に通わせてもらっている。

 対外的には、病弱で学園を休みがちな(ホントはズル休みの)妹ジャンヌを抱えた、普通の伯爵令嬢として、カロリーヌは学園に通っていた。

 周りから特別な視線を向けられることはなかった。


 でも他所の家の話を聞くと、かなり違う。

 他の貴族家の父親は王宮に出仕しているか、領地経営に腐心し、母親も経営を手助けしたり、侍女を指揮して家事を回しつつ、社交に勤しんでいる。

 なんでも、最近は、王国中で穢れた瘴気の濃度が濃くなっているので、どのように対策をするかが、貴族社会では大きな話題となっているらしい。

 瘴気が蔓延すると、人間は息が吸えなくなり、作物は枯れ、反対に魔獣の活動が活発になる。

 だから、要所要所に魔石を据えた塔を設置して一定の空域を浄化し、瘴気に対して結界を張る。

 そのおかげで、村や街で、人々は生活できているのだ。

 ところが、例年になく瘴気が強くなったーーというより、人間社会を守る結界がなぜだか急に弱くなったーーので、領地を守る貴族たちは対策を講じなければならなくなっていた。

 それぞれの領地に浄化の魔石が設置されているが、その効力を高めようとして、新たな魔石を採掘しようとしたり、魔力に長けた人材を民間から登用しようとしたりと、大忙しになっている。


 それでも、アルベルチボーデ伯爵家の両親は、やっぱり何もしてない。

 舞踏会などの社交界にも顔を出さないせいか、瘴気騒ぎもどこ吹く風のようだ。

 変わった家だと思う。

 カロリーヌが母のナスタジー伯爵夫人に改めて尋ねてみたら、逆に叱責された。


「我がバルトロメ王国が栄えている限り、我がアルベルチボーデ伯爵家は安泰なの。

 そんなつまらないことを気にする暇があったら、ジャンヌのご機嫌を取りなさい。

 最近、塞ぎがちなんだから、カロリーヌがなんとかなさい。

 お姉ちゃんでしょ!?」


 妹ジャンヌが不貞腐れているのには理由がある。

 今現在、カロリーヌは二十歳、ジャンヌは十八歳。

 今年に入って、妹がようやく学園を卒業した(よく単位が足りたものだ)。

 すると、突然、姉妹は両親から言い渡された。


「お前たち姉妹は揃って半年後に婚礼だ。

 幸せになるんだぞ」と。


 二人の嫁ぎ先が、両親によって勝手に決められていたのだ。

 姉のカロリーヌは、アウエルバッハ・バルトロメ王太子殿下の許へ。

 そして、妹のジャンヌは、カシエル・サンマクール辺境伯の許へ。

 つまり、姉カロリーヌが王宮へ、妹ジャンヌは辺境の地へ、それぞれ嫁ぐことが決定しているというのだ。


 カロリーヌは驚いた。

 妹ジャンヌを差し置いて、自分が厚遇された気がしたからだ。

 人生初の出来事だ。

 自分が王太子の許に嫁ぎ、妹が辺境の地へと嫁ぐとは!


 驚いたのはジャンヌも同様だったようで、両目をいっぱいに広げて涙を溢れさせた。


「どうして!?

 カロリーヌお姉様ばっかり、ズルい!」


 両親が慌ててジャンヌを宥め始める。

 二人で次から次へと言い募った。


「貴女は身体が弱いから、田舎の方が良いのよ。

 辺境とは言っても、サンマクール領は自然豊か。

 空気も綺麗よ。

 それに今まで以上に豊かに暮らしていくことができるのよ」


「そうそう。美味しい食べ物がいっぱいだぞ。

 ジャンヌが好きなマンゴーも、オレンジも、パイナップルも名産品だ。

 冬に着込む高品質な毛皮も、辺境産だ。

 ほら、誕生日に買ってあげたネックレスの真珠も辺境産だぞ。

 それに、嫁ぎ先のサンマクール辺境伯家からは、大歓迎されるはず。

 辺境とは言っても、王都から一週間の距離だ。

 お父様もお母様も、ジャンヌに会いに行けるんだから、寂しくないぞ」


「お姉様のカロリーヌも、アウエルバッハ王太子殿下の許に嫁ぐといっても、王太子妃になれるわけじゃないの。

 側室になるだけよ。

 側妃は王妃様と違って、表舞台に立つこともなくって、一生日陰者なんだから。

 お父様のお姉様だって、今の国王陛下の側妃ですけど、ジャンヌも見たことないでしょ!?

 それに、側室であっても、王宮に入るのだから、きっと作法やら何やら大変ですよ。

 そうした面倒なことは、習い事ばかりしているお姉様に任せて、ね!?」


 泣きじゃくる妹を横目に、カロリーヌは、狐に摘まれたような気分になっていた。


 実際、カロリーヌが王宮に嫁ぐことは決定事項のようで、両親から婚礼の話を聞かされた翌朝から、驚くべき事態が起き始めた。

 王宮からカロリーヌ宛てに、ドシドシと贈り物が送られてきたのである。


 婚礼用の純白ドレスのみならず、舞踏会用のラメが入った光り輝くイブニングドレス、その他、緑や青に輝く宝石や、ネックレス、ブレスレットなどの宝飾品、流行りの靴やバックまでが、カロリーヌ宛てに届けられた。


 その品々を見るたびに、ジャンヌは我が事のように喜んだ。

 妹はすっかり、「姉の物は私の物、私の物は私の物!」と思い込んでいたから、当然だ。


「いいな、いいな。私も王宮に行きたい!

 このドレス、素敵。この宝石も良いわ。

 私に似合うかしら」


 と言って、姉カロリーヌ宛てに贈られたドレスや宝石を勝手に身に付け、喜んでいた。


 案の定、両親は、王宮からのプレゼントをすべてジャンヌに渡していく。

 姉のカロリーヌも、贈られてきたドレスに袖を通したいと言っても、無視される。

 姉は、母のナスタジー伯爵夫人から、扇子でパシン! と手の甲を叩かれた。


「カロリーヌは王家に嫁ぐのだから、贅沢言わないの!」



 やがて、王家主催の舞踏会への招待状が来た。

 もちろん、カロリーヌ宛てのものだ。

 でも、いつものように、


「ちょうだい!」


 の一言で、妹ジャンヌが招待状を奪い取ろうとする。

 が、今回は珍しく、ジャンヌに手渡すことなく、ナスタジー伯爵夫人は、


「舞踏会には、家族みんなで行くのですよ」


 と語り、姉に向けて、キッと鋭い眼光を向けた。


「カロリーヌ、貴女も行きますよ。

 でもジャンヌを楽しませることを大切にね。

 貴女は王家の方々に奉仕するために嫁ぐのですから、来賓の方々は、きっと貴女の献身的な姿をご覧になりたく思っているはずよ」


 ジャンヌは身体が弱かったから、舞踏会に出ることが少なかった。

 カロリーヌまで、そのせいで舞踏会を欠席するように両親から強いられてきたのだ。

 だから、アルベルチボーデ伯爵家全員で、舞踏会に出席することは非常に珍しかった。

 まして王宮に行くことなど、今までなかった。

 家族の誰もが楽しみに思って当然であった。


 父親のラバラント伯爵は、カロリーヌの頭に無造作に手を置いて命じた。


「ジャンヌの良い思い出づくりをしてやってくれ」と。


◆2


 アルベルチボーデ伯爵家の家族が一緒に馬車に同乗して出掛けるのは、久しぶりのことであった(いつもはカロリーヌだけが不在)。

 ラバラントとナスタジーの伯爵夫妻は共に金銀の糸で刺繍された衣服を纏い、豪華なファッションで決めている。

 だが、カロリーヌは相変わらず母親のお古ーー型遅れのボロいドレスを着させられていた。

 側室とはいえ、王太子の許に嫁ぐからだろう、今まで王宮からカロリーヌ宛てに、キラキラと光る舞踏会用のドレスや宝石などが贈られてきた。

 が、それらの贈り物はすべて妹のジャンヌの所有物となってしまい、彼女が身に纏っていたのだ。

 


 やがてアルベルチボーデ伯爵家の面々は、光り輝く尖塔が聳える王宮御殿に到着した。

 馬車から降りた彼らは、王宮付きの侍従たちによって舞踏会場へとエスコートされる。


 宵の口の時刻だが、会場内は灯明で煌びやかに照らし出されていた。


 アルベルチボーデ伯爵一家が会場に足を踏み入れると、既に到着していた高位貴族や王族たちがぎょっとした顔をしていた。

 大勢の人々からの視線を感じる。

 瞬時に、会場がざわめき始めた。


「あぁ、お待ちしておりました。

 アルベルチボーデ伯爵家の方々」


 王宮付きの侍従により、中央テーブルに招かれ、アルベルチボーデ家の面々は、王族の方々と同席することになった。

 カロリーヌだけではなく、両親や妹も緊張しており、喉から言葉が出ない。

 それでも、相手からは、にこやかに微笑まれ、柔らかく応対される。


 顔を真っ赤にさせたアルベルチボーデ伯爵令嬢の姉妹に向けて、お菓子と飲み物が配された。

 同席する婦人たちが扇子を広げながら、ジロジロと興味深そうな目を向ける。


「まぁ、こちらの方が、王太子殿下のお相手ですの?」


 と妹ジャンヌを皆が見る。

 彼女は姉のカロリーヌと間違われているようだ。

 それはそうだろう。

 カロリーヌ宛てに贈られたドレスと装飾品を着ているのがジャンヌなのだから。

 妹が姉だと思われて当然である。


 そうと知らずに、ジャンヌは自分が歓迎されたと勘違いして、嬉しそうにしていた。

 同席する王族方から直接、お菓子を勧められた。


 ところが、ジャンヌの隣で、縮こまるようにして座っていたカロリーヌに目を向ける者もいた。

 何かを察して、話しかけてくれたようだ。

 彼女は、王弟の娘チェルシー・ポールブール公爵令嬢であった。

 彼女もほとんど王族といえる。


「貴女の方が妹なの?

 まるでお姉さんのようね」


(いえ実際に、姉なんですけども……)


 と思ったのだけど、にこやかに微笑むだけで、カロリーヌは済ませようとした。


 とはいえ、まるで主賓のように丁重に扱われて、こちらが恥ずかしくなるほどだったから、緊張のあまり、思わず、


「はい……私が姉のカロリーヌです」


 と囁くような声で、答えてしまった。

 ボロい衣装を纏う者の方が姉のカロリーヌと知って、同席していた王族たちが驚いた。


「やはり!

 他の方々以上に、貴女が一段と眩しく輝いておられるので……。

 でも、どうしてお召し物がこのようになっているのです?

 王太子殿下のお心遣いを無になさるのですか」


 とチェルシー公爵令嬢が問いかけてきたので、


「王宮からいただいた衣服や宝飾品は、妹にあげました。

 妹が可愛いので……」


 と言うと、王族の方々から、いっせいに憐れむような眼差しを向けられた。


「姉の立場というのも面倒なものですね。

 でも、装いはどうあれ、今宵の舞踏会の主賓は貴女、カロリーヌ嬢ですよ。

 これをお食べくださいな」


 と言ってチェルシー公爵令嬢から様々なケーキやお菓子を渡された。

 カロリーヌがそれらを口にすると、甘酸っぱい味や、とろけるような食感を味わった。

 今までに、食べたことのない美味しさだった。

 あまりにも美味しそうに頬張る姿に、王族たちが感心したのだろう。

 カロリーヌの前に、次から次へとお菓子や軽食が配膳された。

 それを見て、案の定、ジャンヌが膨れっ面をして、


「カロリーヌお姉様ばっかり、ズルい。

 どうして私にはくれないの?

 私にもちょうだい!」


 と言って、ガバッ! とカロリーヌの前に盛られた皿から、お菓子を取っていった。


 アルベルチボーデ伯爵家の両親も慌てて、


「そうですよ。

 カロリーヌになんか、お菓子も料理も、もったいない。

 さぁ、ジャンヌにお渡しなさい!」


 と母親ナスタジーが言い、父親ラバラントも苦笑いを浮かべながら、


「この娘ーーカロリーヌに、このようなものは、もったいないですよ。

 できれば妹ジャンヌにやってください。

 あはははは」


 と笑う。

 が、彼らの笑いに同調する者は、誰もいなかった。


 同席する王族たちは、皆、怪訝そうな顔付きとなっていた。

 貴婦人たちは扇子を広げて、その裏でヒソヒソと語り合う。


「これが噂の毒親というやつね」


「どうして妹ばかりを贔屓にするのかしら」


「側妃への贈り物を身に纏うだなんて。

 妹の品性を疑うわね」


 様々に憶測され、語られたが、皆、ドン引きしていることは共通していた。

 冷たい視線が、カロリーヌを除く三人のアルベルチボーデ伯爵家の面々に突き刺さる。

 一方で、周囲から注がれる、憐れみを含んだ眼差しを、カロリーヌは敏感に察した。


 そこへ、結婚相手である、アウエルバッハ・バルトロメ王太子殿下が会場に姿を現し、真っ直ぐ中央テーブルへと進んできた。

 巷で「黄金の貴公子」と称されるだけあって、煌めく金髪に、深い碧色をした瞳を持つ美青年で、筋骨も逞しい。

 そんな王太子が、軽く手を挙げて語りかける。


「やあ。カロリーヌ嬢。

 余の招きに応じてくれて、ありがとう。

 一曲、踊ってくれないか」


 王太子は自らカロリーヌが着座する席へと近づき、片膝立ちとなって、手を差し出す。

 隣席の妹ジャンヌが興奮の態で、立ちあがろうとする。

 が、慌てて父のラバラント伯爵が、彼女の腕を引っ張って引き止める。


「ジャンヌは踊れない。

 今日のところは我慢しなさい」


 一方で、カロリーヌは、反対の隣席に座る母のナスタジーに背中を押される。


「ボヤッとしないで。

 カロリーヌ、貴女が行きなさい!」


 娘姉妹を挟む格好で座っていた両親が、共にビク付き、緊張のあまり額に汗を浮かせている。

 妹ジャンヌは不満顔だ。


 それでも、王太子殿下を相手に、無作法をするわけにはいかない。

 カロリーヌは殿下の手を取って席を立ち、舞踏会場の中央へと足を運んだ。


 カロリーヌはダンスを上手に踊ることができる。

 学園での社交ダンスの授業では、トップクラスの成績を収めていた。


 アウエルバッハ王太子の手を取り、豪快に踊った。

 そしてダンスの流れで、カロリーヌは、王太子に顔を寄せたとき、思わず尋ねた。


「ほんとうに殿下が、私の旦那様になってくださるのですか?」


 だとしたら、とても嬉しい。

 実家からも逃げられるし。

 そう思って、期待を込めた眼差しで、ダンスパートナーを見詰めた。


 だが、アウエルバッハ王太子は、憂いに満ちた瞳でカロリーヌの顔を見返す。

 そして、彼女の内心を窺うかのように問うてきた。


「カロリーヌ嬢。

 君は何も知らされていないのかい?」


「はい? 何のことでしょうか?」


 アウエルバッハ王太子は、はあぁ、と溜息をつく。


「アルベルチボーデ伯爵家の方針なのだろうが、どうかと思うな。

 てっきり、あの我儘な方がーー。

 いや、良い。

 余が選べる立場ではない」


 カロリーヌが小首を傾げるうちに、ダンスが終わった。

 アウエルバッハ王太子が丁寧な作法で別れを告げ、立ち去って行った。

 妙に引っかかる言葉を残して。


(「何も知らされていない」って……?

 ほんとに、何のことかしら??)


 カロリーヌは、アウエルバッハ王太子の困惑した表情を思い浮かべ、気分が沈んだ。

 せっかく、未来の夫である王太子殿下との初ダンスだったというのに、なんだかしっくりこない。

 カロリーヌは、モヤモヤした気分を心中に抱えたまま、舞踏会を終えたのだった。


◇◇◇


 そして、案の定、帰宅後のアルベルチボーデ伯爵邸では、キンキン声が鳴り響く事態となっていた。

 カロリーヌは、王太子の呟きを詮索するどころではなくなってしまった。

 当然のごとく、妹ジャンヌが発狂状態になっていたからだ。


「あの王太子様がカロリーヌお姉様の旦那様になるの!?

 酷い。お姉様ばっかり!」


 両親揃って大袈裟な身振り手振りを交えてジャンヌを宥めつつ、説得する。

 ラバラントとナスタジーが、妹のジャンヌを相手にお説教をかますのは珍しいことだ。


「ジャンヌ。

 貴女、側室なんて、嫌でしょ?

 そんなの、お姉様に任せてしまえば良いのよ」


「ジャンヌの健康のためだ。

 自然に囲まれた場所の方が、幸せになれるぞ!」


 それでも、ジャンヌは泣き止まない。

 両親に向かって爪先立ちになって訴えた。


「私、あの王太子様と舞踏会でダンスしたい!

 そして、お父様とお母様から拍手してもらって、貴族の紳士、淑女の方々からも羨ましく思われてーーそういう結婚がしたいの!」


 この頃には、妹ジャンヌはすっかり健康になっていた。

 今までズルして、ひ弱ぶっていただけなのだ。

 だから、余計に悔しかったのだろう。

 何より、両親がジャンヌの望みを聞かないことが初めてだった。

 だから、ジャンヌは感情を抑えられないのだ。


 姉のカロリーヌも不思議に思っていた。

 これほどジャンヌを溺愛しているのに、どうして彼女を王室に嫁がせないのか?

 両親の意図がわからない。


 何時間経っても、ジャンヌは泣き止まなかった。

 ようやく就寝時間となって静かになった。

 が、今度は、カロリーヌの部屋に飛び込んできて、


「私、田舎の家に嫁ぐなんて、嫌だわ!」


 とジャンヌは叫んだ。

 二人きりになったとき、妹は泣きながら、姉のカロリーヌに抱き付いた。


「ねえ、お姉様!

 聞いてくださる?

 私、良いこと考えついたの!」


 妹が考えつくことは、たいがい傍迷惑なものと相場が決まっている。

 それでも、姉らしく、「なあに? 言ってごらんなさい」とカロリーヌは答える。

 すると、鼻息荒く、ジャンヌは捲し立てた。


「私とお姉様、背格好も似ているし、顔立ちも似ているわ。

 それに、婚礼のとき、花嫁さんはお化粧を厚くしてるし、ベールもかぶるじゃやない?

 それでなくとも、花嫁さんが乗る御輿には御簾が掛かってるのよ。

 きっと、誰が誰だか、どっちがどっちだか、わからないはず。

 だから、私たち、入れ替わりましょうよ!

 嫁ぎ先を交換して!」


◆3


 妹ジャンヌが提案したのは、花嫁の入れ替わりであった。

 御輿を乗り換え、嫁ぎ先を交換しようというのだ。


 たしかに、我がバルトロメ王国では、新郎新婦が揃って、客を招くような結婚式や披露宴は行わない。

 儀式があるのは専ら嫁いで行く花嫁の側だけだ。

 花嫁は、実家から送り出されるときに「嫁行き」の儀式を行い、御輿に乗って婚家に向かい、迎え入れた婚家で今度は「嫁入り」の儀式をして、初夜を迎えて、結婚が完了したとされる。


 だから、実家での儀式を終えて御輿に乗るとき、カロリーヌとジャンヌが入れ替わったとしても、誰も気付かないかもしれない。

 ジャンヌの方が太っているから、カロリーヌのドレスに綿でも詰めて、ジャンヌ好みの厚化粧をしたら、儀式的に門から出られない両親や親族と別れを済ませた後に、二人が入れ替わってしまえば良い。

 姉妹で同日に嫁いで行くことになっているからこそ出来る芸当である。


 妹のジャンヌは、いつになく必死の形相をしていた。

 でも、そんな妹の顔を目の前にしながらも、カロリーヌの頭の中では、舞踏会で見た、王太子殿下の憐れむような表情ばかりが思い浮かんでいた。

 そして、ふと言葉が出た。


「たしかに、ジャンヌが王宮に嫁いだほうが良いかも……」


 これに、妹は激しく拳を上下させながら、


「でしょ、でしょ!」


 と嬉しそうにしている。

 だけど、カロリーヌは唇に人差し指を立てて、注意を促した。


「でも、ひとつ約束して。

 私たちが入れ替わること、お父様やお母様には内緒よ。

 こんなことが知れたら、大事になってしまうもの」


 ジャンヌは大きく頷いて、ポン! と胸を叩いた。


「もちろんよ。

 酷いんだから、お父様もお母様も。

 知られちゃったら、私、田舎送りになっちゃう!」


 ジャンヌは嫁ぎ先の事情を考えもしない。

 相変わらずの無神経ぶりだ。

 なのに、その割には珍しく、姉のカロリーヌを思い遣る問いかけをした。


「これで、私の嫁ぎ先は王宮、お姉様の嫁ぎ先は辺境ってことになるのね!

 でもーーここから遠く離れた辺鄙なところだけれども、それで良いの?

 お姉様?」


 カロリーヌは覚悟を決めていた。

 自分は王宮に嫁ぐと、王太子殿下から憐れまれるような事態になるーーつまり、不幸になるに違いない。

 あの王太子殿下の憐憫の表情は、そういうことを予感させた。

 でも、妹のジャンヌが嫁ぐのなら、なんの問題もないかもーー。


「ええ。私よりジャンヌの方が、王宮に嫁ぐのに似合っているわ。

 私は静かな自然の多い田舎暮らしをしたいから」


「さすが、私のお姉様。

 カロリーヌお姉様、大好き!」


◇◇◇


 かくして、アルベルチボーデ伯爵家の姉妹令嬢の「嫁行き」当日ーー。

 カロリーヌとジャンヌ姉妹の、一世一代の共同作業が決行された。


 白いドレスを身に纏うカロリーヌとジャンヌが、姉妹揃って「嫁行き」の儀式を済ませた後、涙に暮れる両親とジャンヌが抱きつく(その間、姉カロリーヌはポツネンとしている)。

 その後、親戚縁者、執事や侍女といった使用人たちが総出で見送りに庭先で整列する。

 そして、カロリーヌとジャンヌの二人は、黒い御簾を掛けた御輿に乗って、庭先から門の外へ出た。


 娘二人を花嫁として送り出した、ということで、実家の門が閉められる。

 両親をはじめとした見送り連中は、庭で居並んだままだ。

 その隙に、門外で、カロリーヌとジャンヌは御輿から降りて、急いで乗り換えた。


 カロリーヌは、豪華な装飾が施された、王宮へと向かう巨大な御輿から、遠方の僻地まで長旅をする、質素な小さめの御輿へと、座を移した。

 ジャンヌは逆に、質素な御輿から豪華な御輿へと移動する。


 その間、わずかに数十秒ーー。


 アルベルチボーデ伯爵家に関わる者すべてが、閉じられた門の内側にいて、誰も入れ替わる現場を目撃していなかったことが幸いした。

 しかも、それぞれの御輿は馬に曳かれているが、その御輿を操る御者は、それぞれの嫁ぎ先の家から派遣される決まりとなっている。

 だから、姉妹が入れ替わったことに気付かないし、気付く者がいたとしても、気にもしなかっただろう。


 かくして、カロリーヌとジャンヌは「花嫁の入れ替わり」に成功し、それぞれの道に分かれて進むこととなった。

 姉と妹が、同時に別々の婚家へと嫁いで行ったのである。


◇◇◇


 なんでも欲しがる妹ジャンヌは、念願通り、バルトロメ王国の王宮へと嫁いで行った。


 ジャンヌの乗った御輿が王宮の裏門から入ると、さっそく「嫁入り」の儀式が行われた。

 荘厳ではあったが、不思議なことに、王族の出迎えがない。

 新郎である王太子殿下すら、顔を見せないのだ。


 王宮に仕える侍従たちが少数で出迎え、侍従長オードロベックが白髪頭を下げる。


「カロリーヌ様。

 アウエルバッハ・バルトロメ王太子殿下の、生涯に渡る伴侶におなりになったこと、お祝い申し上げます」


 嗄れ声をあげてから、ジャンヌを王宮の奥の院へと導き入れる。

 王宮の人たちはアルベルチボーデ伯爵家の姉妹が入れ替わったことを知らない。

 だから、ジャンヌを「カロリーヌ」と呼んだのだ。

 面白く思って、ジャンヌは密かに笑いを堪える。

 すると今度は侍女たちが群がってきて、王宮から贈られてきた純白の花嫁衣装を、ジャンヌから強引に引き剥がした。

 ビリビリと、衣服が裂ける音が、王宮内に響く。


「きゃああ!」


 ジャンヌは、突然、裸に剥かれる事態に驚いて、甲高い声をあげる。

 が、この王宮奥深くには、彼女の機嫌を取ってくれる人は誰もいなかった。


 目を白黒させているうちにジャンヌは生まれたままの姿となり、浴槽に放り込まれた。

 ヌメヌメした、黒い液体で満たされている浴槽だった。

 いまだ午前中ではあったが、ひょっとしたら初夜を前にした、清めの儀式かと思った。

 だが、違った。


「な、何なの? これは、いったい!?」


 裸で涙目になったジャンヌに対して、男性である侍従長オードロベックが姿を現して厳かに言い渡す。


「この浴槽は、貴女の胎内から、魔力が無駄に放出されるのを防ぐためのものです。

 そして、この場所が、側室である貴女の、これからの住まいとなります。

 かなり痛くなりますが、我慢してください」


 浴槽に入ったままの状態で、首の後ろ、脊髄のあたりにズン! と衝撃が走り、激痛が全身に押し寄せた。


「いやああああ!」


 大きな針を首の後ろに刺され、管を付けられたのだ。

 全身が痺れ、四肢が痙攣する。


「怖い、怖い!」と声を出したいのに、声も出ない。

 苦痛に顔を歪めるジャンヌの耳元に唇を寄せて、若い女官が説明する。


「側妃様の胎内より、この管で魔力を吸い取らせていただきます。

 この魔力によって、王宮の尖塔に設置されている魔石が光り輝き、王都を中心とした王領全域に結界が張られるのです。

 以降、側妃様がこの浴槽から出ることは滅多とありません。

 食事は私どもがお口に直接入れさせていただきますし、排泄も浴槽内でなさってください。

 すべて黒い液体が養分として取り込みますので、異臭も漂いませんからご安心を」


 ジャンヌは、ビクンビクン、と身体を跳ねさせながら、


「嫌よ……ここから出して……」


 と微かな声をあげるが、女官は笑顔を貼り付けたままに囁いた。


「これがバルトロメ王室に嫁いだ側妃のお勤めですから、諦めてください。

 王領全域に結界を張り、瘴気を払うために、貴女は嫁いで来られたのです。

 今まで貴女のご実家に、王宮がお金を支給し続けたのは、このお勤めのためなのです。

 王国に生きるすべての民のため、お役立ちください」


 女官の声が遠くから聴こえるように感じられるほど、ジャンヌの意識が薄らいでいく。

 薄らと開けられた瞳に映る視界に、舞踏会の日に垣間見た、「黄金の貴公子」アウエルバッハ王太子の姿があった。

 ちょっと驚いたような表情をしていた。


「ああ、やはり、こちらの娘になったのか。

 良かった……」


 王太子殿下は胸を撫で下ろした様子だった。

 そこでジャンヌの視界は暗転した。


◇◇◇


 一方、カロリーヌ・アルベルチボーデ伯爵令嬢は、辺鄙だけれども、のどかな辺境領地サンマクールに嫁ぐことになった。


 一週間にも渡る長旅の後、城砦のような巨大な婚家サンマクール辺境伯邸で「嫁入り」の儀式をして、新郎をはじめとした多くの人々から歓迎を受けた。

 そして夜になって、豪華な晩餐をいただき、初夜を迎えた。


 緑髪の夫カシエル・サンクマール辺境伯が、引き締まった身体にカロリーヌを抱き寄せて語りかけた。


「よく我が辺境伯家に嫁いで来られた。

 我が領土サンクマールは、海の幸、山の幸に恵まれて豊かだが、いかんせん、時折、瘴気が吹き荒れて、海が急激に波立って、渦巻いてしまうことがあるのだ。

 海が荒れるのを穏やかにするため、浄化の魔石に魔力を込めて制御している。

 ところが、ここ最近、瘴気が強いせいか、魔石の魔力が尽きることが多く、海に船が出せない日々が続いている。

 だからこそ、豊かな魔力を持つ者に、ぜひ嫁に来てもらいたいと念願していた。

 すると、どうだ。

 魔力が豊富ゆえに、代々、バルトロメ王室の礎となってきたアルベルチボーデ伯爵家のご令嬢を嫁にもらえるというではないか。

 しかも、このように美しい、魔力に輝く女性だとは、思いもしなかった。

 私は果報者だ。

 見るが良い。

 貴女が傍らに居るだけで、魔石がこのようにキラキラと金色に輝いている。

 この魔石を海辺の塔に据えると、きっと明日にでも海が渦巻くことなく、海の中の魔魚どももおとなしくなるであろう。

 我が嫁がこのように膨大な魔力を持っているとは、さすがに想定外であった。

 おかげで魔力にゆとりができよう。

 ゆくゆくは結界の規模を押し広げて、山向こうの魔獣をも追い払えるかと思うと、喜びに身が震えるぞ!」


 カロリーヌは、夫にギュッと強く抱き締められた。


(魔力に輝く女性? 私が?)


 生まれてからそうなので、カロリーヌ自身が実感することはなかった。

 だが、カシエル辺境伯のような鑑定力を持つ者からは、カロリーヌは「魔力豊かで白く輝く女性」なのだ。


 良くはわからないが、夫から歓迎され、強く必要とされていると、カロリーヌは実感できた。

 嬉しくて、自然に涙が溢れてきた。


◇◇◇


 そして、カロリーヌとジャンヌ、娘二人が嫁いでから、三ヶ月後ーー。


 アルベルチボーデ伯爵家夫妻のラバラント伯爵とナスタジー伯爵夫人が、バルトロメ王宮の奥の院へと呼び立てられた。


 地下にある魔力吸引室へと案内され、毒親たちはびっくりした。

 王宮に嫁いだ側妃が実際にどのような扱いを受けているのか初めて知ったこともあるが、それよりも、彼らが驚愕したのは、今現在、黒液の浴槽に浸かって脊髄から魔力を吸い取られているのが、姉のカロリーヌではなく、妹のジャンヌだったからであった。


 彼らが愛したジャンヌは、見るも無惨に頬がこけ、目が虚ろになっていた。

 ラバラントとナスタジーは、ジャンヌの全身が浸かる浴槽に駆け寄って大声をあげた。


「おお、可哀想に。ジャンヌ、ジャンヌ!」


「これは何かの間違いよ!」



〈王太子、もしくは国王の側室〉は、王都を中心とした広大な王領全域を、瘴気から守るために、魔力供給の道具になる決まりであった。

 バルトロメ王家に仕える三伯爵家こそが、魔力豊富な血統ゆえに、代々、側室として王宮に仕えてきたのである。

 中でも、アルベルチボーデ伯爵家の血統は、三伯爵家の筆頭として、側妃にあがることが多かった(魔力が豊富な人材は、なぜか女性ばかりであった。一説には子宮に魔力が宿るためと言われている)。

 魔力豊富な娘を次代の側室として王室に差し出すこと。

 これが、アルベルチボーデ伯爵家の隠された役目だったのである。

 現に、つい最近まで、アルベルチボーデ伯爵家の当主ラバラントの実姉が、現国王陛下の側室として、魔石に魔力を供給し続けて瘴気を払い、王都の安全を守ってきた。

 次に側室となるのは、生まれたときから膨大な魔力を秘めたカロリーヌと決まっていた。

 ゆえに、ラバラントがアルベルチボーデ伯爵家の当主として、王宮から養育費を支給されていたのである。

 つまり、カロリーヌを養育するために、王宮からお金を貰っていたのだ。

 それなのに、妹のジャンヌや、自分たちの放蕩にお金を費やし続けてきたのであった。


 両親が共に長女カロリーヌを嫌ったのは、生まれたときからだった。

 胎内に宿す魔力によって、白く輝く身体で生まれてきたカロリーヌを、両親揃って「気持ち悪い」と思ったのだ。

 カロリーヌが幼少の頃から聡明で、現在、国王の側室として王都を守っている姉のテリスよりも魔力が豊富なことも、当主ラバラントの気分を害した。

 ラバラントは姉さん子だったから、カロリーヌが姉を超える魔力持ちであること自体が鼻持ちならなかったのだ。

 それに、次に生まれたジャンヌは病弱で、自分たちが面倒を見なければ死んでしまうのではないかと思うほど、保護意識をそそる娘であった。

 さらにジャンヌは魔力も自分たち程度しかなく、あまり賢くないところも、両親にしてみれば、可愛く思われるポイントだった。

 王国のために生贄となる運命のカロリーヌに対して、後ろめたい思いもあり、かえって両親は彼女の存在を無視し続けることにしたのだ。

 加えて、カロリーヌ本人に、魔力が豊富だと知らせることもしなかった。

 自分の魔力が豊富と知ったらカロリーヌが増長する、妹ジャンヌのこともバカにするに違いない、などと勝手に警戒したからだ。

 さらに、将来、王宮に嫁いで王都の礎となるべき運命であることも、カロリーヌには隠し続けた。

 ヘタに伝えると、自分が犠牲になりたくないカロリーヌによって色々と画策されて、妹のジャンヌが代わりに犠牲になりかねなくなるのを恐れたからだ。


 つまり、ラバラントとナスタジーの両親は、魔力供給の道具にされるのを承知の上で、娘を王家に嫁がせたのであった。

 もっとも、妹のジャンヌではなく、姉のカロリーヌを犠牲の羊として嫁がせるつもりだったのだがーー。



 驚愕の表情でジャンヌに縋り付くアルベルチボーデ伯爵夫妻に対して、侍従長オードロベックが冷たく言い放つ。


「この女では魔力が少ない。

 魔石に籠る力が足りない。

 これでは王都を中心とした王領の安全を確保できぬ。

 おかしくはないか」


「ですから、姉のカロリーヌの方をーー」


「どうして、ジャンヌが?

 王室に嫁がせたのは、もう一人の、別の娘の方なんです」


 ラバラントとナスタジーの言い訳を耳にして、侍従長は眉間に深い縦皺を刻んだ。


「これは異なことを。

 とすれば、それぞれの娘が嫁ぎ先を誤ったというのか?

 だとしても、もう遅い。

 アルベルチボーデ伯爵家のもう一人の娘は、南方の要衝、サンマクール領の辺境伯家に嫁いでおるそうではないか。

 聞いておるぞ。

 想定外の魔力を得て、海が穏やかとなって、連日大漁続きで活気に満ちておるそうだ。

 花嫁を迎え入れてからというもの、領地を取り囲む結界が強化され、魔獣の脅威から解放されたとか。

 おかげで、魔力豊富な花嫁は、辺境伯家の者たちのみならず、領民からも女神のように慕われておるのだそうな」


 老侍従長からの噂話を耳にして、アルベルチボーデ伯爵夫妻は揃って何度も頷いた。


「そうです、そうです。

 アレは、私どもでも気持ち悪く思うほど、魔力が豊富な娘でーー」


「ですから、王宮に差し出そうと……」


 二人の言い分を聞いて、オードロベックは冷笑し、肩を竦めた。


「だとしても、今さら取り替えることなど、出来るものか。

 辺境伯領から〈女神〉を奪おうものなら、我が王国は内戦に突入してしまうぞ。

 貴様らが招いた緊急事態だ。

 責任を取ってもらう」


 老侍従長がそう言い放つと、


「ぎゃっ!」


「ぐぎゃ!」


 と、伯爵夫妻は呻き声を発した。

 背後から、騎士たちに当て身を喰らわされて、二人は昏倒し、倒れ込んだのである。


 数分後には夫婦二人が並んで丸裸にされ、黒い液体で満たされた浴槽に浸かっていた。

 ジャンヌ同様、脊髄に管を通されて。

 二人の浴槽の隣には、白眼を剥いたジャンヌが浸かる浴槽が並んでいた。


「ふむ。

 三人合わせて、ようやく一人分といったところか」


 侍従長オードロベックが白髭をしごきながら満足げに頷く。

 が、しばらくして、髭をしごく手を止めて思案する。


(いや、三人合わせても、サンマクールに嫁いだ娘の魔力には、到底及ばぬだろうな。

 自然放出のみで周囲の魔石が光り輝くというのだから。

 やはり、かつて王宮舞踏会に彼女が来たとき、身柄を確保しておくべきだった。

 かつてないほど尖塔の魔石が光り輝いたというからな。

 彼女ならあるいは、この魔力吸引の管すら必要なかったかもしれん。

 惜しいことをした……)


 老侍従長が物思いに耽っているところへ、アウエルバッハ王太子がひょっこり顔を出してきた。

 アルベルチボーデ伯爵夫妻を王宮に呼び出したと聞いて、様子を見に来たのだ。

 侍従長は王太子殿下に対し、丁寧に頭を下げた。


「殿下。わざわざご足労いただき、痛み入ります。

 事は急を要していたのです。

 今上陛下の側妃が、もうすぐこと切れそうなのでございます。

 ゆえに、今後はこのアルベルチボーデ伯爵家三人の力で王国を維持していくしかございません。

 幸い、ナスタジーなる夫人の方も同じ血筋の従姉妹であったため、魔力がありました」


 ふむ、と納得しながらも、アウエルバッハ王太子は腕を組む。


「とはいえ、これではアルベルチボーデ伯爵家が絶えてしまうのではないか?

 今後の魔力の供給はどうするつもりだ」


「あと二つの伯爵家がございますから、ご安心を。

 それに、この夫婦が男子がいないにも関わらず、妹に伯爵家を継がせようとせず、平気で辺境伯家に嫁がせようとするところがおかしいんですよ。

 おそらく、辺境伯家から見返りとして大金を積まれたのでしょうな。

 まあ、その結果と言っては何ですが、現実的に考えれば、おそらくはサンマクール辺境伯家に、今後は協力を仰ぐことになるかと。

 辺境伯家に嫁いだカロリーヌは強大な魔力を持っているようで、その血統にも期待がもてるようになります」


 老侍従長の説明を受け、王太子は、三人の憐れな人柱を見下ろしながら吐息を漏らす。


「このような犠牲で瘴気を払うしかない現状を、一刻も早く改善したいものだ。

 幸い、環境省の瘴気対策研究においてかなりの成果があって、今後は効率的に魔石効果を得られるようになり、一日に数時間の奉仕で瘴気が払えるようになりそうだという。

 とはいえ、さすがにその魔道具が完成して実用化されるのは、次の世代になりそうだが……」


 オードロベックは再度、白髭を撫で付けながら、目を細める。


「私たちの代では、このままでなんとかするしかないでしょうな。

 それにしても、アルベルチボーデ家の者は憐れよの。

 一日のうち、六時間ぐらいは激痛に悩まされるというが……それ以外の時間は気持ちの良い夢が見られるよう、幻覚を脳内に流し込んでおきましょうか。

 この娘が、殿下と共に舞踏会でダンスを踊り、それを満足げに眺めるご両親といった具合の幻覚をーー」


 王太子と老侍従長があれこれと話し合う最中、毒親たちは、黒い液体に浸かりながら、全身をビクンビクンと跳ね上げ、呻き声をあげる。

 その隣では、妹ジャンヌの頬に涙が一雫流れていた。


「お姉様ばっかり、ずるい……」


 その呟きを耳にする者は、誰もいなかった。


◇◇◇


 一方、王都から遠く離れた南方の辺境地サンマクールではーー。


 姉のカロリーヌが領主館で、左団扇の幸せな日々を送っていた。


 サンマクール領は、自然豊かで、空気が綺麗だった。

 真珠貝の養殖で経済的にも潤っているうえに、山海の珍味が豊富であった。

 美味しい果物もいっぱいあり、マンゴーも、オレンジも、パイナップルも、好きなだけ食べられた。

 王都ではちょっと食べるだけでも大金がかかる、珍しい野獣の肉も、ここの市場ではタダ同然の安値で売られていた。

〈王侯貴族専用の冬装束〉と称される魔獣の毛皮も、この地の店先では、無造作に積見上げられて売られている。

 冬に着込む毛皮もたっぷりあって、事欠く事はなさそうだ。


 夫に強引に勧められて、カロリーヌは特産品の大粒の真珠のネックレスを首に巻き、鉱山から採取した碧色の宝石を指輪に付けていた。

 夫のカシエルは朗らかな声をあげ、リクライニングチェアに座る妻の銀髪頭を撫でる。


「今朝も美しいな。白く輝くサンマクールの女神様」


 夫の大きな手を優しく払いながら、カロリーヌは苦笑する。


「もう。女神だなんて呼び方、ほんとにやめてください。

 それに、この真珠も宝石も、特産品なんでしょ?

 私が付けるよりも、市場に出した方が収益になるんじゃ……」


「ほんとに君は、贅沢に慣れないようだね。

 でも、我がサンマクールの女神が、その土地の宝飾品を身につけない方がおかしいだろ?

 領民にとっても、君が美しく着飾る方が嬉しいに決まってるさ」


 カロリーヌは頬を赤く染めて、少し俯く。


「実家では、着飾る役目はいつもジャンヌと決まっていたから……」


 カロリーヌは、ふと、妹ジャンヌのことを想う。

 自分が幸せになっているのは、彼女が嫁ぎ先を取り替えてくれたからだ。

 妹のワガママが最後に役に立った。

 ほんとうに感謝している。


 先々月から何度か、お父様とお母様が遊びに来るという手紙を寄越してきたが、この幸せを維持するため、夫に頼んで、適当な理由を設けて先延ばしにしてもらった。

 三ヶ月も経った最近になると、そうした両親からの手紙も送られてこなくなった。

 おそらく妹が気を利かせて、私をそっとしておいてくれたのだろう。


「ジャンヌも、幸せにやっているかしら。

 報せがないのは、良い報せというけれど……」


 このときには夫カシエルも、カロリーヌとジャンヌの姉妹が嫁ぎ先を交換したという裏事情を聞かされていた。

 だからこそ、カシエルは語気強く主張した。


「心配要らないよ。

 君の代わりに、側室とはいえ、王太子殿下の許に嫁いだんだろ?

 だとすれば妹君は、いずれは国王の側妃になるんだ。

 君が心配するようなことは何もない。

 今頃は舞踏会でアウエルバッハ王太子殿下とダンスを踊っているだろうさ」


 そう口にしてから、カシエルは不安げな顔になる。


「どうしたの?」


 とカロリーヌが問うと、夫カシエルは逞しい腕で、妻を抱き締め、問いかけた。


「カロリーヌ。

 君も王宮の舞踏会で踊りたいと思っているのか?

 たとえそうであっても、私は力ずくでも、君をこの地に引き留めるつもりだ。

 君が妹と入れ替わって我が家に嫁いでくれて、本当に感謝している。

 君は私だけではなく、このサンマクール辺境伯家のーーいや、領地全体にとっての女神になったのだから」


 カロリーヌは白い手を伸ばして、夫の緑色の頭を撫でた。


「もう。心配しないで。

 私、王宮になんか、行きたくないわ。

 ここで美味しい食事をいただけるだけで十分、幸せなんだから」


 サンマクール辺境伯夫妻はそのまま抱き合って、熱いくちづけを交わした。

 歓喜に身を震わせながら、カロリーヌは本気で妹ジャンヌに感謝していたのだった。


(了)

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こんな鬼畜システムを運用する国自体が腐ってるな。 王家にもざまぁを。
妹は魔力足りないなら結局のところ辺境に嫁いでもバスタブ拘束での魔力抽出なんですか? それとも辺境ならハピエンなんですか? 王都は技術開発急いでるみたいですし王都だけが技術が遅れていてバスタブ魔力抽出を…
何気に王家にはいった父の姉が主人公の境遇にかなり影響を与えてるけど、どんな人だったんだろう。 父が慕うから似た感じの人としてちょっとアレな感じだったのか。弟と似ず良い人だったら風呂漬けの境遇が哀れす…
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