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第63話 猿と獣と月の下で

 ガブリエルは、堂内に転がるリーダーのアレクサンダーの姿を一瞥すると、心底感心したように呟いた。その視線が、健司に向けられる。その目は、もはや健司をただの「カラス」として見る目ではない。本物の強敵を前にした、戦士の目だった。

「大したもんだな、アンタ。アレクを、しかも真正面から叩き伏せるとは」


 彼の声には、奇妙なほどの落ち着きがあった。仲間がやられたというのに、怒りも、悲しみもない。ただ、目の前の強者に対する純粋な好奇心だけが、その瞳を輝かせていた。


「Tier 3……? いや、違うな。さっきの踏み込みの速度、反応……瞬間的には、Tier 2.5は出てる。……強い、強いな、アンタ」

 ガブリエルは、まるで極上のワインでも味わうかのように、健司の力を分析し、そして、その結論に歓喜するように、獰猛な笑みを浮かべた。

「ああ、いい。最高だ。こっちも手加減出来ないぜ。……強いヤツは、好きだ」


 その言葉と、同時だった。

 ガブリエルの身体が、異様な音を立てて軋み始めた。

 ゴキリ、ゴキリ、と骨が組み変わり、筋肉が凄まじい勢いで膨張していく。着ていた戦闘服が内側からの圧力で引き裂かれ、その皮膚の上を、銀色の硬質な体毛が、またたく間に覆い尽くしていく。

 顔が、前に突き出し、鼻が伸び、牙が剥き出しになる。

 その瞳が、人間の理性の光を失い、月光を反射する、飢えた獣のそれへと変わっていく。

 ほんの数秒の間に、そこに立っていたはずの人間の姿は、どこにもなかった。

 代わりにいたのは、月光を浴びて銀色に輝く、身長3メートルはあろうかという、巨大な狼人間ウェアウルフ


「ワオーン!!!!」


 天を突くような、凄まじい遠吠えが、夜の聖堂を震わせた。

 それは、もはや人間の声ではなかった。

 闘争への喜びを謳い上げる、獣の本能そのものの叫びだった。


(……変身、だと!?)

 健司は、息を飲んだ。

【身体強化】とは、明らかに質の違う、存在そのものを変質させる魔法。

 目の前の獣から放たれる圧倒的な圧力は、仙道に匹敵するほどの凄みを放っていた。


『猿ッ! 気をつけろ!』

 脳内に響く魔導書の声。その声には、健司が初めて聞く、焦りの色が混じっていた。

『あれは、ただの肉体変化ではない! 「獣化ビースト・トランスフォーメーション」! 血統に刻まれた獣の因子を呼び覚まし、その力を我が物とする、極めて強力な【継承型】の能力だ! 格が違うぞ!』


「ハハハ、いくぜ?」

 獣と化したガブリエルが、楽しそうに笑った。

 その声は、低く、そして地を這うようだった。

 そして、次の瞬間。

 その巨体が、健司の視界から、消えた。


(速いッ!?)


 健司の【予測予知】が、警鐘を鳴らす。

 だが、遅い。

 相手の動きが、速すぎる。

 いや、違う。

 これは、ただの速度ではない。

 空間そのものを、跳躍している。


『――空間転移ブリンクだ! 因果を無視した、跳躍! 予知の網を、すり抜けるぞ!』


 魔導書の警告と、衝撃は、ほぼ同時だった。

 健司の背後。

 音もなく現れたガブリエルが、その獣の爪を振りかぶっていた。

 その爪先には、聖なる光が凝縮され、一つの弾丸となっている。


「――聖なる銃弾・ホーリーバレット・ウルフ!!!!!」


 ガブリエルの絶叫と共に、その光の弾丸が、健司の背中に叩き込まれた。

 凄まじい、衝撃。

 健司の身体は、砲弾のように吹き飛ばされた。

 ステンドグラスを突き破り、教会の外壁を粉砕し、そのまま外の墓地にまで叩きつけられる。

 古い墓石が、彼の身体を受け止めきれず、粉々に砕け散った。


「ぐ……はっ……!」

 健司の口から、血の塊が吐き出された。

 全身が、悲鳴を上げている。

【身体強化】で防御していなければ、即死だった。

 彼は、瓦礫の中から、よろよろと身を起こした。

 背中の傷は、すでに【再生魔法】で塞がり始めている。

 だが、彼の心は、それ以上の衝撃に、打ち震えていた。


(クソ……! 全然、予知する暇無く、攻撃を叩き込まれた……!!!)

(半端なく、強い……!!)


 次元が、違う。

 これまでの相手とは、何もかもが。

 速さも、威力も、そして何より、その戦闘の「理」が。

 予知が、通じない。

 その事実が、健司の最大の武器を、無力化していた。


 健司は、瓦礫を蹴散らしながら、ふわりと空中へ浮上した。

 教会の壁に空いた大穴から、ゆっくりと歩み出てくるガブリエルの姿が見える。

 その銀色の巨獣は、月光を浴びて、どこか神々しくすらあった。


 ガブリエルは、空中に浮かぶ健司の姿を見て、愉快そうに喉を鳴らした。

「ハハハ! 再生持ちか。……いいぜ、いいぜ! そうでなくちゃ、張り合いがねえ!」


 彼は、まるで経験豊富な教師が生徒に教え諭すかのように、言った。

「おい、カラス。再生持ちを倒す方法を、知ってるか?」

「それはな、気絶させることだ。そうすれば、能動的な再生持ちは、大体、寝んねする。……意識を失えば、魔法の制御もできなくなるからな」

「さて。お前は、どれくらい持つかな?」


 その、絶対的な強者の余裕。

 健司は、歯を食いしばった。

 舐められている。

 だが、事実、今のままではジリ貧だ。

 予知が機能しない以上、あの神速の攻撃を捌き切ることはできない。


(……どうする……)

 健司の脳が、高速で回転する。

 選択肢は、少ない。

 いや、もはや、一つしか残されていなかった。


「……うーん、強いな、コイツ……」

 健司は、呟いた。

 その声は、震えていなかった。

 それは、覚悟を決めた男の声だった。

 彼は、空中で深く息を吸い込んだ。

 自らの、魂の限界を超えるための、禁断の引き金を、引く。


『猿ッ! 正気か!? ランク4だと!? 貴様の身体が、保たんぞ! 反動で、魔法回路が焼き切れる!』

 魔導書の、悲鳴に近い制止の声が響く。

 だが、健司は、もはやそれを聞かなかった。


「―――我が魂の命ずるままに、肉体の枷を解き放て。――ランク4 30second!!!!!」


 健司の絶叫と、同時だった。

 彼の身体の内側で、何かが、爆発した。

 ゴウッ、と音を立てて、彼の全身から、青白い魔力のオーラが噴き上がる。

 筋肉が、悲鳴を上げて膨張し、血管が、皮膚の下でミミズのように蠢く。

 彼の瞳が、人間のものではない、純粋な闘争の色に、赤く染まった。

 ランク1とは、比較にならない、暴力的なまでの力の奔流。

 世界が、完全に静止した。


「―――いくぞ、ケダモノ」


 健司の声は、低く、そして冷徹だった。

 次の瞬間、彼の姿は、空から消えていた。


 パパパパパッ!と、空気が連続して破裂する音。

 健司は、もはや空中浮遊などという生ぬるい魔法は使っていなかった。

 彼は、空間そのものを蹴り、音速の壁を何度も突き破りながら、ガブリエルに向かって突撃していた。


「ハッ! 早くなったが……まだ、見えるぜ!?」

 ガブリエルの、獣の動体視力が、かろうじてその神速の動きを捉える。

 だが、捉えられたところで、意味はなかった。

 健司は、すでに彼の、懐に潜り込んでいたのだ。


 そして、健司の本当の牙が、剥き出しになる。

 彼が、斎藤会長との地獄の修行の果てに編み出した、必殺の型。


「―――【接触型斬撃】、20連!!!!!」


 ババババババババババババババババババババッ!!!!


 空気が、揺れた。

 健司の両の手刀が、残像を描き、ガブリエルの巨体に、嵐のように叩き込まれる。

 その一撃、一撃が、概念の刃。

 触れたもの全てを、切り裂く、絶対の斬撃。


「グオオオオオオオッ!!!!」

 ガブリエルの、絶叫が響き渡る。

 彼の、銀色の硬質な体毛が、肉が、骨が、ズタズタに切り刻まれていく。

 だが。


「……硬いッ!!!!」

 健司の口から、驚愕の声が漏れた。

 手応えが、浅い。

 骨を断ち切るには、至らない。

 この獣の肉体は、健司の想像を遥かに超える、強度を持っていた。

 そして、何よりも。


「……しかも、コイツも、再生持ちかよ!!!!」


 切り刻まれたガブリエルの傷口から、血が噴き出す間もなく、肉が盛り上がり、傷が塞がっていく。

 仙道に匹敵する、超高速再生。

 健司の、必殺の20連撃は、確かに深手を負わせたが、致命傷には、至らなかったのだ。


「……クソ、痛い攻撃、するじゃねーか……!」

 ガブリエルは、後方へ大きく跳躍し、距離を取った。

 その全身は、ズタズタだったが、その瞳の闘志は、むしろ、さらに燃え上がっていた。

「……チッ。こうなったら、もう一段階、ギアを上げるか……」

 彼は、低く唸った。

「―――大狼化フェンリル・モード!!!!」


 ガブリエルの身体が、さらに膨張し、その魔力が、爆発的に高まっていく。

 だが、彼が、その禁断の力を解放しきる前に。


 ―――ピィィィィィィィィッ!!!!


 夜の静寂を切り裂く、甲高い笛の音が、どこからか響き渡った。

 その音を聞いた瞬間、ガブリエルの動きが、ぴたりと止まった。

 彼の顔に、あからさまな舌打ちと共に、失望の色が浮かぶ。


「……チッ。……撤退の、合図かよ……」

 彼は、天を仰いだ。

 そして、床に空いた大穴に向かって、大声で叫んだ。

「おい! お前ら、もう起きてるだろ! 撤退だ!」


 その声に応えるように、穴の底から、三人のハンターが、ボロボロの姿で這い上がってきた。

 彼らは、健司の最初の重力攻撃で、戦闘不能になっていたはずだった。

 だが、その驚異的なタフネスで、意識を取り戻していたらしい。


 ガブリエルは、変身を解き、再び人間の姿に戻った。

 そして、気を失っているアレクサンダーを、その肩に担ぎ上げる。

 彼は、去り際に、荒い息を吐きながら佇む健司に向かって、言った。

 その声には、もはや敵意はなく、どこかスポーツマンのような、爽やかさすらあった。


「……おい、カラス。……中々だったな」

「今回は、引き分けだ。……しばらくは、あのガキを、ハント対象から外してやる」

「だが、勘違いするな。あのガキが、少しでも人を襲う気配があれば……次こそ、ハントする」


 彼は、そう言うと、片手を上げた。

「アバヨ」


 その言葉を最後に、ガブリエルと、三人のハンターたちは、まるで影が溶けるように、夜の闇の中へと、消えていった。


 後に残されたのは、半壊した聖堂と、そして、一人、立ち尽くす健司だけだった。

 その、瞬間。

 ランク4の、30秒が、終わった。

 彼の身体を支配していた、神のような力が、嘘のように消え去る。

 そして、代償が、来た。


「―――が、はっ……!!!!」


 健司の全身を、骨の髄まで焼き尽くすかのような、凄まじい激痛が襲った。

 筋肉が、断裂する。

 魔法回路が、ショートする。

 彼は、その場に崩れ落ち、無様に、床を転げ回った。

 勝った。

 いや、引き分けた。

 だが、その代償は、あまりに大きかった。

 彼の、ヤタガラスとしての初陣は、痛みと、血と、そして、自らの力の、底知れぬ恐ろしさを、その魂に刻み付けて、幕を閉じたのだった。

 彼の、本当の戦いは、まだ、始まったばかりなのだ。

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