第28話 猿と血脈と三つの起源
ヤタガラスとの初接触から、一週間。
佐藤健司の日常は、奇妙な静けさと、内なる嵐のような修練の日々で満たされていた。
表向きの世界では、「預言者K」の熱狂は、いまだ冷めやらず、テレビ局からは、次の特番の企画案が、毎日のように送られてくる。彼のX(旧Twitter)のフォロワーは、ついに200万人を突破し、もはや、彼の一挙手一投足が、市場や世論に、無視できない影響を与えるまでになっていた。
だが、健司自身は、そんな外界の喧騒からは、意識的に距離を置いていた。
彼の戦場は、今、この静かなマンションの一室。
斬撃魔法の精度を上げるための、地道な反復練習。
過去視の能力を制御するための、瞑想と精神統一。
そして、それらの魔法の土台となる肉体を鍛え上げるための、過酷なフィジカルトレーニング。
魔導書という、悪魔の家庭教師の指導のもと、彼は、スポンジが水を吸い上げるように、魔法という未知の知識と技術を、吸収し続けていた。
その日の午後。
健司が、いつものようにデイトレードを終え、その日の収支をXに投稿し終えた、その時だった。
ノートPCから、控えめなメールの着信音が鳴った。
差出人は、ヤタガラスの橘真。
件名は、「【内部資料】新規所属者向け基礎教養資料の送付につきまして」。
「……来たか」
健司は、ごくりと喉を鳴らし、そのメールを開いた。
本文は、極めて事務的だった。
ヤタガラスに所属するにあたり、最低限知っておくべき、この世界の「常識」について、まとめた資料を添付したという内容。
そして、そのメールの最後には、パスワードで暗号化された、一つのPDFファイルが添付されていた。
『……ほう。ようやく、猿山のルールブックが届いたか』
脳内に、魔導書の嘲るような声が響く。
『開けてみろ、猿。奴らが、この世界をどのように認識しているのか……実に、興味深い』
健司は、メールに記載されたパスワードを打ち込み、PDFファイルを開いた。
画面に表示されたのは、官公庁が作成した報告書のような、無味乾燥なデザインの表紙だった。
【極秘】
ヤタガラス新規所属者向け基礎教AR:
国内における因果律改変能力者の分類と、その特性について
内閣情報調査室 特殊事象対策課
その、物々しいタイトルに、健司は少しだけ身構えた。
彼は、マウスのホイールを回し、次のページへと進んだ。
そこには、「はじめに」と題された前書きが、記されていた。
そして、その文章の隅には、見覚えのある、あの三本足の烏のマスコットキャラクター、「ヤタッピ」のイラストが、ちょこんと描かれていた。
「みんなで学ぼう! 能力者の世界!だッピ!」という、気の抜けた吹き出しと共に。
(……このノリは、なんなんだ、一体……)
健司は、思わず頭を抱えた。
シリアスと、ギャグの温度差が、激しすぎる。
『……ふん。猿に物事を教えるには、これくらい噛み砕いてやる必要がある、ということだろう』
魔導書は、どこまでも上から目線だった。
健司は、気を取り直して、本文を読み進めていった。
それは、彼がこれまで断片的にしか知らなかった、この世界の裏側の全体像を、初めて体系的に解説する、驚くべき内容だった。
1.因果律改変能力者とは
本資料を手に取られた皆さん、こんにちは。
皆さんは、自らが持つその力を、あるいは、「魔法」、「超能力」、「霊能力」などと、呼称しているかもしれません。
我々ヤタガラスでは、それらの超常的な力を、学術的な統一見解に基づき、「因果律改変能力」と定義しています。
因果律、すなわち、「原因」と「結果」の法則。
皆さんの力は、その世界の根源的な法則に、直接、あるいは間接的に干渉し、本来、起こり得ないはずの「結果」を、生み出す力だからです。
この「因果律改変能力者」という呼称が、少し堅苦しく、評判がよろしくないことは、我々も承知しております(ヤタッピ君は、いつも泣いています)。
ですが、自らの力の本質を正しく認識することは、その力を制御し、成長させる上で、極めて重要です。
まずは、この定義をご理解ください。
(……なるほどな。俺がやっていることは、全て「因果律への干渉」だった、というわけか)
健司は、納得した。
確率操作も、未来予知も、斬撃も、修繕も、全ては原因と結果の流れを、捻じ曲げる行為。
魔導書の、言っていたことと同じだ。
彼は、次のページをめくった。
そこからが、本題だった。
2.因果律改変能力者の三つの起源
さて、この日本において、我々が確認している因果律改変能力者は、その力の目覚め方、すなわち、「起源」によって、大きく三つの種類に、大別することができます。
自らが、どのタイプに属するかを知ることは、今後の能力開発の指針となります。
タイプ1:【継承型】
概要:
最も古くから存在する、タイプの能力者です。
特定の血脈に生まれ、その家系に代々伝わる「術式」や「異能」を、引き継いできた者たち。
いわゆる、陰陽師の名家や、退魔師の一族、あるいは、特定の神社の神官などが、これに該当します。
特性:
彼らの能力は、長い年月をかけて一つの分野に特化し、洗練されてきたため、極めて専門的です。
そのため、汎用性は少ない代わりに、自らが得意とする分野においては、他のタイプの能力者を、圧倒するほどの力を発揮することが多いのが、特徴です。
例えば、「治癒」の術式を引き継いできた術師は、その分野において、彼に勝る因果律改変能力者は、稀です。
「炎」の異能を引き継いできた能力者は、炎に対する強力な耐性を持ち、炎そのものを、自らの手足のように操ることができます。
その究極系では、自らの肉体そのものを、炎に変えることさえ可能です。凄いですよ!
(……継承型か)
健司は、腕を組んだ。
自分の母親が言っていた言葉が、蘇る。
曾祖父が、少しだけ未来の天気が分かったという話。
(……じゃあ、俺もこれに当たるのか? ……でも、血脈って言うには、あまりに力が弱すぎるような……)
『……ふん。血に頼るか……。脆弱な猿どもが、考えそうなことだ』
魔導書が、吐き捨てるように言った。
『血脈による継承は、世代を重ねるごとに、その力は薄まっていくのが常だ。よほど強力な血の交わりか、あるいは突然変異でも起きない限り、先祖を超えることなど、できん。……最も安定しているが、最も停滞した力の形よ』
健司は、魔導書の解説を聞きながら、次のタイプへと目を移した。
タイプ2:【突然覚醒型】
概要:
近年、最も増加傾向にある、タイプの能力者です。
彼らは、血統に因果律改変能力者が存在しない、あるいは、確認されていないにもかかわらず、ある日、突然、その力に覚醒した者たち。
まさに、天啓を受けたかのように、その力を発現させます。
特性:
その能力は、多種多様で、非常に幅広いのが特徴です。
既存のどの術式にも当てはまらない、全く新しい能力を発現させることも、珍しくありません。
時として、【継承型】の大元になるような、始祖クラスの強力な能力者が、生まれることもあります。
テストには出ませんが、覚醒する年齢は、十代の若者や、三十代までの、比較的、若い世代に、非常に多いのが現状です。
なぜ、近年増加しているのか?(ミニヒント):
正確な因果関係は不明ですが、いくつかの仮説が立てられています。
一つは、現代社会が抱える「極度のストレス」です。
強い精神的な負荷が引き金となり、眠っていた潜在能力が、強制的にこじ開けられるという説です。
もう一つは、「サブカルチャーの発展」です。
漫画や、アニメ、ゲームなどで、超常的な能力が当たり前に描かれるようになり、それらが、「そういうこともあり得る」という集合的無意識を形成し、能力覚醒への精神的な敷居が、下がったのではないか、という説です。
また、古来より、「死にかけて覚醒する」というパターンも、非常に多く報告されています。異世界に行くわけじゃ、ないですけどね。
ヤタガラスとしての本音:
こうした若い世代の覚醒者が増えること自体は、国力(能力者戦力)の増強に繋がるため、歓迎すべきことではあります。
ですが、正直なところ、力の使い方を知らない子供ばかりが増えても、管理と教育が追いつかず、困る、というのが現場の本音です。
三十代も、多いですね。人材が増えるのは、いいですが……。
「……これ、完全に俺じゃん」
健司は、思わず呟いた。
Fランク大学卒、ブラック企業勤務、フリーター。
ストレス社会の、権化のような人生。
そして、サブカルチャーに、どっぷりと浸かってきたオタク。
まさに、突然覚醒型の典型例だった。
『……ふん。ゴミ溜めから、時折、輝く石ころが見つかるようなものか』
魔導書は、相変わらず辛辣だった。
『ストレスが引き金、とはな。……面白い。猿どもは、自らを追い詰め、苦しめることで、逆に進化の可能性を、こじ開けているというわけか。……実に、滑稽で、実に、愛おしい生き物よ』
その、どこか超越的な視点からの言葉に、健司は少しだけ複雑な気分になった。
彼は、最後のタイプへと目を進めた。
タイプ3:【修練型】
概要:
自らの意志と鍛錬によって、後天的に能力を目覚めさせた、タイプの能力者です。
例えば、山に籠り、厳しい修行を積んだ修行僧や、武道の達人などが、これに該当します。
特性:
このタイプの最大の特徴は、一個人が独力で目覚めるというよりも、特定の「組織」や「流派」に所属し、体系化されたメソッドに基づいて、能力を目覚めさせるという点です。
こういうのは、開祖が非常に優れた能力者だった、パターンが多いですね。
その開祖が編み出した修行法を、弟子たちが受け継ぎ、組織として、体系的に因果律改変能力者を、目覚めさせているのが特徴です。
そのため、所属する団体によって、覚醒する能力の特色が、大きく異なります。
所属者のほとんどが、治癒能力者で構成される慈愛の団体もあれば、所属者全員が戦闘術に長けた、ゴリゴリの戦闘軍団も存在します。
中には、特定の武道……例えば、剣道や柔道などを極めることを通じて、その奥義として、因果律改変能力に目覚めるパターンもあります。
極論を言えば、これは、【突然覚醒型】を人為的に、安定して引き起こすためのシステム、と、言えるかもしれません。
(……魔法学校、みたいなものか)
健司は、興味深くその文章を読んだ。
自分のように、孤独に手探りで力を学んでいくのではなく、仲間と共に体系的に学んでいく。
それは、ある意味、羨ましい環境のようにも思えた。
『……笑わせる』
だが、魔導書は、その考えを一蹴した。
『決められたレールの上を、歩くだけの家畜の群れよ。開祖という檻の中で、飼い慣らされた猿どもだ。……彼らが、決して開祖を超えることはない。革新は、常に混沌の中からしか、生まれんのだ』
その言葉は、絶対者の傲慢さに満ちていた。
だが、健司には、それが真実であるということも、分かっていた。
自分をここまで成長させたのは、魔導書の常識外れの、無茶苦茶な指導のおかげなのだから。
健司は、PDFの最後のページまで、スクロールした。
そこには、「まとめ」として、こう書かれていた。
まとめ:
以上が、国内における能力者の、主な三つの起源です。
もちろん、中には、これらのどれにも当てはまらない、例外的なケースも存在します。
自らが、どのタイプに属し、どのような特性を持っているのか。
それを正しく理解し、今後の自己研鑽に、役立ててください。
ヤタガラスは、あなたの成長を全力でサポートします!だッピ!
(終)
健司は、大きく息を吐き出した。
あまりに、濃密な情報。
だが、おかげで、この世界の裏側の勢力図が、ぼんやりと見えてきた。
古くからの血脈を受け継ぐエリートたち、「継承型」。
ストレス社会が生んだ、荒削りな新世代、「突然覚醒型」。
そして、組織化され、体系化された修行者たち、「修練型」。
この三つの勢力が、ヤタガラスという巨大な傘の下で、互いに牽制し合いながら、存在している。
それが、この国の能力者社会の現実なのだ。
彼は、ふと、最大の疑問に、思い至った。
そして彼は、脳内の教師に、問いかけた。
「……なるほどね。……で、俺は、このどれに当たるんだ?」
自分には、曾祖父からの微弱な血の繋がりがある。ならば、「継承型」か?
だが、その力は、あまりに弱く、今の自分の能力とは、比べ物にならない。
やはり、ストレス社会が生んだ、「突然覚醒型」か? これが、一番しっくりくる。
だが、自分は、魔導書という師の下で、体系的に修行を積んでいる。ならば、「修練型」の要素も、ある。
一体、自分は何者なのだ?
その健司の根源的な問いに、魔導書は、こともなげに、そして、どこまでも傲慢に、こう答えた。
『――貴様は、そのどれでもない』
「……え?」
『いいか、猿。貴様は、俺様の弟子だ』
『それは、即ち、このちっぽけな星の、ちっぽけな分類の、どれにも当てはまらない、「例外中の例外」である、ということだ』
『……だから、こんな猿山のルールブックなど、何の参考にも、ならん』
その言葉は、絶対者の揺るぎない自信に満ちていた。
健司は、しばらく、その言葉の意味を反芻していた。
例外中の、例外。
その響きは、彼の心を、少しだけくすぐった。
「……なるほどね」
健司は、呟いた。
その声には、もはや何の疑問もなかった。
そうだ。
俺は、誰とも違う。
俺だけの道を、行くのだ。
この、やかましい魔導書と共に。
彼は、PDFファイルを閉じた。
そして、立ち上がる。
窓の外は、すでに夕暮れの茜色に、染まっていた。
彼は、これから始まるヤタガラスでの新しい生活に、思いを馳せた。
そこは、様々な起源を持つ能力者たちが集う、坩堝のような場所だろう。
だが、彼は、もはや何も恐れてはいなかった。
自分は、例外なのだから。
その、根拠のない、しかし何よりも力強い自信を胸に、健司は不敵な笑みを浮かべた。
彼の、本当の物語は、まだ始まったばかりなのだ。