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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

筋肉フェチな私は、氷の騎士団長様の腕に捕まえられました

作者: 西蜜梨瓜

頭空っぽにして読める作品だと思います。


 

 

 ミレーナ・モンフォール18歳は結婚適齢期を超えた子爵令嬢である。

 それには理由があった。


(はぁ。どの方も痩せ気味で全く魅力的ではないわ)


 そう、彼女は極度の筋肉フェチだったのだ。

 それ故に、彼女は過去に言い寄ってきた男達(といっても極少数の特殊性癖持ちだが)をことごとく振ってきた。

 もう一つの要因がある。彼女の容姿だ。

 背は145cmしかなく、スタイルもまるで子供。顔は愛らしいが童顔。赤茶色の髪もふわふわしていて、幼さに拍車をかけている。

 この二つの要因のせいで、ミレーナは適齢期をとっくに過ぎ、夜会に参加して花婿を捕まえろと煩い母に押されて毎回夜会に参加するのだが、大抵は壁の花になっていた。


「まぁ、凝りもせずにまたミレーナ嬢が来てらっしゃるわ」

「毎回壁の花になるためだけに来ておられるのかしら?」

「やめなさいよ、あなた達。あの子供の様な容姿では、立派な殿方を捕まえるなんてできやしませんわ」


 令嬢達のクスクスとした笑い声が聞こえてくる。これもいつものこと。

 こんなことで心は折られないが、鬱陶しいことに変わりはない。


(はぁ……帰ろう)


 ミレーナは出口に向かおうと足を向けた──その時だった。会場が突如として騒然となったのだ。

 何事かとミレーナは振り返ると、視線の先にいたのは一人の大男。

 騎士団の立派な制服に見を包んだ男が立っていた。

 帰ろうとしていたミレーナの足が止まる。何故なら男の体が非常に立派だったのだ。


(な、なに! 制服の上からでも分かるほど立派な胸筋に上腕二頭筋! 誰なのあのお方は!?)


 ざわつく会場、その男はその場にいるだけで場の空気を変えるカリスマ性を持っていた。

 白銀の髪は後ろに撫で付けており、顔の輪郭はシャープ、切れ長の瞳はアイスブルー。鼻筋はスッと通っており、唇は薄く整っている。

 全てのパーツが完璧に配置されていて、見る者全てを魅了する男だった。

 会場にいた女性は「ルシアン・グレイフォルク騎士団長様よ! 氷の君よ!」「氷の君が夜会にいらっしゃるなんて珍しい!」「もっと近くで見てみたいわ!」と大興奮している。


 一方ミレーナは、そんな凄い人なのかと思いながら、そんな事より筋肉を堪能していた。

 さて、目の保養もできたし、そろそろ帰るか、などと思いながら再び歩き出したその時、ドレスの裾が爪先に引っかかり、体が傾いていくのを感じた。


(あ、これはダメだわ)


 早々と己の状況を見極め、早々と諦めたミレーナだったが、床にぶつかる前にガシッと体を捕まえられた。

 何事? と思いながら目を開くと、凍えるようなアイスブルーの瞳と目が合った。

 ミレーナはこの時体に感じる逞しい筋肉にときめいてしまった。


(なんて素敵な筋肉なの……)


 ルシアンはルシアンで驚いていた。上司からたまには夜会に出て騎士団のイメージアップをしてこいと命令され、渋々参加していたのだが、そこで倒れそうになっていた淑女を助けた瞬間、全身を雷に打たれた様な衝撃を受けていた。


(なんと愛らしい方なのだ……)


 ルシアンは助け起こしたミレーナを見て再度衝撃を受ける。


 自分の背よりも遥かに小さく、スタイルもまるで子供のよう。顔はあどけなさが残りつつも目はエメラルドの様に輝く美しいアーモンド型に、鼻は少しだけツンと上向きになっている。唇は誘うようにぽってりとしており艷やかで、顔の輪郭はややふっくらとしている。

 顔と体のアンバランスさに、ルシアンは混乱した。


「大丈夫ですか……?」


 互いに見惚れあっていた中、先に我に返ったのはルシアンだった。


「は、はい。助けてくださり、ありがとうございました」


 それでは、失礼いたします、とミレーナは慌てた様子で走り去って行く。淑女としてはマナー失格であるが、呆然としていたルシアンは全く気付いていなかった。

 ルシアンがミレーナを助けたことにより、会場では令嬢達が次々とわざとらしくドレスの裾を踏んで転げるフリをするが、ルシアンはその中の誰一人として助けようとはしなかった。しまいには誰が誰の裾を踏んだだの、誰かが突き飛ばしただのと、散々な夜会になったのだった。


 夜会から屋敷に戻ったルシアンは、寝室のソファーに座って強めの酒を飲みながら、悶々としていた。

 夜会の時は気づかなかったが、世間から見た自分と彼女は大人と子供の様に見えたのではないだろうか。

 高すぎる己の身長に、低すぎる彼女の身長。夜会に参加していたから未成年ではないだろうが、何も事情を知らない者が見たら大の男が幼子を抱きかかえた変質者に見えたはずだ。

 これはアレではないだろうか……いわゆるロリコンというやつに見えたのでは。

 …………これはこの国の安全を守る騎士団長として、致命的なのではなかろうか?


 だかしかし、あの愛らしい姿を目にしてしまった今、俺は彼女の存在を無かったことに出来るだろうか?

 いや無理だ。あのエメラルドの様に美しく輝く瞳、可愛らしく上を向く小さな鼻、ぽってりと艷やかな唇……食べてしまいたいほどに愛らしい。

 何より彼女の名前が知りたい。あの可愛らしい唇から彼女の名前を聞きたい。

 ルシアンは罪悪感と背徳感に苛まれ続けた。

 その晩、ルシアンは強い酒を飲み続け、翌朝まで悩み続けていた。


 +++


 夜会があった日の翌朝、ミレーナは張り切っていた。


「よーし! 孤児院に行くわよー!」

 今日は週一回の孤児院へ奉仕活動しに行く日だ。ミレーナの服装も汚れてもいい動きやすいドレスにブーツである。

 ミレーナにとって、貧しい人に奉仕するのは貴族にとって当たり前の事だと思っていた。だが大半の貴族はミレーナの様に貧しい者へ富を分配する様な者など殆どいないのが現状だった。


 ミレーナは馬車に今朝早くから屋敷の料理人達と焼いたパンと焼き菓子を沢山詰めたバスケットを持ち、馬車に詰めていく。孤児院の畑に撒く肥料や種芋等も麻袋に詰めていく。

 そうしてミレーナ一人が入れるほどしか隙間がないほど馬車をパンパンにして、ミレーナは孤児院に出発した。


 孤児院に着くと、子供達とシスターが待っていてくれた。


「みんなー! 来たわよー!」


 ミレーナの溌剌とした声が孤児院に響き渡る。

 子供達はミレーナに駆け寄り、シスターはそんな子供達を(たしな)めつつ、頭を下げた。


「今日も沢山パンと焼き菓子を焼いてきたわよ〜」


「やった! 食べたい食べたい!」


「まだだ〜め! 畑仕事が終わってからよ!」


「えー!」


「さぁ、行きましょう!」


 そう言って孤児院の畑に向かっていると、巨漢の男達の集団が孤児院にやってきた。

 ミレーナは何事かと思い、子供達を庇うようにして前に立つ。


 すると男達の先頭に立つ男を見てミレーナはひっくり返りそうなほど驚いた。


「あなたは!」


 二人が同時に同じ言葉を発した。


 男達の先頭にいたのは、昨日の夜会でミレーナを助けてくれた人だった。

 ルシアンも驚いていた。今日は上官の命令で市民に騎士団のイメージアップ作戦その二を決行する為に、地域の奉仕活動をせよとの事だった。その場所に選ばれたのが、ミレーナが同じく奉仕活動している孤児院だったというわけだ。


 何たる偶然であろうか。ルシアンは孤児院のシスターに事情を話し、何か手伝えることはないかと聞いた。

 するとミレーナの手伝いをしてほしいと頼まれた。


(ミレーナ……彼女の名前はミレーナというのか。何て美しい名前なんだ……)


 一人感動に打ち震えるが、氷の美貌は微動だにしなかった。彼は生まれつき表情筋を動かす能力が乏しかった。


 ルシアンは勇気を出してミレーナに声をかけた。


「私は騎士団長のルシアン・グレイフォルクといいます。昨晩はあの後大丈夫でしたか? 今日は孤児院の手伝いをしにやってきたのですが、何か手伝えることはないだろうか」


 話しかけられたミレーナは緊張しながら返答した。


「私はミレーナ・モンフォールと申します。昨晩はお助け頂きありがとうございます。名も名乗らずに帰ってしまい、大変不躾でした。今日はお手伝い頂きありがとうございます。良ければあちらの飼料を畑に撒いて頂けると助かります」


「それならお安い御用です。飼料を撒いた後は耕せば良いのですか?」


「はい。そうして頂けると助かります。でも宜しいのですか? そこまでして頂いて……」


 ルシアンは氷のように動かない無表情のまま言った。


「我らが団員を思う存分お使い下さい。力仕事なら訓練も兼ねられますので」


 団員達の働きは勝手に決められた。ルシアンのミレーナへの欲望の為に。


 騎士団の逞しい男達は、ミレーナの指示のもと、着々と仕事をこなしていく。

 肥料を肩に担ぐ時に浮き出る上腕二頭筋、畑を耕す時に盛り上がる僧帽筋、手の空いている騎士が子供達を両腕に捕まらせて回っている時の上腕三頭筋に大腿四頭筋……ここは天国かしら?

 ミレーナは畑仕事に精を出しつつも、チラチラと騎士達の筋肉を見てはうっとりしていた。


 一方ルシアンは、ミレーナが畑を耕すときに屈むと小さな体にはそぐわない、大きめのお尻を見て無表情で内心興奮していた。安産型だ。あれならば俺の子供を何人でも産める……と考えた所で我に返る。

 あんなにも体が小さいのに今自分は何を考えた!? 不埒にも結婚して子供を孕み産む所まで、流れるように自然に考えてしまった。なんたる不覚! なんたる不届き、不義、非道な考えだ!!

 ルシアンは猛省する。だが今度は水を撒く時にチラリと見えた胸の谷間をガン見してしまっている。

 体が小さくても意外にも胸が豊かなのだな……ハッ! また俺は独りよがりな事を考えて──!


 ミレーナとルシアンは、それぞれ妄想に耽りながら、畑仕事をしていたのだった。

 そしてルシアン率いる騎士団員たちの目覚ましい活躍のおかげで、畑仕事はあっという間に終わった。訓練にすらならなかった。


「まぁ! こんなに早く畑仕事が終わるとは、さすが王国きっての騎士団の皆様方ですわね! 本当に助かりました!」


 ミレーナが礼を言うと、ルシアンは腕まくりをしたまま彼女に近付く。


「いいえ、貴方のような立派な方の助けになれたことを誇りに思います。他の貴族も是非見習うべきです。勿論私も含めて」


 ミレーナは腕まくりしたルシアンの腕を凝視していた。なんて立派で理想的な筋肉なの……。


「そんな、私は大したことなどしておりませんわ。お口がお上手ですのねルシアン様」


 ルシアンは俯き加減のミレーナのふわふわの髪を見ながら、触ったらどんな感触がするのだろうか、等と考えていた。


「よろしければ、一緒に焼き菓子でも食べていかれませんか? 子供達の為に焼いてきたんのすが、少々焼きすぎてしまって」


「いや、子供達の分を我々が頂くなどできません。是非子供達に沢山食べさせて上げてください」


 ミレーナは残念そうな顔をした。もう少し筋肉を堪能したかったのに、と。

 ルシアンも、もう少しミレーナの側で彼女を見ていたかったのに、と。

 どちらも欲望まみれだった。


 そうしてルシアン率いる騎士団は、奉仕活動を終えると帰っていった。ルシアンは後ろ髪引かれる思いであったことを付け加える。


 +++


 今回も母からの強烈なプレッシャーにより、夜会に参加していた。「早く花婿を捕まえろ」と、もはや呪詛のレベルで囁いてくる母であった。

 捕まえろと言われても、こんな小さくて秀でた所などどこにもないのに、一体どこの誰を捕まえろと言うのか?

 そして今日も今日とて壁の花になるのがお決まりの流れである。


 この夜会に参加していたのはミレーナだけではない。あの「氷の君」であるルシアンもである。

 彼はあわよくばミレーナに会えることを期待して参加していた。あの小さな愛らしい存在を探して辺りを見回せば、氷の君と目が合っただのと令嬢達は大騒ぎである。子息達はあのルシアンが参加していては、勝ち目などあるはずがないと早々と今夜の収穫を諦めていた。


 皆が皆、てんでバラバラな事を考えている夜会で、ルシアンは奇跡的にミレーナを見つけ出した。会場の隅の壁の前にポツンと立っていた。

 これを逃してなるものかと、ルシアンが一歩を踏み出した瞬間、楽団が楽器のチューニングを始めた。

 ルシアンはこれをチャンスだと捉えた。ダンスを申し込む絶好の機会。

 ルシアンは急いでミレーナの元へと歩いていった。


 ミレーナは楽団が準備を始めた頃、何の感慨もなくぼうっとそれを見ていた。自分をダンスに誘う殿方などいないと理解していたからだ。果たしてそれは大きな勘違いになる。ふと視界の端に大きな人の姿が見えたのだ。

 誰かしら、と顔を向けると、自分に向かって真っ直ぐに歩いてくるルシアンであった。

 ルシアンは一体誰と踊るのだろう? 美貌と爵位が高いセレナ嬢だろうか。だが彼女は自分のいる場所からは遠く離れた正反対の場所にいる。

 そんな事を考えている間にも、ルシアンはどんどん自分に近づいてくる。

 まさか、と思いながらぼんやり立っているとルシアンがどんどん近づいてくる。これは気のせいではなく、本当に自分に近づいている!


 焦るミレーナの心情など露知らず、ルシアンはついにミレーナの前へと辿り着く。


「こんばんはミレーナ嬢、またお会い出来て光栄です。今宵は誰か心に決めたお方がおられるのですか?」


「こんばんはルシアン様。私の方こそお会い出来て光栄ですわ。今宵は……いえ、今宵も私は壁の花になっておりますわ」


 ルシアンは内心ガッツポーズをした。これは大きなチャンス。このチャンスを逃してなるものか、と息巻いていた。相変わらず無表情だが。


「もしよろしければ、この私と踊ってはくれませんでしょうか? 心に決めた御相手がいなければ、の話ですが」


「先程も申し上げた通り、その様な方などおりませんわ。私のような凡庸な者など誰も相手にしたくありませんもの」


 ルシアンは強く否定した。


「貴方は御自分をあまりに低く見すぎておられます。貴方のような魅力的な方はそうそうといません」


「ルシアン様は本当にお口がお上手ですわ」


「もしそんな私を少しでも気に入って頂けたなら、私の手を取って下さいませんか?」


 ルシアンが跪き、ミレーナへ手を差し伸べる。ミレーナは驚いてその手を慌てて取った。


「どうかお立ちになって下さいまし。私の為にその様な振る舞いは必要ありませんわ」


「それでは私と踊って頂けると?」


 中々に強引だが、ここで逃すといつミレーナに出会えるか分からない。


「はい。こんな私で良ければ」


 ルシアンはミレーナの手を取ると会場の真ん中へと導く。細い腰に手を添えるとミレーナが片手をルシアンの腕に添える。

 身長差を考慮して、ミレーナが踊りやすいようにルシアンが器用に誘導する。

 周りで見ていた令嬢達が次々と失神する。あの誰も相手にしない「氷の君」が初めに踊った相手がまさか、あの壁の花であるミレーナ嬢だなんて、と。ルシアンを狙っていた令嬢達は臍を噛む思いだった。

 失神する令嬢達を介抱するのは、ルシアンに全てを持って行かれた子息達である。ここで恩を売ってあわよくば、という算段だろう。


 ミレーナはルシアンの腕に導かれつつ、騎士団の制服の上からでも分かるほどの立派すぎる筋肉を堪能していた。美しい顔とは違い、鍛え上げられた筋肉。その筋肉に囲われている至福。こんな機会はもう今宵限りだろう。思う存分全身で筋肉を感じなければ、とミレーナは考えていた。


 ルシアンは小さなミレーナを導きながら、その愛らしい顔に全てが完璧な体をこちらも堪能していた。

 孤児院で感じていた様に、ミレーナの胸の膨らみは豊かであり、手を添えている腰のすぐ下にある尻も立派である。

 こんなに小さいのに、どうしてこんなにも自分を魅了するのだろうか。今までこんな危うい魅力を抱えながら、よく誰の目にも止まらなかったものだとルシアンは思っていた。

 しかしどこかで冷静な自分がいるのも確かだった。周りから見れば幼子と大人。豊穣の女神の如き体つきは間近で見なければ分からない。

 ロリコン──脳裏に過るその四文字がルシアンを苦しめる。


 ダンスが終わるとミレーナは息を弾ませていた。


「私と踊って下さりありがとうございます。とても踊りやすかったですわ」


 ルシアンは紳士の礼を取る。


「私の方こそ、貴方のような方と踊れたこと光栄に思います」


 ここでミレーナを逃してはなるものかと、ルシアンの口から咄嗟に言葉が滑り出ていた。


「もしよろしければ、今度騎士団の見学でもいたしませんか? うら若き女性には少々むさ苦しい場所かと思いますが」


 上官の許可もなく第三者を騎士団の訓練所に入らせるなど、普通なら言語道断である。だが脳と本能がミレーナをどうしても逃したくないと訴えているルシアンは、後先考えずに言っていた。


 ミレーナはミレーナで顔が輝く。恐らくルシアンとの縁は今宵限りだろうと考えていたら、そのルシアンから騎士団の訓練を見学しにこないかと誘ってくれたのだ。この機会を逃すミレーナではない。


「ぜ、是非とも見学に行きたいですわ!」


息せき切って言うと、ルシアンの顔色が明るくなる。互いの利害が一致した瞬間だった。


 +++


 騎士団の訓練所。そこは筋肉という鎧を身に纏った男達の集まる場所。日々鍛錬を怠らず、有事の際には先頭を切って国を守るために戦場へと赴く武人たちの集団でもある。

 ミレーナはそんな場所へと来られた事を、これほど神へと感謝したことはなかった。


「此度はお招き頂きありがとうございます」


 淑女の礼をミレーナはする。ルシアンもそれに応えた。


「あの、よろしければ皆様でお召し上がり下さい」


 持っていたバスケットをミレーナはルシアンに差し出す。ルシアンは「中を見せてもらっても?」と問うと、ミレーナは頷いた。

 蓋を開けるとハーブに漬けられた果実水、レモンの蜂蜜漬け、大量のゆで卵にジャーキーが入っていた。

 果実水と蜂蜜漬けは分かる。だがゆで卵とジャーキーの意味が分からなかった。


「ミレーナ嬢、この卵とジャーキーは……」


 失礼かと思いつつ尋ねると、ミレーナは満面の笑顔で「皆様筋肉を付けなければなりませんでしょう? それには良質なタンパク質が必要不可欠ですわ」と答えるものだから、ルシアンはそこまで考えて差し入れをしてくれているのかと一人感動していた。


 ミレーナとしては何としてでも、この騎士団の団員の筋肉量を落としてはならないという一心で差し入れただけである。


 ベンチに二人は座ると、ぎこちないながらも会話が始まった。


「騎士団を束ねる団長という立場は、さぞかし大変なのでしょうね」


「大変ではないといえば嘘になりますが、国と民を守る事ができる立場で居られるという事は私にとって幸福です」


「戦うことが恐ろしいとは思いませんの?」


「勿論、恐ろしいです。恐ろしいと感じない者は戦場で真っ先に死んでしまいます。恐れは恥ではなく、生き残り戦い抜く為の本能だと思っています」


 それは嘘偽りのない言葉だった。敵将からも恐れられるルシアンだが、彼にも恐れはある。だからこそ今まで生き抜いて戦ってこられたのだ。


 ミレーナは浮かれた気持ちで訓練所にやってきた自分を恥じた。国を守る要であるルシアン達は常に生と死が間近にあるのだと感じさせられた。


「今まで私達が平和を享受できていたのも、全てルシアン様達のお陰なのですね」


「そんな大げさな。戦うだけでは国は回りません。(まつりごと)をする者達がいてこそです」


「ルシアン様は謙虚でいらっしゃるのね」


 ミレーナは微笑んだ。その慈愛に満ちた微笑みにルシアンは胸が鷲掴みにされたかの様な痛みを感じる。恋とはこんなにも苦しいものなのかと。


「団長! そのお方が例の……」


 副団長が二人に近寄ってくる。ミレーナは立ち上がって淑女の礼をする。


「ミレーナ・モンフォールと申します。以後お見知りおきを。此度は皆様方の訓練を見させていただき、身が引き締まる思いですわ」


「その様な大げさなことを仰らず、気軽に見ていて下さい。我々は無作法者ばかりで気が利きませんが」


 そして豪快に笑う副団長にルシアンは頭を抱えたくなった。気は良い奴だが豪快に過ぎる所がある。


「あぁ、そうでしたわ! よろしければ差し入れも是非頂いて下さいませ」


「おぉ、それは何ともありがたい! 後で皆と分け合います」


 そう言うと副団長はまた訓練の指導に戻っていった。


「あの様な者ばかりで申し訳ない」


「いいえ、とても気持ちの良いお方ですわ」


 ルシアンはビクリと体を微かに跳ねさせた。


「つかぬ事をお伺いしますが、ミレーナ嬢はあの様な熊のような男が好みで?」


 ミレーナはドキリとした。筋肉好きがバレてしまったのだろうかと。


「副団長に限らず、皆様素敵な方ばかりですわ。勿論、ルシアン様もですわ」


 ドキドキしながらルシアンの反応を待つ。ルシアンはルシアンで、副団長にミレーナが惚れたわけではないのだと分かり、安堵していた。


「それでは私、そろそろお暇させて頂きますわ。皆様の訓練の邪魔になってはいけませんから」


 本音ではもっと筋肉を愛でていたかったが、あまり長居するのも印象が良くないだろうという打算もあった。

 ルシアンはミレーナともっと話をしていたかったが、かと言って団長として部下を鍛え上げる役目も全うしなければならない。

 両者とも歯痒い想いを抱えながら、その日は別れたのであった。


「団長! さっきの方ミレーナ嬢ですよね! この前孤児院にいらしたお嬢様!」


 他の団員も話しに加わってくる。


「愛らしい方だよなぁ。だけどあまりに小さすぎて、俺達じゃあ不釣り合いだな」


「下手するとロリコンと言われかねんぞ」


「ありえますね!」


 ロリコン──その言葉にルシアンが過剰反応する。


「貴様ら! 余程元気が余っている様だな。訓練場百周してこい!」


「なっ! いきなり何なんすか! 横暴な!」


「そうですよ! 何で急にそんな事を!」


 ルシアンは氷のように冷たい表情で付け加える。


「文句があるならあと百周追加してもいいんだぞ?」


「文句なんてありません!」


「だったらさっさと行ってこい」


 ルシアンが一度こうなると梃子でも意思を翻さない。団員達は何がルシアンの逆鱗に触れたのかを考えながら、訓練場を走ることになったのだった。


 +++


 その報せは突然だった。

 モンフォール家にルシアンが来訪したのだ。

 本来ならば、前もって連絡をするものだが、どうやら急ぎの用で、ルシアンはやってきたらしい。

 ミレーナは慌てて玄関ホールに降り立った。


「いかがなさいましたのルシアン様!」


 ルシアンは鎧を着た姿であった。


「あなたにどうしても伝えたいことがあり、馳せ参じました」


「まぁ……そのお姿、もしや……?」


「はい。お察しの通り、隣国との戦争に駆り出されます」


 ミレーナは己の体を抱きしめた。

 どこかでルシアンは自分の側でずっといてくれる様な、勝手な思い込みをしていた。

 だが現実は非情である。


「帰還がいつになるかは分かりません。ですが、貴方にどうしてもお伝えしておきたいことがあり、やって参りました」


「私に……?」


 ルシアンはそう言うと、ミレーナの前に跪く。まるであの夜会の日の様に。


「私は貴方と初めて出逢った日から、ずっと貴方の虜です。どうか、私が無事に帰還した暁には、私と結婚して頂けませんか?」


 あまりの唐突な告白に、ミレーナは驚いた。しかし同時に胸が高鳴るのも感じていた。


「どうかこの手を取ってください」


 ミレーナは苦悩した。ルシアンの筋肉ばかりを見ていて、彼の内面を知りたいと思ったのは先日の騎士団訓練場でのこと。

 そんな浮ついた気持ちで彼の手を取るなんて失礼にも程があると思ってしまった。


「ルシアン様……私はまだ答えは出せません。ですが、答えを必ず出します。ですからその時まで、どうかご無事でいてください。そして生きて帰ってきてください」


 ミレーナは懐からハンカチを取り出すと、「これをお守りにして頂けませんか?」と言ってルシアンに渡した。


 ルシアンは立ち上がるとそのハンカチを力強く握りしめ、決意の篭った瞳でミレーナを見つめた。


「分かりました。必ず生きて帰ってきます。そしてそのときに貴方からの答えを聞かせてもらいます」


 ルシアンは一礼すると、モンフォール家を出ていった。

 ミレーナはもやもやとした気持ちを抱えたまま、ルシアンの背を見送ったのだった。


 +++


「拝啓 ルシアン様


 そちらの戦況はどうでしょうか?

 怪我などされておりませんか?

 王都はいつも通りの時が流れております。

 私は貴方様が無事に帰還できるよう、毎日神に祈っております。

 どうか、ルシアン様に神のご加護があらんことを。


 ミレーナより」


 その手紙が届き中身を読んだとき、ルシアンはここが戦場であることすら忘れて歓喜してしまった。

 ミレーナ嬢が自分のために祈ってくれている、ただそれだけで力が湧いてくる。

 ルシアンは手紙を大切に懐の中に入れた。


「状況はどうだ!」


 ルシアンの部下が宿営地に入って来た。


「膠着状態です。こちらが動くのを待っているんでしょう」


 それもそうだろう、今いる場所は敵陣よりも低い位置にある。下手に動けば敵から矢の雨が降ってくるだろう。地の利は向こうにある。

 だがこんな事を続けてもいられない。俺は決断した。


「本陣を動かすぞ」


 副団長が待ったをかける。


「そんな事をしたら甚大な被害が出るぞ!」


「このまま何もせずにいて奇襲をかけられるより遥かにいい。全員に準備をさせろ!」


「了解!」


 俺はヘルムを被り、長剣を手に取った。柄にはミレーナ嬢から貰ったハンカチが巻いてある。俺にはミレーナ嬢と神の加護が付いている。恐れるものなど何もない。


 本陣が陣形を取る。俺は馬に乗って先頭に立つ。


「我々には神の加護が付いている! ただ動かず隙を待つだけの卑怯者共など恐るるに足らず! 全軍かかれー!」


 おぉー! と部下たちが声を上げる。一斉に本陣が動き出す。

 その中でも俺は一等先に敵軍へと突っ込んでいく。矢の雨が降ろうとも長剣で弾いていく。敵軍が慌てて陣を後退させるが、間に合うはずもない。地の利など、この俺には効かん!


「白銀の死神だー!」


 敵軍の誰かが叫ぶ。気付いたところで、もう遅い。長剣を振りかぶって相手の首を刎ねる。怯む相手を次々と屠っていく。


 ミレーナ嬢、必ず貴方の元へと帰ります!


 +++


 ミレーナは毎日ひたすら神に祈り続けた。

 ルシアンが無事に帰還できるようにと。

 そして毎日彼の事を考える。

 初めて夜会で出逢った日のこと。

 あの逞しい腕が、こんな貧相な自分を助けてくれたこと。

 孤児院で奉仕活動するルシアンの姿。

 夜会で再び出逢った時に、初めてダンスを申し込まれたこと。小さな自分を労って優しくリードしてくれたこと。

 騎士団の見学に行ったとき、彼の考えに触れ、心が動かされたこと。

 そして戦場に赴き、いなくなった今。

 無表情だけれど微かに笑むルシアンの顔、どんな時も自分を淑女として扱ってくれたこと、周りの評判など気にもせずに、そんな自分と結婚したいと申し込んでくれたこと。

 美しくも逞しいルシアンの心にもっと触れたい。もっとお話ししたい。

 ミレーナの心には常にルシアンが住み着いてしまっていた。


 +++


「お嬢様! お嬢様!」


 メイドが私を起こしてくる。


「なぁに? まだ起きるには早いわよ」


「お出でなさりました! ルシアン様が!」


 その言葉に私は跳ね起きた。メイドがローブを着せるが、私は着替える暇も惜しくて、寝間着のまま階下に降りていく。

 ルシアン様が戻られた! ルシアン様が!

 玄関の扉を開けると、そこには頭や腕に包帯を巻いた姿のルシアンがいた。

 ルシアンはミレーナを認めると、綻ぶように笑んでくれた。


「ルシアン様!」


 ミレーナはルシアンに飛びついた。ルシアンはそんなミレーナの体を強く抱きとめた。


「この様なみっともない姿で申し訳ありません。つい先程帰還し、本部に報告後、急いでこちらに来てしまいました」


 ミレーナはルシアンの首に抱きついた。万感の思いを込めて。


「ルシアン様……貴方様が無事に戻られるのを、毎日心待ちにしておりました! あぁ! 神様ありがとうございます!」


 ルシアンはそっとミレーナを地面に下ろすと、跪いてミレーナと視線を合わせる。


「戦地に赴く前に言った事を覚えておられますか?」


「勿論ですわ。毎日その事を考えておりました」


「答えは出ましたか?」


「えぇ、えぇ! 私の心は決まっております!」


 ルシアンはそっと手を差し伸べる。


「この私、ルシアン・グレイフォルクの妻になって頂けますか?」


 ミレーナは幾筋もの涙を流しながら、ルシアンの手を取った。


「私ミレーナ・モンフォールはルシアン・グレイフォルクの妻になる事を誓います」


 ミレーナは満面の笑顔でそう述べると、感極まって再びルシアンの首に抱きついた。


「良かった! 本当に良かった! ルシアン様が無事に戻られて……」


 ルシアンはミレーナを強く抱きしめながら、無事に帰還できた喜びを噛み締めていた。何より、ミレーナが自分の妻になってくれると言ってくれた事に感動していた。


「ルシアン様、私の体がこんなに小さくても宜しいのですか?」


「貴方は貴方のままでいいのです。貴方こそ私のような大男でも宜しいのですか?」


「勿論ですわ。ルシアン様の逞しい腕に抱かれると、とても安心いたしますもの」


 ルシアンは改めてミレーナを見ると、寝間着のままであることに漸く気付き、寝間着の隙間からチラリと見えてしまった二つの立派な果実に耳まで赤くなった。

 ミレーナはルシアンの視線の先に気付き、こちらも顔を真っ赤にして見えないようにルシアンに密着した。そうすると返って胸の感触が感じられる事にミレーナは気付いていなかった。


「貴方にはご自分の魅力に気づいて頂かなければなりませんね」


 ルシアンは首に抱きついたままのミレーナを横抱きにして立ち上がると、モンフォール家の扉を開けた。


「ルシアン様こそ、他のご令嬢方が貴方様の事を“氷の君”と呼んで狙われているのを、ご存知ないのですね」


「私は貴方にしか興味はありません。他は有象無象にしか見えない」


「まぁ、なんて酷いお方! 今の言葉をご令嬢方が聞いたら卒倒いたしますわよ?」


「貴方にだけ愛されれば私は満ち足ります」


 ルシアンの言葉に、ミレーナは反論すらできなかった。


 こうして小さなご令嬢ミレーナと、大きな騎士団長ルシアンは、無事に結ばれることとなった。








「ルシアン様、私隠していた事がございますの」


 結婚式までの間のこと。暇を無理やり作って二人はモンフォール家の東屋で穏やかな時を過ごしていた。


「実は私も隠していた事があるのですミレーナ。ではどちらから秘密を明かしましょうか?」


 ミレーナは持っていた紅茶のカップとソーサーをテーブルに置いた。


「私からで。その、実は私昔から筋肉が立派な殿方に惹かれてしまいますの」


 ルシアンは瞳を鋭くする。


「では、私よりも好みの筋肉を見つけたら、私を捨ててそちらに行くのですかミレーナは」


 ミレーナは慌てた。


「そんな事は絶対にいたしませんわ! 私はルシアン様の内面にも惹かれているのですから。あくまで興味があるというだけです」


 ルシアンは今後一切、騎士団員に接触させないとこの瞬間、心に固く決めたのだった。


「ではルシアン様は?」


「私はその……ミレーナを初めて見た時から、自分がその、何と言えばいいか……幼女趣味なのではと、ずっと悩んでいました」


 ミレーナは目を丸くする。しかし直ぐに笑った。


「仕方ありませんわ。私は子供と変わらない体形ですもの」


 ルシアンはすぐ様否定した。


「そんな事はない。貴方の体は成熟した大人の女性だ」


「あら、どうしてそれがお分かりで?」


 ルシアンが途端に視線を泳がせる。何とも意地悪な婚約者だ。


「それは……秘密にしておきたい」


 ミレーナはクスクス笑う。ルシアンは無表情に見えるけれど、案外と表情豊かなのだと、もうミレーナは知っていた。


「では結婚式のドレスは胸元が見えるドレスに致しましょうか?」


 ルシアンは即座に反応した。


「駄目だ。君の魅力に気付いた者が君を拐ってしまうかもしれない」


「心配性なルシアン様ですこと。私が拐われそうになってもルシアン様が身を挺して守って下さると信じておりますわ」


 ルシアンはミレーナの手を握る。


「あぁ、必ず君を守り通すと約束しよう」


 やっと明かせた互いの秘密。東屋には柔らかな木漏れ日が差し込んでいた。

 二人はどちらからともなく、顔を近付けていく。

 そして重なる二つの影に、小鳥たちがどこかで鳴いていたのだった。



 

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