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俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します  作者: パラレル・ゲーマー


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第96話 猿と退魔師と呪術の深淵

 漆黒の便利屋「ノックス」との謎めいた邂逅から一夜。佐藤健司の世界は、再び静かで過酷な修行の日々へと戻っていた。だが、その日常はもはや以前のような閉塞感を伴うものではなかった。彼の心には、明確な「敵」と、そして共に戦う「仲間」の存在が、確かな輪郭を持って刻み込まれていたからだ。


 能面の男が放った『沈黙の楔』。魔力を封じられてなお、己の肉体と技術だけで勝利を掴み取った、あの瞬間の記憶は、健司の魂の奥深くに新たな自信と、そして新たなる渇望を植え付けていた。もっと強く。魔法だけに頼らない、揺るぎない地力を。


 その渇望に応えるかのように、健司はMMAジムでのトレーニングに、さらに没頭するようになっていた。斎藤会長の指導は日に日に熱を帯び、健司の動きは、もはや素人目には捉えられないほどの洗練さと鋭さを増していく。彼はスポンジが水を吸い上げるように、闘争の「理」を、その肉体に刻み込んでいった。


 その日の夜。健司が汗まみれのトレーニングウェアのまま、自室のマンションに帰り着くと、リビングのソファに見慣れぬ先客がいることに気づいた。


 ――だが、健司は驚かなかった。その男から放たれる、穏やかでしかし一切の隙がない気配。これは、彼がよく知る信頼できる仲間のものだったからだ。


「やあ、K君。お邪魔してるよ」


 ソファで寛ぎながら文庫本を読んでいたその男――日本退魔師協会の弥彦が、人の良い笑みを浮かべて顔を上げた。


「弥彦さん。どうしたんですか、急に」


 健司は汗を拭いながら、彼の隣に腰を下ろした。


「橘さんから君の家の合鍵を預かっててね。まあ、緊急時の連絡役みたいなものさ」


 弥彦はこともなげに言った。その言葉は、健司がもはやヤタガラスにとって、それだけ重要な存在になっていることを示唆していた。


「それにしても凄い熱気だね、君は。ドアを開けた瞬間、闘争心の匂いでむせ返るかと思ったよ」


 彼は面白そうに笑った。


 健司は苦笑しながら、先日の戦闘について掻い摘んで話した。能面の男、予知殺しの術式、そして魔力を封じられた末の辛勝。


 弥彦は静かにその話に耳を傾けていた。そして、健司が全てを語り終えると、彼は感心したように深々と頷いた。


「なるほどな。……それは良い経験をした」


 彼の、皺の刻まれた目元が優しく細められる。


「君の言う『沈黙の楔』。おそらく我々の世界で言うところの『禁呪符きんじゅふ』の一種だろう。対象の魔力の流れそのものを一時的に『封じる』ことを目的とした、極めて高度な呪符だ」


「呪言や空間操作も使えるとは、相当な手練れだな、その能面の若造は。……どこの流れの者だろうか」


 弥彦は腕を組み、思考を巡らせる。その姿はもはや人の良いイケオジではなく、この国の裏側を知り尽くした大ベテランの退魔師の顔だった。


「それでな、K君」


 弥彦は本題を切り出した。


「君のその戦いぶりを聞いて、橘さんと少し相談したんだ。……君にいくつか新しい『武器』を授けておくべきだろうとね」


「武器ですか?」


 健司は、腰に差した古刀の柄にそっと触れた。これ以上の武器があるというのか。


「ああ」


 弥彦は頷いた。


「君の戦い方は、あまりに正直すぎる。……予知と、圧倒的な身体能力での正面突破。それは確かに強力だ。だが、今回のようにお前の術が効かない敵、トリッキーな相手が出てきた時、対応しきれない」


「君にはもっと『搦手からめて』が必要だ。……相手の意表を突く、汚い手とでも言うかな」


 弥彦は悪戯っぽく笑った。


「今日、私がここに来たのは、そのための個人授業さ」


 彼は作務衣の袖から、数枚の真新しい札を取り出した。そこには健司には読めない、複雑な梵字のような紋様が朱で描かれている。


「基本の退魔の呪符だ。いくつか使い方を教えてやろう」


 健司はゴクリと喉を鳴らした。退魔師の秘術。その深淵に、今触れることができる。彼の向上心と好奇心が燃え上がっていた。


「よし。じゃあまずはこれだ」


 弥彦は一枚の札を健司に手渡した。そこには「縛」という一文字が書かれている。


「これは『金縛りのかなしばりのふだ』。まあ、一番ポピュラーなやつだな」


「これをどう使うんです?」


「投げつけて相手に貼り付ける。あるいは、床や壁に貼り付けて、簡易的な罠として使う。札が対象の魔力に触れた瞬間、発動し、数秒間その身体の自由を奪う。……まあ、仙道君レベルの相手だと力ずくで引きちぎられるが、それでもコンマ数秒の隙は作れる。……君にとっては、十分すぎる時間だろう?」


 健司は息を飲んだ。そうだ。コンマ数秒。それさえあれば、俺の必殺の間合いに持ち込める。


「次に、これだ」


 弥彦は二枚目の札を示した。


「『目隠しの札』。これを相手の顔に貼り付ければ、数分間その視覚と聴覚を奪うことができる」


「そして、これが俺のお気に入り」


 弥彦は三枚目の札を指で弾いた。


「『泥沼の札』。これを地面に叩きつければ、半径5メートルほどの範囲が粘着質の泥沼に変わる。相手の足止めにはもってこいだ」


 金縛り、目くらまし、足止め。どれも直接的なダメージを与えるものではない。だが、戦いの流れを決定的に変える強力なデバフ(弱体化)効果。これこそが、今の自分に最も欠けていた戦術の幅だった。


「……すごいですね……」


 健司は感嘆の声を漏らした。


「これを、俺も使えるようになるんですか?」


「ああ、もちろんさ」


 弥彦は頷いた。


「ただし君は、俺のように札に魔力を込めて術式を構築することはできん。君は、そういう訓練を積んできていないからな」


「だから君は『出来合いの道具』として、これを使うんだ。……俺があらかじめ魔力を込めておいた、この呪符をな」


 彼は十数枚の呪符の束を健司に差し出した。


「お守りだ。持っていけ」


 健司はその札束をありがたく受け取った。ずしりと重い。それはただの紙の重さではなかった。ベテラン退魔師の経験と力が込められた、頼もしきお守り。


「ありがとうございます、弥彦さん。……これだけで、戦い方がかなり変わりそうです」


「ああ」


 弥彦は満足げに頷いた。


 そして彼は、最後の、そして最も重要な「武器」を、健司に授けようとしていた。それはもはや「道具」ではなく、彼の魂そのものを変質させるほどの、危険な知識だった。


「……さてと」


 弥彦の声のトーンが変わった。その目は、もはやただの親切な先輩のものではない。この世界の深淵を知る、大いなる師の目だった。


「君にもう一つだけ教えておこう。……呪術の本当の恐ろしさをな」


 彼は健司の目をまっすぐに見据えた。


「K君。……呪術の本質とは、なんだと思う?」


 その、あまりに根源的な問い。健司は言葉に詰まった。


「……相手を弱らせたり……縛ったり……そういうことですか?」


「ふふ。それも一つの側面だ。だが、もっと根源的なものがある」


 弥彦は言った。


「呪術の本質とはな。……『貸し』と『借り』の概念だ」


「貸しと借り?」


「そうだ。我々術師が使う力は、決して我々自身のものだけではない。我々は常に、この世界のありとあらゆるものから、力を『借りて』いるのだ。……神々から、精霊から、あるいは我々の祖先たちの魂から」


「そして、借りたものはいつか必ず返さねばならん。……それが『代償』だ」


 健司は息を飲んだ。再生魔法を使った時の、あの「OSクラッシュ」。ランク付きの【身体強化】を使った後の、激しい反動。それらもまた、「代償」の一種なのだろう。


「その『代償』を自分ではなく……相手に押し付ける。……それこそが、呪術の最も邪悪で、そして最も強力な使い方だ」


「K君。……これから教える術は……決して軽々しく使ってはならない。……使う時は、自らの魂が穢れる覚悟を持って使え」


 その、あまりに重い警告。健司はゴクリと喉を鳴らし、その言葉の続きを待った。


 弥彦は、静かに古の禁術の名を口にした。――それは、日本退魔師協会のごく一部の人間しか知らない、秘中の秘。


「―――『因果応報カルマ・リトリビューション』」


 その言葉が響き渡った瞬間、部屋の空気が凍りついた。


 健司の脳内に、直接魔導書の驚愕の声が響き渡る。


『……馬鹿な……!? なぜ貴様がその術を……!? ……それは、あいつの……!』


「その術はな」


 弥彦は、魔導書の混乱など意に介さず、静かに続けた。


「自らが受けた傷、痛み、そして呪い。その全ての『負の因果』を、そっくりそのまま相手に『転移』させる、カウンター型の呪術だ」


「相手に斬られたら斬り返すのではない。……相手が斬ったという『事実』そのものを……相手の身に再現させるのだ」


 健司は戦慄していた。それは、もはや魔法ではなかった。世界の理そのものをハッキングする、神の所業。


「発動条件は、ただ一つ」


 弥彦は言った。


「相手の攻撃を、その身に受け止めること。……そして、その痛みを魂に刻み付け……相手への純粋な『呪い』へと変換することだ」


 健司の脳裏に、あのヴァンパイアハンターとの戦いが蘇る。銀の杭が、自らの肩を貫いた、あの瞬間。もし、あの時この術を知っていたら。


「……だが、忘れるなよ、K君」


 弥彦は最後に釘を刺した。


「この術は、諸刃の剣だ。……相手に因果を転移させるということは……自らもまた、相手の因果と深く繋がるということ。……使い続ければ、いずれ貴様の魂は、無数の他人のカルマに蝕まれ……壊れるだろう」


「これは、最後の最後の切り札。……そして、一度使えば二度と元には戻れない、地獄への片道切符だ」


 その、あまりに重い警告。健司は何も言えなかった。彼はただ、自らの掌を見つめた。そこには今、この世界の最も深淵な闇に繋がる、禁断の扉の鍵が握らされていた。


 ――その扉を開けるか否か。

 その選択を迫られる日が、いつか必ず来る。


 その確かな予感を胸に、健司はただ静かに、その重みを受け止めることしかできなかった。彼の、神へと至る道は、もはや光の中だけを歩むものではなくなっていた。

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