表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/64

第15話 猿と仮面と喝采と

 テレビ東洋の重厚なガラスの自動ドアを潜った瞬間、佐藤健司は空気が変わるのを感じた。外の喧騒とは隔絶された、独特の緊張感と熱気が入り混じった匂い。それは埃と機材のオイル、そして何より、人間の野心と才能が発酵したかのような濃密な香りだった。


 金曜日の株価暴落という、自らが仕掛けた巨大な花火が打ち上がってから三日。彼のスマートフォンは鳴り止まなかった。あらゆるメディアからの取材依頼が殺到し、その中でも最も早く、そして最も熱意のこもったオファーをしてきたのが、このテレビ東洋の看板報道番組『ワールド・ビジネス・トゥナイト』だった。


「――お待ちしておりました、Kさん!」


 入り口で待ち構えていたのは、電話の主であるプロデューサーの高橋だった。四十代半ばだろうか、疲労と興奮がないまぜになったような顔で、彼は健司の手を両手で力強く握った。


「いやあ、本当にご出演いただけるとは! 局内はもうお祭り騒ぎですよ!」


「は、はあ……。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 健司は、魔導書との間で徹底的にシミュレーションを重ねた「好青年K」のペルソナを起動させ、人の良さそうな、しかしどこか芯の強さを感じさせる笑みを浮かべた。今日の日のために、昨日慌てて買いに走った、清潔感のあるネイビーのジャケットと白いシャツに身を包んでいる。髪も近所の千円カットで小ざっぱりと整えてきた。以前のよれたスウェット姿の彼を知る者は、誰も今の姿と結びつけられないだろう。


 高橋に先導され、複雑な迷路のような廊下を進む。すれ違うスタッフたちが、皆一様に好奇と値踏みするような視線を健司に投げかけてくるのが分かった。彼らの目には、自分がどのように映っているのだろうか。時代の寵児か、あるいは危険な詐欺師か。


『おい猿。キョロキョロするな。堂々としていろ』


 脳内に、忌々しい恩人の声が響く。


(分かってるよ。言われなくても)


 健司は内心で悪態をつきながら、背筋をすっと伸ばした。そうだ、俺は「預言者K」。この世界の裏側を知る特別な存在。彼ら凡人とは違う。自己暗示をかけるように、その設定を頭の中で反芻する。


 案内された楽屋は、こぢんまりとしてはいたが清潔な個室だった。テーブルの上には「K様」と書かれたペットボトルの水と、いくつかの菓子が置かれている。


「本番まで三十分ほどです。こちらでおくつろぎください。番組の簡単な流れですが、基本的には司会の倉田との対談形式になります。こちらの台本はあくまで進行の目安とお考えください。倉田はアドリブでどんどん切り込んできますので」


 高橋はそう言って、数枚の紙の束を健司に手渡した。そこには当たり障りのない質問が並んでいる。だが、重要なのはそこではないと健司は理解していた。重要なのは、台本にない質問にどう答えるかだ。


『いいか猿。お前のキャラクターは“非凡な能力を持ちながらも、それを鼻にかけない謙虚で誠実な好青年”だ。時折、その能力故の苦悩を滲ませるのがスパイスになる。決して傲慢になるな。だが、自信がないように見せるな。その絶妙なバランスを保て』


 昨夜、魔導書から叩き込まれたキャラクター設定が蘇る。まるで俳優への演技指導だ。


「分かりました。大丈夫です」


 健司が完璧な笑顔で応じると、高橋はどこか安心したように頷き、部屋を出ていった。


 一人になった瞬間、健司は大きく息を吐き出し、ソファに深く沈み込んだ。心臓が早鐘のように鳴っている。手のひらはじっとりと汗ばんでいた。


(本当に、俺にできるのか……?)


 匿名のネットの世界とは違う。顔を晒し、名前を(偽名だが)晒し、全国の不特定多数の人間の前に立つ。それは、彼が最も苦手とする領域だった。だが、もう後戻りはできない。ヤタガラスに最高の条件で自分を売り込むための、これは最大のプレゼンテーションなのだ。


 彼は目を閉じ、意識を集中させた。恐怖を、不安を、心の奥底に押し込める。代わりに、魔導書が作り上げた「K」という架空の人格を、全身に纏っていく。自信に満ち、それでいて憂いを帯びた、ミステリアスな預言者。


 コンコン、と控えめなノックの音。

「失礼します。Kさん、メイク入ります」

 若い女性のADの声に、健司はすっと目を開けた。その瞳にはもう、先ほどまでの怯えの色はなかった。


「はい、お願いします」


 鏡の前に座ると、女性のメイク担当者が手際よく彼の顔にファンデーションを塗り、眉を整え始めた。ひんやりとしたパフの感触が、妙に現実離れしているように感じられた。鏡に映る自分の顔が、少しずつ「K」の顔に変わっていく。それはまるで、儀式のように思えた。


「――Kさん、本番5分前です! スタジオへお願いします!」


 ADの声に促され、健司は立ち上がった。心臓の鼓動は依然として速いが、それはもはや恐怖ではなく、武者震いに近いものへと変わっていた。


『猿。最後の確認だ。予知の種類は二つ。“未知予知”と“予測予知”。今回の株価暴落のような確定した未来を観るのが“未知予知”。確率が変動する未来の可能性を探るのが“予測予知”。この設定を絶対に崩すな』


「……ああ」


『過去はフリーター。練習は競馬。目的は世のため。この三点セットを忘れるな』


「……分かってる」


『そして何より、楽しめ。お前はこれから、この国の人間全てを手玉に取るんだ。最高のショーの始まりだろうが』


 魔導書の悪魔的な囁きを背中に受け、健司は楽屋のドアを開けた。


 巨大なセットが組まれたスタジオは、まるで宇宙船の内部のようだった。無数のライトが天井から吊り下げられ、何台もの巨大なカメラが黒い巨人のように鎮座している。その異様な光景に、一瞬だけ気圧されそうになるのを健司はぐっと堪えた。


「Kさん、こちらへどうぞ」


 スタッフに案内され、中央に設えられたソファに腰を下ろす。向かい側には、この番組の顔であるベテラン司会者、倉田純一が座っていた。テレビで見るよりも鋭い眼光をした、食えない印象の男だ。その隣には、経済評論家の重鎮である初老の男性と、柔和な笑みを浮かべた女性アナウンサーが座っている。


「どうも、Kさん。倉田です。今日はよろしくお願いします」

 倉田は笑みを浮かべていたが、その目は笑っていなかった。品定めをするような、探るような視線。


「こちらこそ、よろしくお願いします。Kです」

 健司もまた、完璧な「好青年K」の笑顔で応じた。腹の内では、互いに値踏みし合っている。これは戦いだ。言葉を武器にした、印象操作の戦争。


 フロアディレクターが大きな声でカウントダウンを始める。

「5秒前! 4、3、2……」


 スタジオ中の空気がピンと張り詰める。

 真っ赤なランプが灯ったカメラが、滑るように健司へと向かってきた。


「こんばんは。『ワールド・ビジネス・トゥナイト』、司会の倉田純一です」


 軽快なオープニングテーマ曲が流れ終わり、倉田の落ち着いた声がスタジオに響いた。一通りの挨拶と、先週金曜日に起きた市場の大混乱について触れた後、彼はまっすぐに健司を見据えて言った。


「そして今夜は、その渦中の人物にスタジオにお越しいただいております。彗星の如く現れた謎の預言者、ネットでは『予知者K』として知られています。Kさんです!」


 全てのカメラが一斉に健司に向けられる。眩しいほどのライトを全身に浴びながら、健司は魔導書の教え通り、少しはにかんだような、それでいて堂々とした態度で軽く頭を下げた。


「いやー、どうもどうも。Kです。よろしくお願いします」


 練習通りの完璧な第一声。スタジオには、緊張と期待が入り混じった空気が流れる。


 倉田は早速、核心に切り込んできた。

「Kさん、単刀直入にお伺いします。先週金曜日の『フューチャー・マテリアルズ』の株価暴落。あなたは事前にネット上で、その原因となるデータ捏造スキャンダルと共に完璧に予言、いや、予知されていました。これは一体、どういうことなのでしょうか? 一部ではインサイダー取引を疑う声も上がっていますが」


 きた。予想通りの質問だ。健司は臆することなく、倉田の目をまっすぐに見返して答えた。


「あー、そうですね。インサイダーとか、そういうものでは全くありません。あれは100%、僕の予知能力で見た内容です。僕はこれを『未知予知』と呼称してるんですが、いわば、もう変わることのない“確定した未来”を映像として観る能力なんです」


「未知……予知、ですか」倉田が訝しげに呟く。「それは、今回だと具体的に、どのように見えたということですか?」


「はい。研究所の内部で研究者たちがデータを改竄している光景が、数秒間の映像として脳内に流れ込んできたんです。企業名や、彼らが捏造していた新素材の名前まではっきりと。ですから、僕にとってはあれが起きることは、ほぼ確定している事象でした。なので、予知自体は非常に簡単でしたよ」


 健司は、さも当然のことのように、しかし決して傲慢にならない絶妙な塩梅で言い切った。スタジオがざわめくのが肌で感じられる。隣の経済評論家が、眉間に深い皺を寄せ、腕を組んでいるのが見えた。


 倉田がさらに食い下がる。「にわかには信じがたい話ですが……。では、あなたがXのアカウント(@Kabu_no_K)で日々行っているデイトレード。あれもその『未知予知』とやらで見ているのですか? 拝見しましたが、勝率は7割程度。100%ではないようですが……」


 これは、魔導書が「最も重要な分岐点だ」と指摘していた質問だった。ここで説得力のある説明ができるかどうかが、Kというキャラクターの信憑性を左右する。


「いい質問ですね」健司はにこやかに頷いた。「そうなんです。株や経済の動きのように、多くの人々の思惑が絡み合い、常に未来が変動する可能性があるもの。これを観る時は、僕は別の予知能力を使っています。これを『予測予知』と呼称してるんですが、こちらは確定した未来ではなく、無数の可能性の未来の中から、最も確率の高いものを“予測”する能力なんです」


「予測……予知」


「はい。この予測予知、単体の銘柄の短期的な値動きを見るだけなら、ほぼ100%の精度が出せます。ですが、ご存知の通り、株式市場は日経平均やダウ、為替、国際情勢など、無数の要因が複雑に絡み合って動いていますよね。そういった複雑な要素が絡む未来を予測しようとすると、どうしてもノイズが入ってしまって、成功率が7割程度に落ちてしまうんですよねー」


 健司は、少し困ったように眉を下げてみせた。あたかも、自分の能力の限界を謙虚に語っているかのように。論理的に聞こえるようで、その実、何の証明もできない詭弁。だが、テレビというメディアにおいては、もっともらしく聞こえることこそが重要なのだ。


 経済評論家の眉間の皺が、さらに深くなった。彼が口を挟もうとするのを、倉田が絶妙なタイミングで制し、話題を転換した。


「なるほど……。非常に興味深いお話です。そもそもKさんは、この驚異的な能力に目覚める前は、何をされていたんですか?」


「いやー、お恥ずかしい話ですが、以前はごく普通のフリーターでしたね」


 健司は照れくさそうに頭を掻いた。この「普通」という言葉が、視聴者に親近感を抱かせるためのフックになる。


「ある日突然、この能力に目覚めて……。最初は自分でも何が起きたのか分からなくて、本当に当たるのかどうか、色々試してみたんです。それで、この予知能力を成功させるために、お金を賭けずに競馬で能力の練習をしてました(笑)」


 このユーモラスな告白に、スタジオに初めて和やかな笑いが起きた。女性アナウンサーが、楽しそうに相槌を打つ。

「ほほう、それはそれは。競馬ですか! 的中率はどれくらいで?」


「そうですね、競馬の場合、一着を当てる単勝なら100%の精度が出てましたね。ただ、一着から三着までを順番通りに当てる三連単を当てるのは、やっぱり株と同じでいろんな馬や騎手の思惑が絡むからか、7割程度の的中率でした」


 健司は、まるで昨日の夕飯の話でもするかのように、さらりと言ってのけた。単勝100%。その言葉の異常さを、あえて軽く扱うことで、逆にリアリティを際立たせる高等戦術だ。


「今でも能力の精度が落ちないように、練習ついでに時々競馬場に通ってますが、成功率は変わらないですね。もっとこの能力を磨けば、いつかは三連単も100%当てられるようになるのかもしれませんが……」


 向上心を覗かせることで、まだ伸び代のある未完の大器であるというイメージを植え付ける。完璧すぎないことが、逆に人間味を生む。全ては魔導書の計算通りだった。


 ここで、それまで沈黙を守っていた経済評論家が、満を持して口を開いた。

「Kさん。あなたは5ちゃんねるでも『予知者K』として数々の予言をされていますね。大臣のスキャンダル、サーバーダウン、土砂災害……。その多くが的中している。あなたは、一体何のためにそんなことをしているのですか? あなたのその力は、使い方を間違えれば社会を大混乱に陥れる、非常に危険なものにもなり得ますが」


 鋭い、そして本質的な問い。スタジオの空気が再び引き締まる。

 健司は、先ほどまでの柔和な表情をすっと消した。そして、カメラのレンズの奥にいるであろう、日本中の視聴者一人ひとりに語りかけるように、真摯な、それでいて強い意志を宿した瞳で口を開いた。


 その瞬間、健司のスイッチが切り替わった。彼はキリッとした表情を作った。それは、憂いを帯びながらも、自らの宿命を受け入れた預言者の顔だった。


「……そうですね。僕が5ちゃんねるという匿名性の高い場所で予言を始めたのは、この力を世のために活かすべきだと考えたからです」


 キリッ。効果音が付くかのような、彼の表情の変化。


「僕一人がこの力を独占して、デイトレードで儲けているだけでは意味がない。この力で、一人でも多くの人を救える可能性があるのなら、僕はその可能性に賭けたい。もちろん、僕の予言を信じるか信じないかは、皆さん一人ひとりの自由です。僕はただ、事実として観えた未来を提示しているにすぎません」


 淀みなく紡がれる言葉。その内容は独善的とも言えるが、彼の真剣な表情が、それに奇妙な説得力を与えていた。


 健司は、さらに悲痛な表情を浮かべて続けた。

「……ただ……的中率が高いからこそ、僕の予言には、それを覆すための回避方法がほとんどない場合が多いんです。それが、本当に辛い。土砂災害の予言をした時もそうでした。場所と時間を特定して書き込みましたが、結局、被害を防ぐことはできなかった……。悪い予言は、正直、外れてくれと毎回心の底から願っています」


 彼は、そっと目を伏せた。長い睫毛が、スタジオのライトを受けてキラキラと光る。悲しき宿命を背負った、孤独な青年の姿がそこにあった。完璧な演技。健司自身、その演技に引きずり込まれ、一瞬、本当に自分がそんな悲劇の主人公であるかのような錯覚に陥った。


 スタジオは静まり返っていた。司会の倉田も、あれほど懐疑的だった経済評論家でさえも、固唾を飲んで健司を見つめている。彼が作り上げた「K」という虚像が、現実を侵食し始めているのを健司は感じていた。


「……ありがとうございます」

 倉田が、やや声のトーンを落として言った。「Kさんの真摯な思い、伝わってきました。このテレビ出演で、反響もさらに大きくなると思いますが、今後は、どのようにお考えですか?」


 最後の質問。ここで、次なる布石を打つ。

 健司は顔を上げ、再びキリッとした、未来を見据える預言者の顔に戻った。


「そうですね。僕にできることは限られているかもしれません。でも、例えば、この力を使えば占い師のようなこともできると思うんです。個人の未来を観て、その人がより良い方向に進むための手助けをする、とか。機会をいただけるのであれば、またこうしてテレビに出演させていただくことも考えています」


 彼はそこで一度言葉を切り、カメラをまっすぐに見据えて、力強く宣言した。


「この能力を得たのは、きっと、僕がそれを世のために活かすためなんだと信じていますから」


 キリッ。

 完璧な締め。使命感に燃える、清廉潔白な青年のイメージを、視聴者の脳裏に焼き付ける。


「……ありがとうございました。今夜は、謎の預言者、Kさんにお話を伺いました」


 倉田の言葉を合図に、番組はCMに入った。

 スタジオの緊張の糸がぷつりと切れ、スタッフたちが一斉に動き出す。


「お疲れ様でした!」

「いやー、Kさん、素晴らしかったです!」

 あちこちから、興奮した声が飛んでくる。


 先ほどまで疑いの眼差しを向けていた倉田が、健司の元へ歩み寄ってきた。

「Kさん、いやあ、参りました。あなたは本物だ。ぜひ、また番組に来てください」

 その目は、先ほどまでの探るような色ではなく、純粋な興味と、どこか畏怖のようなものが混じっていた。


 経済評論家も、無言のまま健司に近づき、深く一つ頷いて立ち去っていった。

 プロデューサーの高橋が、感極まったような顔で駆け寄ってくる。

「Kさん! 最高でした! 視聴率はとんでもないことになってるはずです! すでに次の出演依頼の電話が鳴りやまないんですが!」


 健司は、押し寄せる称賛の波に、ただひたすら「好青年K」の笑顔で応え続けた。ありがとうございます、と何度も頭を下げながら、彼の意識はどこか遠くにあった。


 全ての挨拶を終え、ようやく一人で楽屋に戻った瞬間、健司はドアに背中をもたせ、そのままズルズルと床に崩れ落ちた。


「……は……っ、はぁ……っ」


 全身からどっと汗が噴き出し、呼吸が浅くなる。手足が、自分のものとは思えないほど震えていた。笑顔を作り続けたせいで、顔の筋肉が引きつっている。


(……終わった……)


 極度の緊張と、完璧な演技を続けたことによる精神的な消耗。まるで、フルマラソンを全力疾走で走りきった後のような、凄まじい疲労感だった。

 ペルソナが剥がれ落ち、中身はただのしがない元フリーター、佐藤健司に戻っていた。


 ポケットの中で、スマートフォンが一度だけ、ぶぶ、と短く震えた。

 震える手で取り出すと、画面には『魔導書様』からのLINE通知。


『上出来だ猿。褒めてやる。今日の放送で、お前の市場価値はストップ高だ』


 その短いテキストが、なぜか健司の乾ききった心にじんわりと染みた。


 彼はしばらく床に座り込んだまま、ぼんやりと虚空を見つめていた。

 テレビ局の外では、今頃、日本中が「預言者K」の話題で持ちきりになっているだろう。ネットは、賞賛と、驚愕と、そして新たなアンチによる罵詈雑言で、混沌の渦と化しているに違いない。


 Xのフォロワーは、おそらく数万、いや、数十万単位で増えているだろう。

 トレンドの1位は、間違いなく「#預言者K」か「#未知予知」だ。


 社会現象。

 魔導書の言った通り、彼は社会現象そのものになったのだ。

 だが、その中心にいる健司の心は、不思議なほど静かだった。達成感も、高揚感もない。ただ、巨大な虚無感が、疲労した体にずしりと重くのしかかっている。


(これから、どうなるんだろうな……)


 ヤタガラスは、この放送を必ず見ているはずだ。

 彼らが自分という「商品」に、一体いくらの値を付けるのか。


 健司は、ゆっくりと立ち上がった。

 鏡に映った自分の顔は、メイクは落とされたものの、まだ「K」の残滓がこびりついているように見えた。それは、自信に満ちた預言者の顔ではなく、ただひどく疲れた、孤独な男の顔だった。


 彼は楽屋を出て、喧騒の残る廊下を静かに歩き始めた。

 もう、以前のような日陰の生活には戻れない。

 好むと好まざるとにかかわらず、彼はこの国の裏側のメインステージに立ってしまったのだ。


 テレビ局の出口から外に出ると、九月の夜風がひやりと頬を撫でた。

 健司は空を見上げる。東京の空は、ネオンの光で白んでいて、星は見えなかった。


 彼の孤独なショーは、まだ始まったばかり。

 その先に待つのが栄光か、それとも破滅か。

 それは、彼の予知能力でも、まだ観ることのできない未来だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ