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第48話 猿と神速と斬撃の型、再び

 地獄の合同訓練、その第二幕が静かに、しかし確かな熱を帯びて始まろうとしていた。

 佐藤健司は息を整えながら、目の前の巨獣、仙道と再び対峙する。

 周囲のSAT-G隊員たちの視線が、先ほどとは明らかに違う種類の熱を宿して突き刺さる。侮蔑や好奇心は消え去り、そこにあるのは同類の、あるいは獲物を見るかのような獰猛な光だった。


「さて、と」

 仙道は楽しそうに、首をゴキリと鳴らした。その表情は、これから始まる蹂躙を心待ちにするサディストのそれだ。

「面白い手札を持っているじゃないか、『預言者』様。……だがな、その斬撃、まだまだ使い方がなっていない」


 仙道は構えを解かないまま、まるで講義でもするかのように語り始めた。

 その言葉は、訓練場全体に響き渡る。


「いいか! 戦闘において刃物は強い! それは絶対の真理だ。だが、間合いを正確に読めれば対処はいくらでもできる! お前の斬撃も、結局は手から出すんだよな? そのリーチは精々腕の長さ分。つまり、お前のその手を警戒していれば、そうそう当たるもんじゃない!」


 その言葉を証明するかのように、仙道は再び神速で踏み込んできた。

 健司は即座に反応し、迫りくる仙道の顔面に向けて右の掌を突き出す。接触すれば斬れる。その一撃必殺の圧力が、仙道の突進をわずかに躊躇させた。

 だが。


「―――そうやって手に警戒しているところにはな」


 仙道の視線は健司の右手に釘付けになったまま、彼の右足が鞭のようにしなり、健司の脇腹を抉るように蹴り込んできた。


「こういう蹴りを入れて、牽制していくんだよ!」


「ぐっ……!」

 咄嗟に腕でガードするが、Tier 3の身体強化が乗った蹴りの威力は凄まじく、健司の身体は数メートル横に吹き飛ばされた。


「分かったか? お前はまだ攻撃が単調すぎる」

 仙道は追撃することなく、仁王立ちのまま言葉を続ける。

「お前も蹴りでも斬撃を出せるように練習しろ! 足に意識を集中させ、魔力を流し、概念を乗せる。それができれば、相手にとってはお前の全身が刃物になる。そうなれば、相手に与えるプレッシャーは今の比じゃない」

 仙道の目が、ギラリと光る。

「相手に『触れれば切られる』という情報を植え付けるんだ。その恐怖は、容易に相手の心を削る。いいか、小僧。戦いとは、結局のところ心の削り合いだ!」


 その言葉は、健司の脳天をハンマーで殴られたかのような衝撃を与えた。

 心の、削り合い。

 今までただ、目の前の敵をどう倒すか、どう生き残るかしか考えていなかった。

 だが、この男は違う。相手の心をどう折り、どう支配するかを常に考えている。これが、本物の戦場を生き抜いてきた兵士の思考。


(……なるほどな。……俺の戦い方は、まだ子供の喧嘩レベルだった……)


 健司はゆっくりと立ち上がった。

 脇腹が痛む。だが、それ以上に彼の心は燃え上がっていた。

 教えられている。

 この国の最強の牙に、戦い方を。

 こんな機会、金を出したって得られるものではない。


「……もう一本、お願いします!」

 健司の声に、もはや先ほどまでの悲壮感はなかった。

 あるのは、純粋な向上心と、目の前の強者への敬意だけだった。


「……良い目になったじゃないか」

 仙道は満足げに頷くと、再びその巨体を沈めた。

「―――いくぞ!」


 戦闘再開。

 仙道の動きは、先ほどと変わらず神速。

 だが、健司の世界は、先ほどとは明らかに違っていた。

 目と、予知が、この異常な速度に慣れてきたのだ。

 脳が焼き切れるほどの負荷をかけ続けた結果、彼の情報処理能力は新たなステージへと突入していた。

 仙道の拳が、蹴りが、タックルが、以前よりもゆっくりと、そして明確な軌跡を描いて見える。


(見える……! いける!)


 健司は仙道の猛攻を、紙一重で見切り始めた。

 頭を下げてパンチをかわし、スウェーでハイキックを空振りさせ、バックステップでタックルをいなす。

 その流れるような防御は、もはや蹂躙されていた先ほどの姿とは別人のようだった。


「……ほう!」

 仙道の口から、再び感嘆の声が漏れる。

 この短時間での、この異常なまでの成長速度。

 彼は目の前の若者が、ただの予知能力者ではない、本物の戦闘の天才であることを悟り始めていた。


 だが、仙道もまた日本最強の男。

 健司の防御が巧みになったのなら、それを上回る攻撃を叩き込むだけ。

 攻撃の密度が、さらに増す。

 一撃一撃の間にあったコンマ数秒の隙間が、消え去っていく。


(……まずい、ジリ貧だ……!)


 防御に徹していては、いつか必ず捕まる。

 仙道の言葉が脳裏をよぎる。『戦いは心の削り合い』。

 今、削られているのは間違いなく自分の方だ。

 どこかで、流れを変えなければ。


 その時、健司の【予測予知】が、無数の未来の中から、一つの細い、細い光明を見出した。

 仙道が放つ右ストレート。

 それを健司が内側にかわす。

 その瞬間、コンマ01秒だけ、仙道の右の手首が、がら空きになる。


(―――ここだ!!)


 健司は賭けに出た。

 彼は仙道の右ストレートを、最小限の動きで内側にかわすと、その懐に雷光の如く飛び込んだ。

 そして、がら空きになった仙道の右の手首を、左手で掴み取った!


「……!」

 仙道の目に、一瞬だけ動揺の色が浮かぶ。

 まさかこの神速の連撃の中で、カウンターで手首を掴み取られるとは、彼の予測を完全に超えていた。


「―――もらった!」


 健司は確信する。

 掴んだ。これで終わりだ。

 彼は掴んだ仙道の手首に、全神経を集中させ、右の指先を添える。


(斬!)


 ―――スッ。


 嫌な感触と共に、仙道の右手が手首から先、綺麗に切断された。

 健司は勝利を確信した。


「よし、これで戦闘不能に……!」


 だが。

 健司の勝利の確信は、次の瞬間、理解不能な恐怖へと変わった。


 仙道の手首は、確かに宙を舞っていた。

 だが、切られた断面から、血が噴き出すことはなかった。

 その代わりに、切断面から、数十本の鮮血の触手が生き物のように伸び、宙を舞う自らの手首を捕らえたのだ。

 そして、まるで強力な磁石のように、即座に元の位置へと引き寄せ、くっつけた。

 パチッ、という微かな音と共に、切断されたはずの手首は、何事もなかったかのように元通りになっていた。


「な……!?」


 再生能力。

 それも、尋常ではない速度と精度。

 健司がその超常現象に思考を停止させた、その一瞬。

 それが、命取りだった。


「―――隙ありィ!!!!」


 仙道の、地獄の底から響くような咆哮。

 彼は、今まさにくっついたばかりの右手で、健司の顔面に渾身のストレートを叩き込んだ。


 ゴシャッ!!!


 鈍い音と共に、健司の視界が真っ赤に染まる。

 凄まじい衝撃。

 健司の身体は、まるで砲弾のように吹き飛んだ。

 だが、それはただ殴られただけではなかった。

 健司は殴られる瞬間、意識的に衝撃のベクトルを後ろに流し、自ら後方へ飛んだのだ。

 マットに叩きつけられることなく、彼の身体はふわりと空中で静止した。

 まさしく、浮いている。


「……まさか……」

 仙道が、初めて信じられないものを見るような目で、空中の健司を見上げた。


 健司は鼻から血を流しながらも、不敵に笑った。

 そして、新たな手札を開示する。


「手札4、【空中浮遊】です!」


 仙道は、そして周囲の隊員たちは息を飲んだ。

 予知、身体強化、斬撃、そして浮遊。

 この若者は、一体いくつの能力をその身に宿しているのか。


「そして……」

 健司は空中でゆっくりと体勢を立て直すと、右の掌を眼下の仙道に向けた。

「これが俺の、手札5だ!!」


 健司の右手に、不可視の力が収束していく。

 空気が歪み、空間が軋むような感覚。


「飛ぶ斬撃……【斬】!!!!」


 健司の掌から、巨大な斬撃波が放たれた。

 それはもはや、ただの斬撃ではない。

 空間そのものを切り裂く、概念の刃。

 体育館の床を抉りながら、それは仙道に向かって殺到していく。


 その絶対的な破壊力を前にして、仙道は初めて、その表情から笑みを消した。

 彼は両足を肩幅に開き、ぐっと腰を落とす。


「―――面白い……!」


 その言葉と共に、仙道の身体から迸る圧力が、さらに一段階跳ね上がった。

 Tier 3から、Tier 2へ。

 もはやそれは、気迫やオーラといった曖昧なものではない。

 純粋な、暴力の塊。

 彼の周囲の空間が、陽炎のように揺らめいた。


 仙道は、迫りくる巨大な斬撃波を、回避することなく、正面から受け止めることを選択した。

 彼は両腕を顔の前でクロスさせる。

 ただ、それだけ。

 だが、その腕には、尋常ではない密度の魔力が凝縮されていた。


 ―――ゴウッ!!!!


 斬撃波が、仙道のクロスした腕に激突する。

 凄まじい音と衝撃波が、体育館全体を揺るがした。

 床のコンクリートが、衝撃に耐えきれず粉々に砕け散る。


 仙道の着ていた道着は、斬撃波に触れた瞬間、ズタズタに切り裂かれた。

 だが、その下にある彼の腕は、斬撃波のエネルギーを真っ向から受け止め、弾き返していた。

 皮膚が裂け、筋肉が断ち切られるが、次の瞬間には超高速で再生していく。

 破壊と再生が、彼の腕の上で同時に繰り広げられる。


 やがて、斬撃波のエネルギーが霧散し、静寂が訪れた。


 そこに立っていたのは、上半身の道着を完全に失い、しかし無傷の仙道の姿だった。

 彼の腕には、かすり傷一つない。


「……なかなかの威力だ」

 仙道は、自らの腕を見下ろし、満足げに呟いた。


「……よし、この辺で模擬戦は終了!!」


 仙道のその一言で、長く、そして濃密だった戦いは終わりを告げた。

 空中にいた健司は、ゆっくりと床に降り立つ。

 二人を取り囲んでいた隊員たちから、どよめきと、そして称賛の拍手が沸き起こった。


 仙道は健司の元に歩み寄ると、その肩をゴツンと殴った。


「なかなか骨があるやつが入ったな! 気に入ったぞ、K!」


 その笑顔は、もはや侮蔑も、査定するような色もなかった。

 一人の戦士が、もう一人の戦士を認めた、本物の笑顔だった。

 健司は、殴られた肩の痛みに顔をしかめながらも、その言葉に、これ以上ない達成感を感じていた。

 地獄の合同訓練は、彼に新たな課題と、そして確かな成長の実感を与えてくれたのだった。

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