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俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します  作者: パラレル・ゲーマー


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第86話 猿と念動と見えざる手

 血と汗の匂いが染み付いたトレーニングウェアを脱ぎ捨て熱いシャワーで肉体の疲労を洗い流す。佐藤健司にとってそれはもはや日常の一部と化した戦士の儀式だった。SAT-Gとの地獄の合同訓練を終えてから数日。彼の肉体と魂はあの日の敗北に近い激闘を糧として飢えた獣のように次なる成長を渇望していた。


 リビングに戻りプロテインシェーカーを呷る。その視線の先ローテーブルの上には彼が先ほど自らの手で生み出したばかりの歪な氷の塊が数個転がっていた。 【凍結魔法】。 仙道との会話をきっかけにその扉を開いた新たな力。無から氷を生み出すことはもはや彼にとって造作もないことだった。問題はその先だ。


「……ふっ!」


 健司はその中の一つを掴むと野球のピッチャーのようなダイナミックなフォームで数メートル先の壁に向かって投げつけた。だがその動きはあまりにぎこちなく彼の意志とは裏腹に氷塊は力なく放物線を描き壁の随分と手前でぽとりと床に落ちた。カランという虚しい音が響く。


「……くそっ。ダメだコントロールが定まらねえ」


 健司は悪態をついた。MMAジムで培った身体操作能力をもってすれば石ころ一つでももっとマシな軌道で投げられるはずだった。だが自らが生み出したこの魔力の塊は不思議なほど手に馴染まない。まるで彼の肉体がその異質な存在を拒絶しているかのようだった。


 もう一度。今度はサイドスローで。 氷塊は大きく右に逸れソファのクッションに虚しく当たった。 次はアンダースローで。 力みすぎたのか氷は天井に激突し粉々に砕け散った。


 そのあまりに無様な光景。 それを見逃すほど彼の魂の師は甘くはなかった。


『……おい猿』 脳内に直接響く心底軽蔑しきった声。 『貴様は本当に救いようのない運動音痴だな。……お前猿以下の投擲技術だぞ…!』


「ううるさいなぁ!」 健司は顔を真っ赤にして叫んだ。 「練習したら良いだろ? そのうち慣れる!」


『練習だと?』 魔導書は鼻で笑った。 『貴様のその猿レベルの身体感覚で魔力の塊を正確に投擲する技術を習得するのに何百年かかると思っている? 馬鹿か。もっと効率的な方法があるだろうが』


「効率的な方法?」


『そうだ。貴様はあまりに多くの手札を持ちすぎている。そしてその使い方を全く理解していない』 魔導書の声のトーンが変わった。新たな地獄の講義の始まりを告げる合図だ。 『それより念動力を覚えるぞ。手札も増えるしそっちの方が早い』


「念動力ねぇ」 健司の脳裏に映画や漫画で見たあの光景が浮かび上がる。テレキネシス。サイコキネシス。 「見えない力で物を動かすってヤツだよな?」


『ああ。今の貴様の向上したイメージ力なら案外簡単に出来ると思うぞ?』 魔導書はこともなげに言った。 『いいか猿。イメージはこうだ。貴様の身体からもう一本見えない手が生えている。その魔力で出来た第三の腕で対象を掴み動かす。……まずはそのイメージでやってみろ』


 見えない手。 そのあまりに直感的で分かりやすいイメージ。健司はいけるかもしれないと思った。 彼はソファに座り直すとローテーブルの上に置いてあった空のガラスのコップに意識を集中させた。


「よし……」


 彼は目を閉じた。 そしてイメージする。 自らの右腕の隣からもう一本半透明の腕が伸びていくのを。 その腕がゆっくりとコップに近づきそのガラスの表面を優しく掴む。 ひんやりとしたガラスの感触。 重さ質感。 その全てがまるで自分の本当の手で触れているかのように彼の脳内にフィードバックされてくる。


(……掴んだ。……いける!)


 健司はカッと目を見開いた。 そして彼は強く念じた。 ―――浮けッ!


 …………。 ………………。


 静寂。 目の前のガラスのコップはぴくりとも動かない。 テーブルの上にただ当たり前のように鎮座しているだけ。


「……あれ?」


 健司は眉をひそめた。 もう一度。 もっと強く。 見えない腕に力を込める。 持ち上げろと。 だが結果は同じだった。


「……出来ない。……出来ないぞ!」 何度か挑戦した後健司はついに叫んだ。 掴んでいるという確かな感触はある。 なのになぜか動かない。 まるでコップが床に接着されているかのようだ。


『騒ぐな猿』 脳内に響く声はどこか冷静だった。 『……うーむ。過剰評価し過ぎだったか。……すまん』


 そのあまりに意外な謝罪の言葉。 健司は一瞬自分の耳を疑った。 この傲岸不遜な魔導書が謝った?


「……えいや……俺がポンコツなばっかりに……すみません……」 健司は逆に恐縮してしまった。


『まあ念動力は魔法の中では難しい類だから仕方がないが……』


「……なんだ難しいのかよ!」 健主は途端に元気を取り戻した。 「じゃあ落ち込む必要ないじゃん! 難しいなら出来なくて当たり前だろ!」


 そのあまりに現金な手のひら返し。 魔導書は深々とそして心底呆れ果てた溜息をついた。


『……貴様のその鋼のメンタルだけは評価してやる。……どうやらいきなりコップのような重くて硬い物を動かすのは今の貴様の能力じゃダメみたいだな。……負荷が高すぎる』 『よし。目標を変更する。……ティッシュを一枚持ってこい』


「ティッシュ?」 健司は言われるがままにティッシュ箱から一枚薄い紙を取り出した。 そしてそれをテーブルの上に置く。


『いいか猿。まずはそのこの世で最も軽くて脆いものの一つを動かすことから始めろ』


「了解」 健司は頷いた。 彼は再びソファに座り目を閉じる。 今度のイメージはより繊細だった。 見えない手がティッシュのその薄い繊維の隙間にそっと入り込み優しく持ち上げる。 重さなど感じない。 ただそこに「在る」という微かな感触だけ。


(……浮け)


 彼がそう念じた瞬間。 ぴくと。 テーブルの上のティッシュがわずかに震えた。


「おっ」


 健司は目を開けた。 そして彼は息を飲んだ。 ティッシュがゆっくりとゆっくりとテーブルから離れていく。 最初は数ミリ。 そして数センチ。 まるで意思を持った生き物のようにそれはふわりふわりと空中で静かに舞っていた。


「おっ出来たじゃん! 良かった!」 健司の口から歓喜の声が漏れた。 彼は子供のようにはしゃぎながらその浮遊するティッシュを見つめていた。


『うむ。いきなり重い物に挑戦したのが間違いだったな。……まあそれはともかくティッシュをどこまで動かせる?』


 健司は頷くとその空中のティッシュを意のままに操り始めた。 右へ左へ。 上へ下へ。 くるくると回転させる。 それはもはや彼の手足の一部だった。


「うーん……。自在に動かせるのは1メートルって所だな。それ以上は無理だ。見えない手が届かなくなる感じがする」


『よしよし。重さはティッシュぐらい。範囲は1メートルと。……これを明確な基準としつつ訓練で伸ばしていくぞ』 魔導書は新たな訓練計画を構築し始めた。 『いいか猿。貴様の当面の目標は最低限あの氷塊を高速で射出出来るようになることだ。それが出来なきゃ話にならん』


「ああ。投げるより絶対速いし正確だよな」


『そうだ。そしてそれに慣れてきたら並行して同時に操作可能な数もどんどん増やしていくぞ。最終的には数十個の氷塊を貴様の身体の周りに衛星のように浮かべ自在に射出する。……戦闘モードで氷塊を周りに浮かべつつ射出して牽制するんだ。攻防一体の絶対的な防御壁であり無慈悲な弾幕だ』


 その光景を想像しただけで健司は武者震いした。 それはまさしく漫画やゲームの世界で見た最強の魔法使いの姿。


『そしてその氷塊をもっと鋭くもっと硬く生成できるようになれば……。氷の槍まで成長出来ればそれはもはや牽制ではなく必殺の攻撃手段にもなる!』


「……すげえ……」


『そのためには訓練だ! 常に念動力を使って訓練するぞ!』 魔導書の声に熱がこもる。 『いいか猿。これからは家の中では常にこの見えない手を使え。……テレビのリモコンを取る時もコップを取る時も全て念動力で行え。……そしてそれだけではない。常に空気を持ち上げるイメージで日頃から訓練するぞ!』


「空気を?」


『そうだ! 貴様の周りにあるこの大気そのものを常に見えない手で掴み持ち上げ続けるんだ! それが最高の基礎訓練となる!』


 そのあまりに地味でしかしどこまでも過酷な新たなる修行。 健司はもはやそれに反論する気力もなかった。 だが彼の心は不思議と燃えていた。 明確な目標。 そしてそこへと至るための具体的な道筋。 それが見えた今彼に迷いはなかった。


「了解!」


 健司の力強い返事が部屋に響いた。 彼はソファから立ち上がった。 そして彼は感じた。 自らの周りの空気がただの気体ではない確かな「重み」を持った一つの「物質」であることを。 彼の新たなる挑戦が今始まった。 それは世界そのものを自らの手で掴み取るための果てしない旅路の第一歩だった。

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