その41 傍にいたいんです
陽が傾きかけている時刻に、リーナは一人で森の中の細い道を歩いていた。
また、アルドになにも言わず姿を消すことには心が痛んだが、弟に迷惑はかけたくない。殺人犯の姉などアルドには必要ないし、彼はもう大丈夫だ、リーナは二度と会わないつもりで町を後にした。
「今からじゃ、陽のあるうちに森は抜けられない、狼の餌食になりたくなければ引き返すのだな」
突然、人影が立ちはだかった。
濃紺のマントに身を包んだ男性、声の感じでは若い男だろうとリーナは感じた。そのマントの生地は自分が羽織っている黒マントとは比べ物にならない高級なものだと艶やかで滑らかなドレープから一目瞭然だった。
「大きなお世話よ」
リーナは警戒しながらマントの中でナイフを握った。
「死ぬつもりか?」
そう言われて、ナイフで武装する意味はないんだと気付いた。そうだ、自分はもう死んでもいいと思っているのだから。
「やるべきことは終わった、もう、どうでもいいわ」
「どうでもいい命なら、偽の魔法陣で俺を出し抜いたお前の魔力、我が主に預けてみないか?」
「あなた、なにを知っているの?」
「シモンズ侯爵家で起きたこと全て」
マントが風になびき、胸ポケットのエンブレムが見えた。それがなにを示すのかわかったリーナは息を呑んだ。
「表向きは呪いなどなかったことにされたが、お前がトンプソンに呪いの魔術をかけたことはわかっている」
「王宮魔術師に目を付けられたんじゃ、逃げられないってことね」
周囲にも数人の気配を感じた。
「ただ一つだけ不可解な点がある、なぜ、トンプソンだったんだ? 彼女は君の恋人の死に関わっていないのに、殿下もそれだけが理解できないと仰っている」
「殿下? 王族が絡んでいるの」
「王宮魔術師団の最高責任者は王族だ、我々とは比べものにならない魔力の持ち主だ。それに魔女の末裔のお嬢さんにも気付かれていたようだぞ」
「やっぱりあの子」
リーナは地下通路で会ったアシュリーの紫水晶の瞳を思い出した。
「トンプソンは君の協力者ではなかったのか?」
「彼女は最初からあたしを利用しようとしていただけ、あの人は昔と変わらず悪意の塊だった、彼女こそ元凶だったのよ」
リーナは顔を歪めた。
「オリヴィアが無茶な注文をしたのはトンプソンが進言したからだった、そして高熱で苦しむライナスのためにと渡された解熱剤はただの小麦粉だったのよ」
「そんなことを……」
「彼女はいつも他人の幸せを妬んでいた、自分は捨てられて幸せになれなかったから他人も不幸になればいい、そんな考えの人だったのよ。ジャックを薬物中度にしたもの彼女、イザベル様をそそのかしてブランに横領させたのも彼女でしょう、言葉巧みに人を陥れる悪魔のような人、放って置けばこの先も犠牲者が出たでしょうね」
「ライナスの復讐ではなかったのか?」
「復讐ですよ」
リーナは儚い笑みを浮かべた。
「で、どうする? 我らの元へくだるか?」
「あたしになにが出来ると思ってらっしゃるの?」
「死ぬ気ならなんでもできるだろ」
* * *
「シモンズ邸の呪いの真相を究明したいなんて偉そうなこと言ったのに、すでにアルドさんが調査していたんですね」
アシュリーとヒューイは薔薇園に来ていた。
秋も深まってきたのに、まだ見事な大輪を誇っている薔薇を見ながら、アシュリーは少し不満げに言った。
「勇気を出して地下通路に入ったりしけど、その時もうすべて突き止めてらしたのよね」
「姉に罪をなすりつけられないように必死で調べたみたいだ」
事件は解決した。呪いなど関係なく、すべてトンプソンの犯罪だと決着させたのは自分だが、本当にそうだったのだろうかと、ヒューイは違和感を拭い切れないでいた。
リフェールもそれで納得したように見えたが本心だったかは疑問だ。穏やかに見える笑みの下になにかを隠しているような気がしていたが、考えてもしょうがない、リフェールが本心を明かすことはないだろうとあきらめていた。
「お姉様思いなのですね、そんなお姉様を疑った私をよく思っておられないでしょうね」
「気にすることないさ、もう会うこともないだろうし」
「えっ? アルドさんお辞めになるんですか?」
「去るのはお前だ、間もなくリフェール殿下が迎えに来られる、この薔薇も見納めになるな」
「また様子を見に来ますから」
「いいや、二度とこの邸には来ないでくれ」
ヒューイの言葉にアシュリーは驚きの目を向けたが、彼は目を背けた。
「なぜ……」
アシュリーは困惑した。
(もう会いたくないと言うことなの? 一か月余り一緒にいて、心を通わせることが出来たと思っていたのは私だけだったのね)
困惑の次は寂しさが溢れた。ヘイワード家でそうであったように、ここでも自分は必要とされない存在なのだと思い知ると、目頭が熱くなった。ヘイワード家では堪えられたのに、今は涙が滲み出るのを止められなかった。
「ゲンズブール公爵令嬢になるんだ、フラフラと出歩くわけにはいかないだろ」
そう言いながら見たアシュリーの目に涙がいっぱい溜まっているのに、ヒューイはドキッとした。
「怪我も完治したし、私と会う理由はもうないんですね」
アシュリーは震える声で言った。
(ああ、私、彼の傍にいたいんだ、でもそう思っていたのは私だけで……)
瞬きをすると涙が零れ落ちた。
涙の雫を見たヒューイの中で、なにかが弾けた。
「違う! そういうことじゃなくて」
背を向けて立ち去ろうとしたアシュリーの手を、ヒューイは掴んで引き戻した。
「お前は王宮へ、リフェール殿下の元へ行くんだぞ、俺の手の届かない存在になるんだ、だから、キッパリあきらめなきゃいけなから」
ヒューイはアシュリーを抱きしめた。
「これ以上傍にいたらもう放せなくなる、ずっと傍にいて欲しと望んでしまうから」
自分が女性を好きになることなど一生ないと思っていたのに、いつの間にかこんなにも彼女に惹かれていたなんて、ヒューイ自身信じられなかったが、彼女がいなくなると思った今、ハッキリと自覚した。
アシュリーはヒューイを見上げた。
少し赤面しているヒューイの顔、でも、とても辛そうな表情が浮かんでいた。
「それって……」
アシュリーの心臓が早鐘のように打った。
その時。
「おやおや、お邪魔だったかな」
アルドに案内されたリフェールが現れた。