第4話 泣きたい夜もある
この歳になれば、みんなだいたい、ちゃんと自立している。
就職して、結婚して、
家族を持って、責任のある役職について――
それが「普通」なんだろうなって、
どこかで思ってる。
私は、まだ実家暮らしのフリーター。
家に帰れば誰かがいるのに、
会話はほとんどない。
誰とも繋がっていないのに、繋がってるふりだけが続いてる。
劣等感、なのかもしれない。
いや、たぶん、そうだと思う。
でも、誰かと比べて落ち込むことより、
「本当はできたかもしれない」って思ってしまう自分の方が、もっと苦しい。
やれないんじゃない。
やってないだけ。
そう言われたら、何も言い返せない自分がいる。
努力不足だと思う瞬間もある。
怠けてきたとも思う。
でも、それでも、何もしてこなかったわけじゃないんだ。
精一杯って、どこに線引きがあるんだろう。
息をして、朝起きて、出勤して、笑われないように笑って、バイト先で皿を洗って帰ってくる。
それのどこが“精一杯”じゃないの?
この心と、この体と、この疲れやすさで、今日を乗り切るだけでも精一杯だった日、私は何度もあった。
人によってプログラムが違う。
頭の動き方、感情の感じ方、処理の仕方。
私は、そういう仕様で生まれたんだと思う。
でも、それを“言い訳”としか受け取られない世界で、
どうやって生きたらいいのか、今でもわからない。
「這い上がる」って言葉がある。
でも、それって誰かを蹴落とすこと?
私は、蹴落としたくない。
自分も、誰かに踏まれたくない。
だから、上にも行けないし、下にも行きたくない。
そうして、気がつけば中途半端な場所で、
ただ時間だけが過ぎていく。
孤独は、もう慣れた。
ひとりでいるのは、べつに怖くない。
でも、時々――
ほんの時々、涙が出そうになる夜がある。
誰かの成功が羨ましいんじゃない。
自分が、自分であることに、疲れてしまうだけ。
本当は、誰かに優しくされたいと思ってる。
でもそれを口にしたら、自分の弱さを全部さらけ出してしまう気がして、何も言えない。
だから私は、今夜も静かに眠る準備をする。
心を巻き戻すように、今日の疲れを、ひとつずつ胸にしまいながら。
「それでも、今日を終えられた自分」は、たぶん、少しだけ頑張った。
逃げるように生きてきたけれど、今日という日をちゃんと終えた私に、誰かが「よくやったね」と言ってくれたら――
きっと、泣いてしまうと思う。
でもその言葉が、どこからも聞こえなくても。
私は、自分の中でそっとつぶやくことにしてる。
「今日も、生きてくれてありがとう」
そう言ってあげられる自分でいたい。
たとえ誰からも見られていなくても、誰かに必要とされていなくても。
私は、私のことを、そっと抱きしめながら眠りたい。