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第53話 猿と再生と魂の器

 SAT-Gとの地獄の合同訓練、そして日本退魔師協会の弥彦との怪異退治。

 立て続けに経験した二つの「本物の戦場」は、佐藤健司という男を、内面から静かに、しかし確実に変貌させていた。

 もはや彼の心に、かつてのような退屈や、燻るような焦燥感はない。

 彼の日常は、明確な「目的」によって、隅々まで満たされていた。

 強くなりたい。

 もっと、強く。

 あの、仙道という巨獣の背中に、いつか追いつくために。

 そして、伝説が到達した、神の領域を、この目で見るために。


 その純粋な渇望が、彼の過酷な修行の日々を支えていた。

 早朝のフィジカルトレーニング、日中のデイトレード、夕方からのMMAジム。

 そして、夜。

 この静かな城の一室で、彼は、自らの魂の師と向き合う。


 その日の夜も、健司はリビングの中央で、新たな魔法の習得に没頭していた。

 彼の両手の間に、青白い光が、パチパチと音を立てて弾けている。

【電撃魔法】。

 スタンガンによる、あの忌々しい「痛み」の洗礼を経て、彼が新たなる手札として手に入れた力。

 まだ、その威力は護身用のスタンガンに毛が生えた程度。だが、彼はその出力と精度を、一歩ずつ、着実に向上させていた。


「ふー」

 健司は、額の汗を拭い、魔力の発動を止めた。

 指先に、まだビリビリとした痺れの感触が残っている。


(だいぶ、コントロールできるようにはなってきたな。でも、実戦で使うには、まだまだ威力が足りない)


 彼が、自らの未熟さを噛み締めていた、その時だった。

 脳内に直接、あの尊大な声が響いた。


『猿! いつまで、そんな子供の火遊びのような真似をしている』


「火遊びじゃねえよ、電撃だ。それに、お前がやれって言ったんだろ」

 健司は、悪態をついた。


『ふん。まあ、その程度の「無力化」の手段は、覚えておいて損はない。だがな、猿。まだまだ、覚えることはあるぞ』


 魔導書の声のトーンが、変わった。

 それは、新たなる地獄の講義の、始まりを告げる合図だった。

 健司は、ごくりと喉を鳴らし、居住まいを正した。


『仙道のおっさんが、再生魔法を使っていたよな?』


「ああ」

 健司の脳裏に、あの信じられない光景が、鮮明に蘇る。

 自らの【接触型斬撃】で、綺麗に切断したはずの、仙道の手首。

 それが、血の触手を伸ばし、一瞬で元通りに繋がった、あの悪夢のような光景。

「血液を、操作していたよな、あれ」


『うむ。アレを、覚えるぞ』


 その、あまりにさらりとした宣言。

 健司は、一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

 そして、数秒後。


「―――えーっ!?!?」

 彼の絶叫が、リビングに木霊した。

「できるわけないだろ! できる気がしないぞ、あんなの!」


『なぜだ?』


「なぜだ、じゃねえよ! ていうか、よくよく考えたら、仙道さん、化け物過ぎるでしょ! なんだよ、手首真っ二つにして、血液操作して、くっつけるって! 漫画でも、もっと設定練るぞ!」


 その、魂からの叫びに、魔導書は心底愉快そうに、せせら笑った。


『くくく。まあ、あの筋肉達磨が、規格外の化け物であることは、事実だ。だがな、猿。貴様は、勘違いをしている』

『他者への治癒より、自分の治癒。この分類だと、【再生魔法】だが。【再生】は、魔法の中では、比較的、簡単な部類だぞ?』


「はあ!?」

 健司は、信じられないというように、聞き返した。

「簡単!? あれが!?」


『そうだ。特に、仙道がやったような、切断された部位を「繋ぎ直す」程度のことは再生魔法の中では、難易度は低い方だ』

『その気にさえなれば、完全に失った腕を、骨の髄から、もう一度「生やす」ことすら、可能だからな』


 腕を、生やす。

 その、あまりにおぞましい響き。

 健司は、言葉を失っていた。


「う、腕を生やす、なんて。そんなこと、できるのかよ。それって、難しいんじゃないのか?」

 健司は、恐る恐る尋ねた。


『うむ。さすがに、失った部位の再生となると、それは難しい』

 魔導書は、頷いた。

 そして彼は、魔法の「コスト」に関する、極めて重要な、新たな講義を始めた。


『いいか、猿。貴様は、以前、俺からこう教わったな。魔法とは、基本的に「スイッチ」のON/OFFであり、MPのような消費の概念は、ないと』


「ああ。だから、魔力は、基本、無限に使えるって」


『そうだ。基本は、消耗しない。だが、例外もある。【再生魔法】は、その、最もたる例外の一つだ。あれは、魔力を食う』


「やっぱり、MPみたいなものが、あるのか?」


『違う!』

 魔導書は、一喝した。

『貴様の、その猿の脳みそに、ゲームの常識を、持ち込むな! 食うのは、魔力そのものではない! 貴様の、「脳の容量キャパシティ」を、食うのだ!』


「脳の、容量?」


『そうだ。いいか、猿。失われた肉体を、無から再生させるという行為。それは、貴様が想像する以上に、複雑で、膨大な情報処理を要求される。骨の構造、筋肉の繊維、血管の配置、神経の接続。その、人体の完璧な設計図を脳内で展開し、そして、自らの細胞に、その設計図通りに超高速で分裂・増殖せよ、と命令を下す。分かるか? その、情報量が』

『再生した部位が、大きければ大きいほどその、演算量は指数関数的に増大していく。貴様の脳は、その莫大な負荷に、耐えきれん』


 健司は、ゴクリと喉を鳴らした。


『そして、だ。その脳の容量を、食い尽くした結果、どうなるか。再生しただけ、しばらくは、その領域は、魔法が使えなくなる』


「魔法が、使えなくなる?」


『そうだ。例えば、貴様が斬撃で右腕を失ったとする。そして、再生魔法でその腕を生やした。その、瞬間。貴様の、その新しい右腕はしばらくの間、あらゆる魔法的エネルギーに対する、絶縁体となる。【身体強化】も、できん。【斬撃魔法】も、放てん。ただの、肉の塊に戻るのだ』

『脳が、その部位の再構築に、全リソースを使い果たした結果魔法を制御するための回線が、一時的にショートするとでも思え』


 健司は、戦慄した。

 それは、あまりに致命的なデメリットだった。


『貴様、高度な【結界魔法】を、連続使用すると、消耗するな? 頭が、痛くなって思考が、鈍くなるだろう?』


「ああ」


『あれが、もっと酷くなる、と思え。結界魔法による消耗が、ただの「電池切れ」だとしたら再生魔法による消耗はその部位の、「OSクラッシュ」だ。再起動には、時間がかかる』


 魔導書は、最後に、最も重要な戦術的教訓を告げた。


『だから、【再生魔法】があるからと言って、気軽にダメージを負うというのは、間違いだ。それは、三流のやることだ。本物の戦場では再生魔法を使った、その無防備な瞬間こそが最大の、死地となる』

『【再生魔法】を使いすぎて、他の魔法が使えません、では、本末転倒だ。いいな、猿。肝に、銘じておけ』


 その、静かな、しかし、どこまでも重い言葉。

 健司は、その全てを、自らの魂に刻み付けた。

 再生は、無敵の鎧ではない。

 最後の、最後の、切り札。

 そして、それを使ったが最後次はない、諸刃の剣。


「分かった」

 健司は、頷いた。

「でどうやって、覚えるんだ? その、簡単な方の、再生魔法とやらを」


『うむ。これまでの魔法と、同じだ』

 魔導書は、言った。

『まずは、本物の「痛み」と、「治癒」の感覚をその、猿の身体に、教えてやらねばならん』


 その、不吉な前置き。

 健司は、嫌な予感しかしなかった。

 彼は、キッチンへと向かうと包丁立てから、一本の果物ナイフを取り出した。


「これで、いいか?」


『ああ。まずは、その程度の、お遊びで十分だ』

『猿。そのナイフで貴様の、左手の人差し指を切れ』


「…」

 健司は、無言で頷いた。

 もはや、彼に躊躇はなかった。

 強くなるためならどんな痛みも、受け入れる。

 彼は、ソファに座り直すと左の人差し指を、テーブルの上に置いた。

 そして、右手に持ったナイフの冷たい刃をその、指の腹にそっと、当てた。


「ふー」


 彼は、一度息を吐き出すと迷いなく、その刃を横に引いた。

 ぷつり、と皮膚が切れる、生々しい感触。

 赤い血の線が走りぽたり、ぽたりと、血の雫が、テーブルの上に小さな染みを作った。

 ズキリとした、鋭い痛み。


『よし。では、猿。その傷を、よく見ろ』

 魔導書の、声が響く。

『そして、【過去視】を使え。その指が、傷つく前の完璧な状態だった頃の、記憶を読み取れ』


 健司は、言われた通りに、血の滲む指先を見つめ意識を、集中させた。

 彼の脳裏に数秒前の、傷のない滑らかな指のイメージが、浮かび上がる。


『良いだろう。では、次に自らの、身体に命令しろ』

『その、完璧なイメージ「セーブデータ」に戻れ、と』

『自らの、細胞に語りかけろ。分裂しろ、と。増殖しろ、と。その、傷を埋めろ、と!』

『貴様の身体は、本来、治癒する力を持っている。魔法とは、その自然なプロセスをただ、極限まで加速させるだけの、技術だ!』


 健司は、目を閉じた。

 そして、彼は感じた。

 自らの、指先の傷口で何かが、蠢く感覚を。

 血が、止まる。

 細胞が異常な速度で、活動を始める。

 ちりちりとした、熱。

 むず痒いような、奇妙な感触。

 まるで、無数の小さな虫が彼の傷口を、内側から縫い合わせていくかのようだ。


 彼は、ゆっくりと目を開けた。

 そして彼は、信じられない光景を目にした。

 数秒前まで、確かにそこにあったはずの切り傷が完全に、消えていたのだ。

 血の跡すら、ない。

 そこには、ただ、傷一つない、彼の人差し指が、あるだけだった。


「すげえ」

 健司の、口から感嘆の声が漏れた。

 痛みも、ない。

 完全に、元通りだ。


『ふん。上出来だ、猿。第一段階は、クリアだな』

 魔導書は、満足げに言った。

 だが、その声はすぐに、悪魔の囁きへと変わった。

『だが、こんなかすり傷を治したところで何の、自慢にもならん。次だ、猿』


 健司は、ごくりと喉を鳴らした。


『次はそのナイフを左の、手の甲に突き立てろ』


「!」

 健司は、息を飲んだ。

 貫通させる、と。

 本気か、こいつは。


『案ずるな。死には、せん。せいぜい、激痛が走るだけだ』

『その、より深い傷を癒すことで初めて、再生魔法の本当の「コスト」脳の容量を食うという感覚をその、猿の脳みそに、叩き込んでやる』


 健司は、震える手でナイフを握りしめた。

 やるしかない。

 これも、試練なのだ。

 彼は、左の手の甲を、テーブルの上に置いた。

 そして、右手に持ったナイフをその、真上に振り上げた。


「―――っ!!!!」


 彼は、無言でその切っ先を自らの、肉体へと振り下ろした。

 鈍い、音。

 そして彼の人生で、味わったことのない焼けるような、激痛。

 彼の絶叫が静かな、マンションの一室に虚しく、響き渡った。


 数時間後。

 健司は、ソファの上で、完全にぐったりとしていた。

 彼の、左の手の甲にはもはや、傷跡一つない。

 だが、彼の顔は蒼白で全身は、冷や汗でぐっしょりと濡れていた。

 彼は、成功した。

 ナイフで貫かれた手の甲の深い傷を彼は、自らの力で、完全に癒してみせたのだ。

 だが、その代償は、あまりに大きかった。

 凄まじい、精神疲労。

 頭が、割れるように痛い。

 思考が、まとまらない。

 そして、何よりも彼の、左腕。

 その、感覚がない。

 いや、物理的な感覚は、ある。

 だが魔力を、通わせようとしてもまるで、分厚いゴムに阻まれているかのように力が入らないのだ。

 これが、魔導書が言っていた、「OSクラッシュ」。

 再生の、代償。


『どうだ、猿。分かったか。これが、再生魔法の、本当の恐ろしさだ』

 魔導書の、声が響く。

 その声には、一切の同情もなかった。


「ああ。もうこりごりだ」

 健司は、呻いた。


『ふん。だが、貴様は基本的なことは覚えた。後は、訓練あるのみだ。その、魔力が通わなくなる感覚にもいずれ、慣れる』

 魔導書は、言った。

 そして彼は、最後の、そして最も恐ろしい宣告を、告げた。


『さて、猿。貴様の、当面の宿題だ』

『貴様は切断された手首を、繋ぎ直せるように、ならねばならん。それが、仙道のような本物の戦士と、渡り合うための、最低条件だ』


『だから貴様の、次なる訓練は自らの、指を切り落としそれを、くっつける、ことだ』


 その、あまりに狂気に満ちた言葉。

 健司は、もはや悲鳴を上げる気力も、なかった。

 彼は、ただ蒼白な顔で虚空を、見つめることしかできなかった。

 彼の、神へと至る道。

 その、道のりが血と、痛みとそして、狂気に満ちていることを彼は、この日、改めてその、骨の髄まで、理解したのだった。

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