その9 呪いの噂を聞きました
「夕食も朝食も別でしたから変に思われて、トンプソンさんを問い詰められたんです」
翌朝、使用人部屋のある西棟から客室のある東棟に移動しながら、執事のアルドがアシュリーに説明した。
アルド・ハワードは二十四歳、邸に勤めて六年になる、黒髪に群青の瞳、物腰やわらかな大人の魅力がある男性だ。
「平民だから空いている使用人部屋を使わせているとトンプソンさんが白状すると、ヒューイ様は激怒されまして、それはそうでしょう、客室をと指示されたのですからね」
そう言う訳で、アシュリーは東館の客室に向かっていた。
「でも、平民ではありませんよね」
アルドは意味ありげな笑みを浮かべながらアシュリーの顔を見た。
「えっ……」
「なにげない所作が違いますから、そうやってただ歩いているだけの姿勢も」
「そうかしら?」
「ヒューイ様も最初から貴族のご令嬢だと仰って下さればよかったのに」
もうバレている、否定してもしょうがないと思ったアシュリーはあっさり認めた。
「いいんです、身分を偽ってるわけだし、これから旅をする予定なので勉強になります、平民だとこんな扱いが普通なんですね」
アルドはなんとも言い難い渋い笑みを浮かべた。
「人によります、侯爵家の方々は昔からプライドだけはお高くていらっしゃいますから、使用人も同じように勘違いしているのです。ヒューイ様が来られて少しは変わりましたが、トンプソンさんは古株ですし、ヒューイ様の出自も」
言いかけてアルドはやめた。
「聞いています、ヒューイ様のお母様のことは。その実家で私がアクシデントに見舞われて、怪我が治るまでお世話になることになったんですよ」
「それにしてもヒューイ様が女性をお傍に置くなんて珍しいです、気に入られたのですね」
アシュリーはそれには同意できなかった。ヒューイと言うよりリフェールの目に止まったようだが、そこは説明が面倒なのでスルーした。
「怪我人だからですよ」
包帯をした左手を掲げた。
「聞き手じゃなかったのが幸いですけど、一か月以上かかるって、その間、あの侍女長に嫌な顔され続けるんでしょうかね」
「ヒューイ様も勝手なことをされて頭を抱えてらっしゃいますが、トンプソンさんは先々代からお仕えしていて、実質ここの使用人たちを統べていますから簡単に辞めさせるわけにはいかなくてお困りです。それに人手不足なので」
「そう言えば、邸の規模にしては使用人の数が少ないようですね」
「以前のように夜会やお茶会が催されなくなりましたから、問題はありませんが」
アルドは回廊から見える中庭を、寂しそうに見た。
「私がこの邸に来た頃は、こちらの庭も美しく、ガーデンパーティーが頻繁に催されていました。エントランスのホールももっと明るく煌びやかで、お客様をお迎えするのに相応しい豪華かさがありましたが、調度品の数も減ってすっかり寂れてしまいました」
「財政難ですか?」
「ハッキリおっしゃるお嬢様だ」
苦笑したアルドを見て、アシュリーもストレートに聞き過ぎたと反省した。
「まあ事情は色々と……ヒューイ様はお気の毒に貧乏くじを引かされたのですよ、使用人が減ったのは幸いだったかも知れません、人件費節約になりましたから」
「噂ってなんですか?」
リフの言葉を思い出したアシュリーは、ついさっき反省したばかりなのに、また突っ込んだ質問をした。
「昨日、小耳に挟んだんですけど、ヒューイ様の伯母様もあの邸は、って渋い顔してらしたし」
邸の雰囲気もなんとなく暗い。
「それに〝またですの、今度は薔薇園が荒らされたんです〟ってオリヴィアお嬢様が叫んでらしたでしょ、そんなことが度々起こってるの?」
回廊を歩いていた二人は、ちょうど件の薔薇園の傍を通りかかった。
見事に大輪を咲かせていた秋咲きの淡いオレンジやピンクの薔薇が、無残に切り落とされて、踏みにじられていた。
「酷いですね」
薬草栽培に力を注いでいたアシュリーは、植物が傷つけられていることに心が痛んだ。落ちた薔薇を一つ拾い上げ、
「丹精込めて育てた花がこんなことになったらいたたまれないわ、オリヴィアさんのショックもわかります、お母様が育てられたって仰ってたし」
「前の奥様は庭いじりなどされませんでした、通いの庭師に命令するだけ、それをさも自分が手塩にかけたような言い方をするのが得意な方でした」
アルドは一瞬だったが、嫌悪感露に眉間に皺を寄せたのをアシュリーは見逃さなかった。
「噂と言うのは、シモンズ侯爵家が呪われているという話ですよ」
アルドは逸れてしまった話を戻した。
「呪い?」
「前侯爵夫妻が馬車の事故で亡くなったのがはじまりだったのですが、その時、御者も亡くなりました。そして葬儀のすぐ後に、長年オリヴィア様の教育係をしていたマイアー夫人の溺死体が敷地内の池で発見されたのです、それも事故だったのですが、短期間に四人も死者が出ましたから」
「不幸が重なったんですか」
「それだけじゃ済まなかったのです、その前から邸内で怪事件が続いていて、小火が起きたり、窓ガラスが割られたり、鳥の死体が玄関に置かれたりとか」
「悪質な悪戯みたいね」
「悪戯ならよかったのですが、マイアー夫人の幽霊に階段から突き落とされたと言うメイドまで出て、若いメイドは怖がって次々と辞めてしまいました。しかもいつの間にか近くの町にも呪いの噂が広がっていて後釜も見つからない始末なのです」
「なんだか、悪意のある作為を感じるわね」
「そうですね、呪いなんてものは存在しません、きっと誰かの嫌がらせに違いありませんから、調べてはいるんですが……」
「あー! こんなところにいた」
そこへ中堅メイドのダリア・マクレガーがのんびり歩いている二人に駆け寄った。