その8 縁を切りました
「どういうことなんですの!」
マルレーネは執事の制止を振り切って、家族がディナーを囲むヘイワード家の食堂に乗り込んだ。
「バルト子爵夫人、どうされたんです、先触れもなくこんな時間に来られるなんて」
丁度食事を終えたところのルドルフ・ヘイワード伯爵は、怪訝な目を彼女に向けた。
「どうもこうも! 先ほどこの手紙が届きましたの、アシュリーからです、家を出たと」
マルレーネは握りしめた手紙を掲げた。それはアシュリーが町の子供に小銭を握らせて、直接バルト家に届けさせた手紙だった。
憤慨しているマルレーネとは対照的に、ルドルフは冷ややかにそれを一瞥した。
「そのことですか、確かにアシュリーは短い書置きだけ残して勝手に出て行ったようです」
「勝手に?」
マルレーネは家族の一員のように、リディアの隣に座っている息子ブルーノに辛辣な視線を突き刺した。
「勝手に婚約破棄を言い渡したそうね、子爵子息のあなたが伯爵令嬢に」
家格が下の者から一方的に破棄するなど、常識的にはあり得ない。
「そのことなら問題ありませんよ、私から提案したことですから」
ルドルフはすかさず口を挟んだ
「ブルーノ君とリディアが恋仲になっているのは気付いていましたからね。アシュリーとの婚約を解消して、リディアと婚約し直すように私が勧めたんです。バルト子爵家としても問題はないでしょう、ブルーノ君が次期伯爵になるのに違いはないんですから」
「問題大有りです! リディア嬢はヘイワード伯爵家の血を引いていないのですから、ヘイワード伯爵家を継げるのは直系のアシュリーだけです」
マルレーネの言葉にムッとしたルドルフは声のトーンが下がった。
「思い違いをなさっているようだ、現伯爵は私です、その娘であるリディアが婿養子を取って伯爵家を継ぐことに、なんら問題はありませんよ」
威嚇するように睨むルドルフを前に、マルレーネは一人で乗り込んだことを後悔した。
「あなたは、なにもわかってらっしゃらないようね」
この男こそ思い違いも甚だしいが、きっと考えを変えない、我が息子はどうなってしまうのだろう? この親子に取り込まれてしまったのだろうか? 手遅れなのだろうか? とマルレーネはブルーノに憐れむような視線を向けた。
「あなたはリディア嬢と婚約するつもりなの?」
「先に相談しなかったのは悪かったよ、でも母上ならわかってくれると思っていたんだ、俺はリディアを愛してしまったんだ」
「浮気したってことよね」
「そんな言い方しなくても!」
「アシュリーとの関係がうまくいっていなかったのなら、もっと早く相談してほしかったわ、それをこんな形で裏切るだなんて、いつからそんな良識のない人間になってしまったのでしょうね」
マルレーネはチラリとリディアを見た。その視線を不快に感じたリディアはブルーノの手を握ってオーバーに目を潤ませてみせた。
「お義母様は私が元は平民だから認められないと仰るのね!」
「あなたにお義母様と呼ばれる筋合いはありません、ブルーノとは縁を切りますから、もう無関係です」
「母上! そこまで言わなくても!」
「ヘイワード伯爵家とのお付き合いも今日限りですわ」
マルレーネは吐き捨てるように言うと、部屋から出て行った。
あまりの勢いに、ルドルフも唖然と見送った。
「申し訳ありません、母が大変失礼なことを」
マルレーネこそ良識のない態度で伯爵家を侮辱したと、ブルーノは立ち上がって深々と頭を下げた。
「君のせいじゃない、バルト夫人は先妻のミシェルと懇意にしていたから、君とアシュリーの結婚を強く望んでいたんだろう、根回しが足りなかったことは反省しなければならないな」
「あれは母の一存です、ヘイワード家とは薬草の取引もありますし、今後ともバルト家を贔屓にしてい頂かなければなりませんのに」
「わかっているよ、商売のことはバルト子爵との問題で、私情を挟むつもりないから安心しなさい」
「悪いのはアシュリーよ、夫人があんなにご立腹されるんだから、きっとある事ない事でっちあげて私たちを悪者にしたのよ、どこまでも意地が悪い女だわ」
リディアは頬を膨らませた。
「もういいじゃない、目障りだったアシュリーはいなくなったんだし、せいせいするわ」
それまで成り行きを静観していたカティアが余裕の笑みを浮かべた。
「そうねお母様、これで私も嫌な思いをせずに済むわ」
「さんざん嫌がらせをされたものね、可哀そうに」
「その報いはうけるさ、温室育ちの貴族令嬢が家出した行きつく先は目に見えている」
「そうよね、騙されて娼館落ちってところかしら」
「まさか、あんな色気のない人が?」
「まあ、世間体もあるし、失踪届だけは出しておくか」
「捜さないんですか?」
親子三人の会話に違和感を覚えたブルーノが口を挟んだ。
家出は想定外ではなかったのか? 婚約破棄された傷物令嬢の嫁ぎ先を見つけるのは難しくても、伯爵家で面倒を見ると聞いていたブルーノは困惑した。
アシュリーのことは、十数年間婚約者で、恋愛感情はなくても妹のように思っていた。たった一人で市井に出たとなると心配ではある。
「なぜ?」
「だって、心配じゃないんですか?」
「家を捨てて勝手に出て行ったんだ、心配する必要があるのか?」
「え……」
実の父親がこうも冷たいなんて考えられなかった。
「ブルーノ様! まさかアシュリーに未練がおありなの!」
「いや、そうじゃなくて」
そうだな、俺が心配しなくても、母がなんとしても捜し出す違いない、とブルーノは思い直した。実の娘のように可愛がっていたもの、このまま放っておくわけはない。
「そんなことより、明日からは少々忙しくなるぞ、薬草畑の収穫は専属の使用人に任せればいいが、伯爵家の執務をこなさなければならなくなるし、まあ、アイツがやっていたことだ、難しくはないだろうけど、ブルーノ君も手伝ってくれるな」
「はい」