戻れないあの頃
「不幸不幸不幸。見飽きた眺めだね。……この国はもっと幸せで溢れてると思ってた。でも逆だった。この国はこんなにも理不尽で、不幸なことが多い」
「……だから壊すの?」
「そうだよ。だってフェアじゃないもん。今もどこかで幸せに過ごしてる奴らがいるんだよ?壊したほうがいいじゃん」
ここは小国の城下町。
ここには沢山の人が住んでいて、みんな笑い合っている。
「アメリア〜!」
「ユリシア!」
私に向かって走ってきた子供はユリシア。
ここから少し遠くの家に住んでいて、本物の妹みたいな存在だ。
父親は五年前に不慮の事故で死んでしまっていて、お母さんと二人暮らしなの。
「こら、ユリシア。アメリアに迷惑かけないの」
ユリシアのお母さんはユリシアを冷たい目つきで見た。
ユリシアのお母さんってたまにこういう顔するんだよね。
「別にいいですよ。後はジョニーおじさんにパンを届けるだけですし」
「いつもごめんね、アメリアちゃん」
私の家族の仕事はパン屋さん。
だからパンの配達は私のお仕事。
「ユリシアも行きたい!」
「駄目だよ」
「何でぇ〜?」
不満そうにユリシアは言った。
「だって、ジョニーおじさんと話すといつも長くなるんだよ? ユリシア、すぐ退屈するでしょ」
「そうだけど……」
「じゃあ、待っててくれる?」
「はぁい……」
ユリシアは渋々頷いた。
何でいつもこんなに私といたがるんだろう。
ユリシアが家に戻っていく後ろ姿を見送って、ジョニーおじさんの家に向かった。
ジョニーおじさんの家は城下町の隅にある。
道中、いつもと同じ光景が広がっていた。
洗濯物が風に揺れ、花屋のおばさんが笑いながら水を撒いている。
どこもかしこも、日差しが溶けるように優しくて心が安らぐ。
やがて、ジョニーおじさんの小さな家が見えてきた。
ドアが少し開いてる?
珍しいな。
「ジョニーおじさん、パンを持ってきましたよ〜」
「おぉ、アメリカか。いつもありがとうな」
ジョニーおじさんは椅子から立ち上がって私のところに来た。
私はパンかごをジョニーおじさんに渡した。
「今日もいい香りだなぁ」
「お母さん達の力作だからね。後これ」
私は小さなビニール袋に入ったお金を渡した。
この間お水を買ってもらったからそのお金だ。
「別にいいのに……。律儀だな」
「ジョニーおじさんは緩いんだよ。お金の管理とかはしっかりしないと!」
「そう言えば、今日はユリシアはいないんだな」
ジョニーおじさんはユリシアがいないことに気がついてそう言った。
いつも「ねー、早く帰ろ〜」「まだ〜」と言っているから、案外すぐ気づかれたな。
「今日は置いてきた」
「そうか……。でも、今日はもう帰っていいぞ」
「え?でも……」
「最近王都は治安が悪いし物騒だからな」
否定はできない。
最近王都では騎士が独裁政治をしている。
前国王が退去し、王太子が国王に成り上がったのはいいけど、騎士団を自由に行動させたり、政治の実権を握らせている。
それが原因で調子に乗った騎士がたくさん現れた。
実際にこの間、国の端の村で大量虐殺が起きた。
「逆らう者は皆殺しだ!って勢いだもんね。そのうち王都も焼かれるんじゃないか心配になるね」
「……実は、もう動き出してるって噂もあるんだよ」
そんな話をされたら家の方が心配になってくる。
やっぱり今日は帰ろう。
「教えてくれてありがとう、おじさん!」
私は足早におじさんの家を出た。
なんか嫌な予感がする。
早く帰ろう。
◇◆◇
ユリシア家の近くまで来て、ちょっと安心した。
何事もなさそう。
あれ?
どうしたんだろう。
ユリシアの家の周りに人が集まってる。
またユリシアがクッキーでも焼いたのかな?
私は人混みを掻き分けて、玄関の所に来た。
「……っ!」
家の中にはユリシアがいた。
地面に座って泣いていた。
そんなユリシアを抱きしめていたのはユリシアの家の隣に住む人だ。
ユリシアの目の前には、ユリシアのお母さんが口から血を流して倒れていた。
胸元は真っ赤だ。
血の匂い……。
「ユリシア……?」
ユリシアは俯いて何も言わなかった。
「……何があったの?」
「急にユリシアの家騎士がに押しかけてきて、メイベルを……殺した……」
そんな理不尽なことがあっていいのだろうか。
騎士団は民を守るために作られたものだ。
その人達が政治の実権を握ったからと言って、国民を蔑ろにするなんてどうかしてる。
「ユリシアが殺されそうだったのを、メイベルはそれを庇ったみたい……」
◇◆◇
ユリシアの目の前で、ユリシアのお母さんは死んだ。
自分の娘を守りたい一心でメイベルさんは命を散らした。
それがユリシアにとってどんなことになるか。
それでも助けたかったんだろう。
このときの私はそう信じてやまなかった。
それがただの口実であることを知らずに。
メイベルさんの死因が騎士だけにあると信じ込んでいたから。
◇◆◇
ユリシアはあれから疲弊してしまった。
父親がいないユリシアはうちが引き取ることになった。
ユリシアは暗いままだった。
外に連れ出しても、幸せそうに歩く家族を見たユリシアは絶望の表情を浮かべるから連れ出せない。
ただ時だけが過ぎていく。
◇◆◇
ある日、私が朝の仕込みを終えて部屋に戻るとユリシアが窓の外を見ていた。
静かに。
でも何かを確かめるよう。
「……ユリシア?」
声をかけても、彼女はすぐには振り向かない。
しばらくしてからユリシアはこちらを見た。
その目には、怒りも悲しみもないようだった。
無気力な目。
「アメリアはもしこの世界を壊す力があったらどうする?」
その問いかけはただの仮定じゃない。
本気で問われていると感じた。
「……壊さない。私は……守りたい」
「何を?」
「人の優しさとか……過ごしてきた日々とか。メイベルさんの最後の想いとか。壊したくないんだ。たとえ不公平でも全部を壊してしまったら、それすら無かったことになっちゃうから」
ユリシアは少しだけ微笑んだ。
それは皮肉のようで、それでいてどこか諦めの混じった笑みだった。
「……優しいね、アメリアは。優しい人が生き残る世界なら、少しはマシだったかもしれないね」
その夜、ユリシアは遅くまで眠らなかった。
◇◆◇
「ユリシアがいなくなったぁ!?」
翌朝、お母さんから聞いた話は驚きしかなかった。
「朝起きたら、ユリシアの布団が空っぽだったの。窓も……開いてて……」
お母さんが震えたような声でそう言った。
騎士団に連れ去られたのか?
いや、そんなはずはない。
まさか、自分の意志で……。
「とりあえず、ユリシアを探しましょう。今日は店を閉めるわ」
「そうだね。私は都心を探すから、お母さんはその周辺を探して」
「分かったわ」
私は都心に向かって走り始めた。
都心は相変わらず栄えてる。
騎士団の奴らも多い。
「ユリシア……どこに行ったの……?」
胸が締め付けられる。
――この世界を壊す力があったらどうする?
あの時の声……。
まるで本気で言ってるみたいだった。
◇◆◇
もうすっかり夜になっちゃった。
もしかしたらお母さんが見つけてるかもしれないし、一回帰ろう。
「おい!逃げろ!人が刺されたぞ!」
少し先の方から人が逃げてくる。
通り魔か。
タイミングが悪いな!
私も急いで逃げようとした。
でも、もし……もしユリシアが刺されていたら……。
私は逃げていく人とは逆方向に歩き出した。
「ユリシア……ユリシア……!」
着いたそこには倒れた人とローブを着た人物以外、誰もいなかった。
刺されたのは騎士団の人か。
ローブの袖口から、血で濡れた刃物が見えた。
ローブの人物は刃物を大きく振り上げた。
「駄目っ!」
私は急いで騎士団の人を守るようにローブの人の前に立ちはだかった。
ローブの人物は動きを止めた。
私の叫び声が届いたのか、私が身を挺して騎士団の男をかばったせいか、その手は空中で凍りついたように止まっていた。
「……退いて、アメリア」
「ユリシア……?」
風が吹いて、ローブのフードが脱げた。
そこには私の知る“あの子”がいた。
けれど、あの頃の笑顔も泣き顔も、もうどこにもなかった。
「どうして……こんなことを……」
「どうして……?ふふっ。あははっ!」
ユリシアの笑いは狂気に満ちていた。
かつての優しい少女の面影は残っていなかった。
「不幸不幸不幸。見飽きた眺めだね。……この国はもっと幸せで溢れてると思ってた。でも逆だった。この国はこんなにも理不尽で、不幸なことが多い」
「……だから壊すの?」
「そうだよ。だってフェアじゃないもん。今もどこかで幸せに過ごしてる奴らがいるんだよ?壊したほうがいいじゃん」
ユリシアは血に濡れた刃を私に向けて言った。
花の咲く町並み、笑い声、優しい家族、穏やかな日常。
そのすべてが、ユリシアにとっては――許しがたいものに変わってしまっていた。
「そいつはお母さんを殺したんだよ?なのに、ここでお酒を飲んで笑ってたの」
ユリシアは私を避けて、倒れている騎士を踏んだ。
「グッ……」
「やめて!」
「許せないよね。私をこんなにも不幸にしておいて笑ってるなんて!」
ユリシアはそう言いながら何度も騎士を踏みつけた。
「やめて、ユリシア!そんなこと、しないで……!」
私は叫びながら必死で彼女の手を掴もうとした。
だけど、ユリシアの瞳は冷たく、まるで別人のようだった。
「アメリア……分かってないね。こんな世界は壊さなきゃ意味がないんだよ」
足元の騎士は呻きながらも動けない。
「こいつらみたいな連中が、この世界のルールを決めてるんだ。理不尽に笑ってるんだ。自分の幸せのことしか考えずにね!」
「確かにそうかもしれない。でも、あなたの助けられた命は仇を取るためのものじゃない!」
私はユリシアに言った。
ユリシアは私を冷たい目で見ていた。
「綺麗事はもういいんだよ」
「お願い、ユリシア。罪を償って戻ってきて」
私はユリシアに手を差し伸べた。
ユリシアはその手を強く払い除けた。
それは正直な拒絶だった。
「戻ってきて?残念だけど、アメリアの中にいる私はもういないの」
駄目だ。
私じゃユリシアを止められない。
「ねぇ、そろそろそいつを殺したいの。退いてくれる?じゃないとアメリアも殺すよ」
ユリシアは騎士に向かって短剣の先を向けた。
ユリシアは本気だ。
本気でこの人を殺そうとしてる。
「殺すなんて間違ってる。この人も一人の人間だよ」
「ふざけないで」
ユリシアから聞いたことのない言葉……。
こんなに怒ってるんだ。
復讐してやりたいんだ。
「なんで庇うの?」
「殺して終わりでいいの?生かしてもっと苦しめればいいじゃない」
「もう十分苦しめた。こんなやつ、これ以上生かす価値もない」
「いいの?これで終わりにして」
「いいから殺させて」
「駄目だよ。一番大事なのはあなたがやりたいことをやるかどうかだ。そいつを殺すのはあなたの本心じゃないでしょ?」
私が言うと、ユリシアは目を見開いて不敵に笑った。
「……アメリア、その勘違いは良くないよ」
ユリシアはそう言って、私を突き飛ばした。
そして騎士の心臓を短剣で刺してトドメを刺した。
「ユリシア!!」
「言ったでしょ?フェアじゃないから壊すって。アメリアは何も分かってないね」
ユリシアは騎士に跨った。
そして――
「みんな何もわかってない!分かってない分かってない分かってない!」
そう言いながら騎士を滅多刺しにした。
騎士の体からは血がどんどん流れていく。
ユリシアは一息ついて立ち上がった。
頬にも服にも血がついている。
「アメリア、私ずっとあなたが嫌いだった」
「……っ!」
「もうめんどくさいから言うね。私、あなたが大嫌いだったんだよ」
「……え?」
ユリシアは確かにそう言った。
なんで……?
あんなに仲良さげだったのに。
「みんな表ズラしか見てない。お父さんは私に虐待をしてきた。お母さんもそれに便乗して私を叩いた。でも、外では仲のいい家族のフリをする壊れた家だった。外で助けてなんて言ったら殴られるから」
虐待……?
そんな素振りは一度も……。
「みんな私達の演技に騙されてさ。うちはみんな演技が上手だったんだよね」
演技……。
「ちなみにお父さんを殺したのは私だよ」
その言葉が頭に入ってくるのに数秒かかった。
「五年前、お父さんが死んだ日。酔っ払って帰ってきたお父さんを私は階段から突き落としたの」
事故じゃなかったってこと?
「じゃあ、メイベルさんは……」
「急に騎士が家に来たっていうのは嘘。私がこの騎士に頼んで殺してもらったの。殺してもらったあとも、こいつは私に金をせびってきた。“処理してやった代わりに黙っててやる”ってうるさかったんだ。だから殺した」
ユリシアは騎士を蹴り飛ばした。
知らない。
こんなユリシアは知らない。
「おばさんが言ってた話は間違ってないよ。騎士に殺されたってところだけだけどね」
でも分かったことがある。
さっきからユリシアは騎士に怒ってるんじゃないってこと。
ユリシアはこの世界の理不尽さに怒ってるんだ。
「ねぇ、なんで私に”優しい人が死ぬ”なんて言ったの?」
「だって、そっちの方が可哀想な子でいられるでしょ。哀れんでくれるでしょ。誰も私の本当のことなんて見ないから」
ユリシアは淡々と残酷な真実を語った。
あの時の涙も、震える肩も、演技だったのか。
――いや、違う。
演技じゃない。
壊れてしまった心が、どうしようもなく助けを求めていた。
ただ、誰にも届かない形で。
私はユリシアを見つめた。
血で染まった手、冷たい瞳。
ユリシアが背負ってきたものは私が思っていたよりもずっと深くて、苦しくて、壊れていた。
「……全部嘘だったの?あの笑顔も、一緒に過ごした時間も……」
私は震える声で聞いた。
もし否定されたら……。
怖くてたまらない。
ユリシアはしばらく黙ってから、少し微笑んだ。
「……嘘じゃなかったよ。アメリアと過ごしてる間だけは本当に救われたって思ってた。お母さんは私を虐待する割に自由にしてくれた。アメリアと遊ぶ時間は楽しかった。でも……」
その目はあまりにも静かで、怖いほどに穏やかだった。
「でも、救われたって思った分だけ余計に壊れたの。優しさを知ったらもう知らなかった頃には戻れない。戻れないのに、優しい世界は私には訪れなかった」
ユリシアは悲しそうな顔をして言った。
「アメリアは優しい。でも、その優しさは私にとっては毒だっただから嫌い」
……その目は深く深く沈んでいた。
私が……ユリシアを苦しめていた……。
私の目の前に立つユリシアはもう「妹のような存在」のユリシアではなかった。
それでも――
「……それでも、私はあなたを憎めないよ。……嘘でも本当でも、私にとってあなたはユリシアだった。ずっと大切な何にも代えることは出来ない」
ユリシアはその言葉にわずかに表情を歪めた
「……やめてよ、そういうの。ずるいよ。優しいふりして、結局何も分かってないんだ」
「そうかもしれない。でも、私はあなたを想ってる。あなたを止めたかった。ずっと傍にいたかった」
ユリシアは耳を両手で押さえつけた。
やっぱり後悔してるんだ……。
正しい判断ができなかったこと。
「ユリシア……」
「何?」
「私ね、今でもあなたが大事だよ」
「……もう遅いよ。アメリア。私はもう戻れない」
「戻れるよ。私がいる。あなたを責めたりしない。怒りもしない。でも、ただ――あなたの手を握らせてほしい」
ユリシアの瞳が、揺れた。
ほんの一瞬。
けれどそれは確かに迷いだった。
「……でも、私はたくさん殺した。壊した。もう普通には生きられない」
ユリシアは切なそうに笑った。
それはどこか諦めを含んだ空虚な笑みだった。
「ねぇ、アメリア。あなたの世界は綺麗だった?幸せだった?」
「……」
私は黙り込んでしまった。
綺麗だったと言うべきか分からない。
考えていると、ユリシアは私に背を向けた。
そして、近くにあった酒を頭から浴びた。
私にはその行動の意味がわからなかった。
「ユリシア……?」
「私は人を殺した。しかも自分の意思で、正義も何もなく。そんな私に帰る場所なんてない」
「でもそれは憎しみに飲み込まれて、自分を守るためだったんでしょ!確かに間違いだったかもしれない。でも……それでも……帰ってくることはできるよ!」
ユリシアは静かに私を見つめた。
その瞳にはもう何も映っていないようだった。
「ありがとうアメリア。最後まで汚れきってしまった私のことを信じてくれて」
ユリシアは近くの店にぶら下がっていたランタンを手に取った。
まさか……!
「ありがとう、さようなら。アメリア」
「ユリシ――」
私が名前を呼ぼうとした瞬間、ユリシアはランタンから手を離した。
地面に落ちたランタンは割れ、ユリシアを炎で包みこんだ。
「ユリシア!!」
◇◆◇
ユリシアを包みこんだ炎は街に広がっていき、やがて国中を燃やした。
何とか逃げることができた私はもう逃げていたお母さんと街を眺めていた。