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第69話 猿と星王と重力の邂逅

 ヤタガラス東京支部の、静かで清潔なオフィス。

 佐藤健司は、週に一度のその「職場」で、もはや慣れた手つきで自らに与えられたデスクのPCを起動していた。今日の業務は、新たに覚醒したTier 4能力者たちの、基礎訓練プログラムの監督補佐。先日、彼が初めて「教官」として指導した新人たちが、次のステップに進むためのサポート役だ。

 もはや、彼の存在は組織内で「預言者K」という戦略兵器としてだけでなく、新世代の能力者たちを導く「指標」としても、大きな意味を持つようになっていた。


「Kさん、おはようございます!」

「押忍! 今日も、よろしくお願いします!」

 オフィスですれ違う若いエージェントたちが、憧れの眼差しで彼に挨拶してくる。健司は、少し照れくさそうに、しかし、かつてのような卑屈さなど微塵も感じさせない、堂々とした態度でそれに頷き返した。

 強くなった。

 それは、彼の肉体や魔法のレベルだけの話ではない。この、異常な世界における自らの立ち位置を、彼は確かに受け入れ、そして歩み始めていた。


 その日の午前中の訓練監督を終え、健司が自席で一息ついていた、その時だった。内線電話が、控えめな電子音を立てる。橘の秘書からだった。副局長が、彼を呼んでいるという。


(……新しい任務か?)


 健司の心臓が、わずかに高鳴った。

 彼は逸る心を抑え、静かに頷くと、最上階にある副局長室へと向かった。

 重厚なドアをノックし、中へ入る。橘は、デスクで書類の山と向き合っていたが、健司の姿を認めると、珍しく、どこか楽しそうな、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「やあ、K君。待っていたよ」


「お疲れ様です、橘さん。何か、ありましたか?」


「うむ。君に、紹介したい人物がいてね。……ちょうど、所用で東京本部に来ていてね。良い機会だと思ってね」

 橘は、そう言うと、執務室の奥にある応接スペースへと視線を向けた。

 そこに、一人の少年が座っていた。

 年の頃は、17歳くらいだろうか。希望ヶ丘魔法学苑の、特徴的な白い制服に身を包んでいる。色素の薄い髪は、どこか浮世離れした雰囲気を醸し出し、その背筋は、一本の鋼のように、まっすぐに伸びている。

 そして、その瞳。

 彼は、窓の外の景色を眺めていた。ただ、それだけのはずなのに、その瞳は、まるでこの世界の理そのものを見据えているかのような、静かで、そして底知れない深淵を宿していた。

 健司は、一目で理解した。

 こいつは、本物だ。

 自分とは、生きている次元が違う。


 健司の視線に気づいたのか、少年はゆっくりとこちらを振り返った。そして、彼はソファから立ち上がると、健司に向かって、非の打ち所のない完璧な角度で、お辞儀をした。


「どうも。星野 航です」


 その、涼やかな声。

 健司の脳裏に、あの廃教会での記憶が、稲妻のように閃いた。

『日本で、重力と言えば……『星王』星野航だろ』


「君が、ちょうど来ててね。紹介するよ」

 橘は、楽しそうに言った。

 健司は、ゴクリと喉を鳴らし、自らも名乗りを返した。

「……どうも。……Kです。……いや、佐藤、健司です」


「存じています」

 星野 航は、静かに微笑んだ。その笑みは、完璧に計算され尽くした、美しいものだった。

「予知者Kさん、ですね。テレビ、見てますよ。……凄いです ね、予知能力! いやー、僕も予知能力が欲しかったなぁ」


 その、あまりに人懐っこく、そして裏表のない称賛の言葉。健司は、少しだけ拍子抜けした。もっと、傲慢で、鼻持ちならない天才少年を想像していたからだ。


「ははは……。俺なんて、まだまだですよ」

 健司が、謙遜の言葉を返すと、航は嬉しそうに目を細めた。

 そして彼は、次の瞬間、その穏やかな貌からは想像もつかない、あまりに突飛な提案を口にした。


「つきましては、佐藤さん。……もし、ご迷惑でなければ、僕と、模擬戦をしていただけませんか?」


「え?」

 健司は、思わず素っ頓狂な声を上げた。

 模擬戦?

 今、ここで?


「ぜひ、お願いしたいんです」

 航は、一歩前に出た。その瞳には、先ほどまでの人懐っこさとは違う、純粋な闘争への渇望が、燃え上がっていた。

「あなたの、あのヴァンパイアハンターとの戦いの記録映像を、拝見しました。……素晴らしい戦いぶりでした。……僕は、それを、この肌で感じてみたい」


 その、あまりに真っ直ぐな挑戦状。

 健司は、戸惑った。

 相手は、Tier 1。

 仙道と同格の、人間としては最高峰の実力者。

 それに比べて、自分は、まだTier 3.5。

 勝負に、なるのか?


「うーん……良いですけど……」

 健司は、少しだけ躊躇いながら、言った。

 それは、彼なりの、最後の警告のつもりだった。

「……僕、強いですよ?」


 その、少しだけ見栄の混じった言葉。

 それを聞いた航は、心の底から嬉しそうに、破顔した。


「はい! 存じています! だから、お願いしたいんです!」

 彼は、子供のように、目を輝かせた。

「強い人と、戦いたいんです!」


 その、あまりに純粋で、あまりに好戦的な魂。

 健司は、もはや断ることができなかった。

 それに、彼自身もまた、望んでいたのだ。

 自らの力が、この国の頂点に立つ天才に、どこまで通用するのかを。


「……分かりました。やりましょう」

 健司は、頷いた。

 その返事を聞いた橘は、満足げに微笑むと、内線電話の受話器を取った。

「私だ。……地下第三訓練場を、今から一時間、確保してくれ。……ああ。最高のショーが、始まる」


 地下第三訓練場。

 ヤタガラスが保有する、最も広大で、最も堅牢な施設。

 その中央のマットスペースで、健司と航は、数メートルの距離を置いて、向き合っていた。

 観客は、橘ただ一人。彼は、コントロールルームの防弾ガラスの向こう側で、腕を組みながら、静かに二人を見つめている。


「……ルールは、降参か、戦闘不能で決着。……ただし、死なない程度に、手加減はするように」

 橘の、場内アナウンスが響く。


「はい!」

 航の、元気の良い返事。

 健司は、無言で頷いた。

 彼は、ジャケットを脱ぎ捨て、ゆっくりとファイティングポーズを取る。

 全身の血が、沸騰していく。

 目の前の少年から放たれる、プレッシャー。

 それは、仙道とも、ガブリエルとも違う、どこまでも静かで、しかし、宇宙のように広大な、絶対的な力の気配だった。


「―――はじめ!」


 非情な、開始のブザーが鳴り響いた。

 その、瞬間だった。


「―――う、ぐっ……!?」


 健司の全身に、見えない巨人の拳が、叩きつけられた。

 凄まじい、圧力。

 上から、下から、前後左右、全ての方向から、彼の身体が、中心に向かって、押し潰されていく。

 超重力。

 だが、それは、ただ重いだけではない。

 彼の、逃げ場を全て塞ぐ、完璧な、球状の重力の檻。


(……これが……『星王』の……!)


 健司は、歯を食いしばり、その場に膝をついた。

 骨が、軋む。

 筋肉が、悲鳴を上げる。

 だが、彼は、屈しなかった。

 彼の脳内で、自らが習得したばかりの力が、咆哮を上げる。


(―――重力制御、……相殺ッ!)


 健司は、自らの身体の周囲に、航の重力場とは、逆ベクトルの重力場を、瞬時に展開した。

 二つの、相反する力が、激突し、火花を散らす。

 健司の身体を締め付けていた圧力が、わずかに、和らいだ。


(―――いける!)


 その、コンマ数秒の隙間。

 健司は、心の中の、最後のスイッチを入れた。

【身体強化】、リミッター解除!

 彼の身体が、爆発した。

 彼は、重力の檻を、自らの純粋な筋力で、内側からこじ開けると、床を蹴った。

 一直線に、航の懐へ。


「へぇ! 凄いですね! 重力操作、出来るんですか!」

 航の、楽しそうな声が響く。

 彼は、健司の神速の突進を、一歩も動かずに、その場に佇んでいた。

 その顔には、余裕の笑みすら浮かんでいる。

 健司は、その傲慢な笑みを、拳で打ち砕くべく、右の拳を振り抜いた。

 MMAの技術と、強化されたパワーの全てを込めた、渾身のストレート。

 だが、その拳が、航の顔面に届く、数ミリ手前で、ぴたり、と止まった。

 まるで見えない壁に、阻まれたかのように。


(なんだ、これは……!?)


 健司は、続けて、左フック、右アッパーと、嵐のような連打を叩き込む。

 だが、その全てが、航の身体に触れることなく、虚空で止められる。

 彼の、攻撃が、届かない。


「……僕、常に重力の鎧で、覆ってるんです」

 航は、こともなげにそう言った。

「だから、僕に、物理的な攻撃は、くらいません」


『王の玉座』。

 常時発動型の、絶対防御。

 健司は、戦慄した。

「常に……?」

「強いな……。重力を、俺より遥かに使いこなしてる……」


 だが。

 健司の口元に、不敵な笑みが浮かんだ。

「……だけど」


 彼は、一瞬だけ、目を閉じた。

 そして、開く。

 その瞳に、古代のルーン文字を彷彿とさせる、幾何学模様が、淡く浮かび上がった。

【魔眼】、起動。

 彼の視界が、世界の源码ソースコードを、映し出す。

 航の身体を覆う、完璧に見えた重力の鎧。

 その、複雑に編み上げられた因果の網の中に、彼は、一点だけ、ひときわ輝く「綻び」を見つけ出した。


(―――そこだ!)


「―――【脆弱性の刻印フラクチャー・スタンプ】ッ!」


 健司の、意志が飛ぶ。

 航の、胸元。

 その、重力の鎧の一点に、不可視の呪印が、刻み込まれた。


 そして、健司は、再び、右の拳を叩き込んだ。

 その拳には、もはや、ただの暴力ではない。

 斎藤会長と共に編み出した、必殺の型。

『無刃』の、真髄。

【接触型斬撃】。


「―――喰らえッ!!!!」


 ―――パリンッ!!!!


 ガラスが、砕けるような、甲高い音。

 航の身体を覆っていた、絶対防御の鎧が、健司の拳が触れた一点から、蜘蛛の巣状に、砕け散った。


「へえー……。重力の鎧を、破壊しましたね」

 航の目から、初めて、余裕の笑みが消えた。

 その瞳に、純粋な驚愕と、そして、それを上回る歓喜の光が宿る。

「術式を、乱した? ……いや、これは……脆い部分を作り出して、破壊したって感じ、ですか……」


 その、的確な分析。

 健司は、戦慄しながらも、攻撃の手を緩めない。

 鎧を失った、航の胴体。

 そこに、彼は、追撃の【接触型斬撃】を、叩き込んだ。


「おし! ダメージが、通った!」

 確かな、手応え。

 だが。

 健司の拳が触れた、航の身体は、鋼鉄のように硬かった。

 そして、斬撃によって裂かれたはずの皮膚が、次の瞬間には、何事もなかったかのように、塞がっていく。


(【身体能力強化】か!? 硬い! しかも、再生する!)


「うんうん。かなり、強いですね、佐藤さん」

 航は、健司の拳を、その腹筋で受け止めたまま、静かに、そして楽しそうに、言った。

「……じゃあ、そろそろ、僕も、"本気"、出しますね」


「……本気じゃ、なかったのか!?」

 健司の、絶叫。

 その言葉と、同時だった。


「―――超々重力」


 航が、静かに呟いた。

 その、瞬間。

 健司の身体に、先ほどとは比較にならない、星を砕くかのような、絶対的な圧力が、襲いかかった。

 もはや、抵抗など、できない。

 健司の身体は、床に縫い付けられ、その骨の髄まで、軋みを上げた。

 意識が、遠のいていく。

 ダメだ。

 完全に、動けない。

 重力相殺も、無理だ。

 詰みか……。


「……ギブアップ、です」

 健司は、呻くように、そう言った。


 その言葉を聞いた航は、にこりと微笑むと、超々重力を、ふっと解除した。

 健司は、解放された反動で、激しく咳き込みながら、マットの上にへたり込んだ。

 負けた。

 完膚なきまでに。


「いやー、強いですね、佐藤さん」

 航は、健司の元に歩み寄ると、その手を差し伸べた。

 その顔には、一点の曇りもない、爽やかな笑みが浮かんでいた。

「本気の重力を使ったの、ひさしぶりですよ。重力の鎧も攻略出来るし、多彩な能力者ですね……」


 その、手放しの称賛。

 健司は、その手を取りながら、力なく笑った。

「いや……本気出されたら、手も足も、出ないですよ」


「そんなことないです」

 航は、首を振った。

「ほとんどのTier 1でも、僕の最初の重力で、封じることが出来るんですから。あれを、自力でこじ開けて、近接戦に持ち込んだ佐藤さんは、本当に強いですよ」

「僕は、Kさんみたいな、多彩な動きは出来ないタイプですし。……重力特化、ですからね」


 その、謙虚な言葉。

 健司は、何も言い返せなかった。

 ただ、胸の奥に、熱い何かが、込み上げてくるのを、感じていた。

 悔しい。

 だが、それ以上に、嬉しい。

 自分と、同じ力を持つ、好敵手。

 その存在が、彼を、さらなる高みへと、導いてくれる。

 その確信が、彼の魂を、震わせていた。

 模擬戦は、終わった。

 だが、二人の、本当の戦いは、今、始まったばかりなのだ。

 互いの背中を追い、そして、いつか超えるための、果てしない、戦いが。

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― 新着の感想 ―
重力制御かなり汎用性高そうですね。重力鎧みたいに防御にも使えるし、重力です押し潰すだけじゃなくて、重力の発生する方向ベクトルを逆にして、浮かして相手の不意をつくのと同時に、構えや重心を崩して、殴る瞬間…
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