第3話 誰かが稼いで、私は息をする
たぶん私は、この社会の中では“負けている側”だと思う。
正社員じゃないし、実家暮らしのフリーターだし、何か特別な資格があるわけでもない。
それどころか、過去に勤めた会社の名前も、もうほとんど思い出せなくなってる。
競争は苦手だ。
比べられると黙り込むし、「結果を出せ」と言われると、体より先に心が壊れる。
だから私は、競争社会の中では“逃げた人”だと思う。
戦いから距離をとった人。
敗者というより、ただ静かに立ち去った人。
でも、そんな私も、この社会で生きている。
病院にかかれば保険証を使うし、車に乗れば整備された道を走ってもらっている。
それって結局、誰かがちゃんと働いて、稼いで、納税してくれているからだ。
競争社会で“勝った側”の人たちが、大きな責任を背負って生きていて、その結果として、私みたいな人間も、今日もこうして息ができている。
なんだか、ちょっとだけ悔しい。
私は、競争社会に向いてなかった。
でも、向いている人たちを見ていると、時々、自分が怠けているような気になる。
本当は、ただ不器用なだけなのに。
それでも、この社会の仕組みの中で、「勝者」と呼ばれる人たちがいるから、私のような人間が、それなりに安全に、食べて眠って、こうして生きていられる。
ありがたいと思う。
でも、どこかで複雑でもある。
誰かが仕事で疲れているときに、
私はコンビニでおにぎりを選んでいる。
誰かが大事な会議に向かっているときに、私は今日、雨が降らなければいいなと思ってる。
そのギャップに、罪悪感を覚えることもある。
でも、それを責めたところで、私が明日から「勝者の側」になれるわけじゃない。
きっと私は、ずっとこの場所で生きていくんだと思う。
誰かに誇れることも、すごいねって言われることもない。
でも、別にそれでいい。
私は、誰かを追いかけて生きてるわけじゃないから。
社会には、いろんな役割がある。
すごい人も、派手な人もいる。
でも、たまには「何もしないように見える人」だっていていいと思う。
そういう人が、街の片隅で、そっと息をしてる。
目立たないけど、ちゃんと生きてる。
私の役割は、“静かに存在していること”かもしれない。
小さな歯車。少ないお給料でも役に立った証だ。
誰にも見つからなくても、誰にも必要とされなくても、それでも、生きていることには意味がある。
競争にはもう戻らない。
でも、この世界のどこかで、今日も誰かが働いてくれていることには、ちゃんと感謝してる。
その上で、私はここにいる。
息をして、食べて、今日を終える。
それだけで、充分だと思う日が、たまにある。