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俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します  作者: パラレル・ゲーマー


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第82話 猿と鷲と共同戦線

 サーバーの低い駆動音と、規則的なキーボードのタイプ音だけが、ヤタガラス東京支部の静謐を支配していた。 佐藤健司は、自らに与えられたデスクで、モニターに表示された無機質な数字の羅列を睨んでいた。ホルムズ海峡における地政学リスクが、原油先物市場に与える影響についてのマクロ分析。数ヶ月前の自分であれば、その単語の一つすら理解できなかったであろう、高度な情報。だが、今の彼にとって、それはただの退屈な「作業」に過ぎなかった。


(……平和だ)


 健司は、誰にも気づかれぬよう、小さく溜息をついた。斎藤会長との地獄のスパーリングで悲鳴を上げた広背筋が、硬いオフィスチェアの上で鈍く痛みを訴えている。血と汗の匂いが染み付いたジムの熱気と、この空調の効いたクリーンなオフィスの静寂。そのあまりのギャップが、彼の魂を落ち着かなくさせていた。研ぎ澄まされた牙は、鞘の中で錆びつくのを嫌うかのように、常に疼いている。


『猿。貴様の脳みそは、こんな退屈な数字遊びのためにあるのではないぞ』 脳内に直接響く、忌々しい師の声。健司は、心の中で悪態をついた。 (うるさい。これも仕事なんだよ)


「Kさん、お疲れ様です。こちらの所見、素晴らしい分析ですね。特にこの、ECB内のタカ派とハト派の力関係の変化が、市場の予想を裏切る可能性を示唆する部分。我々の分析官も見落としていた視点です」 隣のデスクで作業していた五十嵐が、珍しく感情のこもった声で健司に語りかけた。彼女の眠たそうな瞳の奥に、純粋な知的好奇心の光が宿っている。


「いえ、俺はただ、視えたものを述べただけですよ」


  健司は、少し照れくさそうに頭を掻いた。 彼の謙遜は、本心だった。彼がやっていることは、ただの観測。この、あまりに複雑で巨大な世界という機械の歯車が、次にどう動くのかを、ほんの少しだけ早く覗き見ているに過ぎない。


 全ての業務を終え、オフィスを出ようとした、その時だった。内線電話の控えめな呼び出し音が鳴る。受話器を取ると、スピーカーの向こう側から聞こえてきたのは、橘真の秘書の、丁寧な声だった。


「Kさん、お疲れのところ恐縮ですが、副局長がお呼びです。至急、執務室までお越しください」


(……任務か?)


 健司の心臓が、わずかに高鳴った。 彼は逸る心を抑え、静かに「分かりました」と答えると、最上階にある副局長室へと向かった。 エレベーターが上昇していく数秒間が、やけに長く感じられる。彼の脳裏を、これまでの戦いの記憶ではなく、これから始まるであろう未知の戦場への期待が駆け巡っていた。次なる敵はなんだ? 怪異か、テロリストか、あるいは――。


 重厚なドアをノックし、中へ入る。橘はデスクで山のような書類と格闘していたが、健司の姿を認めると、疲れたように顔を上げた。その表情には、いつものポーカーフェイスとは違う、一つの大きな案件を乗り越えた後のような、深い疲労の色が浮かんでいた。


「やあ、K君。待っていたよ」


「お疲れ様です、橘さん。何かありましたか?」


 橘は健司にソファを勧めた。そして、自らもデスクを離れ、向かいのソファに深く腰を下ろす。その手には湯気の立つ二つの湯呑み。高級な玉露であろう、甘く深い香りが部屋に満ちた。


「まずは、これでも飲んでくれたまえ。静岡のとある名家から献上された特別な茶葉でね。まあ、その名家も我々と浅からぬ縁があるのだが」


 橘はそう言って、悪戯っぽく笑った。その、どこか含みのある言い方。この世界では、あらゆるものが見えない糸で繋がっている。


 健司は湯呑みを受け取り、その温かい液体を一口含んだ。芳醇な香りと深い旨味が、彼の疲れた身体にじんわりと染み渡っていく。橘は、自らも茶を一口すすると、ふうと長く息を吐き出した。


「さて。君を呼んだのは他でもない」


 彼の目が鋭くなった。


「先日、君に調査してもらった、あの『能力者になれる自販機』の件。……覚えているかな?」


「はい。もちろん」


 健司の背筋が自然と伸びた。あの、奇妙でしかし極めて高度な術式が施された古びた自動販売機。日本全国に同様のものが点在しているという、不気味な都市伝説。


「あの後、我々も全力を挙げて調査を続けた。君が持ち帰ってくれた過去視の情報を元に、術式の解析も進めた。……だが、結果は芳しくない。術者の正体も、その目的も、依然として謎のままだ。あまりに痕跡が消されすぎている」


 橘は、忌々しそうに舌打ちした。ヤタガラスの誇る情報網をもってしても解明できない謎。それは、相手が相当な手練れであることを物語っていた。


「だがな、K君」


 橘はそこで一度言葉を切った。そして、彼は健司の想像を遥かに超える衝撃の事実を告げた。


「その謎を解く、とんでもないピースが、全く予期せぬ方向から我々の元へともたらされた」


 彼は一枚のタブレット端末を起動し、その画面を健司に向けた。そこに映し出されていたのは、アメリカ・ネバダ州の砂漠地帯の衛星写真だった。どこまでも続く赤茶けた荒野。そのど真ん中に、ぽつんと一つの赤い点が映っている。


「これは……?」


「君が調査した、あの自販機と全く同じモデルだ」


 橘は静かに言った。


「マジェスティックの管轄区……エリア51の目と鼻の先で、発見されたそうだ」


 健司は、言葉を失っていた。アメリカ。それも、マジェスティックの本拠地で?


「彼らも当初は、これを単なるイタズラか、あるいはソビエト時代にでも設置された古い観測機器の残骸だと思っていたらしい。だが、我々からの情報提供……君がもたらした『当たりを引くと能力者になる』という仮説を元に再調査した結果……彼らは驚くべき事実に突き当たった」


「その自販機からも、ごく微弱な、しかし明らかに因果律に干渉した痕跡のある魔力反応が検出されたのだ。そして、過去の記録を洗い直したところ、その自販機が設置された時期と、その周辺地域で、原因不明の低レベルな能力覚醒事案が数件発生していたことが判明した」


「……つまり……」


 健司は、ごくりと喉を鳴らした。


「日本だけじゃなかったと……」


「その通りだ」


 橘は頷いた。その表情は、もはやただの疲労ではない。国家のインテリジェンス機関の幹部として、未知なる脅威に直面した極度の緊張感を帯びていた。


「これは、もはや日本国内の単なる都市伝説ではない。国境を越え、我々の知らないところで暗躍している国際的な能力者集団がいる。……その動かぬ証拠だ」


 国際的な能力者集団。その言葉の響きに、健司は身震いした。ヤタガラスでも、マジェスティックでも、オルド・クロノスでもない、第四の勢力。一体何のために? 誰が?


『……ふん。面白い。面白いことになってきたではないか、猿』


 健司の脳内に、魔導書のどこか楽しそうな声が響く。


『この星の猿どもは、俺様の知らぬところで、随分と小賢しい真似をしていたようだな。……その目的、実に興味深い』


「橘さん。その組織の目的は……」


「分からん」


 橘は即答した。


「我々が今持っている情報は、あまりに少なすぎる。ただ一つだけ言えることは、彼らの技術レベルは極めて高い。そして、その行動は極めて隠密的だ。……我々ヤタガラスも、そしてあのマジェスティックですら、その存在に今まで気づけなかったのだからな」


「だが、彼らは動いた。そして、我々はそれに気づいてしまった。……ならば、こちらも動かざるを得ない」


 橘は、湯呑みに残っていた玉露を一気に飲み干すと、決意を秘めた目で健司を見据えた。


「K君。この『自販機都市伝説』の調査は、これよりヤタガラスとマジェスティックの共同捜査へと移行する」


「共同捜査……!」


「そうだ。本来であれば、あの傲慢な鷲どもと手を組むなど反吐が出るがな」


 橘は、あからさまに顔を顰めた。


「だが、今回の件はそれほどまでに事態が重い。一国のインテリジェンス機関だけで対処できるレベルを超えている可能性がある。……これは『アーク』からの、半ば強制的な要請でもある」


 神々の円卓、アーク。その名が出た以上、拒否権はないということか。


「まあ、安心しろ。捜査の主導権は、あくまで我々にある。日本国内の事案はヤタガラスの管轄だ。奴らは、あくまでオブザーバーとして情報提供と技術協力を行うに過ぎん。……そういう取り決めにさせた。マジェスティックの連中に、これ以上この国の土を好き勝手に踏ませるわけにはいかんからな」


 その言葉には、橘の――そしてヤタガラスの――千二百年の誇りが滲んでいた。


「そして、その日本国内における覚醒者の追跡調査。……その実働部隊の責任者を、君に任せたい」


「俺にですか!?」


 健司は思わず声を上げた。あまりに重い責任。


「そうだ」


 橘は、揺るぎない目で頷いた。


「この任務には、君の力が不可欠だ。……いや、君にしかできないと言ってもいい」


 彼は指を折りながら、その理由を説明し始めた。


「第一に、君の【過去視】能力。追跡対象者が本当に自販機によって覚醒したのか、その経緯を正確に特定できるのは君だけだ。我々の調査では、まだ『可能性が高い』というレベルでしかない。君の眼で、それを『確定』させる必要がある」


「第二に、【予測予知】。対象者の今後の行動を予測し、接触の最適なタイミングと場所を割り出す。これも君の十八番だろう」


「そして第三に……君の、その『預言者K』としての圧倒的な知名度だ」


 橘は、そこで一度言葉を切った。


「我々が追うのは、まだ自らの力を制御できず、社会に溶け込んでいる一般市民だ。ヤタガラスの黒服がいきなり現れて『あなた、能力者ですね』などと言ったところで、怯えられるのが関の山だ。……だが、君ならどうだ? テレビの中の英雄『預言者K』が目の前に現れたら? ……彼らは心を開くだろう。君の言葉に耳を傾けるだろう。……この任務において、それは何よりも強力な武器になる」


 健司は、何も言い返せなかった。橘の言葉は、あまりに的確で、そしてあまりに合理的だった。この任務は、まさに今の佐藤健司という存在の、全てを賭けるための舞台。


「ふー……」


 健司は大きく息を吐き出した。事態のあまりの大きさに、眩暈がしそうだった。


「……なんか大事になってきましたね。……国際的な能力者集団だって……」


 その魂からの呟き。それを聞いた橘は、ふっと笑みを浮かべた。


「ああ。……君もようやく、この世界の本当のゲームに参加する時が来たということだよ、K君」


 その言葉と同時に、健司の脳内に、いつもの声が響いた。


『うむ。相当な能力者集団と見た。……油断するなよ、猿』


 魔導書のその静かな警告。それは、健司の心を現実に引き戻すには十分すぎた。そうだ。これはゲームなんかじゃない。本物の戦いだ。姿なき敵との。


 健司は顔を上げた。その目には、もはや戸惑いの色はない。そこにあるのは、自らの使命を自覚した戦士の覚悟だけだった。


「―――ああ、分かってるよ」


 彼は、静かに、しかし力強くそう答えた。彼の新たなる任務。それは、都市伝説の影に隠された真実を追い、そして自らの運命そのものと対峙する、果てしない旅路の始まりだった。


 その確かな予感を胸に、健司は、まだ見ぬ明日へとその一歩を踏み出す。彼の本当の戦いは、まだ始まったばかりなのだから。

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