表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺が買った『猿でも分かる魔法の使い方』が本物の魔導書だったので、とりあえず確率操作で無双します  作者: パラレル・ゲーマー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

80/112

第80話 猿とジャズと魂のリズム

 血と汗の匂いが染み付いたマットの上で、二つの影が激しく交錯していた。

 一つは、佐藤健司。

 もう一つは、彼がこの「SAITO MMA GYM」で出会った、初めての好敵手ライバル。プロを目指す若きストライカー、鈴木だった。


「――そこっ!」


 鈴木の鋭い声と共に、鞭のようにしなる右のミドルキックが健司の脇腹を抉る。健司は咄嗟に腕でガードするが、衝撃を完全には殺しきれない。【身体強化】で鋼鉄のように硬化させた肉体が、鈍い痛みを訴えた。

 体勢がわずかに崩れる。その隙を見逃すほど、鈴木は甘くない。彼は流れるような動きで健司の懐に潜り込むと、テイクダウンを狙って両足タックルを仕掛けてきた。


(――来る!)


 健司の【予測予知】が、その動きをコンマ数秒前に捉える。だが、今の健司は、ただ避けるだけの男ではなかった。

 彼は、自ら重心を低く落とすと、鈴木のタックルを受け止めながら、その首を腕で巻き取るように捕らえた。フロントチョーク。だが、それはフェイント。健司の本当の狙いは、相手の体勢を崩し、その背後を取ること。

 斎藤会長に、この一週間、地獄のように反復させられた「寝技からの逃げ」の応用。


「……させん!」


 だが、鈴木もまた成長していた。健司の狙いを瞬時に読み取り、彼は強引に身体を捻ると、健司の腕から逃れ、素早く距離を取った。

 二人の間に、数メートルの間合いが生まれる。

 互いに荒い息を吐きながら、相手の次の一手を探る。

 ジム全体が、水を打ったように静まり返り、二人の攻防だけを固唾を飲んで見守っていた。


(……くそっ。今の、完全にバックを取る流れだったのに……)


 健司は内心で舌打ちした。自分の寝技の技術は、まだあまりに拙い。鈴木のような、幼少期から組み技に慣れ親しんできた生粋のグラップラーを相手にするには、まだ圧倒的に経験が足りなかった。

【予測予知】で相手の動きが「分かって」いても、それを実行する「技術」が、身体に染み付いていないのだ。


『……猿。思考が硬い』

 脳内に、いつものように忌々しい声が響く。だが、今の健司には、その声が何よりも頼もしいコーチのように聞こえた。

『貴様は、予知した未来を「なぞる」ことしか考えていない。もっと、流れを読め。相手の、魂のリズムを』


(リズム……)


 健司は、目の前の鈴木を、改めて「観た」。

 ただの肉体の動きではない。彼の呼吸、筋肉の微細な収縮、視線の揺らぎ。その全てが、一つの音楽を奏でているかのように、健司の【霊眼】には映っていた。

 攻撃の予備動作。防御への切り替え。その、僅かな「間」。

 それこそが、斎藤会長が口を酸っぱくして言う、「崩し」の起点。


 鈴木が、再び踏み込んできた。フェイントの左ジャブ。本命は、右のオーバーハンド。

 健司は、その全てを予知していた。

 だが、彼は今度は、ただ避けるだけではなかった。

 彼は、鈴木が右の拳を振りかぶる、そのコンマ数秒の「溜め」の瞬間に、自らも踏み込んだ。

 相打ち覚悟の、カウンター狙い。

 だが、その狙いは、さらにその裏にあった。


 健司が放ったのは、右のストレート。だが、それはブラフ。

 鈴木が、そのカウンターのカウンターを取ろうと、身体をわずかに捻った、その瞬間。

 健司の、本当の狙い。

 がら空きになった、鈴木の左の脇腹。

 そこに、彼は、自らが編み出した戦闘術『無刃』の、最も基本的な型を、叩き込んだ。

【身体強化】のパワーを乗せた、重い、重い、掌底。


 ―――ドンッ!!!!


「ぐ……ぉっ……!」

 鈴木の動きが、完全に止まった。

 彼は、信じられないという顔で、自らの脇腹を押さえ、その場に膝をついた。


「……参りました……」

 絞り出すような声。

 その言葉を合図に、スパーリング終了のブザーが鳴り響いた。


「よーし、そこまで!」

 リングサイドで、腕を組んで二人の戦いを見つめていた斎藤会長の、低い声が飛んだ。

 健司は、ぜえ、ぜえ、と荒い息を吐きながら、その場にへたり込んだ。

 勝った。

 予知だけに頼らず、自らの技術と、駆け引きで。

 その確かな手応えが、彼の全身を、心地よい疲労感と共に満たしていた。


「……Kさん。……今の、掌底……。いつの間に、あんな……」

 鈴木が、苦悶の表情のまま、しかしどこか嬉しそうに、健司に語りかけた。


「……会長に、教わったんだよ」

 健司は、笑った。

「相手の、意識の裏をかく、やり方をな」


 その日の練習が、終わった。

 健司が、シャワーを浴びて着替えていると、斎藤会長が彼の元へやってきた。


「佐藤」


「はい、会長」


「……今日の、最後の掌底。……あれは、良かった」

 斎藤は、滅多に褒めない男だった。その、短い称賛の言葉が、健司の疲れた身体に、じんわりと染みた。

「ようやく、分かってきたか。……戦いってのは、ただの殴り合いじゃねえ。……リズムの奪い合いだ」


 斎藤は、自らの節くれだった拳を見つめながら、ぽつり、ぽつりと語り始めた。

 それは、彼が長年の戦いの中で掴み取った、闘争の哲学だった。


「……ボクサーには、ボクサーのリズムがある。柔道家には、柔道家のリズムがある。……お前がやるべきことは、相手のリズムを、まず感じることだ。そして、それを乱し、崩し、……最終的に、お前自身の『リズム』に、相手を引きずり込むことだ」

「今日の、最後の攻防。……お前は、それを無意識に、やっていた」


 健司は、黙ってその言葉を聞いていた。


「……だがな、佐藤」

 斎藤は、続けた。

「……お前の、その『リズム』は、まだ、借り物だ。……俺が教えたセオリー、お前が予知で見た未来。……その、なぞり書きでしかない。……まだ、お前自身の『音』が、鳴っていない」

 彼は、健司の目を、まっすぐに見据えた。

「……それは、ジャズのセッションみたいなもんだ。……楽譜通りに完璧に演奏するだけじゃ、二流だ。……その場の空気、相手の音を感じ取り、即興で、自分だけのフレーズを奏でる。……それこそが、一流だ」


 ジャズ。

 その、あまりに意外な、比喩。

 健司は、きょとんとしていた。


「……見つけろ、佐藤」

 斎藤は、健司の肩を、ぽんと叩いた。

「お前だけの、リズムを。……お前だけの、ジャズをな」

「……それが、見つかった時。……お前は、俺なんかが教えられる領域を、遥かに超えていくんだろうよ」


 斎藤は、それだけ言うと、背を向け、ジムの喧騒の中へと、戻っていった。

 後に残された健司は、ただ、その言葉の余韻に、浸っていた。

 俺だけの、リズム。

 俺だけの、ジャズ。

 それは、彼がこれまで追い求めてきた「強さ」とは、また少し違う、どこまでも深く、そして、どこまでも果てしない、道のりのように思えた。


 ジムを出て、夜の街を歩く。

 ヘッドフォンからは、適当に流したジャズのスタンダードナンバーが聞こえてくる。

 これまで、ただのBGMとして聞き流していた、サックスの即興のソロ。

 それが、今の健司には、まるで斎藤会長の言葉そのもののように、響いていた。


 彼の、本当の戦いは、もはや強大な敵と対峙することではなかった。

 それは、彼自身の魂の中に鳴り響く、まだ名もなき『リズム』を見つけ出す、果てしない旅路だった。

 その、静かなる闘志を胸に、健司は、夜の雑踏の中へと、その一歩を踏み出した。

 次のセッションが、彼を待っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ