その5 子ども扱いされました
折れてはいないがヒビが入っており、全治一か月以上はかかると診断され、左手は添え木で固定されて三角巾で首から吊るされた。
アシュリーとヒューイはリフが手配してくれた馬車でシモンズ侯爵邸へ向かっていた。
馬車が苦手なアシュリーは落ち着かず居心地悪かったがじっと我慢していた。その様子を見たヒューイは、痛みが酷いのだと勘違いした。
「そんなに痛むのか?」
「いえ、鎮痛剤が効いていますから大丈夫です」
アシュリーはそう言ったが、訝しげに見られているのは自分が挙動不審に見えるからなのだと気付いた。
「馬車が苦手なので……それより、本当に申し訳ありません、私が不注意だったのに治療費まで負担していただいて」
「それがわかっているならいい」
ヒューイは腕組みしたまま無愛想に言ったが、これまでの会話で、この素っ気ない態度が彼の普通なのだろうとアシュリーは気にしないことにした。
「あの状況で知らん顔するわけにもいかないし、彼の頼みでもあるしな」
「あの方……、第三王子のリフェール殿下ですよね、なぜあんなところにいらしたんですか?」
「なぜわかったんだ?」
ヒューイは片眉をあげながらアシュリーを鋭く睨みつけた。
アシュリーは不用意に口にしてしまったことを後悔した。第三王子はほとんど公式の場に顔を出さないので、知っている者は少ないことを失念していた。平民のふりをしている自分がその顔を知っているのは不自然極まりない。
〝綺麗な目をしているね〟
あの一言でアシュリーは思い出した。彼女は幼い時、まだ四、五歳の頃、彼に会ったことがあった、その時にそう言われたのだ。
まだ健在だった祖母に連れられて王太合のお茶会に行ったことがあった。私的なお茶会に呼ばれるくらい、その頃のヘイワード家は王家との繋がり深かったのだ。祖母が他界してからは薄れてしまったが……。
祖母たちのお喋りに退屈したアシュリーは、王宮の広い庭園を一人で探検に出た。その時、天使のような王子様に出逢った。
黄金の髪にサファイアみたいに輝く瞳の美しい少年、人懐っこい笑みは眩しくて、本当に人間なのか?と疑うほどの美しさに驚いたことを覚えている。
彼は庭に迷いこんだアシュリーの相手をしてくれた。花壇の上を舞う長を追いかけまわしたり、捜しに来た侍女から隠れるために、木に登ってキョロキョロする侍女を見下ろしてクスクス笑ったり、楽しい時間を過ごした。あとで祖母から、この国の三番目の王子様だと聞かされた。
なにか肝心なことを忘れているような気もしたが、先ほど会った青年が、成長したリフェール第三王子だと確信していた。
「リフェール殿下を知っているということは、高位貴族か?」
「そんな滅相もない、あなたこそ、第三王子とすごく親しそうだったじゃありませんか、王族の血を引いてらっしゃるの?」
「違うよ、王立学園の騎士科で同期だったんだ。年下だけど彼は優秀で飛び級していたから。その頃の二歳差って体格的に大きな差があるだろ、なぜか懐かれた俺は護衛みたいなものだったよ。卒業しても懇意にさせてもらっていて、身分を隠してリフと名乗った時は敬語厳禁と言われているが、なかなかそうもいかなくて」
「なぜ、身分を偽ってこんなところへ?」
「そう言うお前こそ」
ヒューイはアシュリーの無事な右手を凝視した。
「平民の手じゃないよな」
アシュリーは慌てて隠した。
「殿下も気付かれたんだろうな、だから俺の邸で面倒を見ろと言ったんだ」
「まさか、子供の頃に一度お会いしたことがあるだけです、こんな平凡な女、覚えてらっしゃるはずないです」
「いずれにせよ、お前みたいな子供が一人旅なんて、怪我をしていなくても無理だ。簡単に鞄を引っ手繰られるような隙だらけで世間知らずのお嬢ちゃん、攫われて売り飛ばされるのがオチだよ、紫水晶の瞳は珍しいから高く売れそうだ」
「子供じゃありません、もう十六です」
「嘘だろ、十三、四歳にしか見えないんだけど」
貧相な体つきを確認するように見るヒューイの視線に気づいたアシュリーは、怒るより肩を落とした。
そうだ、美人でもない色気もない可愛げもない、おまけに傷物ときたらブルーノに疎まれるのも無理はない。艶っぽい美人のリディアに乗り換えられた現実をアシュリーは思い出した。
(こんな私が運命の出逢いを求めるなんて、無理な話かも)
急に黙って俯いたアシュリーを見てヒューイは焦った。
「悪い、年頃のご令嬢に失礼だったな」
「いいんです、本当のことですから」
失言に怒りもしないアシュリーを見て、年頃の貴族令嬢が一人で旅をしていることには複雑な事情があるのだろうと察したヒューイは、雰囲気が悪くなったので話題を変えようとした。
「殿下のことは他の人に話さないでくれよ、あそこは母方の実家だからソフィー伯母さんには話してあるけど」
「実家?」
「どうせ邸に入れば耳に入る話だろうけど、俺は前々侯爵が若いメイドに手を付けて産ませた妾腹だ、年の離れた嫡男が侯爵家を継いでいたが、三か月前、馬車の事故で夫妻とも亡くなり、王宮近衛騎士団に所属していた俺が急遽呼び戻されたんだ」
アシュリーは不貞腐れ気味に話すヒューイの驚きの目を向けた。
「殿下は慣れない侯爵業に四苦八苦しているのを面白がって、度々見に来るんだよ。邸にいる姪、亡くなった兄夫妻の一人娘が超苦手だから侯爵邸までは来なくて、今日みたいに伯母の店に呼び出されるんだ」
(そんなこと、わざわざ言う必要ないのに、私を傷つけたと思って、自分の事情も晒してくれたんだ、見かけによらず優しい人なのかも)
アシュリーは今日会ったばかりの人に連れられて邸に行くのは不安だったが、それが少し薄れた。
「心配して来られるなんて、よほどリフェール殿下のお気に入りなんですね」
「いや、苦労している俺を見て楽しんでるんだよ」
「疲れてらっしゃるのはわかります、目の下に隈が」
「君だって疲れた顔してるぞ、どんな事情か知らないが、貴族令嬢が一人で隣国まで行こうだなんて、よく決断できたな、普通はそんなこと考えもしないだろ」
「普通じゃなくて悪かったですね」
そうなのだ、普通の貴族令嬢は一人で外に出て生きていけるとは考えない。なにがあっても家にしがみ付くものだ。
しかし、アシュリーが三年前に見た夢はその考えを変えさせた。